えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

FULL MOON埼玉ライビュで夢みたいな景色と共に愛で満たされたので幸せを噛み締めてる話

LDHのパフォーマンスを観ていて、ダンスや歌って、きっと感情を表したりそういう、言葉じゃ追いつかないものを表すためのものなんだって感動してからもう1年くらいが経ってるんですが、登坂さんの歌は、本当に、それなんだなあ、と昨日の埼玉FULL MOONをライビュで観ながらひたすらに考えていた。

愛されてて、そしてなによりも愛してる人だ、とずっと思っていた。
それは、太陽に照らされて輝く月、をモチーフに掲げる登坂さんらしくて、そう思うとこのライブのコンセプトはなんて素敵なんだろう、と思う。

今月8公演目だったという昨日のFULL MOON。
歌い出しや途中、あれ、今日ちょっとしんどそうだな、と過ぎった。

登坂さんにとっての音楽が、生きてることそのままの気持ちとか思い出とか記憶とか言葉とかそんなもの全部をのっけるものなんだ、と思ったのはどのタイミングでだったろう。
歌、は彼自身に寄り添う友人なのかもしれなかった。そんなことを、本気で思った。
いつも通り、っていう歌い方をそもそも登坂さんがするのかどうかパフォーマンスとしてライブ、で歌うところを観るのが2回目なので判断がつかないけど、途中、「今日の登坂さん」の歌い方に変わった、と思った。
歌うことを仕事にしてる人だけど、それ以上に歌うこと、を血肉にしてる、と思って、ぐすぐすになってしまった。
そもそもそれは静岡でFULL MOONを見た時の衝撃が忘れられないからかもしれない。ハモりと、メインパートの歌い方というか、ああ、音楽についての知識とか見識がなさ過ぎてもどかしいんだけど、ともかく「彼が今日歌う曲」だとどの曲を聴いても思って、私にはそれが衝撃的だった。音楽は、そんなこともあるのか、と震えた。

メロディも歌詞も決まってはいるんだけど、それでも、同じようになぞることが歌うこと、ではないんだろう。

お芝居が、とここでまたお芝居の話をしてしまうけど、とんでもなく好きだ、観れて良かった、と心が震える瞬間はいつも「その時」しか存在し得ない表現に触れた時だ。
相手が変わっても、演じるその時が変わっても、普遍的に供給されるものではなく、何か一つが少しでも変われば色合いも表情も変わる。私はそういうことが好きで、お芝居が好きなんだけど
FULL MOONで、登坂さんの歌を聴いて、それだ!と思った。この人のこの音楽は今この瞬間にしか、聴けないんだと思った。
だから、出にくいのかな、と過ぎるような表情を見ても不思議と心地良いというか、いや、苦しそうなのは心臓がギュッとするんだけど。そうじゃなくて。
生きてるその人にしか奏でられない音楽で、その時の「最高」を詰め込んだものが、登坂さんの音楽だ、と心の底から感じるのだ。
それは、彼にとっての音楽という存在の尊さを感じさせるし、そんなに大切なものをこうして触れさせてもらえる幸せに心の奥があったかくなった。

そして、です、ね。

ゲストが出てきた瞬間、ですよ。
色が増えて、表情が変わって、なんだろう、あれ。
ああ、彼は三代目J soul brothersのボーカルなんだ、と鳥肌が立った。音楽だけじゃなく、そこにパフォーマンスが加わって互いに輝いてきた、そのステージに立ち続けた人の音楽だった。誰かと歌い続けた人だった。
もう、それは「月」そのものだった。
ああ、この人の作るものが全て誰かと共有するものなんだ、というか。
ひとりぼっちじゃ存在しないものなんだなあ、と思って嬉しくなった。それはひとりで歌える歌えないの話じゃなく、全く感覚の話で、うまく言えないんだけど。

なんというか、愛で全部成立するようなそんな気がしたのだ。
前回、静岡でそこにはいない一緒に歌う相手を想っている姿があまりに美しくて、これは彼が相手をリスペクトしているからだな、みたいなことを書いたけど、それは突き詰めれば愛だよな、と思ったのだ。

そんで、歌われる「君となら」なんだけど。
あれ歌えるようになってたらいいと思う、と勧められて静岡前にひたすら聴いてたおかげで大好きになったこの曲の歌詞を初めて読んだとき、これ歌う登坂さんを観たら泣いちゃうのでは、と思ったわけですが(そして初見はこの曲に限らずほぼその全てで泣いたわけですが)
あの歌詞を、埼玉公演はより深く感じてしまった。
あの時、胸に手を当てて歌える限りの力で、疲れとか緊張とか諸々をねじ伏せてでも伝えようとするみたいな表情で、あの歌詞を、歌ってる姿を見て、みんなとなら、って言い換えるのを見て
あの、記憶違いなら恥ずかしいんだけど、あれ、みんな、の回数増えた?って思ったら、もう、ダメだった。
一緒に本気で最高の思い出を作ろうとしてくれてるし、私たちと一緒ならそれが出来るって信じてくれてるんだ、と思った。
そんなん、愛じゃん…あの瞬間ライビュ含めてみんなで綺麗な海見ながらキャンプファイヤーやったでしょ…(アコースティックの演出イメージ、キャンプファイヤーってのを聞いた瞬間、最高すぎて泣き崩れそうになった)(と言いつつ、昨日のライビュは本当に、頭がずーーーーっと処理中!って叫びそうな感じだったので、延々とタオル口元にあててフリーズしていた)


もう、ずっとどの瞬間、どこを切り取ってても登坂さんが愛されてて、そして彼自身の愛をそこら中に感じた。

 


TAKAHIROさんがでてきて、柔らかく楽しそうに歌ってて、ああデビュー前に憧れた人とこうしてアンコールでふたり、映画のあの曲を歌うのは素敵で奇跡みたいな構図だな、と思った。
「俺たち雨宮兄弟!」の名乗りの格好良さよ…。


いつか、終わる瞬間の話や、愛されてるんじゃないかな、と登坂さんが口にしたこと。それが、この青くて美しい海みたいな星空みたいな景色の連続した先にあることが、とんでもなく、嬉しい。
生きて、誰かと笑いあって、だから余計一人になる瞬間が切り取られることもあるんだろうけど、それでも、ああして優しく柔らかく笑うところを観たら、ああ生きるのって最高だ、と思った。
そして、やっぱり、この人の音楽がついてる、と思えることの心強さよ。きっと、本当の寂しさなんてこない。きても、大丈夫だ。
音楽も、パフォーマンスも、きっと、その為にあるんだ。
願わくば、それをこんな美しい奇跡と一緒に教えてくれたこの人の音楽を一秒でも長く、好きでいれますように。そして何より、登坂さんが沢山沢山笑う幸せな毎日でありますように。

 


そんな、ポエムなことを本気で、思ってる。