えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

好きなものの話がしたい

ここ3日ほど調子が良い。気がする。
好きなものをひたすら見て、好きな人の言葉を読み、好きな作品に触れてる。
好きなものがたくさんあるな、という最早何度目か分からない気付きを噛みしめながら過ごしてる。

 

 

この状況下で、色んな取り組みを見た。
SNSをマメに更新してくれる人、新しく配信を始めてくれる人、過去の作品をアップしてくれる人。
そのひとたちそれぞれが色んな言葉で「生きてまた会おう」「それまで元気でいてね」と言いながら、色んなことを届けてくれている。あるいはこれから、届けようとしてくれてる。


これってちょっと、いやかなり、すごいことだ。


エンタメだけじゃなくて、例えば飲食業界とか観光業の人とか、届けようと色んな形を生み出してる。
すごい。
そういう意味では、ものすごく、きらきらしたものをたくさん見ていて、なんだかそれにくらくらするくらいのハッピーを見つけてしまってる。


もちろんそれは、本来の形、が出来ないという苦しさがすぐ裏にはあるし、
そもそも個人的には「だから全員がやって欲しい」とは思わない。というか、むしろ「だからやらなきゃ、なんてことは考えないでね」とすらぼんやり思いもするんだけど。やりたい!ならそれはもう、積極的にわくわくしながら、過ごすんだけど。

 

 

ともあれなんだか、おかげで元気だ。


更には、私は普段Twitterで好きなものを好きだ!って言うことと好きだ!と言ってる人の言葉を読むのを楽しみにSNSを使っていて、
だから、ここ最近、好きなひとたちの何か動きがあるたびに好きだ!という話を読むことができて、とても、ハッピーなのだ。
好きってのはすごいことだなあ、とタイムライン上できらきらしている言葉たちをにこにこしながら眺めている。

 

 

 

ちょっとだけ見栄を張った。本当に正直に言えば絶好調いえーい!ではない。
気持ちのアップダウンはやっぱりいつもよりあるし、生身の人と話す機会が減って言葉が詰まってる感じもある。
先の「楽しい」がなくなるとこんなに毎日の味がなくなって、日にちの感覚も消えるのか、としみじみもしてる。

 


最近、強めの言葉を見る機会が増えた。
別段、この状況について話す時に限らず、
好きなお芝居の台詞を借りれば、「綺麗な言葉を使いませんか」と呟きたくなることが増えた。
強い言葉の方が反応を得やすいから、普段だってもちろんそれはある。
ただそれ以上にみんなヒリヒリしている、というのもあるんだろう。
それは言葉を使っている側もそうだけど、
なんというか、こういう状況だとたぶん、人間って無防備になるっていうか
因幡ウサギじゃないけど、皮剥がれて、風吹いただけでも痛い!みたいになってるんだと思う。(あれって海風だったから痛いんだっけ?ちょっと自信なくなってきたぞ)


そう思うのは、この雰囲気に身に覚えがあるからだ。
熊本の地震の時、地元はそこそこ被害があった。SNSでも地元の友人とのやりとりでも、みんな不安で苛立ってた。
‪努めて冷静でいようとした挙句、私は正論ぶって、人をあの時傷つけたような気がする。
実際、当時、少し落ち着いた頃会った友人から「今は声かけちゃダメだろうな、って思ってた」と言われたのを覚えてる。

 


非常時に人間の本質が見える、なんて言葉も最近よく耳にするけど。
だとしたら私は本当にダサいのが本質なんだろうなあと苦笑しつつちょっとだけ諦めている。
小心者だしストレスに弱いし、オロオロするし対応できずにひたすら寝ることしかできない瞬間もある。
もうなんか、それは今回のことに限らず心底実感してはいたけど、改めてあちゃーと思っている。

 

 

の、だけど。
それはもう十二分に分かった上で、だから気合を入れて好きなものの話をしたい。
幸いにも、色んな人の素敵なものが今、あふれてる。溢れまくってると言っても良い。
この機会に観たいお芝居も映画もライブもある。読みたい本だってある。何一つ不要でも、今じゃなくても良いものなんかじゃなく
そういうのをたくさんとって、なんとか、ダサい自分でも、なんか、こう、なんとかなるんじゃないかって思ってる。

 

 

ちょうど、最近「その鉄塔に男たちはいるという」を観たんだけど、

 

(ちなみに観たのはネルケさんから出ている、NAOTOさん直己さんが出演したやつだ)

その鉄塔に男たちはいるという [DVD] https://www.amazon.co.jp/dp/B004HD4KF2/ref=cm_sw_r_cp_api_i_lFBLEbTVBHQ4P

 

 

「みんななるべく好き勝手やっていくしかないんだって。
お前はショーがやりたいんだろ?それをやればいいんだって。どんな状態でもやればいいんだって。
殺伐としたところからさあ、とにかく遠い存在でいようよ。
銃撃の音が聞こえて?そりゃ不安になるけどさ。
もうそんな時も遠い存在でいようよ!!」

 


なんか、最近ひたすら、この台詞を思い出してる。
非常時には人間の本質が、なんて知るかよ!ってくらいの気持ちだ。そんなダサい自分じゃなくて、私は好きなものを好きだ、って言ってる、好きなものの話をしてるそんな自分が好きなんだから。
この台詞と、それから、ここ最近触れた好きなものたちのことを思いながら、ずっとずっと考えてる。

とどのつまりは、明日も私は好きなものの話をするぜ、という、本当にたったそれだけのブログなのでした。

 


熊本地震から4年。どっこいそれでも、熊本にいる家族も含めて生きてる。色々形は変わっても。生きて、好きなものを好きだって言い続けたいよな。