えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

キャガプシー

キャガプシー、あの幸せなテントに初日に出掛けた。

"世界は本当に美しい場所なのか?"

 

一年の時間が過ぎて、もう一度あの美しくて悲しい物語を観たんだけど。
人間のケガレを押し付けられたキャガプシーたちの壊しあいを取り巻くそれぞれの物語。
なんだか、振り返ると出てくる4人ともが、目がうるうるしてた気がして振り返ってるこちらまで目がうるうるしてしまう。
初演以上に見やすくかつ、飲み込みやすくなっていた。
悲しみは変わらずにありながらもさまざまな表現がポップに変わっていた。

 

色、のことをずっと考えてて。
ツミが色について口にする度、お父さんのキャガプシーへの言葉を聞くたび。
ネズミの衣装がほぼ単色で、地味な色で作られていることが本当に悲しかった。
キャガプシーを作る人形師も虐げられていた、というし、そもそも、人形師みんながキャガプシーに対して愛情を持っていたわけじゃないだろう、と思う。なんでこんなもの作らないといけないんだ、と思っている人形師もいるかもしれないし、もっと事務的に淡々と作ってる人もいるかもしれない。
なんか、そういうのをネズミの姿は想像させてくる。し、そのネズミが、あのウナサレの色を塗った事実に、彼を憎みきれない、と思う。心を与える、その儀式をキャガプシーである彼が担ってたこと、そして、あの色を塗ったこと。


初演からそうなんだけど、私はネズミに寄り添いたいと思う。というか、一番共感できるのがネズミなんですよ。
世界の美しさを、信じられずになんどでもこの世はどうしようもない、と口にするネズミ。

 

トラワレの世界の美しさについて語った言葉を宝物のように心の金庫にしまったウナサレの目が、本当に潤んで見えて。
なんでしょう、ひたすらに無邪気に真っ直ぐに笑うことを選んだのが初演ウナサレなら、そうしたいのだ、と常に言い続けたのが今回のウナサレのように思った。
どこのシーンか思い出せないんだけど、ウナサレの笑顔がぎこちなく見えて心臓がぎゅうっとなったんだよ。
ああああこの人、まだあの悪夢に魘されてるんだなって思って、それでも、大好きなお兄がそういうから、それを信じたいと、信じられると思ってるんだなあと思って、もう、あの、愛おしすぎる。

ツミもさ、世界のこと、そこそこ好きだった、って言うじゃないですか。
キャガプシーに出てくる人たちはみんな、必死に世界が美しいんだって思おうとしてるんだなあって。しかも、言い方は変ですが、むしろそこそこに不幸な彼らが。それが、あまりに愛おしくて。
あと、世界のことがそこそこに好きで不幸は量が決まってるから幸せになるはずだ、と思ってたツミちゃんが、不幸になりながらも、一緒にいてくれるネズミを好ましく思って(それがとんでもない絶望だとしても、ネズミの言う通りいたたまれない事実だとしても)いるツミちゃんの柔らかさが好きだ。
今回入った歌、素晴らしかった。ほんとに。
優しくて悲しくて沁み渡るような。
これはヴルルの島の感想でも書いた気がするけど、何かを受け取れる人というのは優しいなあと思うんだけど、ツミはまさしく受け取る人で、だから、台詞の一つ一つがぽつんと、沁みていく感じがして、愛おしい。


今回のトラワレはとても弱い存在だ、と思った。言葉を選ばないなら。ふにゃ、と折れてしまいそうなギリギリのところに立ってるような。
ほかのキャガプシーと喋らないことがモチベーションの彼は、初演も今回もそれは身を守る為の防御方法なんだけど、今回は特に切実に見えた。切実、というか、きっと、少しでも言葉を交わしてしまえば彼は溢れて溢れてぼろぼろになっちゃうんじゃないかっていう危うさというか。
その上、そうして喋らずひとりでいることが更に彼を追い込んでるように見えて(だから、ウナサレと喋りながらどんどん色鮮やかになっていくんだよね、それもまた苦しくて愛おしいね)そして、その危うさがそのままネズミへの依存に繋がるんだよなあ・・・。
溺れかけた人を助けると、溺れたくないという強い気持ちでそのまま助けにきた人も一緒に溺れさせちゃうことがあるっていうじゃないですか。なんか、今回のトラワレはそんな感じがした。したからこそ、ウナサレの弱いこともこの世界は相変わらず悲しいことも受け止めて「無理矢理にでも笑う」姿に惹かれて、そして、最後には彼自身も無理矢理にでも笑うことを選んだんだなあ、と。

私は、ネズミを許せないって思ったんだ。
ふたりを騙し、どんな事情があれ、ズルい方法でウナサレを壊させたことも、彼から言葉を奪ったことも。そもそも言葉を奪わないと勝てないことを確信しているのが、また、また・・・ネズミ・・・。
だから、トラワレの、ゆるすって言葉にガツンと殴られた。知ってたのに。知ってたから。
トラワレの絶望はとんでもなくて、きっとその心は痛いはずで痛過ぎて痛いってことも認識できないんじゃないかって心配になるくらいで、でも、トラワレはその痛い、のまま、絶望も飲み込んで味わいながら、ゆるすって言うじゃないですか。
私は、あの許すって言葉を聞いたネズミの絶望を想像したんですけど。許されてしまうことの絶望と、優しさ。どっちもあると思うんだけどどうですか。許してしまえるんだ、許されてしまうんだ、っていうか。


僕にはお兄しかいないから、お兄も僕を選んでって台詞も、
外の世界はネズミと見た夢だったってのも、
ツミを置いていくっていうウナサレも
なんか、ひたすら、心臓がぎゅっとされ続けたんだけど。
ただただ優しいだけの話じゃないですよね。
誰かを選んで、選ばない話だし。ずっと、一緒にはいられないし。
ただ優しいとか愛情とかだけで成立する関係じゃなくて、なんか、この、この・・・。


きっと、みんな、世界が美しいだなんて本当にただそれだけを信じられているわけじゃないのかもしれない。それをただ信じるには、悲しいことが多過ぎる。

お別れがある、一生一緒にはいられない。一生ずっと一瞬の隙もなく相手のことを愛おしく思うことすら、できない。それを、私たちは知ってる。

振り絞るような声で、ウナサレの青色を顔に塗り世界の美しさを語ったネズミの声を覚えてる。
ウナサレが世界にガッカリしたツミにたどたどしく語った世界の美しさを覚えてる。
それは、どちらもそもそもはトラワレが捨てきれなかったこうであってほしい美しい世界だ。
そして、それをツミは受け止める。そっかあ、と微笑む。

そうして語られる世界を、私たちはあのテントで大切な人たちと見た。
聞いて、想像した美しい世界の話を隣にいる人に話すその姿はそのままおぼんろさんの世界そのものだと思った。


悲しくても、無理矢理にでも、笑うべきだ。

 

笑うために、大好きな世界の話をしよう。大袈裟に愛おしくて優しい、あの時みた世界の話をしよう。
お別れしても、なくなっても、その時があったことはどうしようもなく一等大切な事実に違いないんだから。

 

 

 


初演の感想:http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2017/11/09/191810
見た直後に殴り書きした短いお話もどき:
トラワレとウナサレ「空色、何色、幸せ色」
http://privatter.net/p/3431488
トラワレとネズミ「葬送」
http://privatter.net/p/3433720