えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

生業 大阪公演

大阪の生業に行ってきた。
元々、RHYMESTERのパフォーマンスを観たかった生業大阪公演。
さらに私にとっては、半ば衝動で行った生業札幌公演で心の底から満足したからこそ「ふたり揃ったCreepy Nutsを観たい」という気持ちが乗っかった大阪公演。



生業を観てから、ずっと心が落ち着かない。幸せで、ひたすらに幸せで、なんというか「私はこういう状況に幸せを感じるのだ」というのをひたすら噛み締めていた。



話したいことがたくさんある。
音楽が最高だったこと、友達と観る好きな光景の幸福度が半端なかったこと、誰かが夢を叶える瞬間というものに立ち会った気がしたこと、
それからやっぱり、本当に音楽がただただ、気持ち良かったこと。

本当になんか気持ち良くて最高だった。終わった後飲んだビールがあまりにも美味しくて、こんなにうまいビールって早々飲めないんだよなって噛み締めてしまった。
叫び出したいような、でも言葉にして違うものに変わってしまうのが惜しいような、そんなものを抱き締めている。それでも、忘れたくなくて、そのものは残せなくても近い何かを残したいので、書く。



RHYMESTERが本当に楽しくて。
そりゃあもう、好きな人たちのHIPHOPに大きな影響を与えたという時点で大好きになるだろ、という気持ちなのだけど

そもそも宇多丸さんの映画の話はガッツリ聞かないながらに、ハイローはじめなんとなく身近にあったし
以前のMUSIC BLOODを観てから気になってことあるごとに何曲かダウンロードしていた曲をガッツリ今回予習がてら聴いて、ものの見事にぶっ刺さったり。


好きなものと好きなものが繋がっていく、その美しく心地いい感覚が最高に嬉しかった。


そして、実際に生で見るRHYMESTERは最高に格好良くてイカしてて最高だった。
最高を二回も使っててアホっぽいことこの上ないが、それでももう、そう言うしかないのだ。



日本語ラップCreepy Nutsきっかけに好きになって興味を持つ中で、でもやっぱり未だに、自分の「似合わなさ」に怯むことがある。

ただその中で、RHYMESTERの表現は触れやすく飲み込みやすい。私もこれが好きだと躊躇わず口にできる気がする。
(こういうことを考えるのも、そもそもRHYMESTERCreepy Nutsが今までの道のりで積み上げてきたもの的に反しているのでは、と思いはするけどどうしたって感じてしまうからそれを無理に否定するのも、なんか違う気がする)


しかし、そのとっつきやすさ、私もこれを好きだ!と叫びたくなるような親しみやすさは彼らの大いなる武器の一つなんじゃないかと思った。
「自分たちと同じだ」という大いなる勘違いが距離を縮める。そんなある意味では行儀の良さ、屈託のなさで近付いたところでぶん殴られる。



なんか怖そうだから、理解できないからと生まれる壁をそもそも取っ払った状態で、でも彼らの音楽は彼らの話を容赦なく、加減なく届ける。

強い言葉は使っていない。暴力だって奮っていないし、変な言い方だけどRHYMESTERのパフォーマンスは怖くない。
でも怖くないからこそそれは、絶対に届けるのだという強い意思のようにも思ったし、それはそもそもの音楽・表現の強さだと思った。



HIPHOPの「ワルの音楽」以外の側面、でも別にそれは優しいだとか行儀がいいなんて話じゃない。
クスリもしない女遊びだとか派手な話はないかもしれない。だけどそれ以上に我の強さみたいな、譲らない拳の硬さは紛れもない事実だ。


キャンセルカルチャーについてこの一年ずっと考えているからというのもある。ちょうどCreepy Nutsを聴く時がたまたまそういうことに煮詰まった時なことが多く、私の中でCreepy Nutsだけではなく、HIPHOP日本語ラップがそういった「間違った(良くないとされる)表現」に対しての疑問と結びつきやすいからかもしれない。




間違った表現をしないため、だけに表現し続ける息苦しさ、そもそも「その表現は正しくない」と断罪することの傲慢さについてもずっと考えている。
ただ、それでも表現が誰かを大きく傷付けるのを観た時のしんどさがあって、にっちもさっちもいかなくなる。
そんな私にとって、RHYMESTERのそしてCreepy Nutsの表現はすごく、格好いいものなのだ。
それは別に、彼らが「間違えていない」からじゃない。彼らを「清廉潔白」だと思ってるからでもない。




ただ、RHYMESTERのパフォーマンス中の怒りを込めろという煽りが耳に残っている。
私はなんだか、その言葉を聴いた時嬉しかった。ああそうだよ、ずっと怒っていたよと思った。それをぶつける先があることにも、それが誰かを傷付ける形ではなくこんな気持ちのいい形であることにも本当に心の底から安心した。



「傷付けないから正しい」わけではなくて、でも無闇矢鱈と傷付けず、届く形を探し続けている人たちの表現の強さと格好良さ、そしてそれを自分が心底好きなんだということに私は嬉しくて安心して、最高に興奮していた。




そんなわけで、RHYMESTERのターンが終わった時点でだいぶ食らっていたわけですが、その上その後、Creepy Nutsが登場するのだ。
一発目、札幌の公演のセットリストとは全く違う構成に鳥肌が立つ。
一曲一曲の音楽としての表現だけではなく、構成でぶん殴るという私の大好きなCreepy Nutsがそこにいた。
言葉よりも雄弁なセットリストと、そして間に入るMC、曲の入れ方。



その上今回は、RHYMESTERからのCreepy Nutsという文脈までもをしっかりと楽しめるものだった。
各ターンでもそれぞれのメッセージ・表現が完結しているなかで、全体を見るとより大きな文脈、物語が見えてくる。



RHYMESTERを聴いていると聞き覚えのあるフレーズを聴くことがある。それはRさんも言っていたように、彼らがRHYMESTERから受けた影響がいかに大きいかということだろう。
もちろん、HIPHOP日本語ラップではお馴染みの良く使うフレーズ、表現だからそもそもある程度被るのは当たり前、と言えばその通りかもしれない。
しかし、だとしてもどのタイミングでどんな時、どういう意味合いでその単語を用いるかの


まさしく「オマエらのRootsはあくまでオレだとは言っ・て・お・き・たい・ぜ!」だ。



コロナによる延期・中止を経て、憧れの人たちとのツーマンライブを実現したCreepy Nuts
なんか、終わった後しみじみ、ああ彼らの夢の一つを叶える瞬間を私は観ることができたんだな、と思うとなんか嬉し過ぎて堪らなくなった。なんなら今もこれを打ちながら泣いてる。
大好きなひとたちのステージを観てもう満足したから帰ろうと口にした彼らにどれくらいRHYMESTERのことが大好きなのか分かる気がして、帰られたらもちろん困るけれども、なんか、そんな瞬間を見れただけで今日ここにいれて良かったと思った。


そして札幌公演を経て、大阪公演を見た時に、私はふたり揃ったCreepy Nutsがめちゃくちゃめちゃくちゃ好きなんだなと思った。
それぞれでも最高で、どんな時でもどんな状況でもCreepy Nutsを成立させられるすごい人たち・すごいチームだと札幌で思ったからこそ、それでも二人揃った時の強さとか格好良さを噛み締めてしまった。


本当に好きなんだよなあ、Creepy Nutsが。
めちゃくちゃにわかだけども、それでも、彼らのステージが大好きだということは紛れもない事実なんだよな。




すげえステージで、それは私にとってはもちろんだけどきっと彼らにとってもそうなんだな、と伝わるステージだった。
そしてそんなすごいステージを魅せてくれた彼らがこれからも「エンドロールのその先」を観に行くんだろうな、と思えて最高に嬉しかった。
私もその道の先を観たいと心底思った。
そして何より、自分の人生だってそう捨てたもんじゃないと思った。諦めずに、この人生を掴み続けたいと思えた。
そう思わせてくれる音楽に出会えた私の人生は既に結構かなり、ラッキーなんじゃないか。




土産話

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