えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

きらめきが生まれる場所を見た

盛大なオフ会に参加してきた。



この文を書こうと決めて書き出しを何度も考えていたけど、どうにもしっくりこない。
それはあまりにも私が今まで参加してきたオフ会とかけ離れていたからかもしれない。
オフ会とは、本来、オンラインで好きなものを通して出会い、交流した人たちが集まる場を言う。そう言う意味では、決して、ズレてはない。同じものを好きな人たちが、集う場所ではあった。多少違いがあるとしたら「オンラインで」というと映画館などで出会った人もいるというので、その違いがまずある。




でも、この違和感はそういう些細な違いではないのだ。




ホールに集まり、映画やアニメを観ながら踊り、応援上映をし、笑う。
起こっていた現象としてはきっとそうなのである。



ところで、その軸になっていた作品は「KING OF PRISM」というアニメである。
プリズムショーと呼ばれる競技(であってるのか?)に燃える少年たちの物語で、これがもう、かなりなエネルギーを持っているのだ。



それは劇中もそうだし、そこから派生したコミュニティというか、ファンたちのエネルギーにも繋がってくる。




私は今まで(酔って友だちと見た時を除けば)しっかりした「キンプリ鑑賞」は2016年に公開された「KING OF PRISM by PrettyRhythm」である。
確か、映画館で観た記憶があるから2016年に観たんだろう(たぶん)




あの時も友人の誘いで観た。
その友人はそもそも物凄く元気でパワフルかつ社交的な人間なんだけど、正直キンプリに出逢って以降、その「元気」はもう一段階上がった。それはまさしく「プリズムのきらめき」に出会ったからなんだろう。





そんなわけで、その勢いだとか向けられてる愛情だとか、その他諸々を前提として観て行ったわけだけど、劇中、プリズムショーに魅せられていく「一条シン」くんの姿を見ながら、当時も「なるほど…!」と思ったのだ。





何かを好きでいること、所謂「推し」を持つということがどんどん市民権を得ていく過程の途中だったように思うあの頃。
まさしく「好き」に突き動かされ、輝き出し、そしてそこから「光を届ける」側へと突き進む一条シンくんの姿は、圧倒的に希望に見えた。この作品、そしてこの人が愛されている理由に深く納得したのだ。




いい意味で、シンくんの姿は誰かの……あえていうなら「私」の肯定のようにも思えた。
それが、凄いパワーとともに届けられるのがこの「KING OF PRISM」という作品なのか、と物凄く興奮し「え、そういう感想?」と勧めてくれた友だちをきょとんとさせたことを覚えている。




そこから約7年。友だちの人生の大切なパートとして在り続けるキンプリにすげえなあとしみじみしていたから、今回、この盛大なオフ会を「手伝ってほしい」と言われた時、喜んで、と思ったし、実際に今、しみじみと行ってよかったなあと思っている。






そこにあったのは、あの日映画館で観た、いやある意味で、それ以上の「好きのきらめき」だったし、「その肯定」だった。





このブログで散々言ってきているから前提としていたいんだけど、正直言えば私はあんまり「好きがあること」をイコールいいこととはしていない。好きだから、の力の大きさに怯むし、それが免罪符になりかねない場面にそれはどうなん?と立ち止まってしまう面倒な人間である。




でも、そんな私にとって、このオフ会の時間は、とても素敵なものだった。
ただただ、好きがそこにあって、別にそれが絶対的な結びつきになるわけでも、肯定をするわけでもなく、でも分かんないけどこれ、すごく楽しい。






オフ会中、音楽や映像に合わせてペンライトが光って、紙吹雪が舞う、合いの手が飛ぶ。
祭りだなあ、と思ったし、好きというのは、素敵だなあと、噛み締めてしまった。




その時間のうち、「KING OF PRISM」のベストテン的な作品「KING OF PRISM ALL STARS -プリズムショー☆ベストテン」を観る時間があってそこで一条シンくんの曲を聞いた。
劇中の中の特異な楽曲である(……と言いつつ、私が観ている作品の中でその物語パートをしっかり観ていないからあの時の曲部分と今回この文を書くために調べた範囲での理解だけど)「プラトニックソード」そして、「KING OF PRISM ALL STARS -プリズムショー☆ベストテン」で披露された新曲「ダイスキリフレイン」を聴いて、パフォーマンスを観て、自然と涙が出た。




プラトニックソード」を、どう表現していいのか、きちんと作品のファンではない私には分からない。分からないけどまさしく三次元の表現者を追いながら、推しってなんだろうとしょっちゅう悩む自分には、なんだか無性にブッ刺さったのだ。
ファンという移り気で自分勝手な存在である自分にとって、あの自分だけ観て欲しいと歌う曲(のように思えた)はなんというかすごいなあ、と思ったのだ。それが正しいとか正しくないとか、実際に全表現者がそう思ってるかはわからない。なんなら、私の好きな人たちはまじでそういう思いから真反対にいそうだなあとも思う(まあそういうところも好きなわけだけど)


でも、その上で「ダイスキリフレイン」を聴いて、なんか全部もう、好きだっていう気持ちとか、幸せであれっていう気持ちだとか、ともかくそういうプラスの言葉で表すのがぴったりなんじゃないか、と思った。





少なくとも、一つの作品が好きだという気持ちだけでいろんな人が集まり、笑い、ともかく「楽しい」の空気を作り上げていくのを目の当たりにしながら聴く「ダイスキリフレイン」には、そうだよね、と頷きたくなる力があった。





この作品を、この作品がとてつもなく好きな人たちと一緒に観れてよかった。一番贅沢で幸福な見方だったと思う。





そしてやっぱり、参加したあの時間を「オフ会」というのはなんか違う気がするな。布教された、というのもまた違う。
なんかあれも一種のプリズムショー的な、なんだかそういうお祭りだったような気がするんだけど、どうだろう。