えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

三獣士

感想を書くのに、ずいぶん時間が経ってしまった。
言葉になりそうにもなかった。楽しかったはずなのに。
トクナガ節が効いた物語を咀嚼中だったのもある、だけど、それだけじゃないような気がなんとなくするのだ。


エストさんの物語への安心感は言葉にしなくていいということにあるのかもしれない。
「何もない空間の男」の劇中、ダンスなどのパフォーマンスが多いお芝居についての台詞があったけど、クエストさんのお芝居はまさしくそんなお芝居だと思う。もちろん、練られた言葉遊びはいつ聴いてもどの作品でも心地良くて、それがあるからこそ、観終わって時間が経ってもふとした瞬間に気付くこともあるんだけど。
ただ、やっぱりそれ以上に「言葉の追いつかない事象」をダンスや殺陣でこれでもかと客席へと飛ばしてくる彼らのお芝居が大好きなのだ。


三獣士も、例に漏れずそんな作品だった。
何かを確かに感じたはずなのだけど、思ったはずなんだけど、それが言葉にならない。ただ瞼の奥に残った、綺麗な光景を度々思い出していた。
ただ、ある日、ふと思った。
三獣士は、しんどい世界の話なのかもしれない。どうしようもなく息苦しくて終わりが見えなくてなんとなくモヤモヤと不満が溜まっていくような、そんな世界の。

そう思ったのは、このここ最近のコロナ騒動についてつらつら考えていた時だった。
世蓮さん演じる、彼の真っ直ぐさがふと蘇ってああ好きだったな、と思うと同時に、ああ彼らもこんな風な気持ちだったのかもしれない、と思った。

と言いつつ、私はまだ三獣士を言語化できるだけの消化ができていない気がする。
だからブログも書けなかった。
ただ、なんだか、ほわほわと温かなカイロを一個ポケットに忍ばせてもらったような気がする。そんな感じだ。
それは、お守りに似てる。具体的に何をしてくれるわけでもない。だけど、じんわりと身体の内側を温めてくれる。その感覚が嬉しくて愛おしくて、言葉にならないなりに、書きたくて仕方なかったんだ。

例えば、お芝居はなんだってできると教えてくれるクエストさんが好きだということ。
エストさんの言葉が追いつかない演出や、あと言葉遊びをふんだんに取り入れた脚本が大好きなんだけど、
今回、三上さんの「王と王女」の演出みたいな、お芝居に頭がビリビリ痺れるような、あー好きだ!!って叫びたくなる、あの感じが大好きだ。
三上さん、今回、物凄く楽しみにしていた役者さんだったんですよ。そして、想像以上だった。
ふたりで、ひとりで、でもやっぱりふたりだった。あの叫び声が、まだ耳の奥に残ってる。

なんか今回、ストーリーとしてここが好き!ってこと以上に「この瞬間が好き」が多かった。
例えばさっき書いた三上さんの叫びもそうだし、後から書きたいと思ってる世蓮さんの長台詞もそうだ。
私はなんだかそれが、最高だ、と思う。
もちろん、物語として好きなことはハッピーだけど、生で観て、同じ空間に存在するというお芝居を観る中で、
焼き付くような、好きだと思える幸せだと思える時間があることはなんだか良いなあと思う。

その中でも、もちろん、物語としても魅力を感じていて。
全てを終わらせるという、精算の物語としてのことがまだ心の隅で引っかかってる。
ブルーアップルもそうだけど、「終わらせる」ことの、あの、感じ。
言葉が全然出てこない。だけど、なんだろう、あの物語の終幕に向かう時間、ダルタニアンと一緒に去っていく背中をただ見ることしかできない心地になって、めちゃくちゃ心臓が苦しかった。苦しいのに、どこか清々しさを味わされるから、ほんと、ずるい。

それから、ダルタニアンの話がしたいんです。
たぶん、私が今回三獣士を観て良かった、と思ったのは間違い無く、この世蓮さん演じるダルタニアンに出逢えたからだった。
可愛くて、格好良くて愛おしい人だった。
彼に惹かれていく三獣士も含めて、たまらなく、幸せというか、愛おしくて、好きだ。

舞台上で、愛される人だと思った。そしてたぶん、それは本当に柔らかくて優しいあたたかさで、愛してくれる人だからだと思うんですよ。

世蓮さんのお芝居、出逢えて良かったと思った。厳密にいうと、三獣士が初見ではないんだけど。ただ、こう、目が覚めるみたいに好きだ、と今回思ったので。
ダルタニアン、長台詞が本当に好きで。というか、思い返しながら花が綻ぶように笑うってああいう笑顔をいうんだろうな……綺麗で、可愛らしい方だな……。
決心次第!って高らかに叫ぶ姿が、大好きで、あと、立身出世!って真っ直ぐ信じてる道を進んでいく姿にめちゃくちゃ励まされたんですよ。

仕事でちょうど大きい変化を受け入れるかどうかすごく迷ってる時に観たから。
なんか、決心次第!って叫ぶ姿に目の前が晴れた気がした。し、ああ私、たぶんこの台詞を聴くために今日ここにきた、って心底思った。

変化を受け入れるの、いっこ、しんどい思いをしたいってのがあって、ここでちゃんと頑張って「カッケー」になりたかったので。
でもそれって本当に良いのか、とか出来んのか、とかビビってる私もいたけど、ダルタニアンの台詞を聞いて、背中押されて、なんか、それが物凄く嬉しかった。

なんか「ああ、今出逢うべき作品だったな」って心底思ったし、そう思えることが幸せだった。

そして、流れる歓喜の歌を聴きながら、「ここを選んで、きたんだ」と思っていた。
それを祝福してもらっているようで、2019年最後の観劇としては、上出来すぎるくらい、上出来で、最高の時間だった。