えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

バジュランギおじさんと、小さな迷子

この映画を観たかったのだ、と反芻しながら思う。私はたぶん、この映画を、この人たちを、今見たかった。

 

 


なんで映画を観るんだろうと最近よく考え込む。例えば、4月のはじめに観たジッラの時もそうだった。なんで、はもう、ほとんど、私の中で答えが出ている。
これは、私の悪癖でもあるのだけど、物語でなら、と信じられる。現実や、自分の身近な人間関係、社会、生活ではうまく受け止められないこと、歪めてしまうことを映画というフィルターを通してならやんわりとあたたかく、大切に受け止められる。そんな気がする。だから、私は映画を見る。
思えば、数年前に映画館を「いざという時に逃げ込む場所」と感じてから今日まで、ずっとずっとそうだった。
そう思うと、今の私は、バジュランギおじさんと、ムンニー、そしてその二人が出会う人たちに出会いたかったのだ。私の、毎日のためにも。

 

 

 

印パ問題に関して、どちらかと言えばあまり知らず、ストリートダンサーで両国の関係があまり良くないことをぼんやり知った程度。
だからこそ、バジュランギの行動や表情、またお父さんの台詞にゆっくりとなんとなく、でしかもちろんないのだけど、理解する。
例えば宗教観として他の宗教との「相入れなさ」はこれまでも歴史やニュースを通して分からないままだったけど(そして今だって本当には理解しているとは思えないけど)それが、ただ過激な感情というよりも、生理反応に近いそれなんだな、と物語として触れながら思う。

 

 

 

私が、この映画を好きな点はいくつもある。
一つ目は、ムンニーを最初に警察署につれて行くシーン。
「捨てられたのかも」という警官にバジュランギが「それはない、この子を観ていればわかる」と言い、警官も「ああそうだな」と同意する。
喋れなくても、ムンニーがどれだけ愛されてきたか、大切にされてきたか、表情や容姿からわかる。そのことに、冒頭はぐれてしまう描写に心臓がじくじく痛んでいた私は「そうなんだよ!」と言いたくなった。そうなんだよ、愛されて、大切にされているんだ。だから、どうか彼女が帰れるように助けてあげてほしい。

 

 


更に言えば、ムンニーがバジュランギについていこうと決めるシーン。音楽と、自身の信じる神様への愛情がこもったシーン(このシーンの後の「スターのように踊っていたね」「ハヌマーン様への愛が溢れてしまって」のようなやりとりがだいすき!)に「この人は大丈夫」と思ったのかな、と考えると心があたたかくなる。
ムンニーの信じる神様と、バジュランギの信じる神様は違う。それをどれくらいムンニーが理解していたかはわからない。だけど、そこにあるあたたかなものは伝わるし、神様の違いを越えることがある。
そう思えると、嬉しい。嬉しいと思ってしまう。

 

 

 

眼差しが総じて優しい映画なのだ。
わからないこと、相入れないこと、信じられないこと。だけど、そんなものをバジュランギは越えていく。それは元々の彼の気の良さ、正直さに基づくものではあるけど、彼だってずっとそうなわけじゃない。
何度か「ムンニーがいることで大変なこと」も口にする。ただのお人よしではない。だけど、それでも、歌の中であったとおり、彼女を大切だと思う、幸せでいてほしいと思う、それはだんだんとバジュランギの中で大きく大切なものになっていく。
そうして、そんな二人の姿にひとが動く、心が動く。


そんなことはない、物語のフィクションの世界だからだと一蹴できないような(したくないような)力強さを持って、彼らは世界を動かしていく。
それは些細な変化で、だけど確かな変化だ。
そして何より、バジュランギ自身も変わる。
モスクのシーン、互いの神様を思いながら相手の幸せを祈ること、感謝すること。
自分の信じるものと、異なる存在が触れ合って、それぞれを尊べること。

 

 

それぞれの神様を讃える音楽が劇中登場して、それを聴きながらどちらの信仰も外野として触れる私はどちらも素敵だな、と思った。信仰を外野から語ることは出来ないのだけど、それでも、誰かの大切な気持ちを愛おしい、美しいと思う。そういうシーンが、この映画にはあるように感じて、私はそれも、大好きだったのだ。

 

 

ナワードさんの言葉を、ずっと考えている。
憎しみの方に飛びつくこと、愛は置いていかれること、届かないこと。
映画館で、一緒に観ていた観客が笑い、息を詰め、嗚咽を漏らしていた、あの時間のことも、思い出す。憎しみの方が、拡散されやすくて、残りやすくて伝わってしまう。だけど、そうじゃなくて、それだけじゃなくて、愛情や優しさ、誰かの笑顔のことを、祈る、そういうことだって確かに人間の一面だって、まだ、信じられる。そう思う。意地にも近い感覚で。

 

 

 

だけど、それだって間違ってないと最後のバジュランギとムンニー……シャヒダーの表情をお守りに思っているのだ。