深夜バスが好きだ。
東京に行く時に「深夜バスに乗って」と言うとぎょっとされる。お金ないの?と心配されるし(まああるわけではない)しんどくない?と聞かれるしそっから大体深夜バスでやられた時のエピソードを聞くことになる。
んだけど、それでも私は深夜バスが好きだ。
みんなが言うようにくたくたに疲れるか、というとそうでもないし、なんなら普段の朝よりも熟睡できるような気がする。
朝、休みだろうが仕事の日だろうがなんだか身体に纏わりつく疲労感みたいなスッキリしなさが、深夜バスに乗るとない。
とはいえ、このコロナ禍、深夜バスに乗る機会はめっきり減った。おいそれと遠征できなくなり、劇場やライブハウス、会場に向かう足だけではなく、バスへの足も遠のいた。
久しぶりに深夜バスに乗った時、嬉しかった。
私は、安いからとか時間効率が良いからだけじゃなく、この乗り物が好きで乗ってるんだと思った。
一番バスに乗っていた頃、仕事から逃げるように乗り込んだバスは4列シートで、後ろの人に倒して良いか聞くのすら億劫で身体を小さく縮めてイヤフォンを耳に突き刺して眠った。好きな音楽と揺れる決して寝心地が良いわけではないシートにしがみつけば、朝、大好きな街に着く。そこで、最高の景色が見れる。
いつも、その帰り、このままどっか違うとこに行きたいな、とか帰れないままでもいいけどな、と思いながらバスに乗り込んだ。
それでも東京を出る時色んな人がかけてくれる「気を付けて帰ってね」にそんなわけにも行かないよな、と思い直して、現実に一歩一歩近付く。
そんな時、細切れにやってくる休憩時間、お芝居を振り返って、ぽちぽちとTwitterに感想を書く。夜中だというのにそれに反応が返ってくるのをみんな寝てくれーと思いつつ笑っていれば、なんか、全然、いけるな、と思った。
そんな日々のことを久しぶりのバスの中、思い出していた。
寒さに震えながら降りたパーキングエリアで見た月が綺麗だったこと。
ちょっとずつくる朝焼けをぼんやり眺めたこと。
夜中、寝れずに起きて見た電子時計。
寝やすい姿勢をみつけた時の達成感。
着いた時の運転手さんのアナウンスに何故かいつも嬉しくなること。
相変わらず私は4列シートのバスに乗る。そこには、いつかの思い出が変わらず詰まっていて、増える一方だ。いつまでこのバスに乗れるだろうかとちょっとしんみりしてしまうくらい私はこの乗り物が好きだ。
「この乗り物に乗れば、自分は幸せになる」
そう細胞レベルで私の体は覚えてるのかもしれない。
何より、ぽっかりとあいたエアーポケットのようなその乗車時間はどこか浮世離れしていてふわふわと漂うような気持ちになれる。
その時間でじゃぶじゃぶと自分をシンプルにしているのだ。
そうして着いた街で身体いっぱいの楽しいを詰め込んで、また現実に戻ればなんだか大丈夫な気がしてくる。
そんな深夜バスの旅は、私にはきっと、ずっと必要だ。