えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ラジオごっこの話

ラジオをやった。Spaceで、やりたいやりたいと騒いでいたラジオをした。
やった理由はそのラジオでも話していたんだけど、あまりにも嬉しくて幸せだったので、それを忘れないために文に残す。



ラジオをやりたい、と思ったのはドラマ「お耳に合いましたら」の影響と星野源さんがたびたびラジオで「ラジオやったらいいよ」と話していたからだ。

それはつまり、好きを言葉にすることでなかったことになんかするもんか、という気持ちだったような気がするし、言語化されないものを「誰かに聴いてもらう」という力を借りて形にしようとしていたからかもしれない。



じゃあ「友達に聴いてもらう」でも良いじゃないか。実際、私は通話や対面で今まで何度も何度も、人に話を聞いてもらってきた。最近、私は「コミュニケーションが取れないと諦めること」に過剰なまでに傷付いてしまう自分に気付いた。そこまで傷付くな、と自分を何度も宥めるけど、どうしても、毎度、傷付く。そしてそれはたぶん、今まで私がどれくらい向き合って人と話してもらってきたかという幸運の話に他ならないんだと思う。
真っ直ぐに向き合って、お互いの温度感を確認しながら私は色んな人と言葉を重ねてきた。
そうならば、これからもそうした「好きを失くさないため」「人に話を聴いてもらうことで力を借りて何かを形にする」為の話を友達と電話なりをすればいい。



まあ、言ってしまえば、そうなんだけど。
でも、まだ感覚の部分でだけどはっきりと確信を持ってラジオごっこと対個人への会話は違うのだ、と気持ちが騒ぐ。
例えば

見慣れたアイコンが並んでいる瞬間の心強さ。Twitterでやっているので、フォロワーさんが遊びにきてくれることが多いんだけど、私はそのアイコンをひたすら、毎回、目に焼き付けようとしている。
おおよそ、人に甘やかされ支えられながら過ごしている。この人たちなら、頭ごなしの否定をしない、この人たちがいるなら、たぶん、なんだってできる。
重たいようなそんなことを、私は時々真剣に考え、重いなあ〜と苦笑する。
もちろん一期一会だし、いつかお別れすることだってあるだろう。たまたま今、その人の興味の先に自分がいることができているのか、あるいは生活の邪魔をしていないから存在できているのか、また別の何かなのかはわからない。だけど今この瞬間、のそれに感謝しない話はないと思うのだ。 



そして、一緒に喋ってくれる相手がいる心強さを改めて考えた。
一人喋りのハードルの高さをじゃあ、と一緒に飛び越えさせてくれた友人のソラちゃんはすごい。
元々、彼女とは「OLごっこ」と銘打ち、好きなものや最近のことをひたすら話す「好きの殴り合い」をする。
彼女が見ていない作品について語る私の話を真剣に聴くだけじゃなく、楽しそうに聞いてくれるそれは、最早、ノーベル賞的な何かをとってほしいレベルでの才能だ。だし、そうしてワクワク聴いてもらいたい、がきっと、とどまるところを知らず言葉が怒涛に出てきた理由の一つのような気がする。



驚くほど言葉がするすると出てきた。まるで、せっつかれるように後から後から出てくるので、結構本気でびっくりしていた。
そしてそれは「届いた」感覚と「届け」という願いがバチバチずっと、スパークしていたということなんだと思う。




去年一年間、ひとりきりで過ごしながらどうやったら幸せになれるかをずっと考えていた。唐突なお別れが襲ってくるこの時間の中でどんな顔で過ごすのが正解なのか、ずっとずっと考えていた。それは、なにも去年いきなり考え始めたことじゃない。いつも気を抜くと襲われる不安感ではあった。
だけど、普段の日常なら友達の前で笑ったり戯けたりしてる間に忘れていたし、
何より大好きなエンタメを思うがままに摂取できる生活であれば、そんな不安を吹き飛ばしてこれた。これが答えだと非日常が教えてくれた心臓の弾みを答えにできた。

でも、そういうもの一切から切り離されたとき、私はずっと考えていた。
それでも残ったものを数えもしたし、手の届かない、は永遠ではないと信じるようにもした。大好きなエンタメの創意工夫はこんな時も起こるのだ、と知った。そして、好きなものだって増えた。


ラジオは、そんな増えた好きなものの一つだ。
多くの大好きなラジオで語られたようにそこでなら「当たり前」として話せる自分なりのまっすぐな道。そんな話を聴くのが好きで、私も話したくなった。
気が付けば悪態を吐いてしまう人間だからこそ、こんなに好きなんだとこんなに素敵なものがあるのだと言葉を尽くす機会や場所を増やしていきたかった。


すごい時代だと思う。やろうと思ったら、資格なんてなくても、始められる。誰かにやっていいよ、と許可をもらう必要なんてないのだ。やりたいと思って、足を踏み出せばいい。そうした後は、続けられるように大切にするだけだ。大切にさせてもらえる、その幸せを忘れないように確認していけばいい。
更に言えば、色んな人と話もしてみたい。あの場だからこそ、話せる人がいる。そんな気がしている。


なんて、2000字近くも感傷的に書いてみはしたけれど、結局は好きなものの話をひたすらやる場です。聴いてくれた友人が言ってた「カフェの隣の席のお喋りを聴く感覚」を続けられたら良いと思う。
不定期で遊んでいる「ラジオごっこ」。
もしタイミングが合えば覗いていただけたら、そして何よりほんの少しでも楽しいを増やせたなら私はものすごく嬉しい。


次回は10月28日22時からそーさんというお友達と話します。
音楽が好きなそーさんとお芝居が好きな私がダンス筋と表情筋の話をしたり、そうしたところに表れるような気がする地層や年輪のようなものの愛おしさとか面白さの話をする予定です。