えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

MY(K)NIGHT


きつい時どうしてんの、と友だちに聞かれて、もちろん友だちを頼ったりもしまくってるんだけど「にっちもさっちも」というときは、好きなもの……ライブや、映画やお芝居という非日常に飛び込むなあ、と思った。
もう少しライトに「推しのなんかを観るね」と言うこともある。
そういうとふうん、と分かるような分からないような顔をされるけど、この映画を観終わった帰り、またそんなことを思い出していた。

 

 


MY(K)NIGHTは、ファン向けムービーではない。
それはたまたまTwitterを見ている時に何度か見かけた言葉だった。今、勢いを持って愛されているグループ、THE RAMPAGE from EXILE TRIBEのボーカル3人の主演映画であり、かつ、3人がデートセラピストの役、となるとファンが喜ぶように作られた、と感じられるかもしれない。

 

3人の格好良さをうまく演出し、観客を魅了することに終始した映画。


そういった先入観から、確かにこの映画は大きく外れている。きっと、この映画は、この3人を知らない人でも楽しむことができる映画だと思うし、ファンだけを見て作られたわけではなく、どちらかといえば、この映画に関わる人たちの「伝えたいこと」に主軸が置かれていたと思う。
そして、その上で何より強く思う。だけど、同時にこの映画はこの3人だからこそ、このキャスティングだからこそ生まれた映画なんじゃないか。

 

 

夫の浮気で空いた分を埋めるようにセラピストを申し込んだ主婦。
デート中ずっと映える写真を撮るインスタグラマー。
そして、余命の近い母に紹介する婚約者のフリを頼む高校教師。

 

 

それぞれの依頼とその背景を、言葉少なに、だけど雄弁な映像が、紡いでいく。
女性陣がともかく魅力的で映像として雄弁な風景の中で、最初の頑なさ、そこから変化していく姿や表情でどんどんと惹きつけられていく。
またその3人にそれぞれ関わる刻、イチヤ、刹那の表情、行動が、鮮やかな色の映像で映し出されていくのもたまらなかった。

 

 


最初に安達祐実さん演じる沙都子の本音に触れた瞬間、何故だか私は無性に泣けてしまった。


自分が何がしたいのかもわからず、夫への当てつけのようにも、あるいは自分をさらに傷付けるようにも過ごす彼女がほろっと解けて、笑う、その顔の可愛らしさ、またそこで出てくる「やりたいこと」の無邪気さに胸がぎゅうぎゅうと締め付けられた。
その無邪気さとそれまでの不安が濃く映った表情とか、閉じ切った感じとのギャップが彼女の日常を想像させて、心がギュッとなる。それは単なる同情というよりも、その息苦しさにどこか共感のようなものを覚えて……もっと言えば、その息苦しさをどうにかしたくて一夜限りの夢を買うことについて、その気持ちがわかる気がして泣いてしまったのだと思う。

 

 

監督のインタビューからは、ある程度彼らの本業とのオーバーラップも含めた表現だった、ということを思う。

 

 

極論、彼らセラピストが見せてくれるのは「嘘」だ。
恋人のフリ、甘いひととき。それは、お金という対価を支払って演じてもらう「夢」で作った「幸せ」だ。
乱暴な言い方をすれば、彼らの本業である活動もともすれば「そう」である、と言われることがある。
本当ではない。商売で、喜ばれるように生み出された「虚構」である。
だけど、当たり前だけど、そうじゃないんだよな。それだけじゃない。

 

 


確かに、私たちがスクリーン越し、ステージと観客席のそれぞれの場所で会う時間それら全ては作り出されたものかもしれない。
そこで語られる言葉は、私たちを思い遣ったり喜ばせるために紡がれたもので「本当」ではないかもしれない。

 

 

だけど、その中で本音が混ざって、本当が混ざって、何より、そこで動いた心は本物なんじゃないか。そしてそれは、「こちら側」の話だけじゃ、ないんじゃないか。

 

画面の中の彼ら自身も心を動かしていく姿に私はそんなことを思った。そうだったらいいな、と思う。

 

 


この映画はただ女性たちが救われる話じゃない。話をして、一緒に行動しながら、彼ら自身も考え、心を動かしていく。

 

 

彼らは、色んな人に会うんだろうな、とふと思った。今回の3人の女性はそれぞれに素敵で、魅力的な人だったけど、中には、彼らが傷つくことだってあるかもしれない。あるだろうな、仕事だし、ある程度は仕方ないだろうけど、クソだな、って言いたくなることも、あるよな。
そんなことを私はつい、映画を観ながら考えてしまった。だけど、できたら、そんな出会いは極力少ないといいな。

 


人と人が出会うからこそ生まれる仕事だから、0は無理かもしれないけど。だけど、こんな人たちが傷付くことは、願わくばどうか、少ないといい。素敵なお客さんに、なるべく、当たりますように。いたずらに消耗されることが、ありませんように。

 

 


人が人と関わる中でどうしようもない苦味もある。嘘だってあるし、摩擦を最大限に減らすために頭だって使う。
だけどそれでも、そういう面倒ごとを全部ひっくるめてでも、人が人と関わることには、意味があると思う。人が関わって、ひとを幸せにしようとする時にしか、生まれないものがある。
なんだかそんなことを真っ直ぐ信じたくなるような映画だった。
そして、できたらただそうして作られた愛情を受け取るだけではなく、私も誰かからもらったものを返せる人でありたい。それはその人に直接、ということもそうだけど、生きていく中、その人と出会って嬉しかったこと、すごいと心が躍ったこと、魅力に感じたことを抱きしめながら、毎日を生きていくことなんじゃないか。

 


自分の人生を、そこでの輝きを糧に生きていく。

 


ああそうだ、そう思うと、普段、ライブを行った後と一緒じゃないか。
直接助けてもらうわけじゃないかもしれない、一瞬の夢かもしれない。
だけど、その時間は確かにその後「自分で立つ」力をくれる。自分の人生を自分で生きるための活力になる。

 


劇中の鮮やかな光を思い出しながらそんなことを、思っている。