えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

High&Lowをほぼ一気見した話

ほぼ前情報のないまま、High&Low The MOVIE2 END OF THE SKYを観に行き、何だか分からないままリピートし、気が付けば、Huluに加入していた。
そういう力がある作品っぽいことは、聞いていた。聞いていたが、まあ、楽しんでも熱中しまい、と思っていた。ところが、蓋を開けて見れば極限状況だった試験前、ひたすらに鬼邪高校のテーマを聞き、胃の痛みを抱えながら家村会のテーマを口ずさむことで職場で戦っていた。

そんなわけで、なんでこんなに通称ハイローにドボンしたかを、文にしたいのだ。テーマは、High&Lowにおける救いについてだ。

まずは、ウィキペディアのあらすじ
伝説はとある街から始まる。かつて「ムゲン」という伝説のチームがこの地域一帯を支配していた。その圧倒的な勢力により、かえってその一帯は統率が取れていた。 だが、ムゲンに唯一屈することなくたった2人で互角に渡り合った兄弟がいた。「雨宮兄弟」である。両者の決着は着かないまま、ある事件をきっかけにムゲンは解散し、雨宮兄弟も姿を消した。 その後、その地域一帯に「山王街二代目喧嘩屋 山王連合会」「誘惑の白い悪魔 White Rascals」「漆黒の凶悪高校 鬼邪高校」「無慈悲なる街の亡霊 RUDE BOYS」「復讐の壊し屋一家 達磨一家」という5つのチームが頭角を現した。その地域一帯は各チームの頭文字を取って「S.W.O.R.D.地区」と呼ばれ、S.W.O.R.D.地区のギャング達は「G-SWORD」と呼ばれ恐れられた。さらに、「敵か? 味方か? 謎の勢力 MIGHTY WARRIORS」が出現する。 時はムゲンの解散から1年後、男達のプライドをかけた新たな物語の幕が上がる。


そも、ハイローは格好いいの集合体である。こうありたい、の集合体といってもいい。

理想と矜持、憧れ。
そういったものの集まりがHigh&Lowだ。
SWORD地区の各チームは勿論、九龍会やMWもきっとそうで、ザム2を見る限り、High&Lowで描かれるのはそんな強さのぶつかり合いの世界なのだ。


理想だけでも生きていけないことを知りながら、決して現実に埋れ切らない。

幼馴染の帰る場所の為だけに、山王連合会を作ったコブラやヤマトを初め、彼らにあるのは「こうありたい」の姿でしかない。
その為に、自分が何ができるのかというその一点しか見てない。
そんなチームが、ぶつかり合っているその姿に、そら、はまらないはずがなかった。
例えばこれが、こうありたい、だけなら若さだなあなんて知ったような口をききながら流せたかもしれない。
だけど、彼らはそれが痛みを時に伴うことを知ってる。
理想を守る為に、こうありたいを貫く為に時に痛みを伴う。それは、自身かもしれないし、大切な人かもしれない。そして、あるいは自分がそんな暴力を振るう側にいるかもしれない。
シーズン1でヤマトがチハルにいったとおり、そりゃいてぇよなのだ。
いてぇに決まってるのだ。派手に殴ったりするし、酷い時にはもっと痛いことになる。
だけど、それを失ったらもっともっと、いたいのだ。

なんて、ともすれば青臭いと一蹴されそうなことを、彼らはしてるのだ。
それもめちゃくちゃ格好いい映像とアクション、音楽とともに。
そら、もう、面白いに決まってるじゃないですか。

あと、友人とも話していたけど、ハイローは凄くお芝居的だと思う。演劇的。
演劇の大好きなところは、間違いなく想像力を掻き立ててくれるところだ。
例えば舞台セットのほとんどない素舞台でも、役者さんの動きや照明、音響でそこの景色が見える。
例えば、2時間しかない上演時間の間でも過去にも未来にも、何百年という時間でも過ごせる。
それが、舞台の魅力だ。
それは、たぶん作り込まれたり重ねられた時間や気持ちが幾層にも重なり合って出来上がるものだと私は思ってる。
で、ハイローを見てるとなんだかそんなものを感じる時が度々あるのだ。
時系列や関係性、バックボーンがたとえ語られなくてもなんとなく、感じる。
台詞にはない気持ちや理由が役者さんの眼差し、あるいは仕草、アクションからビシビシに感じるのだ。
あと、アクションがほんとにひとりひとり、戦いのシーン毎に趣が変わる。アクション、はあくまでお芝居の一部なのだ。だから凄くワクワクするし目に焼きつく。その上ビジュアル的にもワクワクできるくらい舞台セットとの合わせ技の演出が凝られてる。凄い。語彙を失う。身体能力の高い役者さん、普段ダンスを初めとするパフォーマーであることを最大限に活かしてる。
そして、どの役者さんの中にも、役の彼らがいるのだ。岩ちゃんのコブラへの思い入れなんかはあちこちで語られてるけど、たぶんどの役者さんも、そんな姿勢であの作品の中で生きてる気がする。
誰よりもその役を愛して向き合う。だから、何気ないアドリブや仕草にわくわくする。
撮影中のエピソードを聞くと、その即興芝居の多さに驚かされる。その、精巧さにも。

お芝居作りの姿勢の魅力と、物語の力強さ。
その両方が、これほどまでにハイローに夢中になった理由だろう。

彼らの、自分たちの理想を通そうとする姿が、
自分たちの大切なものを守る為なら、その痛みを受け入れる危うさが、
たまらなく刺さるのだ。

ところで、ハイローは元々深夜ドラマからのスタートなので、特にドラマ本編には深夜ドラマらしいギャグやテンポ、演出がある。それが、彼らが背負ったり向き合ったりしてるものの重さを和らげる。それだけじゃない安堵をくれる。

喧嘩ばっかり何故するのか、といえばもうそれは、闘うしかないからだ。
闘わなければ、失ってしまうからだ。

投げ出したくなるような現実がある。
だけど、それは投げ出して仕舞えばもっともっと、辛いことが待ってる。
だから彼らは一歩も引かないし、守ること、以外に基準はないのだ。
相手が強かろうが偉かろうが、命の危険があろうが、そこは譲らないのだ。
なんだかそんな姿が、私はたまらなく、好きなのだ。

そして、それでも笑う彼らが好きだ。
現実がどうしようもなくても、彼らは楽しみ笑うことを忘れない。
そして、ハイローの世界ではひとりぼっちじゃないという優しさがある。
SWORDそれぞれのチームが誰かと時間を重ねながら、その毎日を現実を過ごす。だから、彼らは笑えるし、最高の景色が見れる。
笑い飛ばす力強さを彼らは持ってるし、それは誰かといる限り、より強さを増していくのだ。
特に、テレビシリーズの物語の主軸であるMUGENのエピソードはそんなことをより強く思わせる。
ずっとこの時が無限に続きますように、と願ってつけられたチーム名。
変わらないものはない。だけど、変わることと喪うことは違う。変わっても、形を変えても失わない。

なんというか、ハイローは、物語としてのメッセージの力強さを音楽とアクションで、柔らかくドシっと受け取りやすい形で届けてくれる。

全員主役、というキャッチフレーズは、彼らの物語を象徴した言葉でありながら同時に視聴者への真っ直ぐなメッセージだ。そして、そのメッセージは、日々を生きる人たちへの人間賛歌なんだと思う。

どうか彼らの意地が、拳が、痛み以外の何か、できたら優しい何かに行き着いたらいいと思う。