えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

パダラマ・ジュグラマ

パダラマ・ジュグラマ


おぼんろさんを初めて知ったのは、確かTwitterで流れてきたいいね公演だった。
料金設定が面白くて、corichのページを観にいって、それを呟いたらリプライを頂いたのである。
それからも度々、Twitterで話を聞くたびに、気になっていた劇団さんだった。
路上のパフォーマンスから始めた、という話を聞いたときは、なるほどなーとどこか納得したのを覚えてる。
物凄い愛情と、熱意をネットからでも感じた。

で、そんなおぼんろさんが期間限定配信をされてたので、見てみた。
パダラマ・ジュグラマ。

(あらすじが見つけられなかったので、割愛)

悲しい世界の、お腹を空かせたキツネとニワトリの話。
映像で見てもワクワクする舞台セット。セットっていうか、舞台空間。もっといえば、物語空間。
衣装も素敵、それに照明がのれば、もう、夢の世界。


食べるものと、食べられるものが出逢って、仲良くなってしまう・懐かれてしまう、って、時々見かけるけどそこに生まれる葛藤とか結末は、当然ながら違う。
もう、ハラハラしながら見るよね、それはもちろん。
そして、何よりもう、一人一人が愛おしいから彼らがみんな幸せになれー!!って叫びながら見る。
おかまのニワトリ、リンリンは特に心に残った。パッと目を引くお芝居はもちろんのこと、くるくる変わる表現、華やかさ。見てて、わくわくするとはこのこと!
そして、工場長への切ない恋心。もう、好きになるしかない。
今日は綺麗だね、の言葉に涙がでた。恋をする人は、綺麗だ。

で、そこなんです。

恋をする人は綺麗だったり、
世界は絶望じゃない、とか
何があっても笑っていよう、とか

こうだったらいいのにな(けど、そうじゃないな)っていう台詞、設定がたくさん出てくるこのお芝居。
特に、純粋なタックがそれを口にするたびに、そうじゃない現実が苦しくなる。
印象的だったのはドンドンドン様の話を聞いて、暗かったニワトリたちに希望が見えるところ。
食用の自分たちが、もしかしたら助かるかもしれない、ドンドンドン様が助けに来てくれるかもしれない。
その話にわくニワトリたちは見えはしないんだけど、パッとその場が明るくなるので、どれだけ喜んだのか伝わってくる。
もっとも、ドンドンドン様はとしもろの作り話で、それがわかったニワトリたちはまたすぐに暗いニワトリたちに戻ってしまう。
そうだよなあ、と思う。
そうだったらいいのにな、は大抵、そうじゃないし、
そうだったらいいな!ってわくわくした気持ちは、案外簡単に萎むどころか、
わくわくした分、落ち込んだりするわけで。

ただ、そこで、タックの台詞に痺れる。
信じないひとのところに、ドンドンドン様はやってこない。


テイストとしては、御伽噺なんだと思う。
優しい話だと思う。
だけど、それは笑い飛ばしたくない御伽噺で、できたらそうでありますように、と願いたくなる御伽噺だ。たぶん、それはくたびれた星にタックが願った願い事に似てる。死にたくないと、必死に誓った言葉に似てる。

そして、たぶん、それは叶うのだ。
信じてれば。
そんなことを、ラストシーンを見て、かたく掴んだ手を見て、思う。

あーーー!!おぼんろさんが生で観たい!

ムサコジ

1年前、youtubeでダイジェストを見てからずっと観たかったムサコジを買った。
ダイジェストで観た時から、塩崎さん演じる武蔵の台詞がすごく好きで、ずっと気になっていた。

ようやく観れた。

なので、感傷的度がいつもより増しましです。思うままに書いてます。悪しからず。

 

公式サイトからのあらすじはこんな感じでした。

型破りの武蔵&小次郎!
巌流島で一騎打ち!

悪鬼ムサシvs地獄の掃討人コジローが
時空を超えて血の抗争に決着をつける!

北千住の特設リングにて(客席四方囲み舞台)火花を散らし、踊るように繰り広げられる斬り合いと立ち廻り!
で実際踊る!

時代につき動かされた2人の、我々が預かり知らぬ絆と結びつきと関係をフォークダンスで表す!
全く新しいエクスクエスト2011サマーパフォーマンスは
尋常じゃないSFバトルコメディ!

そして一目惚れしたダイジェストがこちら
http://www.youtube.com/embed/fjueGpHczp0

 

クエストさんの、殺陣やダンスが好きだ。
前、ツイートしたこともあるんだけど、
クエストさんが以前アイビス・プラネットさんの上映会でブラック西遊記を上映したときに、ともかくうちは無駄に踊るし殺陣をします。ともかくします。みたいな話をしていた。
本当に、たくさん踊るし、殺陣をする。
特に今回のムサコジは武蔵の話なのでたくさん殺陣をする。たぶん、台詞を交わしている時間より殺陣の方が多かったと思う。少なくとも、体感として、見ていてそう思った。
だけど、たぶん、クエストさんのお芝居はそうじゃないと感じられない。
それは台詞が弱いとかそういうことじゃなく(むしろ、台詞はめちゃくちゃ強いと思う。だいたい観た後、ひとつふたつの台詞が刺さって抜けなくなる)ただただ、クエストさんの熱量の1番の象徴が殺陣やダンスなんだろうな、という話で。
だから、クエストさんを生で見るのはわくわくする。汗や空を切る音を聞きながら空気が震えるのを感じながら超高速の殺陣やダンスは見ていて心臓が震える。
映像でも、心は震えるけどな!!!
人間って、こんなに凄いんだなあと、クエストさんの作品を見るたびに思う。
人間、こんなことできるんだ。
それは、たぶん、役者さんたちが死力を尽くしてくれているからこそ、感じられることなんだろうけど。
その、時間がムサコジはさらにたくさんあるのである。もう、贅沢。すごく贅沢。なんなら観てるとき、途中で心臓が痛くなって何回か止めた。
あと、オクラホマがすごくおしゃれ。
そして、殺陣やダンスが格好いいのは勿論なんだけど、楽しそう。中には殺し合いなので、怖い顔をしているところもたくさんあるし、恐ろしく体力を使うことのはずなので、ただ楽しそう、というのもなんだか違う気がするけど、いやでも、本当に、楽しそう。
格好いいんだ。フルって、格好いい。
もう、だって、紛れもない全力、なんだ。しかも、それが楽しそう。そんなの、格好いい以外の、表現を私は知らない。


そして、何より。
うるせえ!やろう、の台詞だ。
クエストさんのお芝居は、飛び出す絵本みたいで、すごく分かりやすいわけではない。わけではないんだけど、いくつかの台詞が真っ直ぐ刺してくる。
お通殿に、小次郎に、武蔵が言う。
やりたいから、好きだから、やる。
御託やもっともらしい言葉はどうでもよくて、なんならそれはうるさい「外野」だ。
凡人の自分が、神的な何かを感じる瞬間が、好きなものにはあるんだ。

もう、そんな、こんな台詞、言えるのがすごい。
言って、嘘じゃないのがすごいし、その、台詞を書いたトクさんは何者なんだろう、って思う。
武蔵が挙げる、好きなもの、は色々だった。賭け事やものづくり、女や友達。
仕事、の話ではない。形がはっきりしてるものだけじゃない。だけど、好きなもの、だ。
こんなに勇気が出て、嬉しくなる台詞と出逢えたことが本当に嬉しい。
し、こんな台詞を、人間は言えるんだなってことが、本当に幸せだと思う。
(すぐオーバーな物言いになってしまうのは、私の修行の足りなさなのかもしれないけど、正直な感想なのです)

この台詞を言える人たちだからこそ、あんな殺陣やダンスができるのか。
あんな殺陣やダンスをできるからこそ、この台詞が言えるのか。

ともあれ、

ムサコジを見て、ああだから、私はクエストさんが好きだなあと改めて実感したのである。

ミラージュインスチームパンク 最終兵器ピノキオ、その罪と罰

あらすじ
上空より投下されたピノキオが
地面に堕ちる数十秒の間に、
垣間見る3つの冒険物語───。

 

───気がつくと白い霧の中にいた。

自分は何者か?ここは何処なのか?なぜ誰もいないのか…?

朦朧とした意識もままならぬうち、不意に落下する身体。

「そうだ、ボクは兵器だ。人類を滅ぼす最終兵器。
ここは雲の上。
ボクは地表に落下する。するときっと…!」

ピノキオが覚醒した時!急激に物語に突入する。
そこは過去か?未来か?夢か?現か?

疾走する恍惚とめくるめくくるくるファンタジー!

ピノキオは人類を滅ぼすのか!?

真実は蜃気楼の向こうに──!

 

 

今回はDVDで観た作品。
つい先日まで再演という名のハイパーバージョンが上演されていた。その初演作品、「ミラージュ・イン・スチームパンク 最終兵器ピノキオ、その罪と罰
もう人気な作品なのでどこがどう面白いか素敵か、なんて私が言うまでもない。むしろ何も聞かずに見てほしい。
にもかかわらず、ブログを書きたいと思ったのは初演のDVDを見ていていくつかの台詞に布団ローリング(興奮している様)しながらここがこういう意味な気がするんだ!って話がしたくなったからです。そしてかつ、それをうんうんって流しつつ聞いてくれる友人たちにとうぶん会う予定がないからです。

残念ながら、最終兵器ピノキオは観れずだったのでそことの食い違いにはどうか目をつぶってほしいです。

それはさておき。
以下ネタバレを含みます。むしろネタバレしかありません。
もし見ていない方は、初演はYouTubeに全編アップされてるので見てほしい。
https://youtu.be/5pzJmEN7cAE
一つ目。
ちなみに、分かれて見て一気に観たい!ってなった人は公式サイトでもDVD通販してるので見て欲しい。見て欲しい。メイキングも副音声もついてるよ!お得だよ!

そんでもって。

クエストさんの魅力として、ひとつにはその詰め込まれた要素がある。
なんのお話?と聞かれて即答できない理由もここ。ミラピも、ピノキオとシンキローの話でありながら、妖精たちの話でもあり、シンデレラと王子の話でもあり、大佐とビビアンの話でもある。
そんな中で今日はシンキローとピノキオ、そしてジュンキロウの話がしたい。
の!まえ!に!
クエストさんのお芝居で好きな要素のひとつとして音楽や台詞が入るきっかけの気持ち良さがある。
たとえば、クリンケットをブルーフェアリーが助けにくるシーン。もうあのシーンの台詞の気持ち良さったら!
DVDで観るときは自由なので、全力で合いの手を入れながら観たい。よっブルーフェアリー!みたいな。

本題に戻る。

シンキローとピノキオが気になってくるのはもう、主人公なので、当然だ。
当然なんだけど、あのお話がこんなに愛される理由として、誰しも心の中にピノキオみたいな、オモチャの友人がいるからだろうなあ、と思う。
後々、ジュンキロウの話でも触れたいんだけど、シンキローはピノキオを庇って死んだことを微塵も後悔してない(それがまた、切なくもあるんだけど
それは、ピノキオが友人だからだ。しかも、ただの友人じゃなくてオモチャの友人。心の根っこが繋がった、そんな友人がピノキオなんだろう。その人を喪う方が自分が死んでしまうことより、心を冷やすことがある。そう思うとシンキローはきっと、後悔していない。危ないよ、ピノキオ。の台詞を思うとちょっと自信なくなるけど。
ただ、ピノキオは逆にそんな友人を喪ってしまった。しかも、自分のせいで。
その気持ちはどれほどのものだったろうか。

そういえば、ミラピを貸した友人が感想で何故ピノキオが作った世界なのに彼は思い出さなきゃいけなかったのか、と言っていた。私は、それはピノキオが罪を犯しているし、だから、罰を受けるからなんじゃないか、と答えたのだけど、
友人はそれから副音声を聞いて、ラストのダンスシーンで衝撃を受けたらしい。曰く、このお芝居がジュンキロウの見ていたものな可能性がある。
いやまあ、最終兵ピ、パンフにてそれはないというか、ピノキオが見ていた物語だってわりとハッキリ示されたんですけど。
でも、確かに彼はこの物語の重要人物だなあとその話を聞きながら思った。
だって、もし、彼が見てるならピノキオが罰を受けるのもストンと納得するのだ。そりゃ、そうなんだ。だって、許せるはず、ないんだから。
シンキローが後悔していなくても、そんなの、受け入れられるはずないのだ。
そんなことをぼんやり考えながら、ただ、ピノキオもジュンキロウも、シンキローが亡くなってしまったからそこから本当に救われるのは、難しいなあ、と哀しくなる。

そして、話は戻ってピノキオが罰を受けなきゃいけなかった理由である。
というか、いったんジュンキロウがというのは置いておいて、ピノキオが自分で綴ってる物語で、つまりは自分が神様であるはずの世界でわざわざ思い出す苦しみを味わった理由についての妄想だ。もちろん、これは私のひとつのこうかなあ、の可能性の一つとして聞いてほしい。

そんなことを書きたくなったきっかけの一つは
「なんでこんなことになっちゃったかなあこの世界」
「この、世界?」
という、シンキローとピノキオの台詞だ。
さっきも書いたけど、ピノキオはこの世界では神様だ。ピノキオが事実を曲げ、自分に都合よく、シンキローと遊び続けられる世界を作ったのだ。
自分のために。
でも、そのピノキオの存在理由は間違いなく、シンキローな訳で。そして、シンキローは、そういう意味ではピノキオにとっては神様と同義だったわけで。
その、神様からの世界の否定。
ふとそんな風にこの会話が思えて、そうだとしたらピノキオが作った世界は崩壊に向かうなあ、と納得したのであります。かなしい。


死んだ人は生き返らない。心の中で生きている、なんて詭弁だと一蹴してしまいたくなるような哀しさが、ある。
んだけど、でも、やっぱり、根本の解決じゃなくても、どこか救われてほしい。救い、なんていうと大げさだけど。シンキローの物語を綴り続けること。事実を曲げるのではなく、忘れないでいること、そうして話すこと。それは、確かに残された人の心を優しく包み込む。それこそ、人間最大の力、創造力の使い方なんじゃないだろうか。

 

朝劇 西新宿 恋の遠心力

2016.10.12観劇



朝劇 西新宿 恋の遠心力
あらすじ
この瀟洒なカフェは、巨大な“宇宙エレベーター”の中にある。
 現在、地表に向かって下降中だ。
 五ヶ月間、宇宙空間で過ごした日々も今日で終わり。
 大勢の乗客たちが、お別れパーティに興じている。
だが、若き研究者、伊吹だけは地球に帰りたくなかった。
 彼は恋をしてしまったのだ、エレベーターのクルーである、アンドロイドに…!
 研究者、アンドロイド、医者、芸術家、パイロットたちが、叶わぬ恋を巡って大騒動。

朝食と、素敵なお芝居で迎える朝。
まず、本当にそのコンセプトが好きでずっと気になっていた企画!(いつかぜひとも下北沢にも行ってみたい)
開場中、役者さんたちが注文をとったりご飯を運んできてくださったりする中で、おいしい朝ご飯を食べながらお芝居の始まりを待つ。すると、いつのまにか、そのカフェはお話の中に出てくる宇宙船内のレストランになってる。もう、この時点で、かなり気持ちはわくわくする。
45分と限られた時間の中で見えてくる登場人物たちの恋愛模様と、そしてそのすぐそばで生活するアンドロイドたち

すごいな、と思ったのが
45分という時間は決して長くない。
だから、ひとりひとりがどんな人生を歩んできて、なにを思って、相手のどこを好きになったのかなにをして一緒に過ごしたのか、なんてことの全てを見ることはできない。
できないんだけど、仕草や交わされる会話、台詞の言葉選びの中で、それがなんとなく見えてくる。その中で、感情移入する。
これ、たぶん、役者さんたちがしっかりその役で、その場で生きているからこそなんだろうなぁとしみじみ。
ただの台詞じゃない、その人の言葉を聞いたような経験。
なんて幸せなんだろう。
印象に残ったのは、「人は、その瞬間瞬間の感情だけでは生きていけないの」
少し自信がないけど・・・。
ともかく、恋に関する台詞の、なんと鮮やかなことか!
時間があれば理解ができるなんてことはないんだろうけど、それでもあの短時間でひりひりするような恋情も、相手を思うあたたかな気持ちも感じられたことは素直にすごいと思った。
会場はカフェなので、目が足りない瞬間がたくさんあった。この台詞をこの人はどんな顔をして聞いてるんだろう、ああでもこの台詞を言う、この人の顔を見ていたいと何度もジレンマにうぬぬってなった。
でも、同時にそれでいいんだと思う。神様のように俯瞰して物事をいつもみれるわけではないし。それ含めて、幸せな観劇だった。
できるなら、何度か通ってそれぞれの表情を見たくはあるけど(笑)だけど、通ったとしても、あのときのあの舞台とは、また、違う舞台なんだろうな。

ツツシニウム キニナルナカミ

2016.10.12観劇



キニナルナカミ

あらすじ
この中には希望と絶望が詰まっている。
開けてはいけない、なんて事はなく。
いたって個人的事情で僕は、開ける事ができないでいる。 
開けなきゃ中は見えないのに、色んな想いだけが渦巻いて
キニナルナカミから目を離せないでいるんだ。
かなり限られた客席、シンプルな舞台セット。
もうそれだけで、かなり心が震える。
物語はどこかにいる、そして覚えがあるどうしようもない人たちの話。
近い距離で暴力的なまでに叩きつけられる役者さんたちの感情放出は凄まじいものがあった。
あとLED照明・・・!!!怪しさ、恐ろしさ。影。そういうのがきれいに出てて、ただただ感服のため息。
舞台をみていて、涙に心奪われるという経験は観劇好きなら一度や二度あるんじゃないかな、と思うんだけど
キニナルナカミも、そういう涙とか汗とかに心奪われる瞬間があった。
そして客席との距離の関係で(特に今回、観劇したのが桟敷席だったのもあって)涙が滲んで目尻にたまって、というのをまじまじと目撃することになった。もうこれがまた、痺れる!!
生身の役者さんがリアルタイムで、目の前で演じるからこそ、「これは現実なのではないか」という錯覚が芽生えることがある。
そんな、お芝居だった。
お話的には、私はコツコツ生きているのに選んでもらえない、竹石さん演じる「かずよし」に共感した。
そうなれないという劣等感も、こんな奴のくせにっていう苛立ちも、どうせ選ばれるのだという諦念も。
あのお見舞いのシーン。ひたすら、自分の名前をおばあちゃんに言うシーン。
あまりに名前を繰り返すので、福地さん演じる役になりすまして(そうすることで、おばあちゃんを喜ばせようとして)いるのかな、と一瞬よぎった。・・・役の名前を覚えるのが苦手なもので。でも、もしそうなら切ないなぁと思った。ので、自分の名前でよかったな。でも、あんなに刷り込むみたいに名前をいって、それでも自分の名前をおばあちゃんが呼ぶことはないなんてのも、ちょっと、残酷だな。

今回のキニナルナカミは、普段、今回出演の役者さんをみる劇場よりも小規模。
受付の近くには、出演もしているはずの福地さんがいて、スタッフさんの数も限られていた。
いいお芝居、というものの定義は人それぞれだと思うしそうあるべきだとも思っているけど、
まさしく熱情に駆られて上演されたようにも見える今回の「キニナルナカミ」が本当にいとおしく、
また、観劇できたことを嬉しく思います。