えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

あんのこと

観終わってから、心のどこかがあたたかくなっている。それは感覚的な話でしかないけど、心に大切な空間が生まれた。なんとなく、それが「ああここにあんさんがいるのかなあ」と思ったりもする。
と同時に、私は自身の周囲を見回したくなる。
この映画のキャッチコピーである「彼女はきっと、あなたのそばにいた」という言葉のおかげかもしれない。彼女はきっと、私のそばにいた。そしてきっと、今も、いるのだ。あんさんではなくても、同じように。

例えば、そんな人から見て私はどんな人に見えるのだろうか。ちゃんと私はあんさんに気付けるだろうか。気付くだけじゃない、手を、繋げないだろうか。繋ぐに値する人間だと、思ってもらえるだろうか。

 

 

 


心の中の空間があたたかなものだと思えば思うほど、そう思う。願う。
私は、この映画に出会えて良かった。

 

 

 

 

物語は、実話をもとにされている。
実の母親から虐待を受け、売春を強いられ覚醒剤で逮捕される。そんな過酷な日々の中で逮捕された時に出会った刑事に、そこからいろんなひとに手を引かれ出会った人たち、居場所に彼女はどんどん、変わっていく。

「はじめて、生きようと思った」

そう公式のあらすじの文章に添えられた写真には書かれている。小さな変化を積み重ねながら変わっていく彼女の愛おしい毎日。それが、2020年、コロナによって大きく削られていく。

 

 

 

あらすじから、またはそのポスターからも、決して明るい終わりがくるとは思えなかった。
生身の人間を描くこと、事実を描くこと。
それは、とても恐ろしいことのように思う。
最近、自分でも、誰か生きているひとを応援すること、好きだと思うことを無邪気に「良いこと」だと思えなくなったからだろうか。
誰かを「物語」のように楽しむことへの怖さは、いつだってなんとなく存在しているし、だから「実話をもとにした」という言葉には自然と少しの警戒心を持ってしまう。
実話をもとにした、は真実を描いているということではない。むしろ、事実を誰かの目や表現を通してまた「別の話」に変えている。そんな風に思うこともある。

 


そんな私がこの『あんのこと』を観に行ったのは、入江監督の作品を以前見て「好きだな」と思ったこと、また、作品へと寄せられた演者、監督の言葉と観に行った信頼する好きだと思う人たちの言葉だった。

 

 

 

悲劇ではある、あるけれど、悲劇として消費しない。そこにいる人たちを大きくも小さくも描かない。
観終わって、インタビューをいくつか読みながら主演であるあんを演じた河合優美さんが、あんさんのことも自身のことも守ると決めて撮影に臨んだという言葉にほっと息を吐いた。辛いシーンも多くある中で、まず演者の心身の安全性が守られようとしていたことにも安心するし、そうして演じる方がそのひとを守ろうと、愛して大切にしようとされたんだな、ということが伝わってきて、私はとても嬉しかった。

 

 

 

何より、作品を通して感じたのは、あんさんへの深い尊敬と愛情だった。彼女が生きていたこと、考え、もがいたこと。その終わりが悲しいものであったとしても、生きていたその時間を尊重して、監督はじめ、スタッフ、キャストに至るまでが「あなたが大切だ」と言っている。そんな気がした。

 

 

 

あんさんは、薬や暴力の道から踏み出して、もがきながら、落としてきたものを拾うように、大切に日々を生きていた。
仕事をして人と笑い合い、体を動かして、ご飯を食べる。多くはない給料で大切な人たちに贈り物を贈り、夜間学校で友人を作って笑い合う。小学生のうちに諦めた勉強をやろうとして、職場で信頼関係を築き、そうして自分よりも弱い立場にいる誰かを守ろうと、愛しむ。


画面の中にいたのは優しくて、素敵な女性だった。柔らかく、本当に、愛おしいひとだった。

 

同時にコロナで分断していく、孤立していく姿にあの頃自分がなんとなく想像しながらも、見続けられなかったいろんなひとたちがいたことを思う。自分はただ、寂しいだけで、生活に困窮せず、でも自分なりには辛くて必死で、それで、見落としてしまっただろう、たくさんの人のことを思った。

 

 


彼女をただただ不幸だ、としないことともに、私がこの映画が好きだったのは「善悪どちらか、一色ではない」として描き通したことだった。
たとえば、劇中、彼女に一筋の光を差して、その苦しい状況から抜け出すために寄り添い続けた多々羅の、あるいは仕事先を探したり、勉強を教えた桐野の、それぞれに事情やそんなことする……?と思うような一面を描く。描くけど、それも、「実は悪人でした」という描き方ではない。
最低なところも、優しく愛すべきところも、ただただ、その人の中に両立する。
それが、苦しくて、でも、だから愛おしいし、生きていくのかもしれない、と思った。母親すら、憎みきれないような、どこかでボタンが掛け替えられたなら、と思ってしまう。

 

 


だってたぶん、この世に残念ながら120%悪でしかない存在なんて、いないのだ。完璧な人間がいないのと同じように。

それをどちらも描き切ったからこそ、私の中であんのこと、は特別な映画になったんだと思う。

 

 

映画館を出た時、街はくれなずんでいた。その街をぼんやり歩きながら、夕飯のために食材を買う。買って、そうして、私は現実に簡単に戻る。
いや現実に簡単に戻る、のは違う。いや、戻りはする。するけれど、その自分の隣に確かにいる「杏」のことを思う。ずっと、あれから、考えている。
誰かの不在を思う。そこにいてほしかった、今はいない人のことを思う。思うことしか、できないと諦めたりはしない。大切だと思うからこそ、大切に仕方を、私は考えたいのだ。