えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

文フリが終わりました

文フリが終わりました。本を手に取っていただいた方、スペースにお越しいただいた方、Twitterで(と、私は永遠に呼び続ける)気にかけてくださった方々、ありがとうございました。


スペースにいたら、色んなひとが「ラジオが好きなんです」と言ってくれた。私もリスナーなんです、と聴いてるラジオ、聴いたことないラジオの話をしている時、なんか、奇跡みたいだよな、と思った。
中には、今回の本を作り出したきっかけである「Creepy Nutsオールナイトニッポン/オールナイトニッポン0」のリスナーさんもいた。怒られやしないか、と思ったけど、数ヶ月越しの「終わったの、寂しかったですよね」と頷きあえて、なんだかびっくりした。
あの時期なら、できなかったかもしれない。だけど数ヶ月経った私たちは「良いラジオですよね」と笑顔で頷き合える。
それが、すごいことだな、と思った。
同じ周波数に集まったひとたちがこんな風に対面で、会えることがあるんだ。それだけで、本を出して良かったと思った。願わくば、その中でも本を手にとってくれた人の大切な領域は犯さずに、ただ、寄り添えたら良いなあと思う。
寄り添えなくても良いけど、その人の大切なラジオのことを思い出すきっかけにでも、なれたら良いな。




ぶっちゃけた話をするなら。
直前、本気で「こんなに本があって、書きたい人がいるんだよな」と絶望的、みたいな気持ちになった。ちゃんとビビっていることにもなんか、怯んだ。
しかも、今回出した本はこのブログのとおり「自分の好き」について話した本で、それって、なんだろうな、なんて唐突に思い出してしまったのだ。


そもそも、好きなラジオについてのごくごく個人的な話だ。評論ですらないし、お勧めするための何かでもない。なんだろう、これ。


そう思っていたけど、見本誌を開いて、そのまま連れて帰ってくれた方の後ろ姿を見ながら、鼻の奥がツンとした。自分の話を聴いてくれるひとがいる。それは、大げさかもしれないし、そんなつもりはないですよ、と怒られてしまうかもしれないけど、本気でそんな気がした。
ラジオを好きなひと、そうでもないひと、色んなひとが、手にとって、話を聴いてくれる。奇跡みたいな光景だった。




そうして、色んな人と話をして、帰って、自分の本を読んでみた。自分の好きなラジオが終わることが苦しくて、どうにかそっから向き合いたくて本を書いたんです、と説明した自分の言葉を反芻しながら、もっかい、読み返した。
書き終えた時にはなかった「書いて良かった」の感覚があった。それは、今日一日の時間の記憶があったからだと思う。



そうしながら、分かったんですけど。
自分のこのブログとか、ラジオごっことか、なんだろうって思ってた。これをなんてジャンルと呼ぶんだろうと思うことなんてしょっちゅうだし、なんでやってるんだろう、とはよく思う。
でも、なんか、やっと分かった気がする。
私は、自分の中にあることを表に出して、「あったこと」にしたいんだと思う。
そしてその「自分の中にあること」は私にとっては「好きなもの」の話なのだ。その「好きなもの」に触れてる時だけはなんか、良いなと思える、だから、それを、形にしたいんだ。



このブログ、確認したら400記事以上書いてるらしい。そうしてる間には気付けなかったけど、やっと分かった。自分の中の好きを、私は形にしたい。それは、自分の中だけで終わらせてたら、どこか自信がないもので終わってしまうのだ。
だけど、誰かがそれを文を読むことで確認してくれる。それにものすごく、安心してるんだな。




そんな本を出しました。
通販もあるので、良ければ。

えす、えぬ、てぃ