えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

罪の声

誰かが決定的に悪人だったのか、と聞かれると私には分からない。もともと、この映画はある意味で「犯人探し」の映画ではない。
ただそれでも、確かにそこに「罪」はある。
そのことが無性に苦しくて、やりきれないような、そんな気がしている。



罪の声は、実際に起こった日本の犯罪史上類を見ない「劇場型犯罪」をモチーフにした映画である。
事件があった当時、まだ生まれてない私は正直この映画を知るまでそんな事件が起こったことも知らなかった。
なので、映画の中のどこまでが実際に起こったことでどこからがフィクションなのか、私には分からない。
ただ、この映画の通りじゃなくてもその事件によって傷付き、人生が狂っていた人たちがたくさんいたんだろうな、とこの感想を書きながら思う。
劇中ハッキリとは描かれていないだけで、あの事件をきっかけに経営上仕方なく解雇になり、人生が狂った人も、阿久津の言う通り、きっといるのだ。



映画は、そんな色んな人の悲劇をゆっくりと丁寧に描いていく。丁寧、と思うのは、そこに余計な……というと怒られそうだけど……はい悲しい!とかみたいな、過剰な感情の味付けがされていない、と感じたからだ。
罪の声に出てくる人たちは殊更に感情を言葉にしたりだとか、表情に出して訴えたりしてこない。ただ、そこに確かに存在していて、生きて考え、感じて生きてる。
だから、私も大袈裟に悲しんだりすることもなく、それでも言いようもないような気持ちをお腹の中でぐるぐると飲み込んでいた。


あれは、なんだったんだろう。


本当にただ生きてただけなんだよな。生きてただけ、というにはしでかしたことが大きくて、狂ってしまった人生のことを思うと、墨を飲んだみたいな気持ちになるんだけど。
じゃあどうしたら良かったんだろう、とか、ずっと考えてる。

たぶん私はどこか、タツオやお母さんの気持ちを考えてしまっている。正義がどこにある、とは思うんだけど、それは間違いなくそうだし、あれを正しいことだった、とするのは絶対に有り得ないんだけど、
それでも、と思う。だって、彼らだって傷付いてて、いやでも、傷付いたからってなにをしてもいいというわけじゃない。彼らは、やり方を間違えた。
それでも、奥さんが言った、優しいお婆ちゃんとしてのお母さんの姿を考えてしまう。
なんだかもう、人の生きることのしんどさというか、ままならなさを考えては蹲りたくも、なるんだけど。


例えば、作中でも問われた35年前の事件を掘り返す意義のこともそうだ。
それがエゴじゃない・自己満足じゃないと果たして本当に言い切れるのか。
そのどれも、ものすごく絶妙な薄い紙で隔たれた紙一重でしかない。そう思う私は、性格が悪いのかもしれない。

真実に辿り着くために、と言ってもやっぱり真実なんてものはなくて、あるのは事実の側面の一つだ、とは何かで読んだ言葉だったと思う。
でも本当に、だってそうじゃん、と思う。阿久津の今回の行動が、曽根さんや聡一郎さんにとって「良い方向」にいったのは、ある意味で、運が良かっただけ、とも言えるんじゃないか。
もちろん、彼自身の、誠意だとか努力もあってこそだと思うから、それを「運が良かった」なんて言うのは、多少失礼なんだけど。
こんなことを思ってしまうのは、映画を観ながら、正しくいることの難しさに何度も何度も呻きたくなったからだと思う。

信念を持つことの苦しさや、幸せになりたいと願うこと、ただ自分の人生の主役であり続けようとすること。

それを、やり通そうとするとき、人は案外簡単に間違えてしまう。だとしたら、ちょっとあんまり、しんどすぎやしないか。人がただ、生きてるだけのことで生まれる不幸や悲しさが大きくて、私は途方に暮れたくなる。

わりと見終わったあと、人間って生き物のことが嫌いになっていた。
それは、この映画の本意じゃないとは思うけどどうしようもなく、人間嫌いだなあー!と思って、苦しかった。
でも本当に苦しかったのは、ラスト……聡一郎さんとお母さんとの再会や曽根さん家族や、曽根さんのもとへやってきた阿久津さんの姿が愛おしくて、好きだったからだと思う。
人間は、どうしようもなくて間違えたりもするけど、どうしたって愛おしくて、だから余計に、苦しかった。

どうしたら間違えずに罪を犯さずに、揺れる振り子が悲しい方にいかずに済むんだろうと、呻きながら考えていた。

別作品になるけど、同じく野木さん脚本のMIU404、5話の台詞を思い出した。


「うるせえ!俺は今何十万人の話をしてない。マイさんという、一人の、人間の話をしてる」
「一人の、たった一回の人生の話」

この台詞を思い出したのは阿久津さんがタツオに伝えた伝言のことを考えてる時だった。

大きなことを言うのは気持ちがいい。主語をおおきくする、なんて表現もあるけれど、
主語を大きくして、大仰な……それは明るいことも暗いことも……言うのは気持ちが良いんだと思う。それを信念だ、と呼ぶのはまるで自分が強くて大きな存在になったような気持ちになれて、気分が良いんだろうと思う。

でも、そうじゃなくて。いや大きなことを言うのがイコールでダメなんていうのも、少し横暴なんだけど
でも、そういう目の前のことや人を大事にして笑っていられるように祈りながら、日々、自分の仕事を丁寧に丁寧に積み上げること。それは難しいけど、きっと、もしかしたら、幸せを作って、何より自分が幸せになるために必要なんじゃないか、と思った。
罪は、あちこちにあって、それを犯さずに生きていくことはとても難しいけど。
誰かを恨んで、あるいは心酔して生きることは甘美だったり、するけど。
そうじゃなくて、自分の生き方を丁寧に誠実に積み上げることが、どっか、優しい時間に繋がったら良いのにな。そうやって、生きて、人を憎み過ぎずに生きていけたらいいし、それが一番、近道なんじゃないかな。

まだ、この映画については考え続けるけれど。
それでも、丁寧に描かれたこの罪の声に少し押された背中が、ちゃんとピンと伸び続けられるように頑張っていたいな、と心底、思ってる。