えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ポップンマッシュルームチキン野郎さんのお芝居にめちゃくちゃ抱き締められてる

ポップンマッシュルームチキン野郎さんが、過去の作品の無料配信を始めた。
そんな中、今日アップされたのは赤カブトさんの一人芝居、「私の彼は甲殻類」だ。
めちゃくちゃ声を上げて笑った。一人芝居だけど、目の前にあひる口で謙遜する彼女や甲殻類が見えるみたいだった。


何が起こってるかは分かるけど理解らない。
そんな心地の良い時間に、ああ、ポップンマッシュルームチキン野郎さんだ!とはしゃいでしまう。

 

 

ポップンマッシュルームチキン野郎さんが、開演前に流されていた(今は変わったはず…好きすぎていつもあの曲を口ずさみそうになるけど)「ポップン!マッシュルーム!チッキン野郎ー!」の明るい名乗りからの、始まるよ始まるよ、という声を思い出してる。私はあの曲が大好きだ。


お芝居が、始まるその瞬間がたまらなく好きだ。


その中でも、ああしてワクワクと、楽しさを増やしてくれるポップンマッシュルームチキン野郎さんはあまりに「らしい」。

 


あるときは、人の言葉を話す未来が分かる犬がマッサージチェアやニワトリ、トカゲの仲間と大切な人を幸せにしようとする話を。
あるときは、頭だけの少女を中心に巻き起こる第二次世界大戦中の話を。
あるときは、サボテンやナップサックが出てくる銃声を聴くと記憶を失うガンマンの話を。

 


基本的には理不尽さが縦横無尽に溢れ続ける劇団である。
「なんで?」なんて思ってはいけない。そうなんだ!ととりあえずいったん、目の前で起こってることを素直に受け止めることから始まる(これ、確か、最初に行ったコメンタリーイベントで言ってて、後から思い出しては納得して笑ってしまう)

 

 

そう、最初はゲスト目当てで行ったイベントだった。生コメンタリーのような状況下でも、引き込まれた映像。そして、目の前で起こるよく分からない出来事たち。


ただ、私は、初め、彼らのトリッキーさに惹かれたわけではなかった。いや力いっぱいその設定やギャグには笑っていた。
笑っていたんだけど、何故か、心の奥底を揺さぶられてるような感覚に陥っていた。
私、犬コロ初演の映像を初めて見た時前説のパフォーマンスで泣いたんですよ。わりと号泣に近くて。そしてご存知の方は分かると思うんだけど、たぶん、あれは、号泣する内容ではない。

 

 

で、考えていたんだけど、
たぶん、彼らは本気でやってるんですよ。
別に「ナップサックが大統領目指したら面白いだろうなあ」とか「マッサージチェアが喋ったら笑ってくれるかな」とかじゃないんですよ。いやもしかしたら一瞬くらい過るかもしれないけど、舞台にのってるその瞬間は120%本気なんです。
100%ですらない。
彼らは、本気でナップサックとして生きたり、マッサージチェアとして生きたり、ヨドバシカメラビッグカメラが戦争をするような世界を描くんですよ。
不謹慎も下ネタも、ぶっ飛んだ設定も本気でやってるんですよ。茶化したりバカにしたりじゃなくて、もうそこには「マジ」しかないんですよ。何があったらそんなことになるか、も、ぜんっっっっっぜん分からないんだけど。


それが、表面的にはほんと、意味分からなくて爆笑しちゃうんだけど、でもなんか、時々無性に泣きたくなるんだよね。
そんで、いっつも、そんな彼らが心の底から好きになっちゃうんですよ。

 

 

吹原さんが描くのは「あり得ない設定」に覆われた、どこにでもある現実の話なんじゃないか。

 

これは、度々言ってることだけど、ポップンマッシュルームチキン野郎さんはそれだけ面白い設定でお芝居を作るんだけど残酷なシーンはめちゃくちゃ怖いんです。
こわいっていうか。
とりあえず、私の中で今のところ「人を殺す」ことに長けてる劇団ナンバーワンなんですよ。
別に惨く殺さないし、血のりなんてのっけないんです(これは別にそうするのがダメってことじゃないし、血のりバンバン使うタイプの殺しのシーンで悲鳴を飲み込んだことも沢山あります)
ただ、「人が人を殺すこと」のその時の心情の動きとか……しかもそれは激情ですらなくて、「無い」こともある……をそのままにのっけるものだから。

 

 

ああ、なんか、良かったな。ブログで文字で起こして。たぶん、そこなんだろうな、一番あの劇団さんのお芝居が好きな理由。
あんなにぶっ飛んだ設定なのに、ずっと、生きてるんですよ。嘘ひとつなく。
それが毎回、居心地が良いって思うんだな。
たまにどっと観劇後疲れることも納得した。何人もの人の濃密な人生を2時間近く浴びてるんだもんな。

 

 

吹原さんの本が好きだ。
あなたの心を抉り取って抱き締めます、という言葉が私の心の中にずっとずっと残ってる。
確かに、抉られるのだ。
人間のどうしようもなさ、ずるさも、残酷さも描く。
人生というか、生きてることの虚しさだって、容赦なく描く。


少し話はズレるけど、吹原さんが、生き続けることが希望だ、と書かないことが好きなんですよ。
いつかこれもゆっくり考えたいんだけど吹原さんは時々「死ねないこと」について描く。
死んでしまう悲しさを描くことが一般的に多いなかで、むしろ真逆の死ねない苦しさ、を、テーマの一つに置いてるかのように、描き続けている気がする。私は、その物語の一つひとつに触れるたびに大きく息をしている。これについて掘り下げるのは、また別の機会にするけど。

 


ただ、同時に。そうして、死ねないこと、死を望むことを描けば描くほどに、「生きること」への優しい眼差しを見るから、私は泣き笑いしてしまう。

 

 

ポップンマッシュルームチキン野郎さんが好きだ。
あの劇団の人たちが心底楽しそうに、舞台の上で生きている姿が、時間が、大好きだ。
吹原さんの脚本が好きだ。
あなたの心を抉り取って抱き締めます、という言葉が私の心の中にずっとずっと残ってる。

ポップンマッシュルームチキン野郎」のお芝居に抱き締められているから、なんか、めちゃくちゃ心強いのだ。

 

 

https://twitter.com/pmcguys/status/1244842737922240512?s=21

過去のDVDも今たくさん販売されてるので良ければ!「うちの犬はサイコロを振るのをやめた」「R老人の終末の御予定」めちゃくちゃ面白いよ!というか、全部面白いよ!

 

https://youtu.be/97wfnC4a_Ng

 

短くずしっとくる素敵なお芝居もあるよ!

 

https://youtu.be/CzaAy1NQDc4

今回配信が始まったやつだとブログ内で書いてた曲も聴けます。というか、あれ、変わってないかもしれない?!自信がないぞ記憶に!

NAOTOさんのダンスが好きだ

直人さんのダンスが好きだ。
分割された画面の中でも、彼のダンスに惹かれた。あの瞬間が、そもそもの全部の始まりだった。

初めて観たのはHiGH&LOW THE LIVEだった。
ハイグラが流れる瞬間、なんせLDHアーティストがほぼ総出演だからこそパフォーマンスを映し出す時、画面が4分割になる。
特に、初めて観る場合、まだ顔を覚えていない彼らの圧倒的なパフォーマンスにただただ唖然とするしかない。
もう、めちゃくちゃ格好良いということしか分からない。
31日までだけど、できたらこれを見てほしい…!

 

https://youtu.be/CTqMEZxzRjU

 

 

ただもう記事の公開のタイミング的に間に合わないからなんなら買ってくれ……公開はさせないから……。

そもそも、オープニングでバイクが飛ぶなど、目まぐるしいほどの「エンタメ」が息をつかせない勢いでまさしく「浴びせられる」のだ。
もう本当に、頭がついていかない。

その中で、私の目を釘付けにしたのが直人さんのダンスだった。
この人のダンスがもっと見たいと思ったし、分割の切替のタイミングで「あああー!」と本気で思った。いやもちろん、みんなのダンスはそれぞれ大好きなんだけど、中でも、とりわけ、直人さんのダンスが好きだった。ジェシー役の人だ、と聞いてなるほど…!と思った。

最初に、EXILE、もっといえばLDHってすごいんじゃないか?と思った瞬間だった。
あくまで、ザラを見た時は「ハイロー」というコンテンツのファンでしかなかった私が、直人さんのダンスにもっと知りたい、と思った。


私は、ダンスがめちゃくちゃ下手だ。
必修のダンスの授業でダンスリーダーの友達に「つくは本当にダンスを観る時楽しそうなのと常に返事が大きい声なのがいいね」と言われるくらい、「踊れない」。
ダンスの練習の良かったとこ挙げる時に返事の声の大きさ褒められる自分もなかなかだな、と思うけど、音が取れないし身体の使い方がめちゃくちゃに下手なのだ。
だから、別にダンスについて詳しいわけではない。

詳しいわけではないけど、直人さんのダンスの「止め」の美しさにひたすらに心を惹かれていた。
アクションもそうだけど、私は「止める」瞬間がすきだ。自分の身体を完全に意識下において、かつ、それを実行することができるだけの筋力を感じるとひたすら拝みたくなる。
だってそれって、きっと、一朝一夕で身につくものじゃない。
しかも、それをなんでもないような顔をして、彼は踊るのだ。なんなら、めちゃくちゃ楽しそうな顔で。

NAOTOさんが、個人でやってるYouTubeチャンネルは色んな動画があるけど、
中に「ガチダンス」シリーズがある。
EXILEや三代目の楽曲を新たに振り付けを加えて踊ってるシリーズだ。これが、大好きなんだけど

 

 

いやもう
本当にもう
格好良いし楽しそうだし、本当に、観るたびに大好きだ!と思う。

そして、人生ほの字というエッセイや三代目での活動など、彼のダンス以外の活動に触れて、更にすきになっていく。
直人さんってめちゃくちゃ面白い人なんですよ。茶目っ気もあってそれでいてめちゃくちゃ「ビジネス」の瞬間もあって、でも、どっか昔、それこそ彼が口にした「ビルの前でひたすら練習していた頃」の気配を今でも色濃く感じさせてくれて。
一貫して、直人さんはダンスが大好きなんだ、と思う。その度に、私は彼が好きになる。

直人さんは「格好良くないこと」を知ってるんだと思う。だけど、格好良くないこと、を格好良いこと、には変えないひとだ。
格好良くないこと、を笑いには率先して変えていく。だけど、格好良い、にはしない。
感覚の話だけど。
格好悪い、をそのまま見せれる彼が好きだし、それを笑いに変えようとする直人さんは、でもやっぱり好きなんだよなあ。優しいと思う。

笑い、ってやっぱり強いと思うんですよ。
これはもう、小学生の頃から思ってるんだけど、面白い奴が一番すごい。
そして、人生ほの字を読んでると直人さんって本当に「面白いこと」をずっと考えてる人だなあって思う。
相手がどうやったら笑うかをめちゃくちゃ考えてるし、笑うとすごく嬉しそうなんですよね…。


その彼が、一番きらきらと格好良く、かつ、彼自身が「格好良いのだ」と胸を張ってような気がしてたまらないくらい嬉しくなる、それが私にとって直人さんのダンスを見てる瞬間なのだ。
ヒーローのダンスなんですよ…。
格好良いことも大好きな直人さんが、そして彼自身も「ヒーロー」が大好きだと思うんだけど、その「ヒーロー」になるダンスなんですよ…。
アウトプットがインプットを伴ってるというか、彼自身が好きな漫画とかの影を見るのもめちゃくちゃに楽しい。
直人さんはダンス中、よく不敵な表情を浮かべる。まあ見てろ、というような顔して、驚くような力強さや速度で踊り出したりする。
そうなんだよな、直人さんのダンス、止めの美しさで惹かれたけど、あと何より、表情が大好きなんだよな。

直人さんが踊ってる時、世界で一番格好良いと本気で思う。格好良くて、強い。
面白くて、格好良くて、自身の持つ表現力を信じて愛してる直人さんのダンスが、めちゃくちゃ好きだな。

ずっとずっと、楽しそうに踊っててほしい。
TikTokにあがってるドライブダンスの楽しそうな笑顔観るたび嬉しくなります)

Movin'onが最高すぎるんだ聞いてくれ

絶望するのが、簡単な毎日が流れてる。
こんな言い方するのもなんだかうんざりではあるんだけど、本当にがっかりしたり不安に足を取られやすい時間が過ぎている。
それでも、気合を入れて楽しく過ごしたあと思ってるだけど。

そんな中、配信が発売日に先駆けてスタートした三代目J SOUL BROTHERSの新曲は、そうして明るく楽しく過ごしたいと思う気持ちを後押ししてくれる気がして、最近ほぼ毎日聴いている。

https://www.youtube.com/playlist?list=RDRvjvVW3G-CM&feature=share&playnext=1

広大な土地を走り回る彼らを観るのだけでも、とんでもなく楽しいMV。
情報解禁時にも話題になった、最早彼らの持ち味のひとつとすら思える「パーン!」という軽快な曲の始まり。
アップテンポなメロディは聴いてるだけで、足取りを軽くしてくれる。

そして、私は、それ以上に歌詞が好きだ。


https://twitter.com/t_iwata_ex_3jsb/status/1241667689166147585?s=21

曲が公開された当初、岩田剛典さんがこう呟いていたのがとんでもなく、印象的だった。

今年は、2010年にデビューした彼らにとって「10年目の記念年」であり、そんな中、最初に発表されたのが、この曲である。
そこに踊る歌詞は、ストレートで「今の彼ら」の言葉なのかもしれない。


例えば、特に印象的なのは

「もうちょっと 遠くの
景色を一緒に見ないか?
流星が堕ちてった あの地平線まで」

だと思う。
これは、去年リリースされた『FIRE』でも『R.Y.U.S.E.I』に言及されていたことを思い起こさせる。
私、『FIRE』も、めちゃくちゃ好きで去年のツアーライブのRTFでも聴く度にドキドキしていた。

去年、確か、秋に行った時、おみさんが『R.Y.U.S.E.I』直前、「僕らの運命を変えた曲です!」と叫んで、始まったのを覚えてる。
ちょっとレポを探していないので、細かい表現・ニュアンスは違ったかもしれない。
だけど、ともかく、彼らにとってのあの曲の大きさを思い知った。特に、2017年末彼らに興味を持ち出したからこそ、余計に。

三代目J SOUL BROTHERSを一躍有名にして、大きく変えた曲。

2019年リリースの『Rat-ta-ta』ももちろん有名になってし、何より彼ら個々の活動はそれまで彼らのファン層とは違ったファンを連れてきた。
それらはすでに「あの流星が堕ちてった地平線」に続いている道なんだと思う。
そういう意味では、「もうわざわざ宣言しなくても」なのかもしれない。
だけど、同時に思う。多分、世間一般の中での「三代目」のイメージは、『R.Y.U.S.E.I』だろう。

別に、それが悪いって話ではなくて、そういう【名刺】みたいな曲を持ってるというただそれだけの事実だと私は思うんだけど。

なんか、でも、だからこそ、その上で「キング・オブ・Jポップ」を目指すという、彼らの今年が楽しみで仕方ない。
いやだって、もう、でしょうね!!と思うし、
まだ、ちゃんと彼らが目指したいもの全部を私は(何回も雑誌読み返してるけど雰囲気でしかわかってない気配が自分の中にある)理解できてないけど、
でも、たぶん、彼らが歩きたいと思える新しい道を楽しそうに歩いてるんだってことは、この曲とこのMVからビシバシ伝わってきてるので。


なんか、大きいグループだからこそ、いろんなことがあるだろう彼らが、
それぞれの方法やフィールドで彼らの言葉や思いを伝えてくれることが、最近なおさら実感できてて。
あと、本当に去年のモニタリングでカチッとスイッチがあって、たぶん、今、7人でやりたいことがたくさんあって、そのためにそれぞれソロでやりたいこともあって、
きっと、楽しい世界が彼らの目の前に広がってるんだろうなって私は本気で思ってるんですよ。
そんで、少なくとも、今私はそれを楽しみにしてるんです。

ねえ、そういうことですか。
みんな次第さ、って、もう、そういうことだって勝手に思ってて良いですか。
好きでいれる間、みんなのエンタメを全力で楽しんでいきたいよ。

なんか、本当に。
Who Are You?を聴いた時もそうだったけど、私は彼らが彼らの物語を描こうとするところが大好きだな。

そのままでいられないこんな世界で「ならばこの手で紡ごう」って宣言するの、格好良過ぎでしょ。

ああもうほんと、楽しみだな!!
だって、これからもっともっと、彼ら自身の手で紡ぐ新しい世界が見られるんだ。
そう思うと、なんか、色んなことにガッカリしてたまるかよって思っちゃうよな。
もちろん、心が折れそうになる時は絶対にあるから、そんな時はまた歩くためにこの曲を聴こう、そんなふうに思うのだ。

三獣士

感想を書くのに、ずいぶん時間が経ってしまった。
言葉になりそうにもなかった。楽しかったはずなのに。
トクナガ節が効いた物語を咀嚼中だったのもある、だけど、それだけじゃないような気がなんとなくするのだ。


エストさんの物語への安心感は言葉にしなくていいということにあるのかもしれない。
「何もない空間の男」の劇中、ダンスなどのパフォーマンスが多いお芝居についての台詞があったけど、クエストさんのお芝居はまさしくそんなお芝居だと思う。もちろん、練られた言葉遊びはいつ聴いてもどの作品でも心地良くて、それがあるからこそ、観終わって時間が経ってもふとした瞬間に気付くこともあるんだけど。
ただ、やっぱりそれ以上に「言葉の追いつかない事象」をダンスや殺陣でこれでもかと客席へと飛ばしてくる彼らのお芝居が大好きなのだ。


三獣士も、例に漏れずそんな作品だった。
何かを確かに感じたはずなのだけど、思ったはずなんだけど、それが言葉にならない。ただ瞼の奥に残った、綺麗な光景を度々思い出していた。
ただ、ある日、ふと思った。
三獣士は、しんどい世界の話なのかもしれない。どうしようもなく息苦しくて終わりが見えなくてなんとなくモヤモヤと不満が溜まっていくような、そんな世界の。

そう思ったのは、このここ最近のコロナ騒動についてつらつら考えていた時だった。
世蓮さん演じる、彼の真っ直ぐさがふと蘇ってああ好きだったな、と思うと同時に、ああ彼らもこんな風な気持ちだったのかもしれない、と思った。

と言いつつ、私はまだ三獣士を言語化できるだけの消化ができていない気がする。
だからブログも書けなかった。
ただ、なんだか、ほわほわと温かなカイロを一個ポケットに忍ばせてもらったような気がする。そんな感じだ。
それは、お守りに似てる。具体的に何をしてくれるわけでもない。だけど、じんわりと身体の内側を温めてくれる。その感覚が嬉しくて愛おしくて、言葉にならないなりに、書きたくて仕方なかったんだ。

例えば、お芝居はなんだってできると教えてくれるクエストさんが好きだということ。
エストさんの言葉が追いつかない演出や、あと言葉遊びをふんだんに取り入れた脚本が大好きなんだけど、
今回、三上さんの「王と王女」の演出みたいな、お芝居に頭がビリビリ痺れるような、あー好きだ!!って叫びたくなる、あの感じが大好きだ。
三上さん、今回、物凄く楽しみにしていた役者さんだったんですよ。そして、想像以上だった。
ふたりで、ひとりで、でもやっぱりふたりだった。あの叫び声が、まだ耳の奥に残ってる。

なんか今回、ストーリーとしてここが好き!ってこと以上に「この瞬間が好き」が多かった。
例えばさっき書いた三上さんの叫びもそうだし、後から書きたいと思ってる世蓮さんの長台詞もそうだ。
私はなんだかそれが、最高だ、と思う。
もちろん、物語として好きなことはハッピーだけど、生で観て、同じ空間に存在するというお芝居を観る中で、
焼き付くような、好きだと思える幸せだと思える時間があることはなんだか良いなあと思う。

その中でも、もちろん、物語としても魅力を感じていて。
全てを終わらせるという、精算の物語としてのことがまだ心の隅で引っかかってる。
ブルーアップルもそうだけど、「終わらせる」ことの、あの、感じ。
言葉が全然出てこない。だけど、なんだろう、あの物語の終幕に向かう時間、ダルタニアンと一緒に去っていく背中をただ見ることしかできない心地になって、めちゃくちゃ心臓が苦しかった。苦しいのに、どこか清々しさを味わされるから、ほんと、ずるい。

それから、ダルタニアンの話がしたいんです。
たぶん、私が今回三獣士を観て良かった、と思ったのは間違い無く、この世蓮さん演じるダルタニアンに出逢えたからだった。
可愛くて、格好良くて愛おしい人だった。
彼に惹かれていく三獣士も含めて、たまらなく、幸せというか、愛おしくて、好きだ。

舞台上で、愛される人だと思った。そしてたぶん、それは本当に柔らかくて優しいあたたかさで、愛してくれる人だからだと思うんですよ。

世蓮さんのお芝居、出逢えて良かったと思った。厳密にいうと、三獣士が初見ではないんだけど。ただ、こう、目が覚めるみたいに好きだ、と今回思ったので。
ダルタニアン、長台詞が本当に好きで。というか、思い返しながら花が綻ぶように笑うってああいう笑顔をいうんだろうな……綺麗で、可愛らしい方だな……。
決心次第!って高らかに叫ぶ姿が、大好きで、あと、立身出世!って真っ直ぐ信じてる道を進んでいく姿にめちゃくちゃ励まされたんですよ。

仕事でちょうど大きい変化を受け入れるかどうかすごく迷ってる時に観たから。
なんか、決心次第!って叫ぶ姿に目の前が晴れた気がした。し、ああ私、たぶんこの台詞を聴くために今日ここにきた、って心底思った。

変化を受け入れるの、いっこ、しんどい思いをしたいってのがあって、ここでちゃんと頑張って「カッケー」になりたかったので。
でもそれって本当に良いのか、とか出来んのか、とかビビってる私もいたけど、ダルタニアンの台詞を聞いて、背中押されて、なんか、それが物凄く嬉しかった。

なんか「ああ、今出逢うべき作品だったな」って心底思ったし、そう思えることが幸せだった。

そして、流れる歓喜の歌を聴きながら、「ここを選んで、きたんだ」と思っていた。
それを祝福してもらっているようで、2019年最後の観劇としては、上出来すぎるくらい、上出来で、最高の時間だった。

ザワを見て「領分」について考えた話

長く長く、ザワについて考えていたような気がする。
全くもって、勝手に、ではあるんだけど、私は初回まるでタイマンをするようにザワを観て打ちのめされ、それからもうだうだと考え込んでいた。もちろん、2回目観た時点で「エンタメ」としてかなり楽しみもしたのだけど、それでもどこか、小骨が引っ掛かったままというか、周りの熱気とは裏腹に、ザワに対してうだうだと考えてしまっていた。

なにをそんなに考えていたのかはまた書くものの、一番は観た直後、混乱のまま書いたブログを引用した方が早いだろう。


http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2019/10/10/012723

ザワの感想からちょっとズレるけど、なんで楓士雄が持ってる人だとそんなに苦しかったか、の個人的な感傷のブログ

http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2019/10/10/150746

読み直して、あまりの混乱っぷりとそれでもなんだか飲み込もうとしてる自分の姿に苦笑してしまうな。

それから、1月の終わり、大好きな塚口サンサン劇場で上映があると聞き、最初の時と同じメンバーで観に行った。個人的に、もっかいちゃんとケジメとして楽しみたいという気持ち含めて。

今日は、その時の感想の話だ。

なんというか、領分という言葉をずっと考えていた。
チハルがいつか口にした「ぶっちゃけ山王って何と戦ってるんすかね」という言葉をふと思い出していた。
ザワの彼らはそういう意味では戦ってる理由も、守りたいものも明確だ。(まあ、キドラとかレッドラムとか出てくる時点で全然子どもの領分、という範疇を越えてる気もするけど)

ただ、なんか、真っ直ぐな印象はずっとザワを観てる間中感じていた。

私、あの河原の喧嘩で村山さんの登場にキレる楓士雄くんの存在に、2回目めちゃくちゃハッとさせられたんですよ。
出てくんじゃねえよ、俺たちのケジメだろ、っていうあの怒りってめちゃくちゃ分かる気がして。

し、私は楓士雄くんの強さってそこなのかもしれないなあ、と思った。
いや、彼はノーボーダーの人だとも思うんですが(それは、作中はもちろん作ってる間もそうだった、と聞くにつけ、ああもうハイローくんってば、と好きな気持ちが募ってしまう)
だけど、同時に自分の出来る精一杯を、していて、背伸びをしないんですよ。

背伸びをしないっていうと、まるで悪いことのような表現になるけど、背伸びってめちゃくちゃ足元不安定になるじゃないですか。
彼は絶対それをしないんですよ。
目の前から目を逸らさない、等身大で全部ぶつかって、殴って、抱き締めていく。

例えば、新太くんへのカンパだってだから少額ではあるんだけど、でもあれは楓士雄くんの出せる精一杯なんだよな。それって、凄いことなんだよ。

ハイローってともすれば、自分の領分外のこともボロボロになりながら手を出してしまう人がたくさん出てくるというか、うーん、言葉がどうしても悪いな。

ただ、ふとそんな楓士雄くんを観ていて、私は兄貴……雨宮尊龍のことを思い出したんですよ。
どっちがいい悪いじゃなくて、
なし崩し的に大人の領分に押し出されてしまうことの悲しさについて考えてしまって、
だから尚更、楓士雄くんの強さが眩しくて愛おしいなあって3回目のザワを観ながら思っていた。
楓士雄くんに特化して書いてはいるけど、そしてこの強さってたぶん、ザワのみんながそれぞれに持ってるものなんですよね。

自分の領分を等身大で守る。それが、めちゃくちゃに格好良い。

し、これって村山さんの描写でも言われてることな気がする。
例えば、以前のような喧嘩、ではなくて地に足をつけた、夢の叶える道へ歩き出す。
それって、ものすごく格好良くて、最高のことなんだ。

そういうメッセージがあちこちにあった気がする。

それから、私がザワの1回目2回目で印象的だったのは学生のファンの人たちがたくさんいたことだった。それがもう、めちゃくちゃ素敵で。
だってその人たちに向けて彼らが発するメッセージが、等身大の格好良さ、だなんてあまりに格好良くて希望に溢れているというか。
なんか、そんなことをふと考えていや、かっけーな!と思ったし、全員主役、というキャッチフレーズを改めて考えた。

そして、ついつい第一世代、第二世代、と分けてしまうけれど、
きっと分ける必要もなく、彼らは彼らの世界でそれぞれにそれぞれの瞬間を生きてる。
間違えるとか間違えないなんて小さな話ではなくて、ただただ精一杯、その時間を。
なんか、色んな方法の提示でもあって、かつ別に第一世代が背伸びをしていたとか、だから悪いなんて話でもなくて。


なんか、だから好きなんだよな、と振り返りながら思ってる。

his

なんかずっと、幸せでいてほしいって思っていた。
それは迅くんに対してかもしれないし、空ちゃんに対してかもしれないし、渚くんや玲奈さんや、画面上にいる人々みんなに向けてな気もする。
気もするけど、本当はもっと別のだれかが浮かんでいたのかもしれなかった。


何ていえばいいんだろう。
私はこの書き出しを書いて、そのまましばらくぼんやりと考え込んでいた。
感想を書きたかった。見た直後の感情や景色や思いを忘れないための手がかりとして私はだいたい感想を書くので、この映画を大切だ、と思った瞬間、感想を書くことを決めていた。

ただ、何から書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、少しも分からないような気だってした。どう言ったら、伝わるんだろう。

 

当然ながら、「同性愛者の」という文言でこの映画は語られる。紛れもくhisにとって、「同性愛のパートナー」というのは一つの大きなテーマだ。
それはもう、間違いなくそうだしそこに何か異論を唱えるのもおかしな話なんだけど

なんだろうな。
なんか、この映画に対する言葉ではなくて、それこそ「一般的に」もしくは「日常の中で」
見目麗しい男同士なら見てて楽しい、とか同性愛の物語は美しくあるべき、とかそこに関わる人たちの心は美しい(儚い)とか、
あるいは、悲劇的であるべき、みたいなのを
聞くたびにうるせえうるせえうるせえ!って叫び出したくなる。

そうして「コンテンツ」的に消費されてもしくはなんか、例えば「勉強になった」「考えされられた」なんて話になったら、もう、めちゃくちゃにしんどい、と思っていた。
その人とその人の物語でしかないところにその瞬間「テーマになり得る」とされていくのがもんやりと心にのしかかっていた。
そこに向けられる感情が好意的であれ、悪意的であれ。

かといってこのことについて話す時「良い人であろうとしてしまう」可能性もなんか嫌で
でも人間、良い人でいようとするじゃないですか。


例えば、私には同性愛者(と、便宜上使うけど)の友人が何人かいるわけだけど
(これだって、言葉尻を捉えるようになってしまうけどもしかしたらそもそも「同じ性」なのか、は分からないもんな)
なんか、それに関してどう思った?と聞かれるとすごく困るというか、「だってあなたはあなたでしょ」と思う。それ以上も以下もなく。


ただ、もしそれが私が良い人であろうとしてのリアクションだったらやだなあと私は私に疑いの目を向けてしまう。今のところ、そのジャッジは本心に傾いてるけど。だって、どうしたってそれを特別視することも、当たり前のことだとわざわざ口にすることもなんか、尻の座りが悪いんですよ。
「彼氏がいる」と女性の友人から聞くように彼女がいる女性がいても……というか、なんか、性別というよりも「わたし」にとってはその人はその人であるということ以上も以下も発生し得ないんだよな。
だから上で書いたような同じ性なのか分からない、というのもそもそも私は相手をその人、としてしか認識できてなくて、
でも、「性差」は大切な一つのアイデンティティなわけで、とぐるぐる考え込んでしまう。


なんだか、話がズレてきた。
ともあれ、いつもならそういう意味で緊張しながら観に行く題材でもあるんだけど、大好きな今泉監督の作品だったのでわりとそういう意味ではただただ楽しみにして観に行けた。
どんな結論を出すにしても、私は今泉監督の目を通して描かれる世界が大好きなので。

そうして観終わって、ずっと考えてて、昼にカレーを食べながら書いてたぼんやりした感想にはこんな風に書いていた。

「LGBTQの話、というだけではなく、ただその人とその人の話じゃないのか。
「男だから」「女だから」好きになったんじゃなくて、ただ、その人だからその人と一緒にいると幸せだからって話じゃないのか」


食事のシーンが、丁寧に丁寧に描かれていく。
村での生活。人がいて、笑ったり怒ったりしながら、過ごしていく。
私は、そういう映画が大好きだ。


迅くんが読んでいた本のタイトルに、はっとして。彼はあの村で、何を待っていたんだろう。

心に残った台詞はたくさんあって「長生きしな」とか、「死ぬ前に残す為に年寄りはよく喋るんだよ」とか。
なんか、なんだろうな。

普通に生活することに救われることはあって、普通に生活するってのは、本当はとても難しいことで。
ご飯が美味しそうで、笑ってて楽しそうで、あれを私はずっと見ていたかったな。

 

ああそうか、うん、たぶんこれです。

私があの映画が大好きなのは、当たり前に生活が描かれていたからです。

当たり前なんだけど、それがとんでもなく愛おしくてかけがえないもので、そういうのが映像のあちこちにあって、そこに生きてるひとたちが大好きでした。

 

幸せでいて欲しい、って思うたびに、あー私はたぶん、幸せでいるってのがそこそこ難しいって思ってるんだなあって思うんだけど。

幸せっていう形のないものは、もしかしたら好きな人とご飯を食べるとか歯磨きするとか、そういうものだったりするのかもしれないし、

そうだってなんならわりと、確信をもって、思ってる。


裁判のシーン。
一度裁判まで持ち込んでしまえばどちらかが「勝つ」までやるしかなくなること。その上での、唯一の方法が、ああして和解を選ぶことだってこと。
なんか、最後、玲奈さんを追い詰めるシーン、素手で殴ってるような、そんな錯覚に陥った。
そんな錯覚の中、「弱いのは自分たちだって思ってた」って言葉を思い出してて

なんか、言葉を選ばずにいうと、私は少し不幸な方が、不幸というか弱い方が、幸せなこともあるのかもしれないとふと思って、
そうして「自分は弱いから/不幸だから」って線を引いてしまうこととか、あるよなあ、って。少なくとも、私はあるよ。

だから、ああして、止めた渚くんの気持ちは本当になんか、嬉しいというか、救われた気がした。なんか、殴らなくても、良いというか、ごめんなさいって言える日が来て、そんな人がいることは、優しいって思う。

 

ダメだな、少しもまとまらないな。


最後、強いぞー!って空ちゃんの台詞を聞いて私はめちゃくちゃ嬉しかったのです。
そうかあ、って思ったし、それがアドリブだということに、なんか、すげえな、世界ってすげえぞって感動していた。

好きだけではどうしようもない。

そうなんだけど、それでもああ幸せでいてほしい、笑っていて欲しいって願うことがどっか、明るくて優しいところに繋がればいいと思う。
それが、無謀な願いなんかじゃないと、空ちゃんのあの声と笑う三人の声を聞きながら、思っていた。

SPECIAL SHOWCASE / Who Are You?

まるで、名刺代わりのようなエンタメだった。
今まで歩いてきた道という意味ではもちろん、どんなものを作るのかを堂々と示すようなそれに、ただただ、圧倒されるような心地で見ていた。


PERFECT YEARの企画の一つであるSPECIAL SHOWCASE。
三代目のボーカルふたりがそれぞれの世界観で展開するソロ活動を一つのステージで作り上げるという企画だ。

登坂さんと今市さんは同じグループのツインボーカルではあるけど、ソロでの世界観や音楽のジャンルは異なる。
それを一度に楽しめるという構成は何とも贅沢だと思ったし、彼らが背中を追いかけてきたEXILEと同じステージを使ってパフォーマンスをするというのをなんとも「エモい」と言いたくなっちゃうじゃないか!と発表当時、バタバタと唸っていた。

実際に、生で見てみて思う。
三代目は観たことあってもソロはない人、登坂さんのファンだけど今市さんのソロパフォーマンスは見たことない人、今市さんのファンだけど登坂さんのパフォーマンスは見たことない人。
その全てに訴えかけるような「これが俺です!」と示すみたいだった。そこには彼らのソロが物凄い密度で濃縮されているようだった。その上、三代目は今年10周年を迎える。このふたりが揃って、更にパフォーマーと共に作るステージは物凄いに決まってる。そう、確信させられるような時間だった。


ふたりでの歌唱シーンを「あえて」なくしたという構成は唸ってしまう。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202002240000787.html

すぐにSEVEN/7の話をしてしまうんですが、
「やりたいことが見つからない」と言っていた彼らの2019年から続く、きっと「やりたいことを見つけた」姿がものすごく好きで。
それがきっとそれぞれ別々で探して歩いてきたからこその結論なのがすごくすごく素敵なことだと思うんですよ。

その中で、おみさんのファンとして今回ショーケースに臨んだ私は、おみさんのパフォーマンスについて書きたいと思う。

私にとって、Who Are You?という今回のツアーの軸となるアルバムは存在が大きい。
いや、もっとも前回のアルバムFULL MOONも私にとってはとても大切で大好きなアルバムなので、もうただただソロアーティストとしてのHIROOMI TOSAKAがものすごく好きだというだけの話かもしれないけど。

アルバムについては、以前ブログを書いた。

http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2020/01/22/151058

相変わらず、たぶんただただ好きだという理屈を捏ねているだけだし、
あと一緒に観に行った友人たちとも話していて見え方がそれぞれ全然違ったので、「わたしにはこう見えたよ!」って話としてお付き合いいただけるととてもうれしい。

 

「自分は誰なのか」ともう一度このタイミングで自身に問い掛けるおみさんが、ステージ上でどんな答えを出すのか。
それが私の目にはどう映るのか。
ただただ、ドキドキしていた。

最初の数曲、ほとんど息を飲むように見守っていた。
ある意味で、最初にWho Are You?がくること、そしてそのアンサーソングとも言えるようなNobody knowsがくることはある程度覚悟していた。
これは、アルバムでもわりとすぐにアンサーが出されるというのがある。

これは、完全に私の妄想だけど
Nobody knowsってなんというか、「答えは出たよ」という曲でかつ「でもそれは内緒(誰も知らないよ)」という曲に思えて仕方ないことがある。
私は、それがとんでもなく嬉しい。分からない、知らないというのがワクワクするというのもある。
ともあれ、なので「誰も知らない」結論が出た、と出した上で、答えの一つを提示するような演出というのは、ある意味で、とても腹落ちしていたし、その時点で私の楽しみは更に高まった。


おみさんの曲ってメッセージというかストーリーが強くて
MVもだから大好きなんだけど、まるで一つのお芝居を観るようだ、と思いながら過ごすことが多い。
だからこんなに、好きなんだとも思う。

ところで、今回ツアーのイメージカラーはビビッドピンクだ。
これについては、意味があるとおみさん自身がインスタの質問タイムでいつだか言っていた。
「ツアーを見たらなんでこの色かわかる」というコメントがあった。
それを始まる直前友人と話していて、なんでだろう?とふと改めて考え、ずっと2回目はそれを考えながら見ていた。
そんな中、客席の演出ライトが青になり赤になり、それから紫、ピンクと変わった時これか!と思った。

青は初めにソロとして出したアルバムの色で、赤は物議すら醸した「俺は俺」の色だ。
それが混ざり合ってピンクになる。
それは混ざり合った、とも思うし重なった、とも思うし別の何かになった、だとも思う。

なんか、その辺りからぞわぞわと鳩尾の辺りが騒がしかった。
内緒だと隠された彼自身の色と、既に今まで色んなものを見せてくれた彼のエンターティメントの色が溶け合って新しい色になる。

そこからの恋愛曲とLUXE、BLUE SAPPHIREの流れは、本当に……本当に……。
恋愛曲のNL→ODの流れは分かる気もするのだ。ただ、そこにWLが入り「混ざり合った」気がした。
WLは個人的にDSと同じくおみさんのソロ活動のスタートだったという印象がある。これは、LUXEリリースくらいで好きになった人間の感覚だから、実際には違うのかもしれない。
ともあれ、WLがソロアーティストとしての「登坂広臣」を打ち出したように思える私にとって、ここ最近の楽曲と、ソロとしての歩みを繋ぐようにも思えた。
それと交互にLUXEという「俺は俺」という曲を打ち出してくる構成……。いやもう、こんなん、強い。青と赤が混ざって、というのはある意味で「個」と「エンタメ」の登坂広臣がそれぞれ混ざって境界がなくなるような気がして、それから「BLUE SAPPHIRE」がやってくるのが……。

BLUE SAPPHIREはタイアップだったこともあり、三代目のもともとのターゲット以外にもファンを増やした曲だ(Mステ出演時の普段のファン以外の方の楽しそうなツイート観るのめちゃくちゃ嬉しかった)
その曲がこのタイミングで高らかに歌われることで、ソロとしての強さに震えてしまった。し、演出もめちゃくちゃ格好良いし、大好きなんですよね……ふるむんからの連続としても単独としても楽しませてくれる、そういうところ大好きだ。


そして、ゴリゴリのエンタメ構成の直後やってくるしっとりと聴かせるOne Way Love、With youの流れは…!!
私はおみさんの恋愛が軸にある人間性というのにものすごく興味があるんだけど、
本当に感情の響かせ方が魅力的すぎた……それこそBARとかでしっとり聴かせたら謎の歌い手として事件が起こるレベル(?)
恋の切なさを歌い上げるときの本当に苦しそうな表情を見ていると表現者登坂広臣の雄弁さ、魅力に心がぶるぶるなる。
いや本当におみさんまたお芝居やって欲しいなあ……表情の中に込められた感情の豊かさが大好きです。やっぱり。

そして、そんな万華鏡のように様々な表情を見せてくれた中でのアンコール。
CHIN BREAKER、HEART of GOLDと見慣れた……これは一つには私が好きになったきっかけに大きく関わる二つの曲だからっていうのも絶対にあると思う……いつものおみさんの格好良さときらきらをこれでもかと味わいながら、あーーー好きだなあとおもっていた。
「誰かの笑顔にどれだけ救われたことがあるだろう
俺もそんな存在になりたいのさ」
ってもう……もう……そんな存在だよ……。

何回聴いてもHEART of GOLDが大好きです。
前にしか進まない、どうしたって、と歌いながら、なんだろう、手を引かれてるみたいな気持ちになるというか、生きよう、って素直に思ってしまう。
し、黄金のライトがきらきらひかる中で歌うおみさんが綺麗で綺麗で、そして幸せそうで……。いやもう、未来、どんだけだって良くしていってやらぁ、みたいなこと、思っちゃうじゃないか。


おみさんのSHOWCASEに関してのインタビューで、いつか「ソロ活動の時はここから10年の活動の布石のつもりで考えてる」と言っていたことが印象に残っている。
そう思うと、この「名刺」は彼のエンタメの「これから」へ向けた堂々とした宣言のようにも思えた。
それは、FULL MOONの時に感じた「登坂広臣という生身の人間」への印象はどちらかというと薄れて、「エンターティナーの登坂広臣」を感じさせた。

だけどたぶんこれも「ピンク」の一部でしかない。
赤も青も混ざって、どこからどこまでが作られたものでどこからが彼自身なのか。
そんなことをつい考えてしまうけど、たぶん答えは「だれも知らない」のだ。
だからきっと、こんなにも惹かれるんだと思う。どうしようもなく、魅力的なものが詰まってる彼をもっともっと知りたいと思ってしまうから。