えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

EXILE TAKAHIROさんのTHE FIRST TAKEの話

一発撮り。たった一回、それだけ。
その上、舞台はほぼ真っ白な空間にマイクだけだ。あるいは、ピアノとマイクだけがそれぞれの目の前に置かれている。いずれにせよ、プレイヤーは音楽と自分自身だけの空間におかれるのかもしれないな、と思う。


敬浩さんが何で好きなんだろう、ということを定期的に考える。なんとなく、私の中でEXILE TAKAHIROという人は好きになって何年経っても不思議な人だ。
どこが好きなんだろう、なんで好きなんだろう。
色んな人に愛される人だからこそ、自分の中の好き、を好きだと認識しきれなかったある日、いや、私はこの人にずっと笑っていてほしいぞ、と思った。
それは、幸せでいてほしいと言葉にするには自分勝手な感情でむしろ「笑っててくれると私がハッピーなので、笑っていてほしい」という方が正確な気がする。

そんなことを、THE FIRST TAKEを観て思い出していた。
いや、正直、一弾目のLovers Againを観た直後はそんなことを考える余裕なんてなかった。
なんでか訳もわからず、泣いていたので。



さすがに大袈裟だと自分でも思う。更に言えば第二弾のもっと強く、ならまだなんとなく理解できるような気もするが、この曲で号泣すると思わなかった。いや、楽曲としてはもちろん好きだし、ライブで触れる時はパフォーマーのパフォーマンスもあいまって泣くことは実際多いのだけど。
だけど、THE FIRST TAKEのLovers againで沸きたった感情は、ライブ中のそれとは少し違った。違う何かで、言葉にもならないまま蹲って泣いた。


EXILE……LDHのパフォーマンスは歌とダンスの融合である。ヴォーカルの歌声がパフォーマーに力を与え、パフォーマーのダンスがヴォーカルの響きに艶を与える。
そう思うと、THE FIRST TAKEで触れる敬浩さんの歌声は、なかなかにレアだ。
もちろん、道の駅をはじめ、ソロ活動をする敬浩さんの表現にはこれまでも触れてきた。
だけどどうしたってシンプルな空間での一発撮りはその音楽の輪郭を際立たせる。
そうして思うのだ。
敬浩さんの、音楽を纏った時の姿が好きだ。
彼の作る音楽そのものがクリティカルヒットで刺さるという以上に、私にとって彼を目が追う理由はそこにあるんだと思う。


歌いたいという気持ち、歌が好きなこと、EXILEが好きなこと、この十数年歌い続けたこと。
その全てを込めるように丁寧に一音一音、歌われる。そしてそれは、しっかりと私たちの手元に届けられるのだ。
ファンだけじゃなく、多くの人の耳に当時から届いていただろう大ヒットソングが、また形を変えて生まれる。


そう思うと、このTHE FIRST TAKEという感謝しかない。


そして、もっと強く、だ。


Lovers Againもそうだけど、それ以上にメッセージ性の強い曲を2曲目に選んだ敬浩さん。
また、ハラミちゃん(さん)とのコラボである。
このパフォーマンスを聴きながら、ああ敬浩さんの音楽って会話してるみたいだな、と思った。
それぞれ、ハラミちゃんも敬浩さんも一発撮りの中、本当に楽しそうだ。
その中で、まるでふたりが会話してるような気がした。それは、もしかしたらライブでヴォーカルとパフォーマーがそれぞれのパフォーマンスで会話する、その感覚に近かった。
"会話"といっても具体的に言語化されるものではもちろんない。だけど、そう見えたのだ。


そして、歌詞の内容も相まってふたりの会話はそのまま真っ直ぐに私たちに届く。
なんだろう。
それは、敬浩さんのことが好きだというその感覚を物凄く際立たせる。そうか、そうだな、私は敬浩さんの音楽をする姿が好きなのだ。
音楽そのものが好きだというそれ以上にたぶん、人に対する姿勢を好きだ、と感じるその瞬間そのものだと思うので。

道の駅もそうだったけど、私は敬浩さんが真っ直ぐ愛情を歌う時、感極まって泣くというよりも、嬉しくなって笑ってしまう。だから、もっと強く、も聴きながらずっと笑っていた。あまりにも楽しそうで愛おしくて。そうして歌うこの人のことが、私は大好きだと思う。