えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1-

※これはキンプリはうっすら履修な人間の勝手な感想です※

 

 

応援上映、初体験でした。
ちょうど、他劇場で監督のトークイベントがあることもあり、人いるかな…とドキドキしつつ向かった劇場。
でもそれも杞憂で、そこそこの客入りの中、ペンラの光景も見たいし、と後方席をゲット。


どちらかといえばペンラも使い慣れているか、 と言われたら使い慣れていない。
今回使用したペンラは今年のミッチーさんワンマンで買ったペンラ だし
(ありがとうミッチーさん、たくさん色変えれて助かりました)
その時も一回のみのライブ参泉(ミッチーさんのライブではこう表現される)
カチカチペンラの色を変えるのに慣れていないどころか、何色がどの順番で入っているのかもあんまり把握していない。
その前に行ったことがあるペンラを利用するペンラは色は変わらず、だったので
いけるか?つけないほうがいいか?でも振ったほうが楽しいよな、と周囲を見回しつつ…。

 


結果、応援上映、行ってよかった。
普段応援上映にどうしてもノリきれるか不安で行ってこなかったけどキンプリについては応援上映大正解すぎる。
一番の理由については後から書きたいけど、そもそも今回、「キンプリを観よう」と決めたのも、どちらかといえば、作品そのものよりもエリートのみなさんが楽しんでいる様子を体感 したい、だった。

 


身近にキンプリエリートな友だちがいる関係で、その作品への愛情はもちろん、そこから発展しての世界や人間関係、そもそも作品への愛情の深さに触れる機会は多い。
だからこそ、どうせならその愛情含めて新作を楽しみたかったのだ。

 


キンプリとは、プリズムショーと呼ばれるきらめきを競い合う競技をする物語である(これも解像度が低い説明かもしれない)
そして今回の『KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1-』はそのショーの様子をテレビの生中継という形で楽しむ。

 


おかげで冒頭や合間にスポンサーである十王院グループのゆりかごから墓場までなCMたちが差し込まれる。
私は応援上映で予告前、映画の提供他、これから上映される別作品の予告や
映画館スポンサーへもしっかり応援するというスタンスがあるというのが、すごく良いなぁと思っていた。
もうそれ、絶対楽しいじゃん。
そういう意味でもこの「番組」というスタイルはそんなエリートさんたちの鍛え上げられた掛け声やペンラ芸を思う存分楽しめた。
すごい、本当に。
全てを拾うし、かといって過剰じゃない。
セッションみたいだなぁ、と思うし、これはセンスと一緒に歩んできた歴史なんだろうね、と若干見当違いかもしれない感慨をしみじみ感じていた。

 


何よりこのキンドラはそのコンセプトの性質上、なんとなくしかキャラクターを知らないくらいの人間いやなんならほぼ作品を知らないひとにとっても楽しみやすくなっ ている。
いわば、テレビをたまたま着けたらやっていた番組、を楽しむように見ることが出来る。
もちろんそれを全力で応援するのも「こういうのがあるんだ」と出会うこともできる。
なんだかその体験が楽しかった。

 


と、結構途中までライトに楽しんでいたのだ。
なんとなく事情を知っているくらいのキャラクターたちそれぞれのプリズムショーはそれぞれの個性や思いが伝わってきたし、知らないからこそ、楽しめるいろんな表現、そしてそれこそペンラの色んな変化をまるごと楽しんでいた。

 


それが、思わぬ刺さり方をしたのが一条シンくんのターンだった。
友だちの推しというのもあるけれど、私はキンプリすげーと知らないながらに思うのはこの一条シンくんの物語がすごく興味深い、と感じるからなのだ。

 


プリズムショーに偶然出会い、自分も同じように誰かを幸せにしたい、きらめきを届けたいと歩みだした一条シンくん。
その歩みが、いつも心に響いてしまう。
それは、そのプリズムショーが素敵だからというのもあるし、
このキラキラとした愛情表現をファンたちもするコンテンツの概念 みたいだなぁ、とも感じるからだ。
色んな考え、推し方もあるんだろうと思うし、 こればかりは完全に部外者の勝手な感慨ではあるけど、何かを「好きだ」と思う気持ちがそのままキラキラと輝く応援上映を観ているとなお さらそんなことを思う。
好きだ、という気持ちから始まった何かには、 できたら幸せな時間を過ごしてほしいという勝手な願いもある。

 


だからこそ、今回のキンドラで一条シンくんの「 自分だけを観てほしい」というショーと、そこからの流れがすごいな…と感じ入ってしまった。
もちろん、あのショーはシンくんの意志、というよりもシャインの暴走でもある。あるんだけど、でも、 そうだよな、とも思う。
好きだという気持ちの暴走や暴力性を時折考えて落ち込む人間だからかもしれないけど、なんだかいつも、シンくんのあのショーは、食らってしまう。
そして、だからこそ7人のショーを最初は拒絶されること、それを受け止めて謝ることにだだ泣きしてしまった。
シャイン関連のエピソードをしっかり追えていないので、 事情は詳しくは私にはわからない。
だけど、むしろ分からないからこそ「こわかった」と拒絶する観客の気持ちもわからなくはない(シャインのことをほぼ忘れていた私にとってはシンくんのショーとして見えていた((友だちとのLINEでシャイン…!ってなった)
かといって、プリズムショーをしているスタァが「僕だけを観て」と願うことはそんなに悪いことなのか、とも思う。

 


プリズムショーがまっすぐでキラキラしていることは分かる。わかるけど、でもだって、やっぱり観てほしい、と思う。
好きだ、という気持ちやキラキラとした楽しんだ気持ちがそのまま点数化するからこそなおさら。そりゃ、愛されたいって思う。
でも、その愛されたい、が怖く感じること、も痛いほどわかって心臓が痛かった。
さらに言えば「好きな人がステージ上で謝る」 ことを目撃したファンの気持ちを想像してめちゃくちゃ苦しかった 。シンくんのショーはこんなもんじゃない、と思うファンほど苦しかったんじゃないですか…あのシーン…。


だけど、それに真摯に謝って、ショーを始めること、そしてそれを求めるファンの姿は私には「そうだったら良いな」と思う光景だった。

 


間違っても、やり直せる、そんなショーだったらいい。
もう一回、と立ち上がれる、それを肯定する、 その光景は確かにきらめきに満ち溢れたプリズムショーだった。
(関係ないけれど、あの曲のバージンロードのその先、という歌詞も勝手に深読みして泣いていた。そうだよね、バージンロードを歩くことはゴールじゃなくて、そのあとに生活は続くんだよ…)(たぶんそんな歌詞ではない)

 

 


そして、そしてだ。そのあとのシーンが、本当に、今回応援上映で観てよかったと思う瞬間だった。
光が消え、ショーを続けられなくなった瞬間。
あの真っ暗な中、観客たちが歌いだす。 そしてそれが画面向こうだけじゃなくて、 観客席のこちら側からも始まる。
ちょっとずつ声が重なって、それぞれの推しの色に灯されたペンラが、あたりを照らす。
あの光景、本当にきれいだった。すごい。現実だった、 プリズムショー。
そしてそれは、あのONE PIECE応援上映の際参考にしたというキンプリだからこそ、 の光景でもあるような気がした。

 


何年もこうしてエリートがつなぎ、プリズムスタァたちを信じてきて、それがここに繋がるんだな、 と思って泣いた。それは、本当に美しくて、愛のある光景だった。

 

 


どうだろう、これは、どれくらいズレた感想か、わからない。
だけど、私にとっては、そういう「好き」があんなきれいな景色を生み出すというそのことがとんでもなく、嬉しかったのだ。
好きは時々、暴走することもあるけれど。扱いが難しくて、厄介なところも多々あるけど、だけど、そうだよな、こんな美しい景色に繋がるんだよな。
いったん私はそれをかみしめながら「ああ、プリズムショー最高だったな」と思ってる。

 


今日一緒に劇場で観たエリートの皆さん、 ありがとうございました。