えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

花束みたいな恋をした

これは、花束みたいな恋をした、にコンプレックスをゴリゴリに刺激された人間の感想だ。
誤解を恐れずに言うと、坂元裕二さんの作品を観るのが怖かった。
だってなんか、坂元裕二さんってお洒落な作品の印象が強すぎるのだ。台詞に洒落っ気があって、深みがあって、一つ一つの質量が重い。ちょっと捻ってあって、それこそ、花束みたいな恋をしたに出てくる麦くんや絹ちゃんが好む作品だと思えて仕方なかった。



そして、恥も外聞もなく白状するなら、私はそんな彼らにコンプレックスを抱いていた。
一つ一つのことにこだわれて、流行だとか社会だとかの目を気にせずに自分の好きなものをただ好きだと愛せる。
もう、そんなの、めちゃくちゃ格好良いじゃないか。お洒落じゃないか。
だからこそ、そんな坂元裕二作品を観るのが怖くて、そんな作品を好むふたりのラブストーリーなんて観ようもんなら身悶えしながら死んでしまうんじゃないかと半ば本気で思った。
だって、きっと彼らはお気に入りの音楽があって、古着屋で服を買い、レコードとか聴くのだ。今打ちながら偏見すぎて自分に引くけど、でもだってあれだろ、お気に入りの家具があって、こだわりのちょっとレトロだったりアンティークだったり、なんかカタカナのお洒落な感じのアレでまとめた部屋に住んでるんだろ。


残念ながらこちらは特に何かにこだわれず、と言って流行にも乗れずなんか薄ぼんやりした、どっちつかずの立ち位置でお洒落な人にも世間にも愛想笑いしてる感じですよ。
そんなコンプレックスと偏見にごりごり固まった私は、半ば本気でこの映画を観たら途中で身悶えして死ぬんじゃないかと思っていた。お洒落さや格好良さで人は死ぬ。オーダーメイドな人生を選びたいと思える人間への羨望で絶対に目が潰れる。その上べつに世間にも馴染めてるタイプじゃないから彼らをまたまた、なんて苦笑いすることもできない、確実に死ぬ。やってらんねえってなる。その自信だけはめちゃくちゃある。怖い。


そして、その予感はまあ、もちろん、めちゃくちゃ的中する。もう、なんか、冒頭の出逢って惹かれていくシーン、うわーー!!!!!!!!と羨ましさでハゲるかと思った。なんなら多分、心の中で二、三回禿げた。なんだろう、二、三回禿げるって。
手作りの生活たち、大切なもの、彼らだけの"共通言語"。普通になるのって大変だ、と呟く彼らが羨ましかった。特別な彼らがひたすらに眩しかった。


そして、眩しかったからこそ、生活に飲まれていく麦くんと絹ちゃんに、寂しくなった。
子どもみたいなこと、と言ってしまう言葉に傷付いた。いつかの言葉が届かなくなることが、共通言語が失われていくことが悲しかった。
あと、ほんの少し、悲しい寂しいと思える自分にほっとした。そこで、あのふたりのすれ違いを喜ぶような最低な人間になってなくてよかった。


あとさ、その、これは誰がそう思ったのかというのが難しいんだけど、観終わって数時間経って、思う。
特別、なんかじゃなかったんだよなあ。
たぶん、この話できるあなたが特別、世界で私たちだけなんてことはなくて。
さらに言うと、私と麦くんと絹ちゃんは違う種類の人なんかじゃなくて、
わりと当たり前にあちこちにいる人で、だからこそ羨ましかったし、寂しかったし悲しかった。


語弊をおそれずに言うなら、麦くんと絹ちゃんも、特別でありたかっただけなんじゃないかなあというか。
普通の人だった。
だからこそ、生活に飲まれていく彼らを悲しいと思ったんだな。


絹ちゃん、分かるよ。わかるんだ、でも実用書を読む姿を悲しいなんて思わないでよ。
なんとか二人でいられないかな、とファミレスのシーンで唸って、でも、いられないよなあと思った。
別れなくてもいいじゃん、やっていこうよ、という麦くんの台詞を思い出す。本当に、そうだよ。でも彼らのあの時間が特別であるためには、お別れしかなかったかもな。



私は、ゴリゴリの"労働者"だ。夢のある仕事をしてるわけでもない。よく、仕事で会う就活生に言っていた。憧れる仕事ではないかもしれない、将来の夢で挙げてもらえる仕事なんかじゃない。
でも、私は、毎日が楽しい。

あの頃の自分は、と考えて思う。たぶん、私は、将来こんなふうになりたいなんていう夢もビジョンもずっとなかった。
だけど今日、モーニングを気になった店で食べてのんびり街を歩き、本を読んで、映画を観て、それから昼間酒をする。それは、想像しなかった未来だ。なりたいとも、なりたくないとも思ってなかった。でも、わりと今、こんな生活が嫌いじゃない。


どっちが偉いとかどっちが正しいとか、
大人だ子どものまんまだとか、どーでもよくて、羨ましいとか共感とか、そういうのでも、ないんだよ。


そして、そんなことを考えながら思った。
お洒落で、ポストカードとか部屋に貼ってて色んなことを知っててこだわりがある絹ちゃんや麦くんも、「それっぽい」人なんかじゃないのだ。
それぞれに、彼らだけの人生を生きているのだ。

あの、好きなものを共有した特別な夜も、パズドラしかできないと呻いた日々も、どちらも変わらず、彼らの生活だと思う。
そこに、有利不利なんてなくてそれぞれに大変で、それぞれに幸せなんだろう。そうであって欲しい。彼らは彼らの幸せを、私は私なりの幸せを。まあ、そんなこと言っても、たぶん、生きてる限りどうなるんだ、って生きていくしかない。


だとして、彼らに「楽しかった」「幸せだった」と束ねて飾りたい時間があることは、とても、彼らのこれからにとって、心強いものだと良いと心の底から、願う。
そしてそれは、特別と呼んで、良いんじゃないか。