えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

仕事に負けないためのCreepy Nuts10曲リスト、あるいはただの仕事の愚痴

仕事がつれえ。
何が一番つらいかって仕事をしないともっと辛いということを直近で痛感してるので辛えけどももっと辛いことはあるぞ、と自分が一番思ってることだ。逃げ場がない。



いやでも別に辛くもない気がする。
楽しくもある。憧れた仕事なんてなかったし今の仕事も別にやりたい仕事として決めてなかったけど、数年社会人をしてる中で「これをしよう」と決めたことではあって、間違ってなかったと思おうとしている仕事なのだ。
でもやっぱり間違ってなかった、と思いたいだけなのか。思い込ませてるだけなのか。




とか。思ってると。仕事出来なくなっちゃうじゃないですか。
あーーーーー全部やだ、しちゃうし、そうなるとやってられなくなるわけで。というか仕事しないと生活していけないし。何より、止まることは大事だけど止まった後もっかいエンジン吹かすことの方がしんどい。
やってらんねえと叫びそうになる時は、だいたいCreepy Nutsを聴くのだ。



Lazy Boy


だいたい無理!ってなってる時って忙しい。部屋は荒れまくってる。ギリギリの衛生面を保って服を畳めないまま山にしてるしフローリングに埃の気配を感じている。分かってるけどやれないし、なんならそもそも休む時間を削ってるのに丁寧な生活なんてできるわけねえだろと悪態吐きたくなる。
まあ、このLazy Boyの彼らには釣り合わないような忙しさなんですけどそれはそれ。比べる必要はないわけだ。
私がこの曲を好きなのは忙しい、3分だけでも時間が欲しい、寝たい、という言葉の中、でもこの状況を「夢にまで見た」それだと歌うところだ。ずっとこうなりたかった、でも本当は怠け者で引きこもってるのだって平気だ。


そんなことを交互に、忙しい休みたいでもこうして過ごしかったでもしんどい。
それを緩やかなテンポで聴けるのがなんだか居心地良くて暴れ回ってる頭が落ち着くような、腹の底、覚悟が決まる、そんな気がする。


おっしゃ、一旦落ち着いてモード入れていこうと思う。



シラフで酔狂

シラフで酔狂

シラフで酔狂


めっちゃ好き。いきなり言葉を失くすけど本当にこの曲が好きだ。実はそもそもCreepy Nutsを気になったきっかけの曲だったりするので、思い入れだってある。

この曲を仕事前に聴きたくなるのは、この曲の成り立ちが大好きだからかもしれない。



R-指定とDJ松永 Creepy Nuts『シラフで酔狂』を語る




もうなんか、この曲は書くことないな。聴いて、みんな。




スポットライト


どこまで頑張ればいいのか、とかそもそも「ここは頑張る場なのか」みたいなことを考えることがある。
別に大した仕事をしてるわけじゃない、騒ぐほどのことじゃない。
そうやって自己卑下をかまして自分を隅っこに追い込んで、そうすればそうするほどに自分のしんどさみたいなのが情けなくてまんまと袋小路にハマる。
みたいなのダッセーと思わせてくれて、良いからやれよ、と思わせてくれる名曲。
MV見てなかったとこのブログ書きながら気付いたのでとりあえず観ます。


「俺のゲーム、俺だけのステージ」
そんな言葉を聴いて、足元を見る。



爆ぜろ


営業という喋る仕事を好きになったきっかけをくれた人に言われたことがある。営業やってるとその人の人としての弱点がそのままその人の営業の弱点になるんだよ。
最近そのことを考える。人付き合いが苦手なこと、素で喋るのが苦手なこと、すぐ思い詰めるネガティブ思考なところ。それを隠し切ることも曝け出しきることもできないところ。
情けなさに吐きそうにもなるけど、「言いたいこと言え」「好きなように生きろ」もハードルが高すぎるから、たまに爆ぜる、くらい許して欲しい。


素直になるんだとしたら、それでもやっぱりこうしてジタバタ足掻くのが好きなんだと思うから、なんかもうやってらんねえなって思う。
それはちょっとだけ清々しくもあったりする。



板の上の魔物


ちょっと清々しくなったところで気合をもっかい入れ直したい。
この音楽の頭、いっこいっこ確認するような言葉とそれに合う音が気持ちいい。一つ一つ自分の中のリズムを確認するような、そんな気がする。
軽やかで、でも歌ってることはちょっと容赦なくてそれを全部まとめて吹き飛ばすようなそんな気分になる。
なんだろうな。なんかこう、爽やかやったー!ではない。むしろ、胃液の苦さみたいなのはより鮮明になるんだけど、まあもうやったるわい、みたいな気持ちになれる。



生業


自分がダメなやつだと思ってた方が気が楽なことがある。でもそれじゃ立ち続けられない。
大したことないって自虐じゃいけない場所があるし、自分で自分を落として得することなんてたぶん、ない。
HIPHOPは「かまし」の文化である。
この生業はストレートにCreepy Nutsかまし、の音楽だ。
フロウはRさんのスキルも言葉遊びも堪能できるし、松永さんのスクラッチがたまらなく気持ちいい。


格好つけるのは怖いけど、格好付けてかまさないといけないところだってあるのだ。
負けてたまるかよ、と思う。


パッと咲いて散って灰に


勝つことって負かすことだ。自分がここに立ってるのは、誰かを押し退けた結果だ。
勝つこと、なにかを目指すことを美化されて、みんな目指すけど実際それをやってみると聞いてねえよ、みたいな居心地の悪さと出くわすことがある。別にわざと誰かに酷いことをしようとしたことはないはずだけど、たぶんきっとそうだと思いたいけど、でももしかしたら、と過ぎる居心地の悪さをなんとなく知っている。
私はこの曲を聴くたび、それをはっきり言われることに安心する。それでもそこに辿り着きたかったのは誰よりも自分の欲だと自覚して落ち着く。
美化もできない、でも諦めもできない、どうしても辿り着きたい場所を思い出せたら、折れずに仕事ができる気がする。



2way nice guy


自分のことを天才だと思ってる人ってどれだけいるだろう。天才だな、と思う人はたくさんいるけれど、その人たちを知れば知るほど、その人たちだって同じように悩み苦しみ自分のしょうもなさにがっかりしてる。
そのステージが全然違うよ、と言われればそれまでだけど、でも勝手にステージが違うからと特別視するのはやっぱり、違う気もするのだ。
そうして、じゃあその人たちがそれでも"天才"なのは自分の使い道を見つけたからなんだよな、と思う。
自分にやめろと言われようが、無駄だと言われようが「こうしたいんだけどな」を貫いた人たちを天才だと呼ぶんだとしたら、それはただの奇跡と呼んで片付けるには惜しいんじゃないか。
自分の適材適所、なんて見つけてないけど、まさかってとこにハマる、その奇跡を起こせるのはたぶん自分だけだ。


ところで、そんな楽曲のMVコンセプトが「人生最期の打ち上げ」なことが本当にたまらなく好きで、最近色々嫌になるたびに思い出してるのでどこかでその話をしたいと思う。



紙様

紙様

紙様


とかなんとか、言ってきましたけど。あんまり思い詰めても仕方ない。
仕事ってそれでもやっぱり「お金を稼ぐ手段」なわけで。
そういう線引きを忘れると削っちゃいけないところまで削ってしまいそうだ。
佐久間さんが「ずるい仕事術」の中でも言っていた給与の分だけ働いたら十分プロ、を時々ちゃんと思い出すようにしてる。
とはいえ、成果物に支払われるタイプの仕事なら「これだけの量をやったから確実にこの成果が出る」なんてことはないわけで、じゃあやっぱり頑張れるだけ頑張れ、なんて思い詰めかねなくて慌ててもっかいこの曲を聴く。


生きてるだけで丸儲け、生きてるだけでいい。そう言うわりには法外なチャージ料金まじでかかりすぎだし生きてるだけでお金がかかって罰ゲームも良いところじゃん、なんて言い捨てたくはまあ、なるんだけど。


なんか、この曲は落語のだめなひとを聴いてるような安心感がある。だめはひとのまんま終わったりもするけど、そんな愛すべきひとの姿を見て、ほんのちょっと安心して自分のダメなところをまあしゃあない、と言えるような。あいもかわらず、私も昔からコレに縁はないけど、頑張ろうかな、と終わる頃には笑えるから不思議だ。




風来

風来

風来


とかなんとか。思い切り肩に力入れて足踏ん張って、歯を噛み締めて。そうやって限界のその先、アクセルが空ぶかしして燃えてんじゃねえか、みたいな一週間を過ごしてはいるけど。
バックレる時はバックレようまで、歌ってくれるCreepy Nutsの音楽を頼りに今日も家に帰る。電車に乗り込む。
いっっっっっや、疲れた、疲れたな。なにも残せてないけど、ここからうまくいく保証はないけど、とりあえず今日はもう、よくやったって言って終わって良いんじゃないかな。



自我もりもりの文章ではあるけど。それでも、今日もぎりぎりまで頑張ったあなたにも、届いたらいいな。別に届かなくても良いんだけど。それでもやっぱり、どっか、同じようにちくしょうって言いながら生きてるあなたがいることに私は安心しながら生きてるよ。
とりあえず今日はおつかれさん。ゆっくり休も。