えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

水木しげると妖怪の街 境港

何回観たか分からないドラマを観て、抑えきれない嗚咽を噛み殺していた。もう何回も観てるので台詞はおろか、間も表情も劇伴がかかるタイミングも覚えてる。それでも、毎回新鮮に泣いてしまうし、その度に「ああまだ大丈夫」と思う。

 

 


私は、いつもそうだ。
この「ドラマ」がお芝居だったり映画だったり、本、漫画、音楽、ラジオなこともある。ともかくそういう"現実"と少し離れた、だけど離れきり過ぎてはないところで大きく息をする。

 

 


生きていくのは、いつだって大変だ。

 

 

 

 

お金のこと、成果のこと、成長、社会的地位、貢献、普通であること、不愉快じゃない人であること、年相応であること、社会人として真っ当なこと。
思えば、私の好きなモノたちよりもはるかに「ある」はずのそれらこそ、私にはいつも「ない」ように思えて、どうにもうまく歩けないことが多い。
だけど、それを「ない」としてしまうには私も擦れてはいるので、なんとなくその軋轢というか、狭間のようなところでそれぞれに圧迫されながらウンウンと唸ってる。そんな気がする。

 

 


そんなことを、思いながらでも結局「それで良い」と思ってるのだ。
その気持ちがより強くなるような旅だった。
水木しげる記念館のリニューアルもあり、去年からずっと行きたかった境港へと行ってきた。

 

 

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街全体が「水木しげる」で出来ているような気がしたし、もっと突き詰めればでも、そもそも水木しげる、がこの街で生まれ、育ったと思うと水木しげる自身もこの街で出来ている部分もあったのではないか。
街の入口どころか、その街へと向かうための電車も妖怪電車で、そんなことをふと思った。
妖怪の名前が愛称としてつけられた町々。
妖怪などについてくれたのんのんばあに連れられ、色んなところに出かけたという水木少年のことを、ふと考えてしまう。
この山を登ったこともあるんだろうか、この海岸はどうだろう。ふとそんなことを街のあちこちの景色に想像した。
そうして、境港の駅から水木ロードを歩くともうあちこちが「妖怪と鬼太郎」に溢れている。
また、増えたという妖怪の像を覗き込んだりしながら歩く人たちを見ながら歩くのも楽しい。

 

 

 

なんで、こんなに水木しげるが気になるんだろうか。
私はもともとなんとなく鬼太郎が好きで、ゲ謎を観て無性に「水木しげる」という人が気になった。

 


あの時ゲ謎こと「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観れたことはとても私の中で支えになっていて、中でも「水木」という存在は大きかった。

 

 

 

 


だから、自然と水木しげるさんにも惹かれたというのもそうかもしれない。

 


それはゲ謎のキャラクターである水木と水木しげるを同一視してるからというよりも、様々な作品を経て、このキャラクターの名前にもなる「水木しげる」とはどんな人なんだろうと作品自体ではなく、本人に興味がより湧いたからだと思う。
あの映画の水木が怒り、諦め、それでも、と奮い立つ、何より最後に愛を抱き締めることが何度見ても嬉しくて好きだと思う。そんな人へと続く水木しげるの人生は(正確には続いてはいない、だけど影響は少しあると私は勝手に思っている)どんなものだったんだろう。
少なくとも、すごく愛されている人だということはわかる。だからこそ、知りたかったのだ。

 

 

 

そうして、水木しげるの記念館に到着。

そこが、本当に本当に良かった。

 

 

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また、最近の世界の暗雲が立ち込めるような「なんでこんなにひどいことがたくさん起こるんだ?」と尋ねたくなるような毎日の中でちょうど、出征前の水木しげるさんの手記をネットで見かけた。
出征に際し、死ぬかもしれないこと、殺すかもしれないことを考え、ゲーテなどを読み、たくさんのことを考えていたということが窺い知れるその文を読みながら、ずっとずっと考えていたことを、改めて記念館で考える。

 

 


思うと、2月に行った横浜の原画展が作品を通して「水木しげる」というひとを浮かび上がらせていたように感じたのに対し、
今回記念館では水木しげるの人生を想像しながら、作品のことを考える瞬間が多かった。
それはもしかしたら彼が生きた街の中で呼吸をしたから、というのもあるだろう。

 

 


もし、私が。
もしも、戦争に行くこと、人を殺すこと死ぬ可能性を受け入れろと言われたら、同じように長く親しんだ物語や言葉、そういう「創作」のもとにいく気がした。そうした創作の中に何度も何度も潜って、潜って潜って、やっぱり、死にたくも殺したくもないと思う。
戦争は、人を土くれにすると、水木しげるさんは書く。

 

 

 


戦地での水木しげるの展示はとても丁寧で年表や彼の持ち物、写真をもとに彼の時間、見たこと、またあの時の世界がどんなものだったかを描く。
作品として残された総員玉砕せよや、そもそも「生きていることを恥とされること」についても触れた娘たちへの手記の壮絶さ、壮絶なのにどこか淡々としていることが紛れもなく起こったことで、事実だったのだ、と感じて薄寒いような、どうしようもなく怒りが沸くような気持ちになった。
その中で、終戦間際、少ない物資の中でも絵を描き、ものによっては鮮やかに色を施されていたことを繰り返し思い出している。ああ、この人は絵が好きなんだな。原画を見た時も思った。
気が遠くなるような描き込みをやってのけること、死を克明に意識しながら、憎しみや怒りもきっとあっただろう中で、あんな絵を描けること。そのことが、私はなんだか無性に嬉しかった。

 

 


そうして年表をなぞり、戦後の彼の人生に触れて意外に遅咲きであることを知った。思えば、大切な時間をたくさん戦争に奪われたのだから、それはそうかもしれない。
なのだけど、私はそれも、嬉しかった。
色んな経緯を経ながらも、貧しい時も絵を描くこと、物語を作ることをやめなかった水木しげるという人により、強烈に惹かれた。描き続けていくこと、その量も、鮮やかさも、そして楽しそうな様子を想像させる空気感も、全部全部、たまらなかった。
そんな中で「諦めずに続けた」からか、実際、水木しげるさんは自分を信じて、好きなこと、どうしようもなくやりたいことをやれ、と言う言葉をたくさん、繰り返し残していた。
実際にやり遂げた人の言葉は、重い。
何より、あの正しいことが勝手な事情で変わり、命を奪われるような時代を生きてきた人の言葉だからこそ、そうだよな、と思った。

 

 

 

自分の信じることくらいしか、価値はない。何故なら価値観はころころと変わるのだ。

 

 

 

信じて続けるという意味では(雑誌刊行などの事情もあるだろうが)様々な連載に同じ作品が何度も掲載され、その度に描き直されていくのを観れたことも今回とても印象に残った。

 


しかもその作品の一つがゲ謎ファンには特別な思い入れがある「墓場の鬼太郎」の1話だったので、たまらなかった。


※期間限定展示の中で見たため、本当にラッキーだったと思う。

 

画面演出の変化、台詞や見せ方の変化。同じ物語を何度もただなぞるのではなく「もっとよくする」の意地を感じるし、雑誌のターゲットを踏まえてか、それともその時々の状況を反映してか大筋は変わらずだけど、少しずつ表現や展開が変わっていく。
その形がどんどんと優しく、柔らかくなるように感じて……それは、ゲ謎へと続いたのだ、と思うことは何もオタクの感傷ではないと思う。

それは続けることがいつか優しい何かへと変わることのようにも思えて、なんだか励まされるような心地にすらなった。

 

 

 

 

最後に。街全体が妖怪と水木しげるで出来ているような幸せな空間は夜まで続いていた。
ライトアップがあるという話は知っていたけど暑さや早朝4時に起きての旅行にくたびれかけていた私は同行の友だちに「最悪なしでもいいよ」なんて言っていた。
だけど、「絶対行こうよ!」と励まされて向かって、本当に良かった。
街の中、薄暗くなっていくその街の中にひっそり、妖怪たちが現れる。光が揺れて、影が濃くなる。
色や動きを使いながら演出していく、その街の中で遊びにきていた子どもたちがほんの少し怖がりながら「あ、あそこも!」と叫んだり、照らされた妖怪たちの顔を覗き込んだりする。
ああ、本当に、妖怪はいるじゃんか。なんだか、泣き出しそうになるくらい幸せな光景だった。

 

 

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妖怪っているんだな、と思いながら振り返った街の中、どこかに水木しげるさんがいるような気がした。

 

 

 

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