えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ツツシニウム キニナルナカミ

2016.10.12観劇



キニナルナカミ

あらすじ
この中には希望と絶望が詰まっている。
開けてはいけない、なんて事はなく。
いたって個人的事情で僕は、開ける事ができないでいる。 
開けなきゃ中は見えないのに、色んな想いだけが渦巻いて
キニナルナカミから目を離せないでいるんだ。
かなり限られた客席、シンプルな舞台セット。
もうそれだけで、かなり心が震える。
物語はどこかにいる、そして覚えがあるどうしようもない人たちの話。
近い距離で暴力的なまでに叩きつけられる役者さんたちの感情放出は凄まじいものがあった。
あとLED照明・・・!!!怪しさ、恐ろしさ。影。そういうのがきれいに出てて、ただただ感服のため息。
舞台をみていて、涙に心奪われるという経験は観劇好きなら一度や二度あるんじゃないかな、と思うんだけど
キニナルナカミも、そういう涙とか汗とかに心奪われる瞬間があった。
そして客席との距離の関係で(特に今回、観劇したのが桟敷席だったのもあって)涙が滲んで目尻にたまって、というのをまじまじと目撃することになった。もうこれがまた、痺れる!!
生身の役者さんがリアルタイムで、目の前で演じるからこそ、「これは現実なのではないか」という錯覚が芽生えることがある。
そんな、お芝居だった。
お話的には、私はコツコツ生きているのに選んでもらえない、竹石さん演じる「かずよし」に共感した。
そうなれないという劣等感も、こんな奴のくせにっていう苛立ちも、どうせ選ばれるのだという諦念も。
あのお見舞いのシーン。ひたすら、自分の名前をおばあちゃんに言うシーン。
あまりに名前を繰り返すので、福地さん演じる役になりすまして(そうすることで、おばあちゃんを喜ばせようとして)いるのかな、と一瞬よぎった。・・・役の名前を覚えるのが苦手なもので。でも、もしそうなら切ないなぁと思った。ので、自分の名前でよかったな。でも、あんなに刷り込むみたいに名前をいって、それでも自分の名前をおばあちゃんが呼ぶことはないなんてのも、ちょっと、残酷だな。

今回のキニナルナカミは、普段、今回出演の役者さんをみる劇場よりも小規模。
受付の近くには、出演もしているはずの福地さんがいて、スタッフさんの数も限られていた。
いいお芝居、というものの定義は人それぞれだと思うしそうあるべきだとも思っているけど、
まさしく熱情に駆られて上演されたようにも見える今回の「キニナルナカミ」が本当にいとおしく、
また、観劇できたことを嬉しく思います。