えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

へんなの

面白いって変だ。
そんなことをずっと考えている。
面白いって、楽しいって、なんか変だ。

 

じゃあもう早く感想書けや、なんだけど一昨日ライブに行った時からふわふわと心の一部が帰ってきていない。でも、なんだかいつものような「ひたすら反芻する」ともまた少し違う。反芻してるといえばしてるんだけどライブ自体の光景が2割、そこからそれらに対してのろくろが2割、残りの6割がうまく言葉にできないけど「その時間を経たわたし」のようなものをずっと考えている。

 

 

そしてこの「面白いって変だ」はその6割の一部である。

 

 

ライブが、ともかく楽しかった。楽しくて心臓がバクバクして「これが気持ちいい」と心が躍った。躍ったのだけど、踊りながら、変なの、と思った。その変なの、は嫌な感じじゃない。むしろ、ニヤニヤとした感覚である。

 

でも、だって、変だ。
面白いという感覚、楽しいという感覚。
それってなにをもって、なにがあったら自分の中に湧いてくるんだろう。

 


嬉しいとも、美味しいとも違う、気持ちいい、にはちょっと近い気もする。だけど完全にイコールかと言われるとほんの少し迷う。

 

 

好きな音楽に手を挙げ、歓声をあげ、踊りながら不思議だなあと思っていた。
そういえば、好きな音楽に身体を揺らすのに慣れた気がする。客観視なんて出来てないから「変ですよ」と言われてしまう可能性もゼロではないが、昔ほどの「これでいいのか」の自意識もなく、楽しく気持ちよく、身体を揺らせる。踊ってる、とは言えないかもしれないけど、少なくとも音楽の波で波乗りしてる、くらいの揺ら揺らではあると思う。気持ちいい。
これも「面白い」だなあ、と思う。

 


たびたび私は自分の好きなエンタメというものがなんなんだろうな、と考えては「お腹を膨らませてくれるわけでも、寒さを和らげてくれるわけでもない」と口にしてきた。
それは、それでも「そういうもの」が必要なのだとは思う、し、わかってもいるつもりだ。
そういうお腹を膨らませたりだとか身体を温めたりするものだけで生活を満たせば、それはそれで、きっと苦しい。
のだけど、社会人駆け出しの頃、あるいは一人暮らしを始めたばかりの大学時代、お金がなくて何日ご飯を抜くことができるかとか、暖房をつけるお金がもったいないからと布団を重ねられるだけ重ねて潜ってただ日中じっとしていたからだろうか。
やっぱりそういう「お腹を膨らませるもの」「暖をとるもの」の特別感というか、絶対感を思ってしまうのだ。

 


そしてその上で、でもだからこそ、そんなことを飛び越えて「これが必要なんだ」と面白い、に思う瞬間が、好きだ。まるで身を切るような切実さとちぐはぐさで「これがいるんだ」と思うことがある。
本当に、面白いって変だ。

 


別に、この瞬間で終わる。それがあったからと言って「わたし」の価値が上がるわけでもない。
うん、でもやっぱり、あえていうなら「気持ちいい」が一番近いな。
わけわかんなくなる感覚。
なんだか分からないけど癖になって「もう一回」と中毒性があったりその一回が特別過ぎて、逆にもう2度と同じものは味わいたくないし味わえないなんて思うこと。そういうさまざまな面白いを私は愛している。