えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ヘイ磯野、パーティー組もうぜ

諸々あって、最近、なんとか世界を愛せないものかと考えていた。何をいきなりと言われそうだけど、わりと本気で、真剣に、この難題に取り組んでいた。
世界を愛して、自分の人生をなんとかこう、真っ当に、取り組めないものだろうか。


なんせこちとら、365日1年に日があれば、350日くらいうんざりしてるのだ。



でも、こうして世の中で「嫌なもの」が増えれば増えるほど、おっしゃじゃあやってやろうじゃん!と天邪鬼が顔を出す。
程よく環境が変わったり、推しが結婚したり、そういう「人生を考えるタイミング」がやってきた。


昔から「真っ当に人生を歩めない自分」に落ち込むことが多いので、このタイミングじゃないか?!と思った。


思ってそれじゃあ、と人生というものに取っ組み合うを挑み、
そして結果、わりと、惨敗に近い試合結果がやってきた。今、これ、大の字になりながら打ってる。
もちろん、概念の話だ。



価値観が違うこと、を面白がったり知りたくなった。



中学生の頃、今以上に捻くれ、常に毛が逆立ってる猫のような状態だった私の席の隣に、陸上をしてる女の子が座っていたことがある。そこそこにギャルで明るく、勉強は苦手で運動が得意な「私とは違う世界」の住人だった。
気が重いと思いながらその席でなるべく小さくなって過ごしていたある日、なんでか、その子と進路の話をすることになった。
きっと、適当な学校に行って適当にキャンパスライフを謳歌するんだろうな。そんな最低なことを考えながら、彼女にこれからの夢を聞いた。
予想に反して、彼女は楽しそうに「走りたい」と言った。陸上が好きで、だから陸上が強い学校に行く、走る。それが楽しみなんだと。



走ることが嫌いで、陽キャをどこか「自分と違う世界の生き物」と思っていた私にとって、彼女が話す世界は、知らない世界だった。目の前が大きく開けたような、「そんなところにも扉があったの?!」とびっくりするような気持ちになった。
なって、それから、



猛烈に私は恥ずかしかった。



勝手に線を引き、何もないと決め付けた彼女ともし仲良くなっていたら、どんなものが観れただろう。仲良くならなくても、切り捨てたそこに、切り捨てて良いものがあったのか。
本当に「くだらない」のはどっちなのか。



そんな恥ずかしさのことを、思い出す。


そんで、人生……出世とか自分が疎かにしてきた人付き合いとか恋愛とか結婚とかその他諸々、所謂ライフプランというものと、一旦この機会にちゃんと見つめて取っ組み合いをしようと思ったのだ。
どうせこのご時世、起こそうと思わない限り、イベントは起きないし。


手始めに、ちょっくら人付き合い関係をまとめて取り組もうと思った。


たびたび書いてるけど、恋愛も含めた人付き合いにずっと苦手意識と劣等感があるので、おっしゃここいらでいっちょ向き合うか、と思った。
それに、好きな人が世界に増えるっていうのは結構、かなり、幸せなことだ。
そう考えても、一石二鳥だ、と思った。



それで、とか言うと、「結局寂しいんでしょ(笑)」と言われるんですけど。というか、言われたんですけど。
まあ、言ってしまえばそうなってしまうかもしれないけど、
そうじゃないのだ、私の中では。




そうじゃない、そうじゃなくて、例えばケンタッキーのパックが安くなってたから買ってきたよとか気になるお茶だのお酒だのを一緒に広げたりだとか、
シャインマスカットを食べて「これが果物の王様か!」と感動したいのだ。

それはもちろん一人でだって楽しいことなんだけど、「誰かと一緒にってどうかな?」と思った。
それもやっぱりくだらないと一笑されたけど、でも、そうかな、くだらないかな。




きっと私が、コントが始まるの春斗や、家族募集しますの蒼介に共感したのだって、結局のところそこだ。誰かの人生の責任を取ろうとすること、誰かと幸せや嫌なことをシェアすること。
そういう柔らかさがくれる心強さのことは、なんとなく知ってる気がしている。



だとしたら、手を開いてみようと思った。思って行動した結果、わりとズタボロに「伝わらない」ことに凹み、何時間もああでもないこうでもないと考えてるんだけど。



理解し合えない、そもそも、例え誰かと手を繋いだとして私は私の寂しいを手渡すつもりも、解消する気もない。だってこれは、私の人生の中の面白みなんだ。

それでも丁寧に傷付いてるのは、結局、どこかで期待してた、ということなんだろうか。



恋人がいないから寂しいだとかそういう話じゃないのだ。というか、そんなもん出来ても解消しないものだって百も承知なのだ。
でもなんとか、日々生きていくしかないなら、楽しむ方法を模索して模索して、だとしたら好きなものを一つでも多く、好きな人を一人でも多く増やして大切にしていくしかない。


ただただ、自分が好きだと思ってる人たちが笑ってたらちょっとはこの世界をマシだと思えるような気がして、それをなんとか味わいたいだけだ。120%私のためにやってるのだ。
だってもう、最近何を見てもうんざりすることばっかなんだもん。



そう腹を括って足掻けば、それはそれで失敗する日々である。


「そんなことしなくても」と言われたし、私もさすがに「意味ねえなこれ」と気付き出した。まあでも意味がないって気付くのもやらずに理解するよりやってみて放り出す方がいいし、とぶつぶつ唱えながら納得させようとしてる。


そもそも、
恋人になってください、付き合ってください。そのどちらも私の体感の言葉とはズレる。
家族になってください、は近い感じはするけど、ちょっと違う。



そういえば、推しが結婚した時、動揺と衝動に任せて書いたろくろがあった。



その時の「ああでも私も負けないくらい幸せなんだよな」という感覚を、思い出した。
なんでだよ、痛いし辛いし理解し合えないしもうやだよとぐるぐる壁を睨んでる中、
色んな話をして、それでも放り出したくないんだよな、とか、
理解し合えなくても解ろうとしあえるんだよな、という"綺麗事"を確信しながら、思い出したんだ。


私が私に幸せだなお前、と言いたくなるのは、そうして、「どうしようもないこと」を一緒にああでもないこうでもないと話せたり、
それを忘れるくらい許せるくらいの「楽しい」を作れる相手がいることを実感した時なのだ。



うーん、そうか、なるほど。
わかった、言いたいことは、たぶんこれだ。
へい磯野、パーティー組もうぜ。



間違いなくそれがどんぴしゃな正解かは試してみないとわからないけど、幾分、自分の肌感覚にしっくりくる呪文を見つけたから、一旦これでやってみようと思う。
ついでに言えば、「理解し合えない」ことにまたガッカリしてはいるけれど、それでもあの猛烈な恥ずかしさを覚えるよりかはよっぽど幸せだとも思うから、手を閉じてしまうのも、もう少し先にする。


つまりは、まだもう少し人生と取っ組み合いを続ける予定だけど、それと平行してどんどんパーティーを組みながら、それでもひとりだと噛み締めながらこのどうしようもない状況を、私は楽しむ予定である。