えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ミラージュインスチームパンク 最終兵器ピノキオ、その罪と罰

あらすじ
上空より投下されたピノキオが
地面に堕ちる数十秒の間に、
垣間見る3つの冒険物語───。

 

───気がつくと白い霧の中にいた。

自分は何者か?ここは何処なのか?なぜ誰もいないのか…?

朦朧とした意識もままならぬうち、不意に落下する身体。

「そうだ、ボクは兵器だ。人類を滅ぼす最終兵器。
ここは雲の上。
ボクは地表に落下する。するときっと…!」

ピノキオが覚醒した時!急激に物語に突入する。
そこは過去か?未来か?夢か?現か?

疾走する恍惚とめくるめくくるくるファンタジー!

ピノキオは人類を滅ぼすのか!?

真実は蜃気楼の向こうに──!

 

 

今回はDVDで観た作品。
つい先日まで再演という名のハイパーバージョンが上演されていた。その初演作品、「ミラージュ・イン・スチームパンク 最終兵器ピノキオ、その罪と罰
もう人気な作品なのでどこがどう面白いか素敵か、なんて私が言うまでもない。むしろ何も聞かずに見てほしい。
にもかかわらず、ブログを書きたいと思ったのは初演のDVDを見ていていくつかの台詞に布団ローリング(興奮している様)しながらここがこういう意味な気がするんだ!って話がしたくなったからです。そしてかつ、それをうんうんって流しつつ聞いてくれる友人たちにとうぶん会う予定がないからです。

残念ながら、最終兵器ピノキオは観れずだったのでそことの食い違いにはどうか目をつぶってほしいです。

それはさておき。
以下ネタバレを含みます。むしろネタバレしかありません。
もし見ていない方は、初演はYouTubeに全編アップされてるので見てほしい。
https://youtu.be/5pzJmEN7cAE
一つ目。
ちなみに、分かれて見て一気に観たい!ってなった人は公式サイトでもDVD通販してるので見て欲しい。見て欲しい。メイキングも副音声もついてるよ!お得だよ!

そんでもって。

クエストさんの魅力として、ひとつにはその詰め込まれた要素がある。
なんのお話?と聞かれて即答できない理由もここ。ミラピも、ピノキオとシンキローの話でありながら、妖精たちの話でもあり、シンデレラと王子の話でもあり、大佐とビビアンの話でもある。
そんな中で今日はシンキローとピノキオ、そしてジュンキロウの話がしたい。
の!まえ!に!
クエストさんのお芝居で好きな要素のひとつとして音楽や台詞が入るきっかけの気持ち良さがある。
たとえば、クリンケットをブルーフェアリーが助けにくるシーン。もうあのシーンの台詞の気持ち良さったら!
DVDで観るときは自由なので、全力で合いの手を入れながら観たい。よっブルーフェアリー!みたいな。

本題に戻る。

シンキローとピノキオが気になってくるのはもう、主人公なので、当然だ。
当然なんだけど、あのお話がこんなに愛される理由として、誰しも心の中にピノキオみたいな、オモチャの友人がいるからだろうなあ、と思う。
後々、ジュンキロウの話でも触れたいんだけど、シンキローはピノキオを庇って死んだことを微塵も後悔してない(それがまた、切なくもあるんだけど
それは、ピノキオが友人だからだ。しかも、ただの友人じゃなくてオモチャの友人。心の根っこが繋がった、そんな友人がピノキオなんだろう。その人を喪う方が自分が死んでしまうことより、心を冷やすことがある。そう思うとシンキローはきっと、後悔していない。危ないよ、ピノキオ。の台詞を思うとちょっと自信なくなるけど。
ただ、ピノキオは逆にそんな友人を喪ってしまった。しかも、自分のせいで。
その気持ちはどれほどのものだったろうか。

そういえば、ミラピを貸した友人が感想で何故ピノキオが作った世界なのに彼は思い出さなきゃいけなかったのか、と言っていた。私は、それはピノキオが罪を犯しているし、だから、罰を受けるからなんじゃないか、と答えたのだけど、
友人はそれから副音声を聞いて、ラストのダンスシーンで衝撃を受けたらしい。曰く、このお芝居がジュンキロウの見ていたものな可能性がある。
いやまあ、最終兵ピ、パンフにてそれはないというか、ピノキオが見ていた物語だってわりとハッキリ示されたんですけど。
でも、確かに彼はこの物語の重要人物だなあとその話を聞きながら思った。
だって、もし、彼が見てるならピノキオが罰を受けるのもストンと納得するのだ。そりゃ、そうなんだ。だって、許せるはず、ないんだから。
シンキローが後悔していなくても、そんなの、受け入れられるはずないのだ。
そんなことをぼんやり考えながら、ただ、ピノキオもジュンキロウも、シンキローが亡くなってしまったからそこから本当に救われるのは、難しいなあ、と哀しくなる。

そして、話は戻ってピノキオが罰を受けなきゃいけなかった理由である。
というか、いったんジュンキロウがというのは置いておいて、ピノキオが自分で綴ってる物語で、つまりは自分が神様であるはずの世界でわざわざ思い出す苦しみを味わった理由についての妄想だ。もちろん、これは私のひとつのこうかなあ、の可能性の一つとして聞いてほしい。

そんなことを書きたくなったきっかけの一つは
「なんでこんなことになっちゃったかなあこの世界」
「この、世界?」
という、シンキローとピノキオの台詞だ。
さっきも書いたけど、ピノキオはこの世界では神様だ。ピノキオが事実を曲げ、自分に都合よく、シンキローと遊び続けられる世界を作ったのだ。
自分のために。
でも、そのピノキオの存在理由は間違いなく、シンキローな訳で。そして、シンキローは、そういう意味ではピノキオにとっては神様と同義だったわけで。
その、神様からの世界の否定。
ふとそんな風にこの会話が思えて、そうだとしたらピノキオが作った世界は崩壊に向かうなあ、と納得したのであります。かなしい。


死んだ人は生き返らない。心の中で生きている、なんて詭弁だと一蹴してしまいたくなるような哀しさが、ある。
んだけど、でも、やっぱり、根本の解決じゃなくても、どこか救われてほしい。救い、なんていうと大げさだけど。シンキローの物語を綴り続けること。事実を曲げるのではなく、忘れないでいること、そうして話すこと。それは、確かに残された人の心を優しく包み込む。それこそ、人間最大の力、創造力の使い方なんじゃないだろうか。