ここ最近、1週間に数回、届くお便りを楽しみにしている。メールの未開封通知が数千を越えている私にしては珍しく、届くと毎回しっかり開いて、目を通す。
なんのお便りかといえば、「執事の館」の松原さんのお便りである。
執事の館とは、愛知にある館である。
少し前からネットで見かけることが多く、自分のタイムラインにたびたびお嬢様たちもいらっしゃるので知ったの自体は結構前だ。
美味しそうなものがたくさん流れてくるな、コンセプトしっかりしてて素敵だな、そんな他人事、が、自分ごとになり、私もその手帳を持つことになったのはほんの少し前。
執事喫茶に関しての話題がトレンドに上がり、そこからふたたび執事の館が話題に上がったことである。
そのやりとりや言葉選びに興味を持ち、一度やんわり目を通しただけだった館のホームページをしっかり読むことになった。
私が手帳を持つことを決意した理由。それは、仕事に関しての価値観、そして地産地消、の意識である。
執事の館に帰宅すると、美味しいものがたくさん食べられる。また、それ以外にも別宅こと、自分の普段生活を送っている居住地にお申し付け品を頼むこともできる。
そこに並ぶ「美味しいもの」は館がある愛知の食材や職人が作る一品一品、思い入れやこだわりのある食べ物たちである。
それを見て、私は痺れた。最高じゃん。
職人仕事に憧れるが、なかなか触れることのない毎日のなかで執事の館がきっかけになる。
それは、なんだか「帰宅」の特別さそのものなような気がした。
また、松原さんのお便りを見ていると「誰かに大切にされること」の心地よさを感じる。
そういえば昔、職場で「ホストクラブとか興味ないの?」と聞かれた。歓楽街が近くの街で働いていた頃のことである。考えるまでもなく「ないですねー」と答えたのは「チヤホヤされたい」という感覚がなかったからだ。
いや、それはチヤホヤされたくない、ではない。
チヤホヤはされたい。正直めちゃくちゃされたい。
だけど、なんというか、そのチヤホヤは違うのだ。
特別だから、でチヤホヤは、違う。
じゃあ、執事の館のお便りは取り組みを見る中で感じるチヤホヤされてる……いやもっと感覚に即して言えば「大切にされてる」あの感覚はなんだろう。私は最近、ずっとそんなことを考える。
現在は手帳の新規受付をストップされるくらい多くのお嬢様・旦那様がいるという執事の館。
そういう意味では、大切にされているのは「わたし」ではないかもしれない。
お嬢様・旦那様という概念ではないか、というのもまあ、もっともである。
だけど、お便りはじめ、そこに触れると「ああ大事にされてるなあ」と思う。そしてそれは同時に「自分を大切にしなきゃなあ」という気持ちになって、それがとても幸せなことだなあと思うわけである。
それがどこからくるのか、ずっと考えている。考えていることも含めて、嬉しいし楽しい。
そうして、そんな場を作る人たちが「雇用の形成」も意識しながら、その場所を作って守っていること。その思いを、館のホームページを見ながら想像する。
ああだからか、と思うのだ。
「そこにだれかがいること」の大切さ、特別さをきっとここにいる人たちはすごくすごく、知っているのだ。だからこそ、その当たり前を守って、特別を作り上げる。
そんな場所を知ることができたことが、嬉しい。
そしてそこにいつか帰宅する日を楽しみにしながら、私は今日も執事の館からのお便りを楽しみにしているのである。