えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

メトロノウム

ENGさんのメトロノウムを観てきました。
役者さんごとの感想はツイートしたので、お話の感想を。
ENGさんは、ともかくあちこちに愛情が溢れてて、だから余計に感想を伝えたくなってしまいますね。


【あらすじ】
ぼくは眠たがりのヤマネ…ねむぅ…
アリスとイカレ帽子屋と三月うさぎとぼくは
おひがらもよく、みんなでいっしょに
ハートの女王をやっつけにお城にとつげきです。
女王は気に入らないとすぐ首ちょんぱが大好きで
勝手に時間ももどすし、めんどくさいのです。
おやすみなさい……
ここは19世紀の童話『不思議の国のアリス』をベースに作られた楽園。
時も空間も自由な不思議の国で
振り子のようにこっくりこっくり…
眠たがりのヤマネは目を覚ます。
「ここはどこ? ぼくはだれ?」
幾重にも重なりゆく、昨日見た夢と今日のデジャブ。
都市(まち)を覆う濃霧の向こう側、決して誰も抗えぬ支配が姿を現す。
DMFで10年前に上演された「早過ぎた名作」を
ENGが愛を込めてプロデュース。
演出するのは
「Second You Sleep」に続き福地慎太郎。
理不尽で幸福な不思議の国に閉じ込められた、もう1つの物語。

 

まず、宮城さんの脚本は世界観が独特だなあ、と改めて。
突飛、というよりかは確立されてる、っていう言葉の方がしっくりくる。
どんな役者さんがそこに参加しようが、観客が来ようが揺るがない。
今回、私自身もそしてTwitterの感想でも、前半は話についていくのに必死だった、という言葉があったけど(私に関してはいえば、ファンタジーが苦手、というのもあって見る前からちょっとそこがドキドキだった)
元々舞台って、個人的に作り込まれれば作り込まれただけ、独自の世界観って入りづらくなってしまうことがあって。
文字みたいに好きなタイミングで振り返ることもできないし、
何より音と視覚情報に頼るので、見慣れてなければ特に、情報の整理がしづらいというか。


ところで、福地さんの演出、セカスリをDVDで拝見した時にその立体感にビックリして、テレビにかじりついた記憶がありまして。
影が綺麗だなあ、と思ったのです。
勿論それは照明的な演出もそうなんだけど、それ以上に直感的に立体感!って思って。
今回、それを更に実感した。
立体感、って言い直せば、そこに人が立っている感覚というか。
ENGさんは、参加する役者さんが皆さんともかく身体能力が高いイメージがある。
毎回印象的なオープニングアクトがその象徴のひとつだ。
ダンスも殺陣も、ともかく圧倒される。
キャラクター的にも凄く際立つという印象がある。
それに、福地さん演出が入り更に輪郭がハッキリと映し出されたというか。
宮城さん脚本と、福地さん演出ってたまらないなあ、と思ったのです。
あの独特の、確立された世界観を輪郭を持ったキャラクターたちがどんどん立体化していく爽快感。
そのままにぐいぐい引っ張られれば、気が付けば、心の深いところをキュッと握られるような。

そして、その空気感がこのメトロノウムっていうお話に凄くマッチしてた。

メトロノウムシステム。
人々は、それぞれのフィギュアのいる世界を構築して競い合いながら人間の幸福を探す。
今回、フィギュア、人間(アンツ)AIそれぞれの演じ方が全く違って(おかげで、見ててそこは混乱せずに見れた、凄い)
なんだか存在感というものについて考えながら見たお話だった。

このメトロノウムシステムが凄い。
10年前に書かれた作品とは思えないくらい、今、に通じるところがあって、なんならちょっとゾッとする。
仮想現実を通して関わりあう人たち。
自分というものを表現してはいるんだけど、でもその感情とか伝えたいこととかはうまく伝えられずに手遅れになってしまう。
ヒイがメトロノウムシステムを説明する間すごく鳥肌が立ってた。その世界をなんなら少し魅力的に思ってしまうことがかなしかった。

だからこそ、アンツの人たちの存在は優しい。
あの世界で自分の命をかけてでも生身の人間として生きようとした彼らは希望だと思う。
アンツ、についてはそんなに深掘りされてないと思う(一度しか見れなくて設定を誤解してる可能性もあるけど)んだけど、それでも違和感なく彼らの存在を受け入れて思いを感じるあの熱演!
止められてしまう時、心底やめてくれ!って思った。

メトロノウムが大好きな理由として、ツイッターにもひたすら書いたけどシュクガの存在が大きい。
腕で口元を抑えて叫ぶ不器用な姿も、ビャクヤの「アリスを思い出したくない!」っていう子どものような主張も
メトロノウムシステムに一瞬でもいいなあ、と思ってしまったからこそ、心に刺さった。
もし、シュクガが心のままに思い切り泣いたり叫んだりできたら
アリスを喪う時、あんな頼りない死なないで、じゃなくて必死に呼び掛けれたら
私はこんなに心が揺り動かされなかったんだと思う。

そしてもうひとつ、フィギュアの存在。
フィギュア→アンツ、も変化したと思うんだけど、
ラスト、フィギュアがアリスを守るためにヤマネたちに協力するシーン。
あのシーン、フィギュアたちが自分の意思をもって・・・ヒイやシュクガがプログラムしたキャラクター、書き換えられてしまう存在として、だけじゃなく・・・動いていたように見えた、というのは少し感傷的な感想だろうか。
私には、彼らが彼らなりに存在して、生きていたように見えた。

ラストシーン。
クイーンの話をアリスにシュクガがする悲しくて優しいシーン。
あのメトロノウムの世界はシュクガのために存在してた。
だけど、シュクガは誰よりアリスのためにあの世界を作ったんだと思う。
終演後、フライヤーの「アリス、話の続きをしよう」という言葉に涙が溢れたのはそのせいだ。
あの物語も、フィギュアたちも大好きなアリスが笑ってくれるように、生み出されて、生きていた。

カーテンコールを終えて、舞台上に残るメトロノウム、ティーポットとティーカップ。
誰かとの楽しいお茶会を思わせるそれが、今も心に残ってる。