えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ムサ×コジ〜究極!

ムサ×コジ〜究極!が面白かった。
思えば、X-QUESTさんを見出して、YouTubeで「ムサ×コジ ハイパー」の予告動画を見た時から、大好きな台詞のあるお芝居だった。




物語は、あの有名な宮本武蔵佐々木小次郎の巌流島での決闘から始まる。遅刻をしてくる武蔵、修行を極めた者だけにいる、第二、第三、第四の自分。
はちゃめちゃになっていく彼らの決闘。


そこから、遡るように武蔵の武者修行の旅が振り返られていく。
ところで、クエストさんのお芝居はかなり感覚的に楽しむのが楽しいタイプのお芝居だと思っている。考える前に感じろ。
その上でこのムサコジはさらにその色が強いように思う。
武蔵が色んな"強えやつ"を倒していく中で、彼が何かを苦悩したり逆に何かを得たり、という描写は限りなく少ない。


そしてその理由は、後半明かされる。
何かを得るとか成長とか、そんなものは武蔵にとってはたぶんどうでもいいのだ。どっちでもいい。副産物的に得るものがあったとしても、それはあくまで「副産物的に」だ。
ただ、楽しいからやっているのだ。


平凡で凡人な自分でも、それをしているときは楽しい。神的なものを感じる。ただただ、突き詰めたいと思う。

ぶっ刺さった台詞は、小次郎が武蔵を倒そうとする理由を語りそれに返す武蔵の台詞だった。

さっきから喋っている台詞のような空っぽの言葉は、それは偉い人が言っていたことだ。昔からよく言われてきたことだ。
物語を作ってきたひとが、動機付けで作った理屈のうちの一つだ。


もう少し台詞自体は続くけど、あの美しくて心地いい台詞は、お芝居の中で出会って欲しいから中略する。
そこから武蔵が聞く。


お前はそんなことがしたいのか。お前はそんなことが本当に言いたいのか。

私は、この台詞を聴いて本当に嬉しかった。その問いかけに対する答えを武蔵自身が出す、その答えが本当に嬉しくて、ああそうか、そうだよな、と思った。
しかもこの台詞、武蔵を、淳さんが演じているんですよ。私は淳さんの長台詞が、台詞回しが本当に好きで、そんな役者さんが自分が好きだと思う言葉を紡ぐの、本当に。もうなんか、幸せだな。嬉しいな。この台詞は今までも(ハイパーを見た頃から)大好きで大切な言葉だったけどますますお守りになってしまうな。


このシーンの最後、殺陣に入る瞬間の表情を噛み締めながら思う。




何か、意味がないと得るものがないと、学ばないと存在しちゃいけないわけじゃない。楽しめないわけじゃない。



エストさんの言語化できないストーリー、いや、言語化するととてつもなくシンプルになるけど、でも見た私にとってはそれだけじゃないお芝居は、まさしくそんなものなのかもしれない。言葉も追いつかないくらいの、なんかすげえ!みたいな、なんかすげえ楽しかった!みたいな感覚。


あのすげえ殺陣とダンスとを「体験」するからこそ、感じられるお芝居。人間の限界というか、すごい次元での「体験」は、でもただ楽しい、のだ。楽しいから好きなんだ。
ああ、あの劇場に帰りたいな。



私は、自分の好きに極めて自信がない人間で、好きだと思うたびに「本当に?」と自問自答してしまう人間だ。
でもなんかこのお芝居を見ながら、もうそんな不安に思うことはないのかもしれないな、と思った。何度も何度も劇場に通い、DVDを見続け、大好きだ大切だと思ったクエストさんのお芝居は、今回も配信でも、大好きで大切だった。
何がどう面白いかを説明するのは難しいけど、それでも、楽しくて面白くて大切で大好きだ。


ものや気持ちの形は変わる、好きはいつか終わる。
そう思っていたけど、だけど、そうじゃないのかもしれない。



嬉しいも悲しいも脳の高ぶりで電子信号でしかなくて、でもそういう脳の反応が、積み重なって私を作っている。


ああほんと、好きなものがあるだけでこの世は楽しいな。本当に本当にそうだな。




最後、配信にカーテンコールと写真撮影の時間を入れてもらえたことも、本当に嬉しかった。体験、のクエストさんのお芝居をそれでも配信でも限りなく届けようとしてくれたキャスト・スタッフの皆さんに本当に心からの感謝をお伝えしたい。
世界が変わって、もう戻らないなかで新しい形が生まれていくこと。その中でも、続くといいな、と思うことがあること。
見終わってからずっと、考えている。考えて考えて、やっぱり好きだな、と思うので、こうして文にして言葉にしようと思った。
迷ったり自問自答の負のループにまたどうせハマるんだろうけど、好きだから、で良いじゃないかと自分に返してやりたい。だってどうしても、我慢できないくらいに、好きなのだ。
そうして、そんな好きなものがたくさんあるこの世が、私は楽しくて仕方ないのだ。