えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

山茶花

「きみと一緒でいられる場所へ」

 


ENGさんはともかく、暖かい。

あれはもう、たぶん好きという感情が詰まってる場所なんじゃないか、といつも思う。なんか、あれはもうENGさんというジャンルなんじゃないか、と思ってる。

 

 

 

山茶花、そんなENGさんの中でも特に人気の作品らしく。

情報公開の時からその期待感が色んなツイートから伝わってきた。

もっとも、私は山茶花を観たことがなかつたので、あーよくタイトル聞くやつだ、と思っていたわけですが。

観終わって、なるほど、これは人気なわけだなあ、としみじみ思ったのでした。

 


宮城さんの脚本は、役者さんがそれぞれ「その役をどう深掘りしていくか」がすごくポイントになっていくような気がしてて。いや、正確には私にとって、の話なんだけど。

世界観とか、行動とかの大枠の提示が脚本の大筋で、そこにどれだけ詰まってくるか、みたいな。うまく言えないな。伝わってますか。

楽しかったー!ってなる宮城さんのお芝居はそこで分かれるなあ、と今まで何本か拝見して思うのです。たぶん、2時間でやるには色々と広い物語と多い登場人物だからかも。そこで好みが分かれるなあ、とも思う。

まあ一つには私の中にファンタジーとかの文脈が少なすぎて物語を飲み込むのに時間がかかるせいかもしれないですけども。

でも、なので、役によって、「好き!」ってなるかどうかがいつも以上に台詞以外の目線とか表情とか、何気ない仕草とかにウェイトが置かれる。私の中で。

無駄のない所作とかだけだとさらさらっと流れていくというか、違和感は覚えないんだけど、あとで、え?何で?ってなるというか。

謎!ってならないけどしっくり来ないままで流れていく。

全部は台本内で語ってくれないしね、宮城さんの脚本。なんとなく、印象として。

 


それはさておき。

 

 

 

あらすじ

飛騨の山奥に生息する妖怪「やまこ」

この妖怪 雄しか生まれないため 人間の女をさらい 子を産ませる…

 


やまこの青年「サンサカ」とその弟「ヒゴ」と「シシ」は嫁さん探しのため

妖怪の里から人間界に降り立った

都への道中 山賊に囚われた少女「つばき」に出会う

生まれて初めてみた女に話しかけるつもりが山賊に捕まり

四人が連れて行かれたのは人里離れた森の奥深く そびえ立つ大屋敷

そこは大商人・藤屋源兵衛のハーレムだった

 


山茶花(さざんか)の花言葉は「理想の恋」

 


つばきと出会い やまこにとっては禁断の「ヒトの愛」を知ってしまった

サンサカは 彼女を自由にするために人間達に立ち向かう…

 

 

 

 

 

 

サンサカは、愛されることが第一条件であり今回サンサカを演じた丸山さんはそれを完璧にクリアしていた、とはプロデューサーのぶさんの言葉である。

確かに、と思うんだけど、同時に、誰より愛してた人だ、と思った。丸山さんもサンサカも。

 

 

 

やまこはただ女に子どもを産ませるためだけに人里に降りる。のだ、ということをあらすじで読んで改めて思い至ったんだけど。

だから、人の愛を知ってしまうことは禁忌なのか。

 


あの、この、やまこの行動ってある意味源兵衛と同じじゃないですか。ちょっと乱暴な括りですけど。

恋を「ふたり」ですることだと定義付けるなら、源兵衛の自分の寂しさを満たしてほしいという感情や子どもを産ませる、というやまこの目的は相手がちゃんと存在してない。

 


そういう意味で、恋、という相手、他人、が存在するかどうかの線引きは強烈に彼らの運命を分けたなあ、と思うわけで。

 


茶奴さんも、ゆきのことを結局目を背けた事実はある意味ではずっと、独り相撲だった、と思ってしまうし。

 

 

 

 


サンサカは里でひとりで過ごしたからこそ隣にいる誰かの存在の大切さを知ってたのかな。やまこの三兄弟は、それぞれ独りぼっちになってしまうかもしれない、という恐怖からそれぞれ一緒にいることを自分で選んで大事にしてきたんだろうなあ、と思う、と、なんだか苦しい。

そうできなかった、源兵衛や茶奴について考えてしまう。

あの人たちは選ばれなかった人、なんだなあ、というか。

それを自業自得と切り捨ててしまうのは、と思いつつ、彼らによって傷付いた人たちもたくさんいたわけなので、うーーーーん。

 

 

 

誰かの為に指輪を使うと思わなくて、それもまさか心配かけないために元気だ、と嘘をつくために、だなんて。

いやそれはとんでもなく優しいけど、悲しいじゃん、と思った。

理想の恋、の意味を延々と考えてるんだけどそれは誰かの為に自分の想いとか命を使えること、なのか。

サンサカや椿の、或いは弟たちの恋を想うとただひたすら相手が笑顔でいることを願って行動して、ってことだったように思うんだけど。

いやもう、そこは泥臭く相手と「ふたりで」幸せを掴もうとしてよ、と泣きたくなってしまうし、それを理想の恋と呼んでしまうことの切なさが・・・。ただ、ひたむき、が花言葉の中にあるって聞いて、更に泣いた。そうだね、もう、ひたむきに、ただただ、真っ直ぐ相手の幸せを願ってたんだね、じゃあ仕方ないね。。。

幸せであろうとした、最大限の結果なんじゃないかなあ、と思いつつも、やっぱり、キュッと、切なくなる終わりだったなあ、と思います。

だから、カテコで笑い合うサンサカや椿、やまこの兄弟を見て、あーーーーこのカテコを用意してくれるの優しいー!!!!!って叫びたくなったのでした。

 

 

 

あれが理想の恋だとしたら、それはとんでもなく悲しいと思った。悲しくて、なのに美しくてラストのてんげが降り積もるのをただじっと見ていた。

たしかに、誰かの為に在ろうとした彼らはとんでもなく愛おしく格好良かった。そして確かに、幸せだったろうな、と思うのです。