えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

ガンバレるか人類

「がんばれ」そうずっと言われているようなドラマだった。
ゆりちゃんを好きだと言った花村さんの気持ちに、そしてそれが一筋の光になったとゆりちゃんに。あるいは、友達のためにと遊びに来てくれるやっさんに、少しでも良くなりますようにと祈る3人に。つらいという気持ちを共感し合うみくりさんと平匡さんのハグに。そして何より、みくりさんと亜江の笑顔に柔らかく微笑む平匡さんの笑顔に。
がんばれ、がんばれ。
そのエールは私にとっては押し付けがましいものではなく、ひとつひとつ、まだ残ってる「美しいもの」を数えるようだった。



「逃げ恥」の新春スペシャルは感想を書こうとすると二つに分けたくなるほど情報が多い。
前半の亜江ちゃんが生まれるまでの物語と、ドラマオリジナルのストーリーである「コロナ渦」の彼らを描いたストーリーと。

ただどちらも、ままならなさというかどうしようもないような「どうすんの?!」な困難が立ち向かってくる物語である。



ところで、逃げるは恥だが役に立つ、の元々のドラマシリーズを私は2020年になって観た。

MIU404を観て星野源さんにハマったことで漠然として苦手意識を持っていたドラマと向き合おうと思ったことがきっかけだった。
そして、実際観てみて驚いたことがある。
ちょうどMIU404の志摩が、自分の危険を顧みず行動しがちだったこともあり、平匡さんを見て、ものすごく「逞しさ」を感じたのだ。
そもそも、「逃げるは恥だが役に立つ」とは作中でも説明されるとおり、ハンガリーの言葉だ。
そしてそれは2016年放送されたドラマの中でも平匡さんによってその意味が説明される。

「後ろ向きの選択だって良いじゃないか
恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことの方が大切で、
その点においては異論も反論も認めない」


その生きようとする強さに、平匡さんすげえな、と視聴当時、驚いたことを今回のスペシャルドラマを観て思い出した。
平匡さんは決して生きることが器用な方ではない。むしろ間違いなく不器用に分類されるだろう。
そんな彼が生きるということについて逃げ出すわけでも投げ出すわけでもなく、むしろ「生きる」ために「逃げる」ことを選択するほどの前向きさを持って向き合っている。
私は平匡さんのそういうところがたまらなく好きだな、と思っていた。

そして、それは今回の新春スペシャルで描かれた2020年の彼……いや、平匡さんに限らず、どの登場人物たちもそんな雰囲気があったような気がする。

後半のコロナ渦の物語に限らず、出産・育児、あるいはゆりちゃんを中心に少し触れられた「人生を歩むこと」において、
どうしようもないような気すらしてしまう「詰み」を感じることは多い。
それは制度や曖昧な「世間」のような空気感が原因のものもあれば、そもそも生物としての(出産や病気など)リスクもある。
そして同時にそのほとんどが「どうにかしなきゃいけないもの」たちだ。




どうしても平匡さん中心の見方をしてしまったのでアレなんですが、
私はあの、出産間近の時の平匡さんとみくりさんが険悪になったシーン、大晦日の職場での平匡さんの
「ゴミを…ゴミを…ゴミを…ッ!」が
もうめちゃくちゃ辛かった。
感想を書くために見返してて2回目なのにばっちり泣くくらい辛かった。なんなら軽く声を上げて泣いた。



やらなきゃいけないのだ。
平気じゃなきゃいけないのだ。
そんなことはないって言説は世の中いくらだって溢れてるけど、とはいえゴミは出さないと無くならないし、子どもを産む肉体的負担を背負えるのは女性だけだし、仕事をしないと生活していけないし
「つらい」はどうしようもないことが多いのだ。

そんな気持ちになって、投げ出せもしない平匡さんにちょっと拳を握りながら泣いた。
だからこそ、みくりさんのハグの「つらい」の共感が、心の底から染み渡った。
ちょうど、リアタイした後にTwitterで思わずこのシーンが滲み過ぎて弱音を漏らしてしまったんどけど、
なんというか、どうしようもない解決策のないことでも辛いって言って、辛いよね辛かったね、ってこう、荷物を途中おいて休んでもいいのか、とあったかいお風呂に入っだような安心感が心を覆っていた。


その後、こうして感想を書くまで数日、またいろんなことを考えていたんだけど、とはいえ、同時に「でももう辛いとかしんどいって言うの飽きたよ」と思う私もいるのだ。
わりとブログにしろTwitterにしろちょこちよこそういうことは言葉にしてて、でもどうしようもないじゃん、と思うし、それを続けるのもなんかこう、しっくりこないというかどうしても落ち着かない気持ちになってくる。



ただ、もう、なんか正解はないのかもしれない。
ゴールテープはまた当分見えることは無さそうだ。
だとしたら無理に「辛いことは言っていこう」にも「ここは踏ん張っていこう」にも振り切らず、なんというか、もうそれこそ
「生き抜くことの方が大切で」
その時その時の戦略をとっていくしかないんじゃないか。



そしてたぶん、その戦略をとるために人は人と話して、あるいは好きなものや面白いことを観て諦め切ることのないよう、世界はまだ美しいと思えるように、過ごすしかないんじゃないか。
なんだか毎度の結論になってしまって恐縮だけども、そんなふうに思う。



それは、野木さんの作品を観るたびに思うことでもある。
今回の逃げ恥新春スペシャルでも、MIU404でも野木さんはコロナ渦の「今」と地続きの世界を描いた。
その良し悪しは好みの分かれるところでもあると思う。実際、今もなお、終わりが見えないなかで「現実」からエンタメを見ているときくらい離れたいという人は少なくないと思うし、その気持ちは痛いほど私の中にもある。
ただ、それでも、こうしてこのタイミングで描かれるなかで「必ず、必ず、…生きていればまた会える」という言葉がよすがになっているような気もするのだ。
今、生きていれば、と呟いてあるいは言い合って「生きてまた」と約束に約束を重ねて、なんとかやっていくこと。



それは、生き抜くための方法の一つなんじゃないか。


ガンバレ人類、とサブタイトルに銘打たれたこのドラマは、もちろん相変わらず笑えるシーンや愛おしいな可愛いな、と思うシーンもたくさんある。
そんなシーンのあたたかさと「生きていればまた会える」を繰り返し繰り返し、思い出す。
ガンバレるか、人類、頑張ってくれ、人類。
そうして越えたところにも悲しいことも辛いこともあるだろう。
根本的な遣る瀬なさは世情なんて関係なく、無くならずあるものなんだろう。
それでも、そう思えるような時間だったことを、まだぐるぐると確認するように思い出している。