Thalaviaaの感想をどう綴っていいか、分からずにいる。本当に苦しくて、でも確かにめちゃくちゃ好きで、でも、と延々と観た時から思い出している。
お芝居として好きな瞬間が詰まりまくっていて、そして物語として飲み込みにくい(面白くなかったわけでも、理解できないわけでもなく、あまりにも悲しくて辛くて)から、きっと言葉が出てこないんだ。
オーストラリアで過ごすヴィシュワが結婚のためにインドにいる父と会おうとしたことで自身の父のこと、自分の仲間が置かれている状況を知り「指導者(タライヴァー)」になる物語。
前半のダンスチーム、タミル・ボーイとしてのステージや練習シーンでたくさんのダンスを観ることができて、その自由さに心がわくわくする。
少し前、ヴィジャイさんのダンスについての評価が話題になっていたけれど、思い出しながら深く深く頷いてしまった。
特に物語の中、タミル・ボーイのステージに様々な人がつい身体が踊りだし、シャツを使った振り付けを自分たちも踊ってしまう、というシーン。わかる、わかるよ!と思いながらニコニコしながら観た。分かる。私はダンスが決して得意ではなく、いや得意じゃないくらい苦手であまり「踊りたい」と思うことはないのだけど、それでも身体が揺れそうになる。あんな風に軽やかに動けないことは百も承知で、それでも身体がリズムを刻む。
そしてそれがある意味で、後半のあるシーン、悲しみにも繋がる。
踊ってるヴィジャイさんが好きだ。踊りで、この人はこんなに人を幸せにするんだ、と思う。
父が言う、「暴力ではなく勝つんだ」という台詞を繰り返し思い出している。
ふと思う。今回の映画に限らず、父と息子、の息子としてヴィジャイさんの作品をいくつか観てきた。
ヴィジャイさんは強い。めちゃくちゃ強い。それこそヒーロー映画、スター映画という枠があることを含めても、いやでもやっぱりめちゃくちゃ強い、と思う。アクションも綺麗で容赦なく、格好いい。
だけど、そのいくつかの作品でヴィジャイさんは父から言われる。暴力ではなく、正しく勝つこと。その方法で勝ち続けること。それが、もしかしたら私がヴィジャイ映画が好きな理由かもしれない。
圧倒的な暴力や復讐、殺すこと、は描く。描くのだけど、それが「正しさ」とは呼ばない。それ以上に、暴力以外の方法で、圧倒的に勝つということの真っすぐさも描いてくれる。だからこそ、私は安心してこの映画を観ることが出来るのだ。
そして、だからこそ。ある瞬間の「目の色」の変化が悲しかった。目の色、という表現は比喩として知っていたけどこういうことか、と思う。
(そしてもちろん、あの表現を演じて成立させてみせるヴィジャイさんに改めて惚れ直しちゃうんだけど!)
「一度ナイフを握れば、それが守るためであれ、壊すためであれ、手放せない」
劇中、繰り返し出てきた言葉が「彼の」言葉になってしまう。それは、いっそ、美しさもあり、また絶対的な力に見惚れそうになるシーンでもある。
また、それはそのまま「指導者(タライヴァー)」になる彼を讃えるシーンへと続く。だけど、どこか、ずっと悲しい。それでいいのだと思う、確かに彼も、彼自身が望んだんだと思う。
だけど私は、結局最後まで「どうして」と思い続けていた。
祭りのシーン、踊らずにはいられなかった身体も。麻薬ラッシーによってわずかに緩んだ心から漏れた言葉や歌声も。
親友が来てからのヴィシュワの変化が愛おしくて前半なんなら目立つな〜と気を緩めながら観ていた彼の存在に後半ずっと感謝していた(と同時に、だからこそ彼のことだけはヴィシュワは失いませんように、と願っていた)
そんなのお前に似合わない、と言ったあの言葉が、嬉しかったな。だって、本当にあまりにも「指導者」が似合い過ぎるから。きっと誰もが疑うこともなく、ヴィシュワ、ではなく、タライヴァーとして観る。
だけど、確かに彼の近くに指導者じゃなく、ダンスが好きで、いい加減なところもたくさんあって、だけど憎めない「ヴィシュワ」というただの男だってことを知る人がいるのは、本当にかけがえないことじゃないか。
あの最後を、私はハッピーエンドと呼んでいいのかわからない。ただ、あまりにも血が流れ過ぎていること、また誰かの思いが踏み躙られていることをずっと考えている(彼の決意と車のハンドルを握るシーンが、ヴィジャイさんに纏わるシーン以外では心に深く突き刺さっている。どうして、と理由が分からないという意味ではなく、分かるからこそより、何度も問いかけている。どうして)
ただ、あの病院のシーンとそのあとの街のシーンがあったことを、忘れずにいたい。分け与えるのではなく、分かち合う。流れている血の色で、判断できないこと。
あの小さな女の子たちが繋いだ手のことだけは、忘れずにいたい。どう受け取ったら良いか分からないけど、あの瞬間を大切にした方が良いことだけは、分かるのだ。