えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

そばかす

不思議で居心地の良い映画だった。不思議、と言っても何か、それこそSF的な出来事が起こるわけでは無い。
どころか、劇的なシーンが立て続けに起こるような映画でもなく、わりと淡々と映画は進む。ついでに言えば、断片の「何かがあった」が描かれても、それが深堀されきるわけでもない。でもそれは「隠されている」ようにも感じずに、ただただ、映画は進む。主人公である蘇畑そのもののような分かるような分からないような、でも愛おしい空気がずっと居心地が良かった。



最初、映画が始まる直前に映し出された一言が妙に頭に残った。

(not) HEROINE movies



今、感想を書こうとして調べて、それは映画シリーズの名前であると知る。



センセーショナルだったり扇動的だったり、あるいは感動的、暴力的なともかく「感情がごちゃ混ぜに掻き乱す」作品は多い。作品だけじゃなくて、現実までも"そういうもの"にされることが多い。
恋愛ものだったりキュンを求められたりエロを求められたりに食傷気味だな、と思ってしまうことが定期的にある私には、その一言が妙に心に残った。もちろん、キュンも恋愛ドラマもそれぞれ大好きなんだけど。



蘇畑さんが、海にいるシーンが好きだった。何をしているわけでもない。でも海にいて寝転がってただただそこにいる。




強制お見合いの彼とのやりとり、妹とのやりとり、母とのやりとり。
そして真帆との時間。



分かり合えた、という瞬間もそれでも他人だという時間もそのどれもが、ああいつかあった時間だと思う。
蘇畑さんの横顔や、ちょっとした笑顔を覚えている。言葉少なな彼女の表現にそれでも時々心の奥底を触れさせてもらった、そんな気持ちになった。


真帆のあのシーン、無性に泣いてしまった。勝手だなあと自分に思いながらも泣いてた。あの日、蘇畑さんが嬉しかったように、学生時代のことをしんどい時思い出すように、私はあの時、真帆が叫んだ言葉を思い出すんだろうと思う。



「恋愛感情も抱かないし、性的欲求も覚えない」
ただそれだけのことをどうして「おかしい」と言われるんだろう。もしくはそれを特別なことだとでもいうように「説明」を求められるんだろう。
映画館の座席に深く腰掛けながら、そんなことをずっと考えていた。そういうことを言った時に言われる「まだ運命の人に出会えてないだけ」という言葉の無神経さだとかを考えて腹の奥底がぐるぐるした。



好きな女優さんも出ていて、居心地が良くてでも普段奥に追いやってる気持ちと思いがけずに向き合うことになってかと言って「スッキリした」なんて気持ちになれるほど確信は描かれず、でも確かに湧いたこの感情はなんだろう。



そう思いながら、観終える最後の最後、ああそうか、と思う。スクリーンの中の言葉に深く頷いた。ああうんそうだ、そう思いたくてたぶん、私は映画館に足を運んでいる。ラジオに耳を澄ませて音楽を聴き、劇場に向かう。
そして時々は、街の中でも、そんなことが起こる。



でもどれも、現実を変えてくれはしない。夢のような劇的な出来事は起こらない。本当に分かり合えたかも分からない。結局、明日からも私は私なりにやっていくしかない。
だけど言葉少なながらに、大切なことは伝えきってくれた映画に頷く。ああそうだ、こういうメッセージを届けてくれる誰かがいる。そうだ、それだけで結構、生きていけると思う。