えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

心が折れた翌日にラストマイルを観た

 

ナチュラルにネタバレをしてるうえにただの日記です

 

 


観終わって明るくなった映画館を足早に去った。心臓もまだばくばくしていて、言葉が頭の中に渦巻いていた。

 

 

 

情報公開から楽しみにしていた映画だ。心がジェットコースターになることなんて分かっていたから、どうせ出勤したとて仕事にならないと覚悟をしていた。だから有給だって一日とったのだ。
そんなぐるぐるはだけどどこか、静かでもあった。静かで、でも、力強い感覚で言葉が湧いて出た。
私の映画だ。これは、『ラストマイル』は、私の映画だ。

 

 

あんなに好きだった仕事が、いつからかしんどくなった。
デスクに座り、パソコンを着ける時に逃げ出したくなる。喋っている途中で耳鳴りがする。通勤路を歩いて、横腹が痛くなってぐっと抑えながら出勤する。
そんな毎日になんでこうなったんだろう、と思う。好きだったのに、いや、確かに今だって好きなのに。

 

これが例えば、分かりやすいパワハラや成果の低迷だったら解決策も浮かぶ。だけどそうじゃないのだ。いや、確かに腹の立つことや「それは道理が通らないだろ」と怒りを覚えていることはたくさんある。だけど、そうじゃない。そうじゃないから、こんなに苦しい。


それでも、生活を続けなければいけない。自分がやらなきゃ、自分で自分を食べさせて満足させていかなきゃ。他に出来ることもない。
そうしてなんとか続けている中で公開日前日。
「もっと頑張って」と言われた。

 


痛むあちこちに歯を食いしばって、それでもなんとか、と繰り返して、そうしているはずだったけど「そろそろさ、頑張れるでしょう」と笑顔で言われた。もっとさ、頑張ってもらわないと。期待してるんだから。

 

なんだか、あんなに明確にぽきりと音がしたのも久しぶりな気がした。ああ、自分が全部悪いんだなあと思った。

頑張りきれてないから、満足いくだけの結果をいや、まだ足りないと思わせてしまう結果しか残せてないから。

ただ何をどう考えてもこれ以上の余力はなく、でも敢えて言うなら「私が私」として過ごす甘えは確かに仕事をしながらあるから、じゃあ「もっと頑張る」ためにはこれを殺すしかないなあ、と思った。
殺して、求められる仕事をする。
それをなんでだよ、と思う自分が全部悪いんだろうなあと思いながらその夜は寝た。

 

 

そんな自分にとって『ラストマイル』は楽しみにしていた数ヶ月で予想していた感覚とは違った。
それは、作品のストーリーの意外性とは少し違う。自分の現状が思いがけずぴったりと画面の中の登場人物たちと重なったのだ。

 

なんならギリギリのところでなんとか生活を送ってる全ての人に見て欲しい、と思った。仕事のことだけじゃない。なんとか、なんとかギリギリで悲鳴を噛み殺しながら生きて、生活をしている全ての人たちに。ごめんうそ、ただ「わたし」がそうで、勝手に救われたってだけ。そして同時にを救いはしない」んだよ。物語も物語の中の人物たちも。ただただ、自分の生活を送るしかない。生きるしかない。

 


大きな物流倉庫で働くたくさんの人、板挟みになりながら自分の仕事をするひと、他人から見たら心配になるくらいに働く人。家族の中で役割を果たす人。事件を解決するために奔走する人。自分の人生を「許されるように生きるため」にしっかりと歩み続けている人。

 

エレナが、明るく真っ直ぐで確かに有能で、だからこそギリギリの中「眠れなくなった」3年目以降、どんなふうな生活を続けてきたのか、「やっとの思いで掴み戻ってきた」あの場所で何を考えていたのか。
何度も何度も、観終わってから考えている。
カウンセリングに行って薬を飲んで、そうやってなんとか無理やり仕事をして、それからズドン。
それは、決して他人事ではなく、知っているような気がした。


ただ、生きてるだけなのに、ただ生きていたいだけなのに。なんでか私たちはいつも、ギリギリになるまで追い詰められながら生きている。

 


ライトに死にたくなる、生きていき方が分からなくなる。どうあっても「頑張って生きていこう」なんて思えない。

 

だけど、観終わって数日。あの作品を楽しんだ何人かの友だちが「つくのことを観ながら思い出したよ」と言っていた。仕事を、眠れなくなるまでやらないでね、と言葉を添えられて真っ直ぐ伝えられたことを今でも考えている。
心配してくれる人がいるんだなあと考えていると、筧まりかの苦しそうな顔を思い出す。
そこまで愛されてはないだろうけど、とすかす気にはどうしたってなれない。
「ばかなことをした」と呟いた彼の気持ちも、いたいくらい分かるから。それでもあの時の彼にはそれしかなかった、いやないように感じるしかなかった、気持ちを含めて。
だったら、私は、その言葉をちゃんと受け止めるべきなのだ。

 

この世はクソで生きていくことも結構クソで、残酷で許せないことが多い。
だけど、だからこそそれを知ってもなお、「生きていて下さい」と言い続けてくれるあの世界の人たちが、私は好きなのだ。

 

強烈に、私は『ラストマイル』が好きだ。
それがなんでだか、分かった気がする。生きていていいよ、と言われた気がしたのだ。私は。


MIU404のシナリオブックで死にたい気持ちを押し込めてでも「メロンパンをかじって、しがみついてください」という言葉を何度も何度も読んで、そうだよな、と思うのに何度もやっぱり無理だ、と思って、それを繰り返しながら、2024年まで、たどり着いた。
そこで、あの世界の中から「生きていていいよ」と言われたこと。たとえ、それが壊れてしまっていても以前のように戻れなくても、それでも、「そばにいてよ」と「生きていてよ」と言われたこと。

 

 


それがたぶん、私は1番嬉しかった。