えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

不思議/創造

不思議/創造が発売された。
くたくたに疲れて帰った日はちょうどフラゲ日でポストの中には楽天で注文した源さんのシングルが入っていた。


初めてリアルタイムで買う源さんのシングルだ。シングルボックスを買った時、この一枚一枚をリアルタイムで買っていた人もいたんだな、と羨ましく愛おしく思った。その最新シングルだ。

その日はともかく疲れていて、玄関に傷付けないようにCDを置いたままベッドで泥のように眠った。明け方、胃が痛くて目が覚めてシングルをベッド脇に引き摺り込んだ。目がしばしばして、開けづらい。頭も胃も痛くて呻きながら、開封作業をする。
そうして開いたCDの歌詞カードを広げた。ひとつひとつ、歌詞とコメンタリーの文字を追う。



すきだなあと思った。すきだなあ、と思った気持ちを迷子にならないように握りしめたまま、二度寝した。



今回「不思議/創造」に収録された4曲のうち、3曲は既にブログに書いてきた。

不思議

創造

うちで踊ろう(大晦日


なので、こうなると「そしたら」の話も書きたくなるし、
なんなら改めてこの両A面として販売された「不思議/創造」の話がしたいじゃないか。



ここ最近、この最近がいつからか分からないくらいずっと、息苦しい。気を抜くと溺れそうな、いやもしかしたらむしろそうして力んでるから溺れかけてるような、そんな水の気配が、ずっとある。

だから、今回の『不思議』の曲の話を源さんがANNでしているのを聴いて、びっくりした。

「(好きな人ができる好きなものができた時)水の中にいるくらい苦しかった思いが、その人と手を繋いでる時だけは息ができたりとか。そういう今の世の中に対して嘘をつきたくなかった」

恋という、あるいは愛という素敵なものを歌う時、それがあるのは世界が素晴らしいからじゃなくて、この愛は世界のおかげてあるわけじゃないという、ある種、怒りのようなものの話をするのを聴きながら、思い出していた。



少し前、仕事以外をするのを止めていた。極力、人と連絡をとるのも避けて、呟かず、何かを考えるのも最小限にして、考え事も仕事に寄せた。

そうするのが、楽だった。
好きなもののことを考えると、そうじゃないもののことを考えて余計に苦しくなるし、だったらもう、と思って仕事だけしていた。
そうして思ったのは、楽だけどどんどん全部どうでも良くなるなあということだった。
たぶん、私は好きなもののことを考えて、こうして文にしながら、少し際のところで、世界を好きでいようとしているのかもしれない。
世界を、なのか、分からないけど。



なんか、関係ないじゃんって言われそうな話をしちゃったけど。でも、なんというか、この『不思議/創造』を聴きながらそんなことを、考えてしまった。
4曲が、あまりにも好きだから。


『不思議』が1曲目に来ることで、好き、という気持ちについて考える。その中で別に幸せで満たされるわけじゃなくて、
むしろ好きだからこそ、好きであればあるほどそこにある孤独や地獄を思う。
好きという気持ちが、万能で、世界を薔薇色にする魔法だとは歌ってくれない。あくまで好きがくれるのは、仮の笑みだ。だけど、それがあるから私たちは日々を踏みしめて歩けるのだ。



そこから『創造』を聴いて楽しくなる。


創造が私は大好きなんですよ。
音楽の詳しいことは私には分からないけど、でも使われてるサウンドがもう、問答無用で楽しくてワクワクする。
そうして跳ねる心を

「僕は生まれ変わった 幾度目の始まりは澱むこの世界で 遊ぶためにある」

という歌詞が引っ張っていってくれる。



創造はそのまま、源さんが遊びに誘ってくれてるようだ、と聴くたびに思う。こんな面白いものがあるよとワクワクさせるびっくり箱のようなものを見せてくれる。驚いた笑顔見せて、なんていかにも、面白い仕掛けを作り続ける源さんらしくて、楽しくなって笑ってしまう。

そしてなんなら,君だって遊べる、と言ってくれてるような気がするんだ。
馬鹿げてた妄想も、全部何か始まる合図なんじゃないか。




『うちで踊ろう(大晦日)』はそうして跳ねた心で、ぽたぽた落ちてきた素直な、なんというか、なんだろうな、疲れたとか嫌だとか、そういうのをゆっくり濾過してくれるというか。
(大晦日)で驚いたのは、諦めを歌ったことで、そこにあったストレートにすら感じる怒りだった。
そして、だというのに、放り出すわけでもなく、生活が続くことが、苦しくてなのに好きだった。



マイナスなことってできれば口にしたくない。お前が言うなと信じてもらえないかもしれないけど、なるべく、そう思ってる。



だから、なんか人を傷付けずでも誤魔化さず怒ってうんざりだ、って口にしてそれでも、生活を続けることが歌を歌い続けることができるのかと思った。


なんてことを思いながらですよ。
そしたらですよ。
ええ、『そしたら』ですよ。
親子の歌なんだけど。だから、ある意味で優しい眼差しは、まあ、そうか、ともおもうんだけど。
あの柔らかな声で歌われる

「けど取り敢えず今日まで続いてよかった」


なんて、聴いてしまったらもうさあ。
なんか、そうか、と思いたくなってしまった。
良かっただろうか、今日まで。あの日、終わらずに続いて、それは「良かった」なのか。
でも、うん、まあ、そうだよなあ。


生きれば生きるほど辛いけど、生きることが唯一幸せな記憶を増やす方法なんだ。
シングル一枚に、何をめそめそとって思うでしょ?私も思うよ。
だけど、あの日、くたくたな中、枕元にあるCDにうんざりだって思いながらも目を閉じて大丈夫だって呟いちゃったんだよな。