えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

9日間のこと、メル・リルルの花火の話

この9日間の話をしたい。
大切な物語りをした、たくさんの人と過ごした時間の話を眠ってしまって今日が昨日になる前にしたい。


そう思ってさっきから携帯と睨めっこをしている。うまく言葉が見つからないようにも、あふれてきて止まらなくなりそうな気持ちにもなっている。

 


おぼんろ第18回本公演「メル・リルルの花火」
その時間が今も目の前、チカチカと輝いていてなんだか頭がぼーとしている。

 

 

毎日、元々の上演スケジュール通りに物語りをする。
そんな、今のこの状況を思えば途方もないことを彼らおぼんろはやってのけた。
どんどん物語は進み、のめり込んでいく。


元々、1本だったであろう物語を「次はどうなるんだ?!」という次の約束を更にとっておきのものにする為に、敢えて「細切れ」(という表現をあえてする)にした。

 

 

おぼんろさんの物語はいつも、強烈に感情を引っ張られる。

私は今も、ホシガリがアゲタガリから受け取ったその時のこみ上げるような愛おしさを覚えてる。
ネズミを許す、という姿に頭の中が真っ白になるような苦しい心地になったことを覚えている。

 

おぼんろさんには客席がない。私たちは参加者としてその場に存在する。
だからこそ、感情も、同じように引き摺られる。キャガプシーの時は、再演では正直上演後、本当に悲しくて愛おしいんだけど、それ以上に苦しくて本当に一言も口をきけなくなっていた。

それが、私のおぼんろさんの物語が好きな大きな理由の一つだ。

 

物語のカタルシス

 


時に痛みを伴いすらするその感覚が大好きだ。し、おぼんろさんはそのイメージからふわふわとしたファンタジーの先入観があったけど、
むしろ、ファンタジーであっても容赦のない現実と人の醜さ愛おしさを表現しきる天才だ、と私はずっと思ってる。おぼんろさんが紡ぐ物語の容赦のない残酷さは希望の裏返しだ。
とんでもなく悲しくもなるけど、走り抜けたようなカタルシスのあと、いつだって心が充電されるのだ。

 

そういう意味では今回の細切れって、リスキーといえばリスキーで。
とは言いつつ、毎回後半は泣きながら参加していたんだけども。なんなら、声を上げて泣いてたんだけども。嗚咽を堪えることすらできずに…ある意味これは、劇場じゃないから尚更に没入していた気もする、一人きりだったからこそ……物語りを追っていた。

 

だけど、例えばパートが切り替われば、登り詰め切ることなく、終わる。
それはある意味で、いつものカタルシスとは少し違う。なんだか小さな違和感にすら感じていた。

 

でも、ある時ふと思った。
その登り詰める直前の「どうなるの?!」が次の約束をとっておきにする。
ソワレや次の日の物語までの時間を特別に変える。どうなってしまうんだろう、とか早く聴きたいな、というワクワクはメイキングで末原さんが言ってたように、どんぴしゃで今私たちが心の底からほしいものだった。

 

 


少し、メル・リルルの花火それ自体の話をしたい。


少しずつ物語が明かされていく中で、6人みんなが、大好きになった。
中でも、チルとメブキが本当に好きだった。チルとヒタカクシのあの緊迫したシーン……苦しいけど好きだったな……「1匹2匹って呼ぶな」というチルが……。
チル、本当に激情が、物凄くてだけどずっとしっかり聞き取れて、なんか、もう、本当に好きだった。
し、私はメブキのチルへの言葉ひとつひとつが大好きで、もうなんか、あの姉妹はずっとずっと幸せでいて欲しいな。いやもう、みんな幸せでいて欲しいよ。

 

中でも、一等好きなのはさ、やっぱりさ、歌を繋いだ瞬間で。


私はあの時、いつかのインタビューで末原さんが言っていた「物語が語り継がれること」を今更ながら理解したような気がした。

どんな断絶も、差も、きっとそうして「同じものを語り継ぐことで埋められる」そう思った。物語や歌にはそういう力があるんだ、と肌で感じた。

 

ああそうか、おんなじものを愛してるってとんでもなく幸せじゃないか。

 

 

見えてるものも体験してるものも違うかもしれない、主義主張も違うことだってあるだろう、それでも、同じ音楽を愛することができる。
それはぴったり重ね合うことよりも、ずいぶんと奇跡的で幸せに思えた。

 

 

 

ところで、メル・リルルの花火は物語と現実の境目がどんどん分からなくなる話だった。

 

語り部パートでは「物語が自分たちの世界に迷い込んできた」と語られ、
ハナザカリが祭りがしたいと泣きじゃくる姿に、自分たちを重ねたり
そもそも、マッキナに打ち込むコードが「CO67」なことなど至るところに現実や今私たちが置かれている状況を思わせるキーワードが散りばめられていた。

 

 

だからか、劇中の台詞が、まるで自分に言われているような気持ちになった。

「死んだときのこと考えて地獄みたいな生き方しちゃいけなかったんだ」が、ダイレクトに刺さり、

「自分と自分の大切な人たちの幸せだけは人に任せちゃいけないんだ」
そう語ったヒトマカセが言ったお先真っ暗なのと幸せなことは別だ、という言葉の意味をずっとずっと、考えてる。

そうであってほしいと思うから。

 

たぶんまだ、こんな毎日は続くだろう。その中で、なんなら泣けない日々だってあると思う。それでも、幸せにはなれるという。幸せにはできるという。
私はそれを夢見がちだと笑うことができない。
だって確かに、私はこの9日間、幸せだったから。

 

 


メル・リルルの花火と、それにまつわるペズロウの幽霊やここにくるまでの彼らの物語。
それは、私たちのよく知る演劇とよく似ていて、それでいて少し違う。
だけど、最後のメッセージであったとおり、なんだか私もそんなのはどうでも良いような気がしている。結局、2000字近く書こうが、この気持ちを表すぴったりな言葉は見つかってこなかった。

 

ただ、きっとずっと、私はこの9日間を忘れない。そのことを、とんでもない幸せだと思う。

約束を重ねる時間だった。

その記憶は、宝物になる。それこそが、物語の強さなんだろう。

 

 

今私たちは場という体験を失っている。そんな私たちに、彼らは約束をくれた。たくさんの約束と、それにまつわる御守りのような記憶をくれた。それから、これからの約束を。

そのことが本当に心の底から嬉しい。ありがとうございました。幸せです。