えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

川を眺めていたオタクが、エンタメに心を預けて生きるようになるまでの話

ザワでぶん殴られて、なんか、諸々考え込みながら、いっそ棚卸しでもやるか、と思った。
最近、棚卸しなブログをよく読んだというのもあるけど
元々このブログは主にお芝居を観た時、自分が何を考えたのか思ったのか感じたかを記録するようでしているので、なら、ザワをきっかけに棚卸ししたい、と思ったならやってみようと思う。

多くの人が言う通り、ザワは普通にはちゃめちゃにアクションが最高で、大人も子どもも格好良いエンタメ作品であり、
この刺さり方はたぶんおかしいので(笑)ザワの感想的要素は少ない。

 

私は、新卒で入社した会社で身体をぶっ壊した。今時珍しくもない話だ。
最初におかしくなった、と諦めたのは本屋でだった。足どころか、指一本動かせなくなった。
ただ、私は昔から頭の使い方が下手で思考回路がフル回転すると立ち止まって動けなくなる(物理)があったので、そんなに動揺しなかった。そういう時は落ち着いて、違うことを考えながら空でも見上げればなんとかなる。
ただ、その時は店内だったのでそうもいかず、どころか人の気配と密室感に立ちくらみを起こしていたので、ああこれはまずいことになったなあ、と思った。
その後、友人と約束していたので現状を報告して、合流できたのは予定より一時間以上過ぎてからだった。
なんで追い込まれたか、なんて仕事のノルマで怒鳴られ続けて毎日終電、休みもほぼ無し、みたいな生活続けてれば当たり前っすよねえってへらへらしてたことぼんやり覚えてる。それからめちゃくちゃ怒られて、辞めろ、と言われたのも。その頃、趣味で忙しくてたまの休みの日もなんとか朝から晩まで動き続けてたのもまずかった。
だけど、思考回路を他で埋める、くらいしかあの時の私の地獄から逃げる手段はなかったのだ。

それから繁忙期に入り、なんとか転職したいなあと更に予定を詰めて動き続けてどうにかこうにか生活していた。
お芝居があったので、ギリギリなんとかなると思っていた。
深夜バスで東京に行き、日常を離れていれば笑うことも泣くこともなんら変わりなく出来ていた。だから、平気だと思っていた。なんだかんだ、丈夫にできてる、と感心していた。

そんな中、それはある日突然やってきた。

朝起きてから、足の動きが悪くて、その日は営業会議が予定されていた。ブロックで集まって、成績の確認と原因究明をする。その時、ほぼほぼ、予算の達成は難しいこと、そしてエリアが予算未達なのも「あいつが足を引っ張るから」と発表されることは決まっていた。


人ごとみたいに、動かない足に分かるよー、と声をかけた。分かるよ、行きたくないよな、動きたくもないよな、でも頑張ろうな。そうだ、帰って観るDVDは何が良い?
それでも、部屋の廊下へ続く敷居が跨げなかった。困った、トイレ行けねえじゃん。
仕方ない、ととりあえず着替えることにして、ワイシャツに腕を通そうとする。できない。あ、やべえ、と気付いたころ、じわじわ息苦しくなる。
昼からの会議に合わせて早起きはしていたけど、時間が間に合わなくなる。その時、ツイッターでネタにさえすれば何とか動いてくれないか、と現状を書き込んだ。ウケる、こんな、まんまブラック企業で働く社畜みたいなこと、あるんだな。息はできないし足も腕も動かないし困ったなあとぼんやりしていたら、休め、と友人たちに説得されて、会社に泣く泣く電話した。


「ワイシャツ着れへんのやったら、Tシャツ着てくるか?そういうわけにもいかんか」


いくかよばーーーーか!!!!!
ってギリギリの理性で怒鳴らなかったの、めちゃくちゃえらいと思う。何とか、いかないですねえ、と答えて、それから数時間、気絶していた。していた、と気付いたのはたまたまその日仕事が休みだった友人が連絡の取れない私に鬼電をかけてくれたからだった。

それから、病院に行き、案の定適応障害と軽度の鬱の診断をもらった。その間も、会社からは休んだことへの叱責の電話がかかってきた。
付き添いの友人を見つつ、いやこれ、この子いなかったらさっさと道路飛び出してたなあタイミングだなあと思いながら、作ってもらったご飯を食べて、なんとか好きなお芝居をかけながら電気を消すことで眠った。

それからも、仕事には行った。胃潰瘍になった。ご飯は食べられないけどノルマはあるので、アイスコーヒーに死ぬほどガムシロップを飲んだ。お客さんに、頼むから休んで、と頼まれた。仕事に出ると、友人や同期が電話を、かけてくれた。帰りの電車、ちゃんと乗り込んだと分かるまで同期は何度か電話を繋ぎっぱなしにした。死ねないもんだなあ、とぼんやり思いつつ、有難いなあと思っていた。
会社に、休ませてくれ、と言っていたけど、奇跡的に数字が伸びてしまって、だから大丈夫だと言われた。甘えてる、と叱責されたかと思えば期待してるからだ、好きだからだ、と言われてこれ、気を狂わせる実験とかでよく聞くやつだ、といっそ面白かった。

相変わらず、お芝居でバランスを取っていた。その頃には家にはたくさんDVDがあったから泣くべき、笑うべきに合わせてDVDを見ていた。こんな素敵なものがあるから、世の中捨てたもんじゃない、ほんとは、そんなこと信じられなくなってきていたけど、意地のように念じて、好きなものの話をツイッターでしていた。

あれはたぶん、意地だった。

そんなある時、淳さんのお芝居の話をしていた。
聴き心地のいい台詞回しも、目を張るようなアクションやダンスも、そして何より細部まで意識の配られたお芝居も見ていて、すごくすごく美しいと思ってて、

その頃、それを魔法みたいだ、と思った。

きっと、どんなことでもこの人が言えば、舞台上どは本当になるんだろうな、と思った。
そんなことを呟いていた。私は、淳さんがもし実は魔法使いなんです、ってある日公表しても驚かない、やっぱり!っていうと思う。

そんな時、リプライをいただいた。魔法使えますよ。その一言を見て、めちゃくちゃ泣いた。
泣いたし、お礼を言った。なんだか、それはギリギリ信じようとしてることの背中を押してもらえたような気がした。

演劇が魔法なんですよ、と付け加えられた言葉を心のそこから信じようと思ったのは「時をかける206号室」だった。
あんなに楽しそうに稽古をしていて、そして、あんなに美しくて幸せな舞台を、生で観たこと。
それを、生身の人が作ったこと。
仕事辞めよ、と決めた。たぶん続けたらいつか、身体をぶっ壊して死ぬんだろう。だとしたら、こんな芝居が観られなくなる。それは絶対やだ。さっさと辞めよう、私には観なきゃいけない景色がまだまだたくさんある。

たまたま飲みに行った友人がどんどんゲッソリしていく私を見て言ったことを思い出していた。つくが、もし、好きなものの為に死ぬなら私は良かったって言うよ、でも今の仕事のために死んでも葬式にだって行かないからね。

で、休みを捥ぎ取り(最初、退職は聞き届けられなかった、ひたすら説得して説得して、の生活が始まった)なんとか病気を治すことから始めた。病気を治すこと、仕事を辞めること、それがひとまずの目標だった。
ただ、わりとポジティブだった。鬱は治らねえとか知るかよ、決めてんじゃねーよ私はまだまだ芝居観るんだからな、と思っていた。
それで、とりあえず眠ることをなんとかしようと思って毎日毎日外に出た。背広をきた男性を見ると身が竦むことがあったから携帯に好きな芝居のワンシーンを録音した。それを聴きながら、三時間くらい歩いたり、時には自転車に乗ったりして梅田に向かった。電車には、乗れそうにもなかった。
それから、ひたすら、日向ぼっこをするといいと聞いたので好きな本を持って河原にずっといた。日暮れまで。川は普通に流れてるのになあ、とかこの人たちは普通に生活してるのになあ、と思いながら、なんとか、生きてるけどさっさと死ねたら良かったのになあ、とか考えてるから完治は遠いんだなあ、とか

そういうことをひたすら考えて考えて、お芝居にもがっかりしかけて、それもふたりカオスを観て乗り越えたりして

背広を着てるひとを見ても息切れしなくなった、夜眠れるようになった、体温調節ができるようになった、知らない人と話せるようになった、知り合いに連絡が取れるようになった

そういう、出来るようになった、をたくさん重ねて、お芝居を食べていなくても、ただ普通に楽しむこと、が出来るようになって、仕事も見つかった。そこでも色んなことがあったけど、感情を芝居に任せ切らなくても働けるようになった。

この頃くらいから、自分の思考回路の暴走との付き合い方を見つけた。
エンタメに振り切らせるのだ。
お芝居を見て感覚を研ぎ澄ます方に全部持っていく。質量保存の法則じゃないけど、そうして心を預ければ、足が止まってしまうこともなくなった。
そこで考えたり出逢ったりしたことが背骨を支えてくれるようになった。
「なんでそんなに感情移入してるの」と言われることが多いけど、たぶん、私は元々日常に満遍なく置いていた感情に関するエネルギーを全て、エンタメに振り切ってるからだと思う。
そうしたいと思った、思えるものに出会えた。


川を眺めて眠ることができるのを待つだけのオタクは心をエンタメに預けることでなんとかこんな毎日でも過ごす方法を見つけた。

依存じゃないと祈りたかった。だから、余計頑張ろうと思った。

任せてしまってる感情や心が重たいなら、その任せたことで得たエネルギーを何かに変換できればチャラにできないかと願った。
そんな頃、ハイローやLDHに出会った。搭載されるエネルギーはどんどん強大になっていって、出来ることは無限に増えるようにも思えた。

 


ザワを観て、楓士雄が持つ人、であることにものすごく苦しんだ。あれは「私がもたない人」だからこその劣等感だった。
彼に惹かれる人の気持ちは分かった。痛いくらいに。
でもだから、尚更苦しかった。


ハイローは、私にとって持たない人たちの話だった。
失くした人たちがもう一度見つける話だと思っていた。もしくは、持てなかった人が見つける話だと。


そんな私にとって楓士雄くんは異端児だった。
圧倒的に光の主人公であり、持っている人で、救う側の人だった。それが、持たない人間の僻みであるということは、重々分かっている。
彼の強さが初めからそうだ、ということでもないかもしれない。そこを決めることはできない。


あと、あの、弁解をすると私だってたぶん「持ってない」わけじゃない。
棚卸しなんてしなくても、私はいかに都度都度、人に支えられてきたか、わかってる。
助けてくれる友人達がたくさんいて、そもそも、だからここまで生きてる。
気を狂わせる実験であるやつ!と前職の上司たちの叱責と甘言の交互の詰めに耐えれていたのだってこの人たちがいくら私を大事だと言おうが、本当に大事にされること、がどういうことか知ってる私を壊したりはできねえんだよなあと思ったからこそだ。


それでも。
間違えたことや、失くしたことがいくらでもある。一度は本気で、世界が終わればいいと思いながらそれができないことくらい分かってるからだれかころしてくれって思いながら過ごしてしまったからこそ、ああして完全な光の強さを見るのが、辛かった。
間違えた人間が敵わないこと、をもう一度見せられた気がした。そんなことないんだって、分かってもいたけど。


人生は要約できねえんだよ、とは伊坂さんの作品中の言葉なんだけど、結局どこを切り取るかで、なんだって変わる。
最強と言われてる村山さんだって勝てない、と叫んだことがあった。
その人たちが生きてること、観て、聞いて、考えてること。
ハイローは、繰り返し、それでもその時々を精一杯生きることしかできないと言っていた。
そうすれば、ちょっとでもマシな未来がくることを信じるしかないんだ、と。

 

 

今の私の人生をここできりとったら、どんな形をしてるんだろうか。川を眺めるしかなかったあの頃より、ちょっとはマシになってるだろうか。
相変わらず、少しくらい扱い方を知ったところで、私の感情は役立たずのピンボールみたいに、こうして映画一本でぐちゃぐちゃに考え込んで暴走する。だけど、私はそうして預けることだって、悪くないって思ってる。
そのおかげで、知ったこともある。出逢えた人もいる。
なら、せめて胸張ってけ、と思う。焼き鳥ビルまでは建てられなくても、小さいお店出せるくらい、それくらい、かっけー大人に、なりたい。その為に私はこうしてぐちゃぐちゃに考え込むのだって、悪くないと思うのだ。たとえ、遠回りに見えても、これが私には似合いの歩き方だ。

 


川を眺めていたオタクは、今日もエンタメに心を預けて、面白おかしく生きている。