えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

LDHのライブに行きたい

ライブが好きだ。
LDHが好きだ。


しかし元々、LDHが好きだったか、と問われるとそうでもない。
EXILEが好きな同級生や、三代目が好きなお客さんの話を「へえ〜!」と聞きながら
私には関係のない、交わることのない世界だなあと思っていた。
それが気が付けばこんな風に好きになって、もうすぐ、何度目かのファンクラブ更新の時期を迎える。わりとこのブログでもその話をしてきてるから、今更、そのハマった経緯を書く必要もないかもしれない。
でも、そうして何度もしてしまうくらい私にとってLDHを、また彼らが作るエンタメを好きになったことはひとつ、人生の大きな転機だった。


そんなことをここ一年と少し、よく考える。
LDHのライブだけではなく、もともとの自分の生活になくてはならなかった芝居や友人との時間が軒並みなくなったから、というのはあるけれど、
本当に面白いくらい調子が悪くなった。
体調を崩した、というよりかは、気が付けばネガティヴなことが頭を過ぎる。
そういう思考回路が随分久しぶりな気がした。

もともと私は捻くれ者だしどちらかといえば皮肉屋だし悲観主義な人間だという自覚がある。
しかしぐるぐると後ろ向きなことを考えた時、
「あ、これなんか懐かしいな」と思ったことにびっくりした。それが「久しぶり」なことにもびっくりした。



その中で、友人と話していて、それだー!と叫びそうになったので、今こうして文を書いている。

この前友人と、LDHのライブに行かなくなって、LDHに出逢う前の自分に戻ったような気がする、という話をした。いかんせん、その言葉は私を通って解釈されているし、その時リモート飲み会でお酒も入っていたからニュアンスの話にはなるけれど。
LDHのライブが無くなって、昔に戻った気がする。
もとの、世界のいろんなことに腹が立って、すぐに皮肉を言いたくなるような、無理じゃん、と口走りそうになるような、
そんな自分に私は久しぶりに再会した。



LDHにハマってからそんな自分とはお別れしたような気がしていた。
絶対負けねえ、と何があっても前を向く彼らに刺激を受けて
世界がどれだけ素敵なところか歌う彼らに感動して、
私は「変わった」と思っていた。
しかし、コロナによってライブが軒並み中止になりもうまる一年。あの、当日の中止を知らされたその時から、ライブというものに触れていない。
もちろん、彼らは無観客でのオンラインライブを4シーズンに分けて実施、
それはただネットでライブを配信するのではなく、「オンラインライブ」だからこその表現で私たちを驚かせ、物凄く楽しませてくれた。
だけどそれは「オンラインライブ」であって、
一年おあずけのままの「ライブ」とはまた別の素敵なものなのだ。
だから、生のライブ、に一年触れていない。


そうして一年過してるうちに、
お別れしたつもりのネガティヴで世界のことが嫌いで色んなことが許せない自分がひょっこり顔を出す。不安なことがたくさんあると膝を抱える。


そんな自分を持て余してもいるんだけど、
なんというか、ライブが失くなってからなんか前みたいに戻った感じする、と友達と話して、あ、だよな?!とちょっとほっとした。
なんでこうなんだよって正体不明の、たぶん世間だとかそういうものに怒って、クダを巻きながら一緒に悪態を吐いてきた友人と、ライブに行って、それから「変わった」こと、そしてライブに行けなくなって、「戻った」こと。
そういうことを「だよな?!」と確認できて、なんなら一周回って私はほっとした。


ああそうだ、ライブってやっぱり、私や私たちには必要だったんだ。
そんなことは去年からもう何度も確認してきたけれど、こういう発見はまた一つ、実感をもって私にその大切さを教えてくれた。



LDHの……特に、直人さんのパフォーマンスを観て、私はハイローという作品だけでなく事務所全体に興味を持った。

(詳しくは去年、直人さんの話をブログに書いたときに書いた)


ダンスに詳しいわけじゃないけれど、彼らのパフォーマンスが物凄いトレーニングの積み重ねがなければ成立しないことだけは画面から伝わる熱量で想像できた。
そして、実際にライブ会場に足を運び、私は何度も何度も、その熱を直接浴びてきたのだ。
何万人をも熱狂させるパフォーマンスが、歌が、彼らの全部がいつもビシバシに届く。
少しも手を抜かず、届きますように、と作り込まれてやれるだけのことを全部やってぶつけられる、あの熱が大好きだ。


そしてあの場所で、ステージ上にいる彼らと
客席にいる私たちが、もうしっちゃかめっちゃかに、楽しい!最高!!をぶつけ合うのが、本当に、心の底から好きだ。
あの言葉にはなりようもない唸るような熱が、私にとって大袈裟でもなく、人間のことを好きだなあと思える数少ない瞬間だと思う。


だってそれは、理屈ではなく、もう、信じられる何かだった。
皮肉屋に「それでも世界は素敵だ」と「ぜってえ負けねえ」と信じさせるだけの説得力と有無を言わせなさがあった。
そうして思い切り幸せにしてもらうと、もうちょっと頑張ってみよう、と自然と思えてたんだよなあ。
ほら、不要不急なんかじゃないじゃん、エンタメ。絶対いるじゃん。


ふとこのことをここ数日考えてて、そんなことを思う。そうして、私めちゃくちゃ「不要不急」って言葉に腹が立ったし、なんなら今も腹が立ち続けてるんだな、と気付く。

この記事では、LDHのエンタメに特化して書いてるけど、とどのつまり、私はそういう色んな……ライブだけじゃなく、お芝居や音楽や映画によって、背筋を真っ直ぐにしてたんだなあ、と思う。そしてそれを作ってくれる人たちに向けられる「不要不急」という刃物みたいな言葉に、もう、めちゃくちゃ、腹が立って仕方ない。


だってすごくないですか。
どうしようもなくネガティヴだった人をすげえポジティブ人間にしちゃうんですよ。
なってねえじゃん、元に戻ったんだろって言われそうだけど、そうじゃないんだよ。
別にドーピングとかってわけでもなくて、
なんか、カルシウムとって骨を強くする、みたいな、そういうものと一緒なんじゃないか。
一回の摂取じゃ意味ないでしょ、生きてるんだから。
ご飯だってどれだけ美味しいものを一回食べようが、ダメなんだから。生きていくために、毎日食べる必要があるんだから。


なんか、今回、改めて私にとってあのライブはそういうものだったんだな、と気付いた。そのことが、すごく、嬉しい。
そして同時にだから、早くまたライブに行きたい。彼らと楽しいね、最高だね、と熱をぶつけ合いたい。


2021年、LDHは生での有人観客のライブの復活を掲げている。
そして、それはきっと本気で「実現する」のだろう。安全に、全員が幸せになれる、幸せにするつもりで彼らはその方法を模索してくれているんだな、と思う。
そう思うのは、去年末に開催されたカウントダウンライブの様子がまるで反撃の狼煙のように感じたからかもしれない。各グループの魅力をそれぞれに存分に魅せ、かつ、それは去年「不要不急」と言われた中で道を探し、オンラインライブを重ねながら培ったものの結晶のように私には見えた。



負けたって決めなきゃ、それはまだ勝つ途中だ。



彼ららしいそんな言葉が、たしかに聞こえる。
どうか、彼らのステージが早く帰ってきますように。客席とステージで、熱のぶつけ合いがまた実現しますように。
私が行けるのはきっとまだ当分先だろうが、そんなことを心の底から願う。
そして、いつか私も足を運べたその時はきっとまた何倍もの力で「人生って最高じゃん!」と叫べるような、そんな気がしているのだ。