えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

his

なんかずっと、幸せでいてほしいって思っていた。
それは迅くんに対してかもしれないし、空ちゃんに対してかもしれないし、渚くんや玲奈さんや、画面上にいる人々みんなに向けてな気もする。
気もするけど、本当はもっと別のだれかが浮かんでいたのかもしれなかった。


何ていえばいいんだろう。
私はこの書き出しを書いて、そのまましばらくぼんやりと考え込んでいた。
感想を書きたかった。見た直後の感情や景色や思いを忘れないための手がかりとして私はだいたい感想を書くので、この映画を大切だ、と思った瞬間、感想を書くことを決めていた。

ただ、何から書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、少しも分からないような気だってした。どう言ったら、伝わるんだろう。

 

当然ながら、「同性愛者の」という文言でこの映画は語られる。紛れもくhisにとって、「同性愛のパートナー」というのは一つの大きなテーマだ。
それはもう、間違いなくそうだしそこに何か異論を唱えるのもおかしな話なんだけど

なんだろうな。
なんか、この映画に対する言葉ではなくて、それこそ「一般的に」もしくは「日常の中で」
見目麗しい男同士なら見てて楽しい、とか同性愛の物語は美しくあるべき、とかそこに関わる人たちの心は美しい(儚い)とか、
あるいは、悲劇的であるべき、みたいなのを
聞くたびにうるせえうるせえうるせえ!って叫び出したくなる。

そうして「コンテンツ」的に消費されてもしくはなんか、例えば「勉強になった」「考えされられた」なんて話になったら、もう、めちゃくちゃにしんどい、と思っていた。
その人とその人の物語でしかないところにその瞬間「テーマになり得る」とされていくのがもんやりと心にのしかかっていた。
そこに向けられる感情が好意的であれ、悪意的であれ。

かといってこのことについて話す時「良い人であろうとしてしまう」可能性もなんか嫌で
でも人間、良い人でいようとするじゃないですか。


例えば、私には同性愛者(と、便宜上使うけど)の友人が何人かいるわけだけど
(これだって、言葉尻を捉えるようになってしまうけどもしかしたらそもそも「同じ性」なのか、は分からないもんな)
なんか、それに関してどう思った?と聞かれるとすごく困るというか、「だってあなたはあなたでしょ」と思う。それ以上も以下もなく。


ただ、もしそれが私が良い人であろうとしてのリアクションだったらやだなあと私は私に疑いの目を向けてしまう。今のところ、そのジャッジは本心に傾いてるけど。だって、どうしたってそれを特別視することも、当たり前のことだとわざわざ口にすることもなんか、尻の座りが悪いんですよ。
「彼氏がいる」と女性の友人から聞くように彼女がいる女性がいても……というか、なんか、性別というよりも「わたし」にとってはその人はその人であるということ以上も以下も発生し得ないんだよな。
だから上で書いたような同じ性なのか分からない、というのもそもそも私は相手をその人、としてしか認識できてなくて、
でも、「性差」は大切な一つのアイデンティティなわけで、とぐるぐる考え込んでしまう。


なんだか、話がズレてきた。
ともあれ、いつもならそういう意味で緊張しながら観に行く題材でもあるんだけど、大好きな今泉監督の作品だったのでわりとそういう意味ではただただ楽しみにして観に行けた。
どんな結論を出すにしても、私は今泉監督の目を通して描かれる世界が大好きなので。

そうして観終わって、ずっと考えてて、昼にカレーを食べながら書いてたぼんやりした感想にはこんな風に書いていた。

「LGBTQの話、というだけではなく、ただその人とその人の話じゃないのか。
「男だから」「女だから」好きになったんじゃなくて、ただ、その人だからその人と一緒にいると幸せだからって話じゃないのか」


食事のシーンが、丁寧に丁寧に描かれていく。
村での生活。人がいて、笑ったり怒ったりしながら、過ごしていく。
私は、そういう映画が大好きだ。


迅くんが読んでいた本のタイトルに、はっとして。彼はあの村で、何を待っていたんだろう。

心に残った台詞はたくさんあって「長生きしな」とか、「死ぬ前に残す為に年寄りはよく喋るんだよ」とか。
なんか、なんだろうな。

普通に生活することに救われることはあって、普通に生活するってのは、本当はとても難しいことで。
ご飯が美味しそうで、笑ってて楽しそうで、あれを私はずっと見ていたかったな。

 

ああそうか、うん、たぶんこれです。

私があの映画が大好きなのは、当たり前に生活が描かれていたからです。

当たり前なんだけど、それがとんでもなく愛おしくてかけがえないもので、そういうのが映像のあちこちにあって、そこに生きてるひとたちが大好きでした。

 

幸せでいて欲しい、って思うたびに、あー私はたぶん、幸せでいるってのがそこそこ難しいって思ってるんだなあって思うんだけど。

幸せっていう形のないものは、もしかしたら好きな人とご飯を食べるとか歯磨きするとか、そういうものだったりするのかもしれないし、

そうだってなんならわりと、確信をもって、思ってる。


裁判のシーン。
一度裁判まで持ち込んでしまえばどちらかが「勝つ」までやるしかなくなること。その上での、唯一の方法が、ああして和解を選ぶことだってこと。
なんか、最後、玲奈さんを追い詰めるシーン、素手で殴ってるような、そんな錯覚に陥った。
そんな錯覚の中、「弱いのは自分たちだって思ってた」って言葉を思い出してて

なんか、言葉を選ばずにいうと、私は少し不幸な方が、不幸というか弱い方が、幸せなこともあるのかもしれないとふと思って、
そうして「自分は弱いから/不幸だから」って線を引いてしまうこととか、あるよなあ、って。少なくとも、私はあるよ。

だから、ああして、止めた渚くんの気持ちは本当になんか、嬉しいというか、救われた気がした。なんか、殴らなくても、良いというか、ごめんなさいって言える日が来て、そんな人がいることは、優しいって思う。

 

ダメだな、少しもまとまらないな。


最後、強いぞー!って空ちゃんの台詞を聞いて私はめちゃくちゃ嬉しかったのです。
そうかあ、って思ったし、それがアドリブだということに、なんか、すげえな、世界ってすげえぞって感動していた。

好きだけではどうしようもない。

そうなんだけど、それでもああ幸せでいてほしい、笑っていて欲しいって願うことがどっか、明るくて優しいところに繋がればいいと思う。
それが、無謀な願いなんかじゃないと、空ちゃんのあの声と笑う三人の声を聞きながら、思っていた。