じわじわという蝉の声。
近所の人たちの賑やかな笑い声。
うだるような暑さ。
知らない時代の話である。
だけど、たまらなく懐かしい、帰りたいと思う時代の話だ。
本日千秋楽ですが、逸る気持ちが抑えられないためネタバレブログをフライングで。
初日に観劇。初日に、生まれる瞬間に立ち会えたこと含めて、とても幸せだったと思う。
あらすじ
1959年の夏、
僕の精神寿命は後1年でした・・・
若年性認知症。
僕は段々と消えて行くのです。
怖くはありません。
妻の中に僕は生きられるのです。
ただ、迷惑をかけますね。
・・・ごめんね、許して下さいね・・
蝉しぐれが聞こえる中・・・
あなたは生きている
自分が自分で無くなって行く、
想像も出来ない恐怖を懸命に、こらえながら
溢れ出るに違いない筈の涙を、胸いっぱいにためて
あなたは生きている
この手も、この顔も忘れないでね
あなたは、私の中で生き続けることが出来るから
あなたのように強くなりたい
あなたのように優しくなりたい
困った時、苦しい時、
歩むことを教えてくれた・・・
泣いても、泣いても、あなたになりたい
夢儚く 命燃ゆる
あなたになりたい
このあらすじと、フライヤーを観て、絶対に観に行く、と決めた。
大阪から東京まで呼ぶフライヤーかあ、と友人に言われたけど、ほんとそれね。
面白いお芝居を前には、距離とか値段とか度外視してしまう。
そんなことより、このお芝居が見れないまま終わってしまうことの方が惜しいと思う。
ひとりの、文筆家(小説家)聡一の話だ。
聡一の家にやってくる大家姉妹や、近所のおじさん、そしていまだに戦争の陰から抜け出せない佐賀さん。
聡一の家のあの賑やかさがともかく愛おしい。
冒頭、おじさんとトモコちゃんと聡一の会話で始まるんだけど、その素朴さと愛おしさにやられた。
このふたりの存在が、またいい。
ご近所さんなので、お話に大きく関わってくるわけではない。ないんだけど、戦争孤児であるトモコちゃんとその子の面倒をみるおじさんはこのお芝居の大切な存在だ。
子どもがいるってのはいいよ、と途中おじさんが佐賀さんに語りかけるシーン。
ハッとした。
このお芝居の人々は佐賀さんを除き、戦争をある程度飲み込んで、戦争が終わった日常を愛している。日々を懸命に生きてる。
その影は、完全になくなりはしないんだけど、それでも、そんなことは過去のことで関係ない、というように見える(たぶん、見えるだけ、だと思う。野暮なことを言えば)
その意味が、このおじさんの台詞に詰まってるような気がする。
男たちは、それぞれ、戦地での記憶があり
女たちも、大切な人を失ってて
それでも、素麺を食べて笑ってふざけてってするのは、一緒に生きる人がいるからだ。
子ども、という明日からの時間を生きる存在が近くにいるから。
冒頭をはじめとして、トモコちゃんとおじさんの会話は可愛らしくて愛おしい。本当の親子のように仲がいい。それは、隣にいる存在がどれだけ大切か知ってるからだと思う。
そして、そのふたりと嬉しそうに話す聡一の愛おしさったら!
トモコちゃんも、とても賢くてでも子どもらしさもあって、本当に素敵だった。笑顔の奥に、聡一たちへの確かなやさしさがあって、本当に本当に幸せになってほしい。
このお芝居を華やかに優しく彩ったのは田之上さんたち姉妹だ。
もー気持ちのいい女っぷり!
大家さんの多恵子さん、大家ですからのやり取りも、気持ちのいい世話焼きも今時なかなか見ることはできない振る舞いだ。だけど、だからこそ、聡一に出世払い、と家を貸していることに深く納得する。
秋子も、血こそ繋がってないが、多恵子さんの妹らしく深い愛情のある素敵な女性だった。一郎を許すこともそうだけど、春さんが利尻から知らない土地で行くあてもないなか、彼女の店で働いていたのはその懐の深さの証だろう。
ふたりの優しさは、向こう見ずな優しさじゃない。無償の、どろどろとした優しさでもない。
当日パンフレットの、一杯の水、とはまさしく彼女たちのことのように思える。
とんでもない幸福や優しさで、埋められないものがあるというか
生活の中の優しさって実はとんでもなく難しくて貴重なものなんじゃないだろうか。
なんか、この畳屋の女房は、ともかくそんなもので満ち溢れてた。
突飛な物語展開があるわけでもなく、
派手な音響照明があるわけでも、ダンスがあるわけでもない。
大袈裟に声を張り上げることなく、ただただそこに等身大のひとがいる。
だから、もう、本当に愛おしい。
多恵子さん、秋子さんが強さの愛おしさとしたら、貴子さんは弱さの愛おしさだ。
彼女のこれまでは、そう多くは語られない。またこの語られなさがいい。
あくまで、聡一を中心に物語は進むからというのもあるし
何も事情全てを家族や友人が共有する必要はない。
そして、貴子さんがその辺りがすごく絶妙なのだ!
言葉では語られないけど、ふとした仕草や目線に彼女のこれまでを思わせる。
原爆の話が出た時、傷んだ彼女の心がほんの少し覗くシーンには、思わず鳥肌がたった。本当に些細なんだけど、だからこそ余計それが苦しい。
それでも、優しく静かに生きてる貴子さんが本当に素敵だ。
戦後という時代、ちょうど東京タワーの建設が進む東京の街。
舞台セットは聡一の部屋一室なんだけど、その街の活気を伝えてくれるのは、絹代さんをはじめとする編集部の人々と、京子さんだ。
絹代さん、三島さんの力強さは、エネルギーに溢れてる。
三島さんの台詞の中、蓋をされた事実があったからこそ、というのが印象的だった。
編集に関わるひと、そしてそれを援助するひとは一度は何かを失ったり傷ついたひとたちだろう。(というか、戦争を越えた人たちはきっと、みんな一様に傷ついた、なのだろうけど。戦争をその身では知らない私には、推察しかできないけど、きっと、それはそうなんだと思う)
傷ついたからこそ、泣くのはやめて、笑うことを選んだ人たち。自分の精一杯を選んだ人たち。
うろ覚えで恐縮だけど、副題にもなってる滑稽という言葉で印象的な台詞がある。
「無理、そうですね、無理かもしれません、しかし人間とは、無理だと分かっていてもやってしまうやらずにはいられないそんなことがあるとは思いませんか。それは、とても滑稽ですが、しかし、そんな姿こそ人間だとも思うんですよねえ。」
この台詞の、愛おしさったらもう!
そして、編集の人々がやろうとしたことは、まさしくこれなんじゃないか。
無理だろうが無茶だろうが、誰に非難されようが、自分が信じたことを精一杯する。
いつか、出来なかった時があったからこそ。
白川先生に近藤くんも、たぶん、そんな思いから協力してるんじゃないだろうか。
特に、白川先生は、たぶん、戦争中も医者で、だからこそ、救える人をできる限り救いたいと思ってるように感じた。
し、聡一へかける言葉が、本当に医者、と思った。
この人を救いたい、という気持ち。
救われたい、と願ってるのは患者自身だと思うけど、医者だって救うことで救われてるのかもしれない。いつかの希望がもてる、そんな文を書いてください、あなたにはそれが書けると思う。すごく、いい台詞だった。
そんな中、佐賀さんをはじめとする公安組、寅吉もリアルなんだ。
そんな風には思えなかった羊飼い。
狼への復讐を捨てられなかった、羊飼い。
それは、誰より部下を救えなかった自身への復讐な気がして心が痛い。
すごく昏い目をしてるんだよね、佐賀さん。
役者さん自身は普通に同じこの平成の時代を生きてる人なんだけど、
あの目が本当に昏くて冷たくて、そんな寒いところ早く出ておいでよ、と涙がでた。
すぐ近くに羊飼いと一緒に生きて生きたいと思ってる人たちがあんなにいるのに。
公安組のふたりと寅吉の印象的なシーンは、爆発をただ見るしかないシーン、そして、佐賀さんへの、敬礼だ。
当たり前に生きていけるからと言って、傷がないわけじゃない。
泣きながら叫ぶその表情に確かに煙や炎を見た気がした。
観劇仲間とも話してたけど、あれこそ、お芝居の醍醐味だと、私は思う。
ただ再現されたセットや映像じゃなくて。
その役者さん、役の気持ちを通した景色を見ることができる。それが、心に何より迫ってくるのだ。
戦争、ということを更に思わせたのは、聡一の広島の親戚、トメさんによしさんだ。
特に、よしさんのそんなに戦争や命や言うんやったら、広島に来てみたらええ、というあの台詞。
墨を飲んだような気持ちになった。
彼女たちが見た景色は、また少し違うものだし、たぶんそれは原爆で喪った人にしか分からないものなんだろう。
だからこそ、トメさんはよしさんにお前も都会にいきんしゃい、と言ったのかしら。
トメさんの包容力というか、生きて来た重みもまた凄かった。春さんにひんやりした対応する度、見ていて心が不安に潰れそうになったんだけど、そこから彼女を受け入れる、と言った時の安心感っていったら!
聡一の根っこの部分の、家族の断片は、彼女たちふたりが見せてくれた。
戦争の香りの中で、また少し印象が違ったのは、鉄川くんだ。そしてもしかしたら、医学生の近藤くんもここに含まれるのかも。
具体的な年齢や設定は、確か物語中、出てこない。
彼らはただただ純朴で目の前のやるべきことに向け真っ直ぐに毎日を生きてる。
戦時中、彼らがどうしていたかは語られない。
だけど、特に鉄川くんが佐賀さんの話をどこか座り心地が悪そうに聞いていたように見えたのは気のせいだろうか。
役者さん自身のご年齢(と、言いつつおふたりの年齢を知らないんだけど)とともに、あのお芝居の中の「若者」の空気感。
いつか、あの戦後の数年を本当にそんな時代があったのかしらと思ってしまうような時代が日本にはくる。
そういう空気が何層にも重なって変わっていく、そんなものをふとふたりの姿に思ったりした。
印象が違うといえば、一郎さんである。
プー太郎、ダメな男という最初の印象は、最後、聡一が唯一、一郎さんは間違えたことがない、と語られるシーンでほんの少しその表情を変える。
シベリアからの引き上げ。
その時、もう、緊張して怯えながら生きなくてもいいんだ、気を張って生きなくてもいいんだと思ったこと。
一郎さんはともかく笑顔が脱力系な方だ。肩の力が抜けるようなあったかいひだまりのような空気を纏ったひとだと思う。
それは、きっと、そう生きることの幸せを知ってるからじゃないか。
聡一さんの台詞で、あの頃は毎日覚悟をして生きていました。でも、近頃はそうじゃない、それが、という、戦時中を振り返る台詞がある。
あの台詞も、とても印象的だったんだけど。
究極の緊張状態をずっと強いられてて、命を取り上げられそうな状況で過ごす中で、
その張り詰め切ってしまったこころを戻せなくなったひとは、決して少なくなかったと思う。作中なら、佐賀さんがそうだ。
そして、なんだかこれは少し大袈裟なのかもしれないけど、
戦争だけじゃなくて、そうなることってあるんじゃないかなあ、と、
少なくとも聡一さんは、いつか失われる記憶に怯えながら気を張り詰めて過ごしてたんじゃないかなあ。とそんなことを思う。
なら、そんな聡一さんにとって、一郎さんの空気は、きっと、息をついてもいいんだと
気を張っても張らなくても生きていけるんだから、生きていくしかないんだから、
それなら、柔らかく日々を受け入れて笑ってていいんだとそう見えたんじゃないかなあ。
そんで、春さん。
もう本当にね、素敵な夫婦だった。
泣いたように笑うお顔が印象的だった。
ふたりが寄り添うその姿の愛おしさ。もう、本当に幸せをひたすらに祈る夫婦だった。
聡一さんの文を嬉しそうに読む姿も。
不安がなかったわけじゃない。
一緒にいることの恐怖もあっただろう。一緒にいる限り、わすれられることを嫌でも実感しなきゃいけない。だからこそ、聡一さんは離婚届を多恵子さんに預けたんだと思う。
生きている、ということは、幸せなことであればいいけど、それ以上に喪う可能性と常に隣り合わせだから。
そんで、畳屋の女房という秀逸なタイトルにしびれながら、春さんはどんな女房だろうね、って言った多恵子さんの台詞をずっと考えてて。
どんな女房だろう?
文筆家の女房?
小説家の女房?
あるいは、若年性健忘症の男の女房?
なんか、色々考えたんだけど、
多々良聡一の女房、以上にしっくりくるものがなかった。
かなしいことを経て出逢った彼らが、本当に本当に幸せな日々を生きてくれますように、と思う。
幸せな部分を見せてくれたお芝居の通り、最期までそうとは、限らないけどそれでも。
そして、最後に多々良聡一さんの話を書きたいんだけど。
春さんの旦那さんとしての、多々良聡一さんもとても魅力的だったんだけど、
胸に沁みたのはやっぱり筆を握る多々良聡一さんなんですよ。
もう、会話劇の塩崎こうせいさんを、しかもこんな役で観れる幸せってある?
芝居という表現に生きる塩崎さんが、文という表現に命を燃やす男の迫力ったら、ない。
聡一さんは、鬼のような気迫で文を書くわけではないけど
文だけはずっと正気だった。
そして何より妹さんのために始めた文章を書くという、その意味を噛み締めると
最後、照明に照らされた原稿の愛おしさたるや、という思いだ。
もう覚悟しなくていい
もう好きなものを書ける。
聡一さんの文を読んでみたかった。
彼は常に、誰かのために筆をとっていたんだなあ。
そうして生み出す文の中で誰か人間を描こうとし続けてて
それは、利尻でひとりきた異国の男かもしれない、その彼が出逢った優しい春さんのような女性かもしれないし、
羊飼いの男や、水俣病に苦しむ誰かかもしれない
その誰もに、聡一さんの優しい目が注がれている。
彼らが生きていることを、喜んでいる聡一さんの目線が。
思えば、
このお芝居こそ、聡一さんが書こうとしていた人間の話、なんじゃないか。
この物語はね、あなたを守りますよ
その強くて優しい台詞が、今も耳の奥に残っている。
いつか薄れてしまうだろう。思い出せる台詞も温度も、減ってしまうかもしれない。
だけど、確かに私はとても幸せなお芝居を観たのだ。それはきっと忘れない。
そして何より、思い出すたびにすきになるから、その自信があるから、大丈夫なのだ。