えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

カフェにて

カフェに寄った。朝ゆっくりな出勤の上に、思い立って自分の身体のメンテナンスをしようと病院に行ったら出勤までが半端な時間になったからだ。ついでにいえば、放置していたメンテナンスをやった自分へのご褒美もしたくて、カフェに寄る。

 

 

本当は、さくらドリンクが飲みたかった。
毎年楽しみにしていたスタバの新作は世界情勢や今の自分の心持ちを思うと気楽に飲めなさそうなので何となく手を出せずにいたのだけど、そういえば、去年コラボカフェで(一方的に)お世話になったプロントさんもさくらドリンクをやってるじゃないか!と意気揚々と飛び込んだ。
ところがどっこい、プロントのさくらドリンクはアイスオンリーらしい。お腹が万年ちょっと不調な私はよほどハイじゃないと冷たい飲み物を飲まない。ので、結局カフェラテにした。リサーチ不足の自分を恨めしく思うような、ともあれ、もこもこの泡の乗ったカフェラテを飲めるのもそれはそれで最高のような気持ちも、ある。

 

 

昨日、帰り道、唐突に思い立って本を3冊買い込んだ。その1冊をぼんやり読む。
中学まではそれこそ食べるように本を読み、図書館の10冊までしか借りれない制限にハンカチを噛んでいた。それがいつの間にか徐々に本を読めなくなった。いや、もちろん、読んだ習慣は失わないので、読もうと思えば読める。だけど、読む量がずいぶん減ったし、物語よりもエッセイなどが増えた。この辺に寂しさを感じる気もするし、まあ、また読みたくなるかもしれないしと鷹揚に構えたくなるような気持ちもある。
ともあれ、カフェでぼんやりと好きな人の本を読むのは面白い。人と話すことについて書かれた本は、「話し方のHow to」というよりももっと、もう少し体温が通っているような気がする。
好きのバイアスはあるだろうけど、その感覚の輪郭をもう少し掴みたくて、まだたくさんあるページ数が楽しみで仕方ない。

 

 

そういや、今日はイヤフォンをせずに店内にいる。基本的に私は一人で外に出る時はイヤフォンをつける。
外の音を楽しむことの魅力ももちろん感じるけど、それでもついつい、自分の世界に閉じこもる安心感を選びがちだ。だけど、今日はなんとなく、注文のために外したイヤフォンを付け直す直前聴こえた店内の音に、聴きたいな、と思って、イヤフォンを鞄へとしまった。
仕事前のサラリーマン、ノマド族なのかここで仕事をするひと、バスターミナルが近いからか、大きなカバンを持った旅行客は仮眠をとってるし、同じく大きな荷物を持った若い女性たちは賑やかに恋人の話をしてる。
イヤフォンは無しでいいか、と思ったきっかけの店内BGMよりも耳に飛び込んできやすい店内のおしゃべりに一瞬、やっぱりつけるか?なんて思ったけど、つけなかった。つけずに、ぼんやり聴きながら、本を読む。
何もその会話たちが心地よかったからじゃない。むしろどちらかと言えば、苦手な分類のそれと、良いなと思う音楽が混じり合うのが、なんだかしっくりきたからだ。

 


好きなものだけ、はいつもほんの少し怖い。