えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

メル・リルルの花火への日にちを指折り数えてる

また、おぼんろさんが最高の贈り物を準備してくれているらしい。
彼らのお芝居は、お芝居というよりも物語という言葉が似合うし、更に言うと、贈り物、という表現がしっくりくる。


https://www.obonro-web.com/16-1

 

 

おぼんろさんは4月に予定した公演をサテライト公演にすると発表した。
情勢的に「配信」公演が増える中、サテライト、という言葉を選んだのはこだわりがある、というツイートを見た。
また「劇場を、世界に移します」というツイートも。

 


わくわくした。
彼らは、またなんだかわからないけど、面白そうなことを始めようとしている。

 


ある時は、海辺の公園に物語のためのテントを出現させたり。

おぼんろさんは面白いことの天才だ、と思う。更に言えば、「悪巧み」の。
悪戯好きの子どものように駆け回り、次々と予想外なことを引き起こしていく。それはある意味で「客席」なんてものを取っ払い、劇場に足を踏み入れた私たちを「参加者」と呼び物語の世界へと手を引いてくれる彼ららしい、といえばそうなのかもしれない。

 

 

路上から始まり、「今からきみは共犯者だ」と声をかけていたという末原さんの話はなかでも私のお気に入りの逸話だ。
そうして、倍々作戦は実行された。次は誰か友達を連れてくる、そうして倍々に増えていく「参加者」たち。
誰かの好きが連鎖して、増えていく。そういう、まるで奇跡みたいなとんでもなく美しくて優しくて面白いことを、彼らはやってのけたのだ。


だから、サテライト公演、もとんでもなく楽しみだ。状況を逆手にとるどころか、お手玉して遊びだしかねない彼らだもの。

 

 

お芝居は生で観るのが1番だ。それは私たちはもちろん、彼らが1番思ってることだろう。
じゃあそれができない、ってなった時に、じゃあもっといろんな人たち…物理的制約で劇場に、足を運べない人たち…にも会える!と考える彼らが大好きだ。

 

 

 

たぶん、末原さんをはじめ、おぼんろの人たちはずっと「わくわくし続けられるか?」を考えてるんだろう。


そしてもちろん、彼らの良さはそういう「仕掛け」だけにあるのではない。
やっぱり何より、物語が強いのだ。

まず、そもそもその物語を立ち上げるメンバーが強い。それは語り部たちもそうだし、その世界を作り上げるスタッフの方々もだ。
生み出す。
0をどんどん、1.2.3……と増やしていく。世界を産み落とす。
その技術も、熱意もある人たちだ。大好きだ。

 

そして何より、私は末原さんの紡ぐ物語が好きだ。


出てくる登場人物たちが、わりと強かで好きだ。純粋無垢に見える子もいるけど、普通に逞しい。転んでもたたじゃ起きないぞ、の精神がわりとみんなある気がする。

 

「泣いて生まれたからもとをとりたい」

そんな風にずっと、気合を入れて笑っている彼が好きだ。別に無理に笑ってるわけじゃない。気合をいれて笑ってるのだ。

 

 

海辺の公園に生まれたテントの中で紡がれた物語のことを、私は良く思い出す。
生まれた瞬間、心底絶望して泣き叫ぶ人形に向かって、同じように泣き叫びたい心を押し殺して生きてきた人形が言った言葉は、今も私の中に残ってる。世界の美しさを、一つ一つ挙げていく声の優しさも、そしてその時のことを、「人は、思ってもないことは口にはできないと思うのです」と信じ続けることにした彼のきらきらした笑顔を。

 

そうして、覚えてる私もきっと、そう思ってるんだろうな、と思う。
世界の美しさを、信じてる。だから、頭の片隅にいつだって忘れないまま、あるのだ。

 

 

痛いくらいの切実さと愛情の中で生きている「いきもの」の物語を、彼らは紡いでいる。それは時に、惨さすらも伴って。

今、そんな物語が心底観たい。私は、ずっとずっと、その物語に触れる日が楽しみで仕方ない。
 

別に、絶望していないわけでもないけど、気合を入れてどうせなら笑いたい。
普通に絶望するのも疲れるし、だったら、同じ「疲れる」で思い切り笑ってやろうと思う。

 

そういう物語と繋がる日が、一日一日、近付いてる。なんてこった、めちゃくちゃ最高じゃんか!