えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

韻ナーマッスルが欲しい

韻ナーマッスルが欲しかった。

 

去年、1年間ラッパーKBDさんが出した韻が書かれた日めくりカレンダーを毎日めくりながら韻を踏むチャレンジをしていた。
#365日韻踏みたいとハッシュタグをつけてチャレンジしていたが、途中で挫折した。

 

そもそも、韻のチャレンジをしたのには理由がある。
そのカレンダーを買ってワクワクしていたことが大前提だし、何よりKBDさんの韻のワークショップ寺子屋が楽しみだったこともある。

だが何よりも大きかったのは自分にリズム感が壊滅的になかったからだ。

 

リズム感がない。本当にない。手を決まったリズムで叩く、も苦手だし、よく音楽の話をする時に言う何拍、とかなんの話をしているかも分からない。
音楽に詳しい友人たちが多いので都度説明してもらうしその説明自体は分かりやすいんだけど、いかんせん自分の脳みそにリズム感の引き出しがないのだ。どうしようもない。

しかし、文を書くのが好きで少しでも文がうまくなりたいなあと思い続けている人間としては、リズムの良い文章には憧れがある。
また、友だちからサクッと韻で返しがきた時に「かっけー!」と思う人間としても、やっぱりさらっと韻を踏める人間になりたい。格好いいし、おしゃれだし。

 

日本語ラップを好きになって、韻の話を振られることがたまにあるけど沈黙やヘラヘラ笑ったり、苦し紛れに記憶の中にある好きなバースを語り倒すことはするんだけど、するからこそ、やっぱり、自分でだって、韻を踏みたいじゃないか。

 

そうして始めた「365日韻踏みたい」は秋頃に挫折した。
ただただ、自分の忙しさ苦しさに忙殺され、毎朝、カレンダーは見るんだけど一つも韻どころか言葉も浮かばなかった。それがよりしんどくて、いつからか私はカレンダーを見ることも韻を考えるのもやめた。
年の終わりになんとか巻き返せないかとまとめて呟いたりもしたが、積み重ねられなかったものを取り戻すのはそう簡単ではなく、またそもそも年末だって忙殺されるので、結局、完遂できないまま、2023年は終わってしまった。


今、このブログは3月が誕生月であるということにかこつけて、毎日更新している。
#わがまま日記とタグを付けて呟く。
そもそもはエンタメの感想を書くために作ったブログで毎日考えているぼんやりしたことを文にする。意外に毎日サクサク書けていて、おかげでもうすぐ折り返しだ。今回は、完遂できるかな。
何かを重ねられる人間に憧れがある。だって、それって、きっと振り返った時にすごく嬉しいはずだ。忘れていく生き物だし、何かが残っていたらそれだけでも嬉しい。

 


もし、31日ブログが書けたら、来年は365日書けたりするのかな。もしそうしたら今度こそ365日韻を踏むのもできるだろうか。
だってやっぱり、韻ナーマッスルが欲しいので。

草むら歩く

アイテムとって、とか、好感度を上げるイベントをここで起こして、とか。
ゲームが苦手なくせに「あ、もうやだ」と思うと脳内でゲーム化してしまう、この癖は一体どこからきたんだろう。恋愛シミュレーションのゲーム原作のアニメで好きな作品はあれど、実際にプレイしたことはない。だというのに時々「あーやだ」と思うと横に選択肢の画面と好感度メーターを出現させて考えたりする。そうすると「これはゲームだしな」ともっともらしい選択をすることへの嫌悪のようなものが和らぐ。
何を言ってるんだ、と言われそうだけど、そういうところがある。

 

 

 

仕事で「きついねえ」と同僚と言い合うことがある。肉体的にしんどい、は精々労働時間が長いこと以外に感じないというのはありがたいことだけど、その代わり、頭と心を思い切り使う。いやでも、この世に心を使わない仕事なんてあるんだろうか。あったとして「心を使えてない」なんて別の悩みが生まれて、結局「心を使いながら仕事をしている」な状態になるような気がしている。

 


ともあれ、きついねえと頷きあうことでなんとかなるか、を確認することがある。
以前、私たちの仕事が在宅に切り替えないのは一人だと思い詰めることもあるから、と上司は言っていた。それはいまだに「いや監理のしやすさでしょ?」と思ってはいるけど、でも実際、その側面もあるよなあとも思う。いやだーと一人の部屋に響くことの危うさは、確かにある。まあ、その辺も向き不向きがあって、一概には言えないと思うけど。

 


最近はそのきついねえ、を、言った後に「修行ですなあ」と言うことが増えた。きついを労い合うだけだとどうしても恨みつらみが募るから修行ですからなあと言う。

 


そういう時、私の脳内ではポケモンのゲーム画面が広がっている。ジム戦前、草むらでウロウロしていたあの頃。ただただバトルして経験値を積みレベルを上げることだけが目的だったからマスを埋めるみたいに歩いた。そこに面白さはなかったけどその後の展開のためにはどうしても必要な「修行」だった。そのウロウロとポケモンセンターへの往復を繰り返すと、いつの間にか歯が立たなかったジムリーダーが「え、ジムリーダー?ほんとに?」なんて拍子抜けするほど簡単に倒せたりする。

 

 

死ぬまでの暇つぶしなんて言い方があるが、そんなもの、全てじゃないか。
何かを好きだと思うことも、楽しいと思うことも苦しいことも、仕事も家族愛も友情も、恋情もドロドロした感情も。
人生は何もしないには長く、何かを成すには短い、という言葉を時々唱える。全く、本当にそうだな。

 

 

 

早々に天上へと住まいを移した好きな人が「時間がいくらあっても足りない」と楽しそうだったことを最近よく思い出す。時間を戻せたら、とはいえ、休んでくださいよ、と言うかもしれない。だけど、やっぱり、言わないかもしれない。
あの人だけ特別、草むらを歩いてなかった、なんてことはないだろう。だけど、きっと、なんとなく、その草むらを歩くことすら、あの人は楽しくやっていたんじゃないか。そんな気がする。妄想なのに確信に近いその感覚に「良いなあ」と思う。その良いなあは、羨む良いなあじゃない。じゃあ私だって負けじとやってやるぞ、のつもりの、良いなあ、だ。いつだって。

美しいひとへ

ステージが好きだ。
演劇、ダンス、HIPHOPにJ-POP。その他もろもろ、ともかく生身の人間がそこに立ち、作り上げるステージが好きだ。
特に熱をあげるジャンルはその時々で違っても結局私は「生身の人間」を感じられるステージが好きなのだと思う。

 

 

そのステージで「こんなに美しいひとがいるのだ」と呆然としたことがある。
しかも、近い距離で見たわけじゃない。なんならそこそこ遠い席で、それでも「本当にきれいだ」と見惚れたことがある。

 

 

 


推し文化が苦手だ。
「推しラジオが終わったから本を作ることにした」なんて本を書いたり、このブログでも時折「推しが、」と書きながら何を言うのかと自分でも思うが、ともあれ、いまだに本当は「推し文化」が苦手だ。それは批判したいというよりもむしろ自分と周囲の熱量を比べて引け目があるのだと思う。
こんなブログを書いていたりTwitterも基本的に「好きなものの話」をするために使ったりしていると自然とタイムラインは好きなものの話……今風に言えば、推しの話に埋め尽くされる。


それを見ていると純粋にすごいなあと思うのだ。言動への一喜一憂やその輝きを出来うる限り観たいと感じたいと思うこと。その一途さに私はただただ「すごいなあ」と思うことが多い。
いやつくさんも十分一喜一憂したりしてますよ、と言われてしまえば、本当にそうなんだけど。

 


昔ほどの劣等感はないけれど、それでもいまだに、私は昔言われた「あなたより私の方が好きなんだから」という言葉を気にしているのかもしれない。
そして、気にしているのは、実際、その自覚があるからなのだ。

 

 

 


それでも、この人が好きだ、と思う。
熱烈に愛される人のひとりでもある、登坂広臣さんだ。私はこの人のことを「好きだと言いたい」と泣きそうな気持ちで思った日のことを覚えている。

 

 

 


その日も私はここに来ていいのか、受け取れるのか、受け取ったとしてそれは自分が憧れていた彼とズレていたら勝手に受け取っていたものが自分のご都合主義的なものだったらどうするのだ、と問いかけ続けていた。
さわやかのハンバーグを食べてちょっと浮かれていた友だちとふたり、会場までの道中軽い登山をすることになって「どうしてこんなことに…」と苦笑しつつ、それでもやっぱりどこか、苦しい自問自答を続けていた。

 

ステージ終わり。


その時間を差し引いてもお釣りをもらいすぎるような心地で、帰り道歩いていた。友だちが相槌を打ってないことにも気付かないくらい夢中で、いかにこの感情が抑えられないか、これが好きじゃないなら何が好きなんだというもうまんま、文字に起こしていると頭の様子がおかしいことを喚いていた。それをじっと聴いてくれた友だちには感謝しかないし「相槌打ってないことにも気付かないのすごいねえ」ってしみじみされたこと、なんだか、今思い出しても有難いやら恥ずかしいやらだ。

 

 

ともあれ、本当に、あの時の湧き上がるような感情はなんだか物凄かったのだ。

 

 

目の前のひとが、本当に美しくて、その音楽が好きで、ワクワクして、そうしてステージから客席へ向けられる眼差しの優しさに完全に喰らってしまった。

 

 

 

愛情のひとだ。
おみさんのことを知り出した頃も、いや、知れば知るほど、そう思う。
メンバーや先輩から愛され、それを臆面もなく、受け取れるひと。そんなところを最初好きになった。愛情を受け取るということは実は結構難しい。それをやってのける彼は、とても優しい人だと思った。
そして何より、そうして受け取った愛情を惜しみなく自分も、誰かに手渡せる。私が好きな「登坂広臣」というひとは、そういうひとなのだ。

 

 

 

そのことを私は去年、改めて感じた。そのことを今日はずっと考えていた。
コロナ禍になってからの3年。その間の彼の発信、逆に発信せず、過ごしていただろうこと、そこから少し話してくれたこと。
それを支えて来たMATEへの敬意を何度も私は、言葉にしたりもしたけど、LANDを見たときに「私はその場にいなかった」と思わなかったのは、きっとおみさんだったからだ。
それはいつかデビューから、ソロ活動開始から、と好きになった時間を基準にせず、まるでひとりひとりと目を合わせるように伝えてくれた、そのことと繋がっている。
愛の人は、いつだって変わらず、真っ直ぐに愛情を届けてくれる。

 

 

 

LUXEがリリースされた頃、自分の道を信じる音楽に、私は勝手に背中を押された。
痛いほどの真っ直ぐさに憧れて、惹かれて、そこから満月の中、綴られる音楽に夢中になった。

 


そこから、変わらず、いや、しなやかさをどんどん増しながら強く光り続ける、あなたをこれからも愛していたいと思う。

 

 

自分を信じる強さを、愛される美しさと何かを愛する真っ直ぐさを、教えてくれた、あなたのこれからをもっともっと見ていたい。どうか、たくさん、幸せでありますように。

 

 

お誕生日、おめでとうございます。

 

 


 

 

 

近所の定食屋が潰れた

近所の定食屋が潰れていた。
と書き出すと、まるでその定食屋の常連、そうとまでは行かなくても何か思い入れがあったみたいだけど、ぶっちゃけ一度も行ったことはない。こないだ家賃が引き落とされる通帳を観たら次の秋にはこの家に住んで3年が経つのに、だ。
ところで、住居期間を「3年」とすると、それは「もう」になるのか、「まだ」になるのか自信がない。
一人暮らしになってからはなんだかんだと数年越しに生活背景から引越しをせざるを得ない生活だったし実家の時もなんだかんだと何度か引越しをしていたから思えば何年からを「長い」とするのかは難しい。

 

 

とはいえ、少なくとも三年近く住んでいて一度も行かなかった定食屋、はほぼ街の風景とカウントしても良いだろう。

良いはずなのに、なのか、それとも街の風景だったからなのか、最近、その店の看板を剥がされた跡の黒ずみを見るたびになんだかぼんやりと落ち込んでしまう。落ち込むたびに「いやお前が落ち込んでんなよ」とはツッコミを入れているが、とはいえ、ほんの少し自然と項垂れるからあんまりうまくいっているとも思えない。

 

 

慣れ親しんだ風景が変わったから嫌なのだ、というにはまだ「慣れ親しんで」はいないし、
何より、私はこの街の慣れ親しませてくれない空気感、が好きなのだ。
そのくせ空の感じとか絶対に何があろうが変わらなさそうな「ここが好き」な場所は近所にキープしているのだからお前はなんなんだよ、とも思う。

 


本当に、こうして文にしていると特に思うけど、人の中身なんて、何一つ整合性が取れていない。
そうなると、秩序だの常識だので何かを測ろうとしても無駄だよなあと大きな何かに物事をスライドさせてもっともらしいことを言いそうになる自分に嫌なやつだな、と呆れてもしまう。

 

 

 

ともかく、近所の定食屋が潰れて、私はそれにほんの少しだけ、落ち込んでいる。
それを例えば理由をつけて、そこにあった通称神の自販機こと、私からすると安くて独特の味がするエナドリを売ってくれるそれもまとめて撤去されたから、とも言える。
でもわざわざ、理由をつける必要も、説明する必要もないと思うのだ。

 

 


私は、近所の定食屋が潰れて悲しい。

深夜のおしゃべり

死んだような過ごし方をした週末だった。
予防接種を済ませ、お、ここ数回より随分楽じゃないか、と油断した夕方。スコン、と意識が落ちてそこからじわじわ熱が上がった。息も苦しいしあちこちが痛い。
念のため、と着けていたスマートウォッチを確認したら「37度」と表示されていて、あちゃあ、と思った。しかも、液晶を見ると頭がズキズキと痛む。
そもそも、副反応で抵抗してるんだから睡魔の一つや二つきてくれたらいいのに、夕方寝たでしょう、とばかりに目は冴えている。


何かを聞くか、と考えて、でもなんだか頭の痛み的に初めて聴くものは疲れてしまいそうだな、と思った。なんだか、そういう痛み方だったのだ。

こういう時初めて聴くラジオも良いけど何度も聴いたラジオ音源も良い。どちらかというと体調不良からくる不眠には、聞き慣れた音の方が落ち着くことが多いし、逆にぐるぐると考え込んでしまう夜は、初めて聴く放送に耳と頭を集中させた方がいい。そんな気がする。

 


「これを聴いて寝れなかったら諦める」
そんな音源がある。十分と少しのその音源を流しながら、初めの方で「ああ今日は無理だな」と悟った。身体のだるさが尋常じゃない。
体力が落ちたんだろうか。体調が悪い時ほど最近は眠れなくなる。
なので、副反応がじわじわ増していくなかで「たぶん無理だろうなあ」と思っていたら案の定、寝れないまま十分は終わっていた。

 


ならもう、開き直ってラジオをたくさん聞こうじゃないか。

 


「眠れない夜を眠らない夜に」とは星野源が作ったオールナイトニッポンのジングルである。
その言葉が心に沁みた時から、眠れない夜が嫌じゃなくなった。私の世界から、眠れない夜なんてものは消えたのだ。

 


そうして、その日は2022年10月に放送された、声優の中村悠一さん、ライターのマフィア梶田さんがゲストだった星野源オールナイトニッポンを聴くことにした。唐突にその回を思い出した私は、画面を細目で眺めながらスクロールして、再生する。笑い声と、聞きやすい声のおしゃべりが少し頭痛をマシにしてくれる。

 


 


私は、この回の放送が好きだ。オープニングトークも、それが伏線になったふたりが合流した時のトークも破茶滅茶なブロードウェイももちろんだけど、何より、私はリスナーからの今の仕事に就くきっかけへの中村悠一さん、マフィア梶田さんの答え、そしてそれへの源さんの相槌がたまらなく好きなのだ。

 

マフィア梶田さんのアニメやゲームというコンテンツへの思い、そして地獄でなぜ悪いへの思いを聴きながら昨日、暗い部屋の中でずっと考えていた。

 

毎日、吐きそうになりながら会社に向かい、仕事をしている。出来てるじゃん、なんて言われるけどいやこれ、すげえ血反吐吐きそうになりながらやってるんですけど?!と逆キレしたくなる。

 

だけど同時にそんな自分が情けなくもなる。こんなになるまでもなく、大したことやってないのに、どこにいっても苦しくて、生きるのがクソ下手な自分に嫌気がさす。転職すれば、なんてことじゃないのだ。仕事でも会社でもなく、問題はたぶん、私にある。私にはどうにも、この世界は向いてないことが多すぎる。

 

そんなことをくよくよと考えていたらある日気付いた。
そういや、私は、今まで生きていて「生きてるの向いてるなあ!」と思ったことがない。さすがにうんと幼い頃なら別だけど、それすら社会生活に馴染めず、幼稚園を脱走するような子どもだったし、きちんと物心がついた小学生中学年以降はずっと「なんでこんなに苦しいんだろう」と考えている子どもだった。
小中は、大人になったらいかに人と関わらずに生活をするかをずっと考えながら過ごしていたし、人と関わらずに好きな本、漫画、アニメに芝居を楽しむことができたら、どれだけ良いだろうってずっと本気で願っていた。
人との交流に抵抗がなくなったというか「こうすりゃいいのね」を覚えた高校、大学はもちろん、社会に出てからもそういえば私はずっと「苦しいなあ」と思っていたのだ。ただ、その苦しいを面白がることで乗り切り方を覚えただけで。

 


そんな子どもだったから、そりゃ、そうなのだ。
どんな仕事でも、会社でも、なんなら、そもそもそういうことから解放されても、きっと幾らかは苦しんで嫌だなあとくよくよ悩むのだ、きっと。

 

それに負けないように好きなことを……それこそ、こうして文を書くこと含めてやって、やり尽くして、楽しいことを面白いことを全部味わい尽くそうとしてると「楽しそうですね」って言われるんだけど、いやもう、それしか出来ないのだ。本気で、そうしてなんとかギリギリ叫び出したい気持ちを抑えてるのだ。
それこそ、星野源の言葉を借りれば「なんかその「嫌な場所だけど、なんか楽しんで生きていこうぜ」っていうよりかは、「もうこうするしかないんだよ。そうしないと、死んじゃうんだ!」っていう」やつである。

 

そうだよなあ、と深夜、ひとりで頷いた。圧倒的に一人のはずだし、そもそも、もう2年近く前のラジオ音源だけど、その時私は、一人じゃないような気がした。そうだよな、源さん、と頭の中で語りかけていた。

部屋の中、お喋りが響く。
よくもまあ毎日同じことを悩んでるなあと思うけど、その度にこうしてなんとか良い方向に歩き出そうとはしてるからセーフってことにしてほしい。
笑い声を聞いていたら、いつの間にか寝ていた。

香りを取り戻せ

料理が好きかと聞かれると全くそんなことはないが、苦手かと言われてもそこまででもない。なんとなく、でそこそこ美味しいものは作れるしレシピを読んだ時にある程度理解できたりするのは親のおかげだなあと思いつつ記憶頼りの創作料理を作ったりもする。仕事にはほぼ手作り弁当だ。
ただ、自立してから貧乏暮らしが長かったからか「食材を揃える」ことがハードルが高い。そもそも、平日は夜遅くに料理を始めることもザラだし、となると健康的にも体力的にもしっかりとした料理はハードルが高くお惣菜やらスープやらに頼るので、食材を使いこなす自信だってない。悪くするくらいなら買わない、となると……と料理からどんどん足が遠のいていた。

 

 

そんな私が避けていたはずのスパイスカレーの自作を始めた。カレーもスパイスも大好きだが、さすがに…と思っていたのに、とうとう手を出してしまった(一月から、と思っていたけど二月の間違いだった)
きっかけは実家に帰った時の一冊の本。母の趣味でともかく多種多様なレシピ本があり、その中の一冊にスパイスカレー本があった。
「ひとりぶんのスパイスカレー」というタイトルにそうか、一人分でもスパイスカレーって作れるんだ?と気付いた。作り方を見るとそんなに材料も必要じゃないらしい。
材料の数がそんなに多いことは材料を集めるのが得意じゃない自分にとってはかなり助かる。
じゃあまあ、気が向いたら作るか、なんて思っている話を友だちにしたら「じゃあこの後買いに行こう」となんの偶然かその時一緒にいた店の近くにスパイスを取り扱うお店があった。もうこれはご縁だ。見たらそんなに手が出ないような価格でもない。

 


次の週にはスパイス以外の材料も集めてレシピを確認しながら、作り出していた。
確認しながら、と言いつつ自分の記憶力をそこそこ過信しているので結構「こんな感じ」で作ったカレーは「まだまだ改良の余地がある」美味しいカレーだった。私はびっくりした。美味しいと改良の余地があるって、両立するんだ。
それは、なんだか嬉しい感覚だった。
料理を習慣として工夫しながらやってる人には当たり前なのかもしれない。だけど、惰性で料理をしがちな私にとっては「また作りたい」「次作るときはこうしてみたらどうか」が浮かぶことは本当に、本当に本当に嬉しかったのだ。

 


それからアレンジなんかもしつつ、スパイスカレーを生活に取り入れているある日。仕事終わりに「もうだめだ」の割合が大きくなった私は少し早めに職場を出て、スパイスを買った店に向かった…辛さが足りないから辛味のスパイスを買おう、あと香りももっと変化をつけたい。
そう考えているともうだめだは鳴りを潜めていく。店に着いて丁寧に効能が書かれたポップを読んでいる頃には気配もほぼなくなっていた。

 


楽しい。
誰かに食べさせるほどの完成度か、と言われるとそうでもない。凝ってる、と胸を張るには些細な創意工夫は、紛れもなくそれでも、私の毎日をわくわくさせている。

 


そうして今日。体力回復とメンテナンスデーと決めて潜り込んだ布団の中で、星野源さんのYELLOW MAGAZINE+を読む。ファンなのにデジタルコンテンツが苦手なために今更の加入になってしまったけど、おかげで横になりながらでも楽しめるコンテンツが沢山ある。
その中で、オールナイトニッポンの振り返りを読みながら2023年の放送を思い出した。

 

疲れていた源さんが「香り」を取り戻した話だ。

 

 

 

番組の中で「香りを忘れてるかも?という人からいたら真似してみて」と呼びかけてもらったことをコンテンツに触れながら思い出して「ああ」と思う。

 


そうか、私は香りを取り戻したかったのかもしれない。

 


スパイスカレーを作ってから数日、家に帰るたびに部屋に残ったスパイスの香りに癒される。帰ってきたなあとつい深呼吸をしたくなる。
なんなら、その香りが愛おしくて最近ではカレー以外の料理でもスパイスを使えないか試行錯誤し始めた。そうか、あれは、私は、香りを……生活を取り戻したかったのか。

 

 

そんなわけで、私は今日もこれからも、スパイスカレーを作るつもりだ。

 

 

スパイスカレーを作ろうと思わせてくれた方はこちらのサイトの方。スパイスは身近だ、と教えてくださって、ありがとうございます。

 

 

黄色の花によせて

小さい頃、探検家になりたかった。今思えば、いやふりかえらずとも私は落ち着きのない子どもだったので、世界のあちこち、なんなら宇宙すら飛び出すような人になりたかった。
だから、校区外にだって平気で遊びに行くような子どもだったし、どんな自然にもわくわくした。旅行も好きだった。
それが、だんだんとああ無理かもな、と思った時のことを覚えている。

 

 

塚口サンサン劇場さんが、大好きなヴィジャイさんの作品を上映してくれている。私はそれが嬉しく、体調と時間が許す限りは、と足を運んだんだけど、そのうちの一回は会社の同僚と観ることにした。彼女にあらすじを送り、好きな作品を選んでもらえたら、と伝えたら選ばれたのは「ビギル 勝利のホイッスル」だった。
なんとなく、伝わるといいなあと思いながら観た。結局、伝わったかは分からないけど「パワフルだった」と言っていた、彼女がしんどいな、と思う時にこの映画のことを思い出してくれたら良いなあと思った。

 


例えば、ヴィジャイさんが「社会派作品を手掛けているから」好き、というとなんとなく「そうだけどそうなのか?」と思う。
弱者に寄り添ってくれるから、うん、まあ、そうなんだけど。
ルックス、ダンス力やチャーミングさ、お芝居、長台詞の美しさ。そういうものの全てを好きだと思う。


そして、そう思いながらもやっぱり、と思い直す。やっぱり私はそれを大前提として彼が作品の中で訴えかけること、選んでいるテーマが好きなのだ。
そうして、その中で「私」に目を向けてもいてくれるんだ、とは、確かに思ってきたんだ。間違いなく。

 

フェミニストというと身構えられることを、「褒め言葉というよりかはどちらかというと下げの文脈で使われがちなことを考えている。

 


「家族を作ることの幸せ」を選んだ時、多くの場合、高確率でキャリアのストップを受け入れるしかないことについてこの間早朝に思い至って考え込んだ。

 

分からない。こうして書くのも「ああなんか、面倒なことを言ってるな」と思われるのかもしれない。まあ、そうなのかもしれないけど。
そうかもしれないけど、これは誰かを叩くための何かを固めてしまうための文じゃない。そうしたいとは、思ってない。ただ、なんだろうな、この感覚。街中にあちこち咲く、ミモザの花を見ながら思った。言葉にしたくなったのだ。

 

ビギルを観たのはもう何度目か分からない中で、オープニング、あのマイケルの縄張りでの音楽の歌詞を噛み締めて泣いた。肌の色のくだりで、ああそうか、と思った。
それを理由に嘲られるとしたら、その何倍もの強さで、誇りに思う。そういうことなのかもしれなかった。

 

 

あの日、なんとなく探検家になるのを諦めた方が無難だな、と選んだ幼い私に、誇っているぞ、と思う。大変なことはたくさんあるけど、私は楽しいぞ、この人生。
そう言い続けるために、そして、そう思う人がひとりでも増えたら良いと思ってる。それこそ性別に関係なく。