シネファイ、2作目。
素朴な疑問として、ともかく抽象的な作品が多くてそれはなんでだろう、と思う。
まあ、シネファイに限らず何故かショートショートってなると不思議だったり抽象的な話が増える気がする。
制限時間があるから、想像の余地で物語を大きくするためかしら。
そういう意味では、シネファイはそう作られるということがとてもしっくりくる。
演技と映像と、音響照明と、それに加えて、楽曲の持つストーリーが重要なわけなので。
ただ、だけど、思ってしまうのは、あまりに想像の余地が大き過ぎないかなあ、ということで。
これ、完全に好みの話をしてます。
私は、お芝居とかで暗転長く見せられて「想像してください」って言われるのがすごく苦手なんです。
いやいやいやむしろ集中力切れるわって思っちゃう。その程度の集中力の私にも非はあるね、そう思う。
同時に、行間読みが好きなくせにこれはここは、行間読みするとこですよ、と手のひらを見せられるといやまずそちらで詰めてくださいよ、と鼻白むところがあって、そういう意味で、私は、ある意味、シネファイと相性が悪いのかもな、と思う。
でもなーーーー私、LDHの、というか三代目さんとかのストーリー仕立てのMVめっちゃ好きなんだけどなーあっちに張り切るのは無しなんですかねーーー曲流し続けるのがなしだからなし?
などなど、思いつつ、後半のour birthdayとカナリアはとても、あーそういうことか、としっくりきたので、やっぱりただの好みかも。
物語と音楽がしっくりきた、し、抽象的な表現も含めて全部がすとん、と、飾ってなくて、ただただそこにあるものだったから、好きだった。
あ、でも。
ファンキーの岩田さんが水中で踊りだすシーン。
あれは、あ、そうか、って思った。
言葉や筋書きでは足りない溢れるものをダンスで、表情で、あるいは、音楽で魅せられるんじゃないかってのが、この企画の目指すとこなのかな、そういうのは、とても好きだな。
し、そのまま、抱き締めるお母さんが愛おしかった。表現ってどこにでもあって、その形は決まってないってのは、私にとってはとても好きな考えです。
だから、結局、もし次、またシネファイがあるよ、って聞けばドキドキしながら観に行くんだろうなあ、と思った。タイミングにもよるけどね。
あと単純に監督との相性はあるよな、絶対な。