えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ALIに出逢った日のこと

ともかく寝覚が最悪な日だったことを覚えてる。
そもそも結構快眠から程遠く生きているのでアレなのだけど、起きた瞬間、休みだというのにぐったりしているというのは日々の睡眠の中でも最低に堂々ランクインするような状況だった。そのまま布団に戻るか迷い、朝ドラだけなんとか昼を録画してぐったりひたすら、悪態をついてた。
現実逃避に開いたTwitterで好きなアーティストのテレビ出演情報が出ていた。あーこれも見逃した、せっかくの休みだったのに。公式のLINEアカウントでもお知らせがあったのに。最低だ。
普段から所謂推し事を追いかけるのが下手くそな自分をすごい勢いで棚上げし、それすらも落ち込みのきっかけのひとつにして布団に潜り込む。そんな時、まだコーナーは始まったけど、パフォーマンスはしていないらしいことを、流し見したTwitterで知った。



なら、観るか。


観れないから落ち込むと凹んだ手前、観れるのに観ないというのもなんだか座りが悪く、もごもごと思いながら、布団から這い出して、テレビをつけた。
途中からだったから、トークは既に始まっていた。すごいグループらしい、と知って、その日の出演が客演でのパフォーマンスだということを知った。ふうん、と思いながら流れた曲に聴いたことがある気がするな、なんて考えながら、パフォーマンスを待った。
流れる曲は格好良くて、そういや呪術廻戦のあの曲のひとたちか、あの曲、格好良かったよな、なんてぼんやり、思った。


鳴り出して、なんでか分からないけど目が釘付けになった。
たくさんの楽器の演奏が問答無用で格好良くて寝起きでボヤけた頭を叩かれた。そんな気がした。
そして大好きなR-指定さんのリリックにやられる。
その上、スッキリではLeoさんが歌う英語の歌詞にも和訳の字幕も一緒につけてくれていた。英語と日本語が一緒に目に飛び込んで、頭を揺らす。
かっけえ、という純粋な気持ちとともにぐらぐらと頭を揺らされて濁ったりほつれたりしたところを柔らかく包んでいく。元の形に残していく。


演奏が終わり、しばし呆然とする。
呆然としていても当たり前だけど番組は進む。音楽を聴いてのコメントとともに、ALIのLeoさんがコメントを振られ、喋った。音楽のこと、これまでのこと、今日ここに立っていること。


長尺のコメントは、なんならこんなに長く喋って大丈夫か、とほんの少し不安になった。なったけど、私は今、この言葉が聴きたかったなとも思いもした。
自分たちを紹介するためでも、曲の宣伝でもなく。いやもちろん、それだってあるんだろうけど。
世界は最低でクソみたいなことばかりだけど、彼らは音楽を奏で続けるということ。それを届けようとすることをこの人たちは続けてきて続けていくんだと思った。


その後、ネットで調べて「インターネットで調べて分かる範囲で」この数年の彼らをぼんやり触れた。もちろんそれは本当にインターネットで分かる範囲でしかない。その瞬間、誰が……それはALI本人たちはもちろん、その身近なひと、それからファンやアンチが……どう思ったかまでは分からない。想像することしかできないし、なんとなく、私はそれは想像したくなかった。
そんなことより、今、この瞬間にも彼らが立って音楽をしていることをもっと深く実感している方がよっぽど大切で、私には必要だった。


「今日はそんな日じゃなくて」
そう、Leoさんが言ったことを覚えてる。
あの日、Leoさんたち、ALIの演奏を観たあの日から、世界は酷さを増していく一方だ。それは別に世界全体の話なんてことじゃなくて、なんかもう、全体的に。総じて。クソだなって一日覚えてられないくらいの回数うんざりしている。
そこから楽になる方法なんてシンプルに一つじゃないかとも思ったりもする。だけど、「今日はそんな日じゃない」。
続けたら幸せになるなんて軽々しく言える気もしない。これっぽちもそうは思わない。
だけど、時々、最高の音楽と朝一、そんなつもりはないまま出逢えたりする。それで何かが解決しなくても、それは十分に「今日はそんな日じゃない」に頷く理由になると私は思うのだ。