えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

RED PHOENIX 4月27日大阪追加公演


※一部、曲バレがあります






どんな気持ちになるんだろうとずっと思っていた。
正直、ほぼ勢いで決めた公演で、何より前日からの周囲の動揺で「本当に今観ていいのか?」という疑問もあった。それにそもそも、「ライブに行くこと」を自分の中でまだ飲み込めていない気もした。
ライブも行き、芝居も観ているくせに何をいけしゃあしゃあとと言われそうだし、実際私もそう思っているけれど、それでもそれぞれがただ「ライブ」「お芝居」ではないのだ。それぞれが「EXILEのライブ」というように名前がついてる。とどのつまり、私はまだ自分が「EXILEのライブ」と向き合う覚悟ができていない気がしたのだ。
私が観に行きたいんだ、と言い切れるほどの自信がなく、ないどころか日に日に失っていくような状況だったので、ある意味でNAOTOさんの動画を観て、あ、行こうと衝動で観に行ったのは、正しかったのかもしれない。



そんなわけで、私は、EXILEのライブを観に行った。



観ながらああそうだ、これがEXILEのライブだった、と思い出した。客席で揺れるフラッグ。派手な演出(それも今回はかなり抑え目なようには感じたけど)
ちょうど、EXILEの音楽について始まる前に友達と話していた。私はどちらかといえば音楽を歌詞で聴くタイプで、そういう意味ではEXILEの楽曲は音楽としては正直に言えば馴染みが薄い。
ライブ前後は聞くし、実際に好きな曲もあるけれど、普段からリピートしていることはどちらかといえば少ない方だった。
ただ、ライブに行くと思う。パフォーマンスと合わさった時のEXILEの楽曲はすごい。もちろん、曲だけで未完成なわけでも足りないわけでもない。曲だけでも強いのだ(前述したのは、あくまで好みの話で音楽としての良さがあるのはもう本当に間違い無いのだ)
歌う、踊る。人が踊ることのエネルギー、そしてそれと音楽が合わさることで相乗効果がどんどん増していくこと。そんなことを肌全体で感じていた。
そして何より、私がEXILEのパフォーマンスが好きなのは、それが人を笑顔にするのだと彼らが信じていることなんだと思う。
時々、怯んでしまいそうになるほどの真っ直ぐさで彼らはエンタメを創る。信じる。そして何より、それを信じるための努力を怠らない。
私はその強さが、きっとずっと好きなのだ。



EXILEを好きになる前。
顔がいい人たち、スタイルがいい人たちが歌って踊っているんだろうという偏見混じりの感情を打ち砕かれた日のことを思い出した。
もちろん、顔もスタイルもいい。でもそれだけじゃない。鍛えて、準備して初めて生み出せるエンタメを彼らは作っている。それが大好きで、その力を信じて。



そして今回、衝動のきっかけになったNAOTOさんのダンスを観れたことが本当に本当に嬉しかった。
私は、NAOTOさんのダンスが好きなのだ。なんでだとかどこがだとか、そんな理屈を捏ねたく無いくらい、好きで好きで仕方ないのだ。
NAOTOさんが踊っていると重力の存在を忘れる。アニメや漫画を見て憧れたヒーローが目の前にいるようなそんな気持ちになる。
楽しいこと、格好いいこと、面白いこと。
そんな私の「好き」が詰まった瞬間が、NAOTOさんのダンスを見ていると毎秒毎秒、訪れるのだ。



ところで私は、ライブやお芝居、映画を観ながら違うことを考えるのが好きだ。
集中していないとかじゃなくて、それを観ている時の幸福感の中で日々の色んなことを考えるのが本当に好きで仕方ない。
今回も気が付けばずっと考えていた。
2年前、当日に失った「楽しい」こと、友達のこと、この数週間のこと、数年のこと。目の前の人たちについて考えていたこと、世界のクソなところ、わざと捻くれて見ていたこと考えたこと。





そうしてそうしながら、TAKAHIROさんの歌声はいつもその瞬間、寄り添ってくれるんだなと思った。
まるで会話しているみたいに自分の考えていること考えたくなくて逃げていたことに応えるみたいな歌詞が次々、あの優しい声で届けられて泣きながら笑ってしまった。
疲れて観たTHE FIRST TAKEの「もっと強く」で、それでも私もTAKAHIROさんが好きなのだと言いたいと思った日のことを思い出した。いつも、TAKAHIROさんの表現は私と会話してくれるような、そんな気がする。
それはただ、彼の表現をきっかけに私が自問自答をしているだけの話である。でも、それがあるから、私はまっすぐ歩こうと思えるのだ、たぶん。




本当に、なんか聴いてる歌詞がいっこいっこ、自分にリンクしてしまって、びっくりしたな。
その上、それを丁寧に踊る人たちまで目の前にいるからすごい密度で私の頭に飛び込んでくるんだもん。



LDHを好きでいるときにうまく距離を掴めなくなることがある。
自分にそこまでの熱量があるのかすぐ自問自答してしまうこと、一番追いかけていた頃と感覚は確実に変わっていること、
何より基本的にすぐに性悪説を唱える自分と彼らの思考は結構ちぐはぐになることもある。
大きなグループだからこそ、全部は好きでいれないな、と思うことだってある。
彼らが呼びかける「みなさん」に入りきれていない違和感だってあった。



でも別に、それでも良いんだと今回のライブを観て思えた。ずっとぐるぐると考えていたことを笑い飛ばしたくなるくらいにスッキリした。
そして、それは賛否があることだと思うけれど、彼ら「EXILE」という物語を紡いでいるからかもしれない。
その物語を全部、全要素愛せなくても理解できなくても、好きだという事実は変わらないのだと思った。なんなら私はその違うこと、好意的に受け取れないこと、それでも好きだということの方がなんだか嬉しいとさえ思った。全部を好きになろうと頑張りすぎていた時よりも、ずっとずっと、強く好きだと思えた。




そんなことを考えていたらSomedayが流れてきて、極め付けが凄かった。
私は私らしくていいのか。そうしている間も彼らは変わらず、彼らの信じる形を作って、歩き続けるのか。だとしたら、それが時々交わったら楽しいじゃん。
生きていて、私も彼らもそれぞれの道を歩いていてそれが時々交わったり眺めたりしながら、そうやって生きていけたら楽しそうだなと思った。
きっと彼らはこれからも自分の信じるものでひとを笑顔にしていく。そんな彼らに恥ずかしくない自分でいつでも彼らのエンタメに向き合えるように、私はとりあえず今日も真っ直ぐ、歩いていこう。次に彼らと道が交わる日を楽しみにしながら。