えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

星野源を聴きながら深夜に散歩に出掛けよう

夜中、ひとり眠れない時。もしくは、家に帰ってきたはずなのに落ち着かなくて身の置き所がない時。
携帯とイヤフォンを手に取って出掛ける。
完全にやらなきゃいけないことからの逃避だ。仰る通り、申し開きもできないくらいただの逃避なんだけど、まあ別に良いじゃないか。それくらい、そんな逃避をしたくなるくらい頑張ったんだということにしてほしい。棚上げ満載、自画自賛120%だけど。


そんなわけで、イヤフォンからは無茶苦茶なイントロが流れてくる。



1曲目、Cube


テンションが上がる。
私はこの曲を作るときの源さんの「なんで人間が演奏できるように変えないといけないのかという怒りを感じた」という言葉が好きだ。よくよく考えたらそりゃそうだ、と思う。
そんなわけで、勝手に同調して「なんで夜は寝なきゃいけないんだ」と怒りながら、部屋を飛び出したい。


そんなことをして良いのかとか、明日の朝の自分に怒られるぞなんて不安になってる暇はない。携帯は、すぐさま、次の曲を流してくれる。
星野源縛りで作ったプレイリストは、夜を過ごす私の味方だ。


2曲目、Moon sick

Moon Sick

Moon Sick


せっかくの深夜散歩だ。
どこを歩こう。
普段歩き慣れた道か、それともいつもなら関係ないからと切り捨てる細道か。車道にも車の影はなくて、ほんの少し、そこを歌い踊りたい気持ちになるけど、万が一のことがあるし、そうなってかかる迷惑まで見ないふりをしたいわけじゃないからやめとこう。
歩き慣れた道を歩くとして、きっと家と駅までの往復じゃ留まらない。そっからずんずん、駅を通り過ぎて歩く。歩道を歩いてるし、周りに人はいないし、ちょっとリズムをとりながら踊りながら歩くのくらい、良いだろう。




3曲目、創造



歩き慣れた道すら、印象が変わる。
よく気持ちや状況、一緒に過ごす相手で印象が変わるとは言うけれど、深夜の、しかも好きな音楽を聴きながら過ごす街も、全然いつもと顔が違う。


なんでもできる気がする。


大袈裟な幸せでもないし、夜中で身体はほどほどに日中の疲れを引き摺ってるからわくわくと飛び跳ねるほどの感覚でもない。
でも、アップテンポな楽器の音たちが眠らせまいと何かを叩く。心を、なんてそれっぽくまとめたくないようなそれを見つめながら歩く。




4曲目、兄妹


兄妹

兄妹



夜中の道を歩くとき、もう今は会えない人のことを考えるのが好きだ。
例えば飲みに行った帰り道、ほろ酔いくらいならいつでも会えない人に会える気がする。会える、と思うのは幻を見るわけじゃないし、何かはっきりと思い出を思い出すというわけでもない。
ただ、なんでいないんだよぉーと素直に文句を言うだけだ。夜中で、誰もいないので。
もしかしたら、近くにいるかもしれないけど、見えないなら、いないのと一緒。そう思いながら、それでもなんだかんだ、いやでも寂しいんですよ全くとぶつくさ文句は、言うんだけど。



5曲目、パロディ


パロディ

パロディ


さて、深夜散歩だからって辛気臭くなりたいわけじゃない。というか、なりたかったら外に出てない。家の中の隅っことか布団被りながら見つめる壁の方が辛気臭いって似合うし。
そんなわけで、らーらーらー言いながら歩く。やっぱり、迷惑にはならないように小声で。
迷惑にはならないように、っていうのは、何も優しさとかモラルじゃなくて「迷惑だからやめろ」って言われたくないからだ。迷惑ではないでしょ?という揚げ足取りで、好きなことを邪魔されずに続けたいからだ。
リズムが楽しいからおかしな足取りで歩こう。歌うみたいに歩く、なんて、夜じゃないとできない。夜なら、邪魔されずにできるのだ。ひとりだとしても。



6曲目、フィルム


フィルム

フィルム


きた。
夜にぴったりソングだ。これこそ、やっぱりちょっと歌いたい。というか、この辺りにもってきた曲は全部歌いたい。
歌うなら夜の誰もいない道がいいから、夜にぴったりソングだ、と思うのかもしれない。
ぐつぐつと煮立った気持ちを捏ねるみたいに、私はいつもこの曲を歌いたくなる。


去年ずっと聴いてた曲の一つだからか。
寂しいといやいや平気ですが、が混ざってる。平気ですが、は痩せ我慢とかじゃなくて「だって仕方ねえじゃん」くらいのあっけらかんとした感覚だ。
まだ、と思う。まだ、の続きが浮かばない代わりにワンフレーズ歌いながらのんびり速度を落として歩く。



7曲目、スカート


スカート

スカート



ほっと、息を吐く。
アップテンポな曲たちと跳ねていた呼吸が落ち着く。

方向音痴なので、街にはいくつも目印を決めてる。赤と白の塔。あれはなんだろう、電波塔なのか、分からないけど。
よく行くスーパーとかも、目印ではあるんだけど、そうじゃなくて背の高い何かを見つめて「その街」を理解しようとする癖があるのかもしれない。
ぼんやり、それを見ながら立ち止まる。
そういや曲がご機嫌だったのでせっかくの深夜散歩なのに立ち止まるのを忘れていた。
学生時代から時々、道端で立ち止まることがあった。立ち止まりたくないのに立ち止まることも、わざと立ち止まることもあって、どちらにせよ、ぼんやり立ち止まって空を見るのが好きだ。だいたい、空は曇ってて何も見えないことが多いけど、それでもいい。というか、だから良い。



8曲目、くだらないの中に


くだらないの中に

くだらないの中に


歌声が背中を押すので、歩くのを再開する。
再開しながら、ああ、ガチガチに固めたものを緩めたかったのか、と思う。
のびのびしている、と思うのはどこか窮屈さを感じるからだろうか。この曲の歌声はすごく伸びていくような感覚になるんだけど同時にきゅっと力が入ってるようにも思えて不思議だ。

叫びたい、みたいなことって大体あって。

叫ぶって何かを発散するけど、脱力してるとできない。脱力して声を出しても出るのはノアー…というぬぺっとした声ばかりだ。
叫んで緩めるためには一度、ぎゅっと力を入れないといけない。
そういう意味で、この曲を口ずさむと気持ちよく、力が入ってしかも空振りせず、出したかったものを出せるようなそんな気がする。



9曲目、不思議



吐き出したそれを、放り出さず、目を逸らさずでもそのまま抱えるにはゴツゴツしてるから、そっと毛布で包む。
包んでみると、案外、可愛らしくて生き物みたいだな、と思う。


星野源の音楽に出会ったタイミングもあるんだけど、もういいか、と荷物を下ろせるような、でもそれってべつに自由になるためとかなりたいからじゃなくて、長くそれを持っているために抱え方を変えるみたいな抱えとくことは諦める、みたいな潔さが源さんの音楽を聴くときの私の中にはある。


違うって楽しい、とこの曲と出会ったころ、ずっと考えていた。今でも思ってる。
だけど、同じくらい強く、違うことに傷つき続けてる。でもそれはそれが悪いんじゃなくて、傷付いたこと含めて、楽しいと思いたいし、そんなボロボロの何かをとりあえず抱えて歩くか、の気持ちなんだ。
違う、で傷付いたから同じとき嬉しいし。違うことが悲しいことだって、誰かを想う形の一つだと想うし。


10曲目、日常


日常

日常



深夜の散歩は、非日常だ。嫌な上司も面倒な揉め事の仲裁もしなくていいし、払いそびれたせいでやってきた督促状もないし、返事を先送りにした連絡もない。
楽しかった、と思う。楽しくて、楽しいけど、でもその楽しいは「非日常」だからだ。
部屋に帰れば、重たい荷物を詰めまくった鞄もとりあえず無くさないようにと分け続けたせいでできた書類の山もある。
素敵な音楽を届け続けてくれた携帯は既読をつけるにつけれないまま放置していた連絡アプリを目につきつけてくる。


まあ、それでも、良いか。
非日常ではないし、うんざりすることばかりだけど。
とりあえず今夜も、日常に帰って朝を待とう。





※こちらは、はてなブログ10周年記念のお題「好きな夜に聴きたい星野源の曲10選」に合わせて作成しました。


また、はてなブログ10th Anniversary特設サイトにて「はてなブログ編集部注目ブログ」としてご紹介いただきました。
ありがとうございます。
"ひたすら好きを語る「ラジオごっこ」"とご紹介いただき、なんだかグッときました。
ラジオごっこは最近私が不定期でTwitterでやっているラジオへの憧れを詰め込んだ遊びではありますが、このブログ自体、好きなものをひたすら好きだといい、毎日を楽しみたい思いで書いています。だから、このブログをそう紹介していただけて、すごく、嬉しかったです。

これからも、好きを語り続けて、毎日を楽しみ倒したいと思います。


改めて、はてなブログさん、10周年おめでとうございます!そしていつもありがとうございます、これからもよろしくお願いします。