えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

マスターピース 〜傑作を君に〜

「劇場のパイプ椅子って、長く座るとお尻が痛くなるんです。だから、観てる間そんなことを忘れられるお芝居が作りたい」
どこかにメモしていたわけじゃないから正確な言い回しじゃないかもしれない。
だけど、私が森崎博之という人を好きだと思った理由の全部がこの言葉に詰まってる気がする。なんなら、NACSの芝居が好きだというのを突き詰めるとこの言葉に行き着くのだ。




以下、ネタバレを含めた感想です。


スターピース 〜傑作を君に〜
NACS第17回本公演。
物語はある戦後まもなくの温泉宿で繰り広げられる。
三人の作家にサブプロデューサー、それから温泉宿の湯番をする男。
この五人に共通するのは映画が好きだというその一点である。この五人でまだ誰も観たことがない傑作を生み出そうとする。


傑作を生み出そうとする、とは書いたが彼らの執筆活動の中に「鬼気迫るもの」はない。
天才たちの傑作を作るときに伴うようなそんな気迫はなく、むしろ、酒は飲むし温泉には入るし散歩にも出掛ける。
凡人が天才に追いつくためにただ必死になるわけではなく、なんなら天才のように自身を追い詰めることもできず、ただただ時間を過ごす。
でも、じゃあ、やめられるかといったら、やめられるわけがないのだ。



安田顕さんが演じる乙骨は書いても書いても、書きすぎて倒れても、その作品が映像として完成したことがない。
映画とは、シナリオだけで成立するわけじゃない。スタッフの手に渡り役者の身体を通し、それから観客のもとに届く。だけど、乙骨の心身を削るようにして生み出した作品はそこに行き着くことなく、どこにも行き場がなくなってしまう。
その心境を想像するだけで、心が苦しくなる。
そんな地獄のような日々を過ごしても、筆をおくことができない。おきたくない。




私はまず、彼らの映画を作りたいと話す顔が好きだった。そしてそれを喜ぶそれぞれが好きだった。
彼らはそれぞれに、相手の「映画が好きだ」とはしゃぐ、あるいは熱を込めて語る姿に本当に嬉しそうにするのだ。


そして、明るく陽気な彼らも、実は戦地では死線をぐぐり抜けた人々である。
満州をはじめ、それぞれに「厳しい」戦地で生きるか死ぬかの狭間を掻い潜り今、温泉宿で脚本を描いている。
生き残れたのは運を使い果たしたからじゃないか、と明るく笑う姿は逆に、そこにある壮絶な時間を思い起こさせる。
生き残った理由は、面白いものを作るためなんじゃないか。そういう彼らが私は、本当に好きだ。



温泉宿に集まった五人は、決して天才ではない。
天才ではないどころか、中には志半ば、筆を折り役者を辞めた人もいる。
そして書き続けてる人も書けなくなっていたり、真面目過ぎてこん詰めてにっちもさっちもいかなくなったり、あるいは関わる企画関わる企画がことごとくダメになり一度も日の目を見たことがない人がいる。
それでも彼らは作るのをやめられない。
いや、実際には酒を飲んだり枕投げを始めたり温泉に入ったりするからやめてると言う人もいるかもしれないが、でも、やっぱり、彼らは映画を好きだと言い、誰も観たことがないような、あの巨匠黒澤明も唸るような傑作を生み出そうとするのだ。

彼らの好きだという言葉に嘘はない。
そこに真っ直ぐにしか進めなくても、あるいは貫けなくても、「こうあるべき」なんて正しい道が見えなくても、ただただ、好きなのだ。
どうしようもなく。



だから、たとえ書くことから逃げても、あるいは書くことに正面から向き合いすぎてつまらないとしても
それでも、彼らの「傑作を作る」という気持ちは本物なんだと思う。



スターピースは、コメディだ。
わりとずっと、バタバタと賑やかにバカバカしい話が繰り広げられる。もちろん、その中に散々ここまで書いたような「グッとくるやりとり」はある。あるんだけど、それ以上にずっとバカバカしいのだ。
そして、それを彼らの本拠地である札幌で観たせいだろうか。なんだか、変に気を張ることもなく、まるでお茶の間で見るような「当たり前」の気楽な笑いがそこらじゅうに溢れているような気がした。
なんだか、私はその空気の中で気がつけばけらけらと笑っていた。



別に、何も変わらない。
誰かが成長することもない、黒澤明を唸らせるような傑作も生まれない。
足りないまま、うまくいかないまま、時間は過ぎる。


でもなんか、それでも良いじゃん。
感動して胸を震わせるような物語だとか人生を変えるような啓蒙的な内容だとか
それだってまあもちろん、素敵で素晴らしいものだと思うけど。
そうじゃなくて、意味だとかそんなことよりも楽しそうで楽しくて気が付けば2時間げらげら笑ってた、みたいなそんな光景にだって、
私たちが日常の中、置き去りにしてきた何かはあるんじゃないか。




エンタメは、世界を救わなくたって良いのだ。高尚じゃなくても、何かの為に存在しなくたっていい。


彼らの作る物語は、やがて本当に個人的な、些細な結末へと辿り着く。だけど、それが本当に愛おしかった。
小さな、本当に個人的な物語にだって、意味があるのだ。



ところで、マスターピースって素敵な言葉じゃないか。
傑作は、ただそれだけでは完成しない。一つのピースに過ぎない。あと何が必要かはもう、そんなの、一つだろう。