えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

バックトゥザ舞台袖

お芝居を好きでいて良かったな、と思った。それがまず、このお芝居への一番の気持ちだと思う。
コメディ、なのに色々と台詞がビシビシきて、もう泣いたり笑ったり忙しかった!

ので!
あえて!
役者さんひとりひとりについて書いてみたい。もう上演されてからだいぶ経つし!あえてブログで!

まずは、2049年組
鈴木べべさん役の中野裕理さん。
安心感がすごい。し、なにゆえにー!があんなに面白いのは裕理さんだからこそ。久しぶりにシャオロン姿が見れるのも嬉しい。
べべさんは基本的にずっと面白いんだけど、稽古シーンや2020年で舞台に立つ瞬間、確かに格好いい。それがまたたまらない。全体的に面白いべべさんの人柄を感じる。面白いのも、格好いいのも、べべさん。
アンダーキャスト、妹の千秋役、鈴木聖奈さん。
なんせ初めて観たのがRe:callなので、かなりギャップが!
ズレてるパワーはやっぱりいいなあとにこにこ。真っ直ぐさもやっぱり好き。
お兄ちゃんと私は、安らかに観てたよ、のあの可愛い言い方がなんともツボです。
あと、その中でも、千秋なりの役者、への思いはグッときた。
べべさんも千秋もギャグパートを担ってはいるんだけど、この作品を通して描かれるお芝居への姿勢は一貫してて、とても素敵。
演出助手晴さん役の水崎綾さん。
作品ごとに受ける印象が変わって、それが凄いなあと思う。作品に溶け込む空気感。ナチュラルさー!
ドタバタと進んで行く中での向谷さんや新子安(息子)さんのストーリーの根っこを握って走り過ぎないようにしてたような印象だった。
演出部由喜恵さん役、大友歩さん。
なんだか私的に珍しいタイプの大友さんを見たような気持ち( ´ ▽ ` )
2020年のスタッフ陣とはまた少し違ったタイプの職人肌。
周りとわいわい話すわけではなく我が道を行くような印象を受けるけど、作品や座組への愛をきちんと感じさせるのは大友さんならではだなあ。通訳シーンのテンポの良さ好き。
2049年THRee'Sのヒロイン、井上さん役の木本夕貴さん。
きーぼーさんの、語りかける演技の、たまらなさ!
もうこれ、レプリカの時も言ったけど、ほんとに、きーぼーさんの語りかける演技が好きで好きで。
優しくて力強い。力押しとかではなく、目線を合わせるような台詞だからこそなおのこと沁みるんだろうなあ。
劉備役の新子安隆元を演じる竹石悟朗さん。
基本的にはやっぱりギャグパートを担っていた気がするけど、あの、お芝居で認めてもらうシーンは痺れた!
「演じて」すっと空気感を変えるのをああいう形で見ることができるのもファンとしてはなんだかお得感がある。
ドタバタしてても耳が痛くならずに楽しく見れるのも嬉しい。のと、個人的に明るい役をしてる竹石さんを久しぶりに拝見したので、とても楽しかった。

向谷さんは最後に書くとして、続いて2020年!

衣装のマキティーこと鴨井さん役、齋藤未来さん。
タイムスリップについての解説を気持ちのいいテンポとテンションで入れてくれる。見てて安心感。
キャラの濃ゆさも一発でマキティー!!!と思わせてくれてとても好きです。
頼れる舞台監督土子さん役、平山空さん。
もーーー好き。ほんとに好き。ビジュアルから大好きでしたがもう、台詞ひとつひとつがもう。
私たちスタッフにとってはそんな軽いもんじゃありません、とか、公演中止で、の台詞とか。
力強さもあって、かつ、真摯。こんな人と一緒に何かを作りたいと思った。し、この人が座組にいる舞台を観たいと思った。
大道具新子安(父)役のCR岡本物語さん。
ずるい。CRさんはずるい。面白さと格好良さを同時にぶつけてくる。本当にずるい。
職人!な言動に笑わされて、泣かされた。
ラスト、劉備として立つ舞台のシーンでは、あれを聞いた向谷さんがそう台詞を変えるのも納得の真摯な演技。
あと、個人的には冒頭の泣きたいのはこっちだ!の言い方がとても好きです。ああ本当にそうなんだろうな、みたいな。でもちゃんとこの人仕事を全うするんだろうな、と思う。あの台詞もギャグっぽいのに、その人の格好良さも詰まってて、凄い台詞だなあと思う。
プロデューサーの木嶋さん役、福地慎太郎さん。
頼り甲斐のなさがすごい!そらこの座組もしっちゃかめっちゃかなっちゃうわ!と思わされる。んだけど、それでも役者さんやスタッフさんが初日を迎えるまでついてきたのは、APの功績やそもそも仕事だからってのもあるんだけど、木嶋さんの愛情が伝わったからかなあと思ったり。ともかく、キャスティングについて話すシーンが大好きでした。
APの田岡さん役、松木わかはさん。
見事な嫌な役その1!
なんだけど、彼女も彼女なりの「仕事の成功」の価値観があるんだろうな、と思わせてくれるのがこのお芝居の嫌味のなさだと思う。徹底した悪役も好きだけど、特に今回はお芝居が関わるから、徹底した悪役ではなくて、彼女には彼女なりの正義が、っていう描き方でちょっとホッとした。
木嶋さんに怒るシーンでは、彼女が稽古期間、どれくらい走り回ってたのかを思わされた。嫌な台詞も、真摯な台詞も、芯がしっかりある、ある意味とても魅力的な役でした。
井上のマネージャー坂本さんを演じた立原ありささんは、井上や仕事への気持ちが覗いた時、ホッとした。
出番的にもそんなに多いわけではないんだけど、それでもワンシーンワンシーン、彼女が出てくるとテンポが変わる。
少ない出番の中でも違和感を覚えさせず、シーンを繋いでいたと思う。

舞台袖、の話なので色んな人が顔を覗かせる。
メインは当然、向谷さんたちがいかにして、二つの舞台の幕を、物語の本当の終幕で降ろすか、という話だ。
舞台を最後まで走らせる。
だから、そのためのシーンの繋ぎや説得や工夫のため、彼らは舞台袖を過ごす。
だけど当然それだけで成立するわけじゃなくて、実際の2020年の舞台に立つひと、2049年の舞台に立つひと。
それは実際「バックトゥザ・舞台袖」では演じられることはほとんどない。だけど、例えばマネージャーの坂本さんが出た瞬間に、舞台上で演じられることのない物語を見た気がする。

バク袖の舞台上では演じられないが、必死に演じ続けたのは2020年の面々だ。
図師さん役の図師さんは、最早反則技だと思う笑
ファンサービス的というか、図師さんそういうの得意じゃないですかぁ、に彼の舞台を見たことがある人は笑っちゃっただろうな、と。そんな中、APについての台詞にハッとさせられたり。図師さんが、図師さん役で出てるから尚更あの台詞が怖かったのは私だけだろうか。

反則といえば、本当の劉備が出てきた時は笑った。黒坂カズシさんがえんじてた。

タイムスリップコメディらしいといえばらしいけど!

あの短いシーンで、大暴れだった。し、活躍するのか!と思いきや、あっさり負けてしまうのがなんというからしいというか。中国語が凄かった。
中井貴一役の眞田規史さんは某大物俳優さんへのオマージュの役、ということかな。
作中でも、大物俳優さん。多くの役者が私情を挟む中淡々と自分の仕事をこなしつつ、適度な距離で座組を見守ってるのが印象的。そして、所謂大物俳優、さんでも「ここからは戦争なので」と静かに言う姿はとても格好良かった。あの横顔、もっと近くで見たかったなあ。
ジェンさん役の上田雄太郎さんはお芝居が明るくて楽しくて、この人を処刑人にキャスティングした木嶋さん素敵、とにこにこした。木嶋さんのキャスティングすごく好き。
この人がいたら、たぶん、座組明るくて楽しいだろうなあ。少し鬱陶しいところもあるかもだけど。そう思うと、わりと明るい人多いし、なんだかんだ稽古中は賑やかだったのかな。
加答児さん役の山岡竜弘さんはまさしく張飛!と思った。三国志というより、THRee'Sの印象で、だけど。三男だけど、兄たちを慕ってるところとか。役者さん的にも若手の設定だったのかなあ、振る舞い的に。
桃園の誓いのシーン、名前を呼ぶ言い方がとても好きでした。
そして、関羽を演じる牛込さん役の竹内さん。
全体的にやっぱりコメディなんだけど、時折覗かせる真剣さに痺れた。そして、「役者じゃなかったんだろ」の台詞にぞわっとした。
怒りを顕にするわけでもなく、詰るわけでもなく淡々と言ってるように聞こえてそれがなおのこと、彼の中で相手がいなくなったように思わされて。
竹石さんとの掛け合いが全体的に楽しくて好きです。
紺野さん役の安達優菜さんは、静かながら舞台への思い入れをストレートに届けてくれるとても素敵なお芝居だった。
お芝居に取り組む姿勢、にたぶん正解はなくて、だから、彼女の私は稽古で作ってきたものを舞台に乗せることを誇りに思ってます、という台詞がたまらなく良かった。ただ幕を開ければいいってわけじゃないもんな。
その上で、意固地になるんじゃなくて、認めたら舞台へと向かうその表情もとても素敵だった。
董卓を演じた春原さん。
春原さんー!!!!もう、春原さんが演じる董卓普通に見たい。あのシーンやこのシーンの董卓が見たい。そう思わされた舞台袖での入り方だった。普段のラジオやテレビでの春原さんを思わせる日和さんの素の部分もとても可愛い。だけど、きちんと舞台へ役として向かうのはやっぱり彼女にも、役者としての誇りがあるからだろう。
2020年のヒロインを演じた町田さん役の久保亜沙香さんは、繊細な女性だった。
ここから出てけ!と言われてそのまま出てっちゃったりするところとか、おいおい、と思うんだけど、でも、ほんと、あーヒロイン!って思った。悪い人じゃないんだろうなあ。繊細すぎるんだよなあ。周りに諭された後の彼女はとても素敵だったので、2020年の2日目以降は、見事に立ち続けてくれると思う。
2020年の憎まれ役といえば、もう1人、さらら役の七海とろろさん。
今まで見てきたのが基本的に可愛らしい役だったので、驚いた。あまりに嫌なやつで!
あのぺたり、とくっつくような嫌味な言い方とか!いるー!こういう女子いるー!!
ただ、その上で、舞台から逃げた彼女がタイムスリップして戻ってくるのはとても優しい展開だったと思う。し、あまりにその表情が綺麗で、彼女が歩いてきた29年を思った。あの展開、好きだなあ。

向谷さんと同じくらい好きなのが演劇雑誌記者の御子柴さんだ。石部雄一さんが演じていた。
石部さんはオーラを自在に作れると思う。見るたびに纏ってるものが違う。ビックリする。
観客に一番近い役の御子柴さん。でも、面白いですよ。の台詞に何度涙腺が緩んだことか!
作り手の色んな事情って、観客はだいたい知らないし、知らなくていいことだと思う。どんな想いで作っていても、好きだ面白い、と思うんだと思う。
でも、御子柴さんの言う通り、それがあんな舞台袖だと知ったら、たぶん、かなしい。
寄り添うような台詞が心地よかった。

そして、向谷さん!
もう!加藤凛太郎さんの魅力爆発だ。熱量のある芝居、テンポのいい台詞。
もうともかく、熱い人だ。
好きな台詞はたくさんある。
たくさんあるんだけど、それ以上にモニターを見つめる目線や、ふとした瞬間の目線が印象的だった。
舞台を、真摯に愛して最後まで諦めない。
最高の演出家さんだった。

 

夢みたいな舞台だと思った。ずっと楽しくて、飽きがこない。
たくさん笑って、泣ける。
そして何より、自分の好きな演劇はこんな風に愛されて生まれてくるんだ、と思えた。
バク袖は、上演当時、作中の台詞のように話題を呼び、たくさんの人が観に行っていた。なんだか、それ含めて、とても幸せな舞台だと思う。

3月のライオン

映画3月のライオンを、観てきた!
観てきたよ!


映画化実写の時、ドキドキしない漫画好きは恐らく少ないと思う。
どうしても作品のイメージはあるし。
二次元→三次元の時点で、かなり印象は変わるし。

3月のライオンも、まあ、勿論ドキドキしてたんだけど。試写会で観た色んな人が面白かった!と感想をたくさん見かけたので、ワクワクとドキドキ半分ずつで観に行った。
ん、だけど!

面白かった!!!!!!!!!!!

前提、漫画を実写で、と思うと少しイメージが違うのかもしれない。
例えば、3月のライオンの大きな魅力である美味しそうなご飯や、羽海野チカさんの魅力の独特の効果音、ギャグなどはちょっと少なめ。
もしかしたら、ここが気になる、という人はいるのかもしれない。
んだけど!
んだけど!!

3月のライオンは、色んな要素がある。
よく、一言でどんな漫画か、を説明できないなんて評論とか感想を見かけるんだけど。
将棋漫画であり、家族の物語であり、友情を知る物語であり、もう、かなり、かなり、要素がもりもりなわけで。

その中で、将棋、に焦点を絞った映画なのです。
そして、将棋、というか、もっと言うなら、闘いの話なんです。

これがもう、すごい。
前後編に分けてはいるんだけど、そもそも完結していない作品の実写化なので、
エピソードの取捨選択が求められるのは仕方ないわけで。
その中で、すごく、厚く勝負、を切り取ってる。

切り取り方がともかく凄い。
し、ゴリゴリ削って繋いでをしてるのに、私にはその削られたエピソードやモノローグを映画の中に観た気がした。


それはたぶん、練りに練られた脚本や原作を読み込んだ監督の視線や、そしてそれに応えたキャストさんの熱演ありきなわけで。もう、すごい、愛。

で、凄いのが、将棋を選んだ選ばれた人たちの描写なのです。
今回映画でスポットを当てられたのは主人公の桐山零くん、そして、幸田さんの家族である。
将棋をし続けなければそして強くならなければ生きていけなかった、というそのジリジリした苦しみとか。
それが好き嫌いに関わらず、だったこととか。
そうして、自分がバラバラになっても歩き続けなきゃいけないこととか。

もう、この、一見将棋の話なだけに思えるそれは、でも普遍的な話で。
だからこそ、役者さんの苦しそうな表情や台詞が刺さる。

ここが、3月のライオンの最大の魅力なんじゃないか。

ただの天才棋士の話ではなく、
実際はただのどこにでもいる、人付き合いが苦手な17歳の少年の話で。
もがきながら何かを成そうとする人たちの話だ。
何かを克服しようとしたり、負けたり逃げたり、勝ち取ったり。
その、エピソードひとつひとつに共感したり励まされたりするからこそ、この人気なんじゃないだろうか。

漫画で読んだ時から大好きだった台詞がある。
桐山零のライバル、二階堂が、桐山零くんについて話すシーン。
「強くなればなるほど、弱いやつが怠けた卑怯者に思えて」
その、言葉のストレートさ。
それを生身の人が言うことに、そしてその台詞を引き立たせるエピソードの再構築の構成に震えた。
ラスト、タイトルが出て、涙が出た。


原作が好きな人にこそ、私はこの映画を観て欲しい。
解釈や好きな理由は人それぞれなので、良し悪しの感じ方は人によると思う。
だけど少なくとも、この映画は、しっかり愛されて、大切にされて生まれた映画だ。
そして今はひたすら、後編を楽しみにしていたい。

ファントム・ビー

ファントム・ビーを観てきた。
しかもマチソワ。最高の贅沢をしてきたし、夢みたいな1日だった。

あらすじはこちら。
「ファントム・ビー」

その町には、太陽が無かった。
その町には、蜂が蜜を集めるように人の生き血を集める者がいた。
ただ、一人の女王の下に…!
時間と種族を超えた絆──
静謐を湛えるひとと人為らざる者の御伽話。

山に囲まれて1年の半分は陽が当たらなくなる北欧にある町。
ここでは山頂に巨大な鏡を設置し、太陽光を反射させて
町を照らそうと試みるプロジェクトが進められていた。
実在するこの町をモデルに、
蜂の生態とヴァンパイア伝説から着想を得た
エクスクエストの最新作──boom boom boomと蜂が飛ぶ。

蜂と吸血鬼と人間存在の深淵に迫る
ダーク・ロマン・ファンタジー。


蜂型のエイリアンの話であり、吸血鬼の親子の話であり、狼人間の話であり、
人造人間の話で、ヴァンパイアハンターの話で、天使と悪魔の話で、マッドサイエンティストの話だ。
相変わらず、クエストさんの要素盛りだくさんっぷり!
そんな色んな要素を持つ彼らが共通して言えるのは、誰もがみな、爪弾きにされた「要らないものたち」だということだ。
ユウヒとアサヒ。アサヒは優秀なユウヒと比べられ、あの子はグズだから、と言われる。
ハーフの吸血鬼ダンパーは、人間からも吸血鬼からもお前は半端もんだと言われ。
それぞれがどこかから誰かから捨てられ要らない、と言われた者たち。

捨てられたことない人なんて、いないのかもな、なんてことを思った。
捨てられる、というとなんだか大仰だけど。
なんとなく、ここにいちゃいけないようなそんな気持ちを大なり小なり味わったことが誰しもあるのではないだろうか。

二回見た中で、一番最初に涙が出たのがアサヒの表情だった。
どちらかといえば、前半、物語全体を明るく照らしてくれていたアサヒ。
ころころ変わる表情で魅せてくれていたアサヒの顔がゆっくりと歪む。
なんだかそれが妙に胸に沁みた。
あれだけ明るい彼女も、心の底あの暗闇というか、苦しさがあって。
それはまさしく、ユウヒの台詞の朝日を迎えた時のまま夕日を迎えられたらいいのに、なんだ。


ファントム・ビーはどちらかといえば超高速でストーリーが進んだ印象だった。大きな物語をダイジェストで要所要所でぶつけられたというか。
だから分からない、と思った。例えば、なんでそこまでその人がその人に執着するんだ?とかあれ?そこってそんなに仲よかったの?とか。
瞬間的本当がたくさん繋がって、一本になってるというか。感覚の話。
すごく、感想書くのが難しいな!誰に感情移入した、とかではなく、瞬間的な好きを並べることになりそうな感じ。

ただ。
クエストさんの作品が好きな理由でもあるんだけど。
叫んだり、殺陣だったりダンスだったり。日常ではないような限界突破が触れられる距離で爆発的に魅せられること。
それがたまらなく心地いいんだよなあ。
生きた人間が目の前でもがいて全力で、感情的で。必死に、目の前の相手のことを思ったり思われたり。
だからよく分からず泣いてたのか。

もうひとつ、嬉しかったのが、ダンパーとシロイ、ギンロウのシーン。
それは思春期のそれだ、って言うシーン。好きなシーンなのに台詞がうろ覚えの悔しさ。
ダンパーの苦しみ。二重人格、人格の解離、どっちつかず。
それをシロイが一蹴するシーン。
あれは、シロイ(ギンロウ)が言うからいいなあ、と思う。きっとダンパーのすぐそばに居続けたシロイ(ギンロウ)が言い放ってくれる。
特別じゃない、異常じゃない。当たり前でいいし、受け入れる。
し、その後、そんなダンパーと一緒だった時間はずっと楽しかった。そう言う、シロイ(ギンロウ)がもうほんとに好きで。

よく分かってないけど、ただ、優しい話だと思った。
ちょうど、corichの演劇祭参加表明の中の言葉を思い出した。
「世の中をよく見て、演劇で意見をいい、
世の中が暗くても生きるエネルギーを観た人に与えられるそんな演劇を創りたいです」

クエストさんの作品にあるのは、一貫してそこなんだろうな、と思った。
だから、あんなに激しいダンスがあって殺陣があって、役者さんが叫ぶ。
分からなくても、そのエネルギーはたぶん、観たら受け取れる。そう思う。
そしてそのエネルギーは全力で、人間を肯定してくれる。どうしようもないところも沢山あって、間違える人間を、それでも肯定してる。

いつかまた、ファントム・ビーを見直せば別の景色が見えるかもしれない。それが楽しみだ。
そしてそれは今見えてるのとは違うかもしれないけど、きっと、優しいものであるはずなのだ。



独りぼっちのブルース・レッドフィールド

2月なので、独りぼっちのブルース・レッドフィールドが観たくなった。
なんかこういうの、幸せだな、と思う。観た季節とくっついて覚えてるってとても幸せ。

 

 

あらすじはこちら。
西部で一番銃に嫌われたガンマンの物語。
ブルース・レッドフィールドは復讐に燃えるガンマンだ。
25年前に最愛の家族を殺され、その犯人を探し続けている。
待ち焦がれている瞬間の為に、銃の腕前も磨いた。
馬術も磨いた。信頼の置けるサボテンの相棒も見つけた。
だが、彼には一つだけ弱点があった。
それは25年前の惨劇で頭を強く打ったせいで、
至近距離で銃声を聞くと、記憶が25年前に戻ってしまう記憶障害を患っているということだ。
「必ず見つけ出して、頭を一撃で撃ち抜いてやる。
俺に二発目は無いのだからな」
25年分の日記を抱え、今日もブルースは引き金を引く。
一発一発、自分を失いながら───────。

銃を抜くのが早いだけで誰もがスターになれた不条理な時代の、
明日誰かに話したくなる復讐劇。
ポップンマッシュルームチキン野郎、渾身の最新作。

 

 

ポップンマッシュルームチキン野郎さんのあらすじ、ほんと好き。
だし、上演当時からこの、明日誰かに話したくなるという言葉が好きで好きでたまらない。まさしくー!すぎるし、実際、生で観た時、ふらふら会場から出た帰り道、実家に電話した。

 

ともかく好きなところの多いお芝居なんだけど、絞って書く。

 

 

これは復讐劇だ。

 

途中、相変わらず魅力的な登場人物やキレのある台詞に笑ったりうるっときたりするけど、これは、復讐劇だ。
家族を失ったガンマンの。
そして、本当はそのガンマンに家族を奪われたインディアンの世にも残酷な復讐劇だ。

 

真相が分かった時、ぞっとする。
自らの手で家族を殺させるという復讐。
この恐ろしさは、あの家族を失った、日記の偽の記憶のブルースが更に引き立ててる。もうあのシーンめちゃくちゃ怖い。
ほんとに、死んでしまった、と思う。
家族が仲間が目の前で奪われ、自分もその銃先に晒される恐怖が役者さんのお芝居で突きつけられる。もうほんとに怖いし悲しい。わりと、DVDでは目を逸らしつつ観たくなる。生でも、あんまり直視は出来なかった気がする。

それが、嘘の記憶、というのもエグいし(しかもブルースはその記憶障害から何度もその記憶をなぞらないといけない。これも物凄く残酷で凄惨だと思う。
それくらい大事なひとたちをブルースは気付かないうちに殺していった。

 

すごいな、と思うのが。
日記の偽の記憶のシーン。
観客は違和感に気づいてもいいはずなんだ。

 

ブルースの本当の記憶のラスト(インディアンの女の人を殺したところ)を観客はかなり早い段階で目撃する。
のに、のに!
初見では、ブルースが家族をビルバゼットによって奪われるシーンをあたかも本当であるかのように受け入れちゃうのだ!違和感は覚えても、わりとそのまま!!
もう!ほんと!吹原さんー!!!って叫ぶ。
特にお芝居では全部が描かれることはなくて、行間読みみたいに出来事と出来事の間を補完することがあると思うし、それがまた楽しさのひとつなんだけど、
これに関しては完全にヤラレタ!と思った。
あーだから受け入れちゃったんだ!と気付いた時にいっそ清々しかった。うーむ!
お芝居だからこそ!の楽しさでまんまとミスリードに引っかかったのだ。

 


もうひとつ、このお芝居で印象的なのはヌータウを追う旅の描き方だ。
きっとそこにも多くの思いがあって出来事があった。そこで友だって喪ってる。
だけどそれを言葉ではなくただただ無言で描く。まるで、ダイジェストみたいに。

 

だけど、私たちはその間を読む。役者さんの表情で。ヌータウのもとに辿り着いたブルースから。
あの最後の場所に辿り着いたブルースは、確かに、その数十年を経た男の人だった。

 

お芝居は制限があるから余計無限に描けるって昔何かで読んだけど、そんなことを思い出すお芝居だ。

 

ヌータウが言う。
分からなくなった、と。
どちらが正しいのか。善人なのか。
家族を喪う痛みは冒頭、痛いほど描かれてる。
だから余計、戸惑った。
許せるはずがない。
生きるためだった、が言い訳だとブルースが言う。だって、そりゃ、そうだ。
どんな理由があれば、殺されても仕方なかったって納得できるだろう。

なんだけど。

 

ブルースは、空に向かって、銃を撃つ。


このラストは想像してなかった。
想像してなかったけど、空に向かって撃つブルースの、友達だ、と絞り出すように言ったヌータウの気持ちを、想像することはできた。
想像というより、触れた気がした。
そこに至る行間を読みたいと思ったし、読んだ、と思った。


この結末が、心にストンと落ちるお芝居だということが嬉しい。
それは、そこまでの役者さんの姿が行間を私たちに読ませてくれたからだ。
そして、そんな行間だったことが本当に嬉しい。
ひとは、どうしようもないほどの憎しみを越えて、手を伸ばせる。
そう、想像力が限界を迎えず、思えたことが嬉しい。

たまらなく、悲しくて優しい話だからこそ、
そしてそれは全て、ただ大事なひとのまえで、善人でいたいと願ったシンプルで切実な願いが始まりだったという、もう、その美しさが
このお芝居の話を誰かにしたくなる、1番の理由だったと思うのだ。

そして、話したくなったので、思わずブログを書いてしまったのでした。

GO ON

2月1日、初日観劇。
初めましての脚本家さんや、役者さん、劇場にドキドキしながら向かった。


公式サイトさんからのあらすじはこちら。
神奈川県大和市にある雑居ビルの1階に、関東近郊にチェーン展開を広げている
リサイクルショップ「EVER SUNNY」の支店があった。
その店は営業成績が悪く、いつ閉店になってもおかしくない状態だったからか、
社員たちはどこかピリピリしていた。
そして、この店には正社員を目指している2人の女がいた。2人はともに助け合う親友だった。
ところが真夏のある日、このうちのひとりが失踪する。同時に店の金庫から3000万相当の貴金属が消えていた。
誰もが失踪した女の持ち逃げを疑うが・・・

 

あらすじから若干話は変わっているような・・・?

差別、偏見がテーマの芝居で、
まさしくヒリヒリする、という観後感。
差別、偏見がテーマだけど、単純な差別は良くない、偏見は悪だ、というメッセージのお芝居じゃない気がした。あえて言うなら、差別や偏見は私たちのすぐ隣にある、というメッセージなのか。でも、なんか、そもそもどんなメッセージなのか、と考えるのが野暮な気がした。

物語の始まり、椎名さんの演じる店長の財布から5000円札が無くなった、という騒ぎから始まる。
犯人として疑われるのは、財布が置かれていたリサイクルショップの事務所にいた祥恵さん演じる店員。彼女は、中国人、という設定だ(すごく雰囲気があってビックリした)
店長と一緒にいた福田さん演じる店員の言葉に、ますますその場はヒートアップしていく。

盗った盗らないで揉めながら見えてくる店員たちの微妙な人間関係。
もうほんと、この怒鳴り合いがまた絶妙で!
ビリビリヒリヒリする気迫はあるんだけど、嫌悪感を抱かないギリギリのラインは保たれてた気がする。気迫はほんと、凄かったんだけど。目を背けたくなるような感じじゃなくてひぃってちょっと顔を顰めながらも次の会話をドキドキして待つような感じ。

そうして、事態は一応収束した、と思われた直後、事件は起こる。
社長が襲われ、店内の金品が盗まれる。犯人は、その直後失踪し連絡がとれない中国人の店員ではないか、と誰もが思う。


で、話のメインは本当に事件は事件なのか(=店の金品にかけた保険金目当ての詐欺ではないのか)と考えた保険会社の女がそれぞれの関係者と話をするある日をメインに、時間軸をいくつか行き来しながら展開していく。

まず、登場人物の設定が、ひとつひとつヒリヒリする。
基地問題やシングルマザー、差別。
それに、どんな人間関係にも存在する自分はこの人より優位だ、と思う傲慢さ。
もうそれが、憎い配置でそれぞれの人物に割り当てられて、そして、それが表情や言葉やほんの少しの仕草で表現される。それがたまらない。クセになる。スパイスみたいだ。違和感や、なんなら嫌悪感を覚えるのに触らずにはいられない感じ。

例えば、南口さんや福田さんのハッとするような目線。目が落ちるんじゃない?って思うくらい見開かれた目は涙の膜が張ってるようにも見えるんだけど、それ以上に怒りとか勢いとかそんなものが満ち満ちてて、目が離せない。
また化粧がね、すごくね、攻撃的なの。攻撃的なんだけど、攻撃力が高すぎて逆にこの人、ギリギリなんだろうなあ、と思ったり。
そんなところが、保険会社の女、の過去や店員の経歴が望まない形で暴かれた時のそれぞれの表情に出てて、また、惹きつけられた。

仕草でドキドキしたのは中国籍をもつ店員を演じた祥恵さんだ。
にこにこと無害そのもののように笑う、その顔。屈託のない動き。だけど、そのひとつひとつが、なんだかちょっと違和感があって、底知れなさがあった。
と、ここまで書いてそれはもしかして、私がその設定に対して持つ無意識な差別、なのかな、と思ったけど。
1番、何を考えてるのか、どうしたいのかがわからない。そこからくる、底知れなさが彼女にあったと思う。
その彼女が、たぶん、彼女自身の気持ちを吐露した、ラスト、松木さんに電話するシーンの表情がまたたまらない。
もう物凄く切ない。
そして、この表情をみて、ああこのふたりは本当に思いあってるんだな、と胸に沁みた。思いあってるし、それはたぶん、世の中というか、世間というか、たぶん、そんなおそらく彼女と松木さんに優しくなかったものたちになぎ倒されてしまわないように、ふたりで立ってるんだなあ、そうして出会ったんだなあ、と思わせて、ほんと、胸がじんじんした。

そしてそう思えば思うほどに、塩崎さん演じる松木さんの真っ直ぐな演技がさらにたまらなくなる。
最低だこいつら。。。と思う登場人物の中で、なんなら唯一、がんばれ、と応援したくなるひと。いやもしかしたら、ただ単純に私が彼の持つ悪意を見逃してしまったのかもしれないんだけど。その可能性も、十分あるって思わせるところがこのお芝居の苦くて最高なところだと思う。
終盤、おそらくこのお芝居の1番の山場に叫ばれる、メイと離れたくなかった!という松木さんの叫びが忘れられない。
塩崎さんは、超越した身体能力が魅力的な役者さんだけど、と同時に、台詞に物凄い力を宿らせる役者さんだな、と再確認した。ほんと、あの、叫び。
そして、松木さんの、目が青いと彼がハーフだと分かる前に気付いた瞬間、私、あ、と思ったのだ。
あ、目の色が違う、と思った。咄嗟に。反射的に。それがあまりにこのお芝居からすると、ざらざらした感覚で、
叫びに思わず涙が溢れたし、松木さんに1番心を動かしたのに、だからこそ尚更、あの、あ、の居心地の悪さ。
まさしく過ぎる感覚だった。

この物語には、なかなか酷いひとたちがたくさん出てくるんだけど、
1番くそーーー!!!!と思ったのはやっぱり、どうしても、谷仲さん演じる社長さん。
飄々とした、気のいいおやっさん感すらあるのに、
時々覗く傲慢さ。そして、それを隠してるものが決壊した瞬間の暴力性。
もうほんと、怖かった。
ひとってこんな酷いことを平気で口にして、そんな暴力をふるえるのかってくらい圧倒的暴力で、怖かった。


それと、怖かったといえば、椎名さん演じる店長のラストシーン。
あのシーン、めちゃくちゃ怖かった。サングラスを、かけて本当になんでもないように、アウトだわ、という、そのことが!
もちろんそれ以外にはきもち悪さや怖さはこの女性は度々あって。
反対運動について語るときの薄ら寒さとか、それを認めないもどかしさ(と、それはなんとなく覚えのあるかんじ)も印象的だったんだけど
それらを飲み込むような、飲み込むというか黒く塗りつぶすみたいなラストシーン。
だってほんと、何もないようにやるのがほんと
ほんと
その上、サングラスはかけるんだよなあ。目は隠すんだなあ。それもまた、ほんとに。


パンフレットの、脚本演出を担当された中村さんのコメントが心に残った。
良薬ほど苦い。
終盤、この話はどこに向かって何を残そうとしてるんだろうと思いながら見ていた。そして結果、分かりやすいものやこういうことだよ、というメッセージはなくて、ただ軽くて惨いアウトだわ、という台詞がぽつんと舞台上に残された。
おかげで、私はまだあの舞台のことを考えている。どうにも、口の中に残った苦さがとれない気がする。

Re:call

既に、観た直後に感想もどきを書いてるけど、千秋楽も終わり台本もゲットしたので、ネタバレ含めて、感想を書きたいと思う。
舞台としても、物語としても沁みた今回のお話。書きたいことがたくさんある。

あらすじはこちら

あらすじ

色とりどりのイルミネーションに彩られたクリスマスの東京
そこで過ごす一組の親子に暴走した車が迫る
男は捨て身で娘を守る その次の瞬間
気がつくと男は一面白に包まれた雪原にいた
そしてそこに現れたのは 20年以上前に死んだはずの母親だった

時の流れを遡って「呼び戻された」男

気がつくと雪原にいた。そこは1992年の山形県だった。
その時その雪山では色んなことがあった。
想いを寄せる女の子との会話。好きなのに幼い頃につけたあだ名は「モンスター」
反抗し続けた母。その母の死に関わる可能性がある実の父。

「もしも自分が誰かに呼び戻されてそこにいるとしたら」

第一回公演「レプリカ」で全席満席の大好評を頂いたディー・コンテンツが満を持してお送りする第二回公演は、演劇界に於いて変わらぬ快進撃を続ける企画演劇集団ボクラ団義の幻の第一回公演を久保田唱が全編リライト!

現在は劇団でも販売されていない

「時の流れを遡り呼び戻された幻の作品」

を現在の久保田唱、そして豪華キャスト達がじっくりと創り上げます!


観終わった後、とても興奮していた。
もうそれは一つ前のおおよそまとまってないブログを衝動的に書いてしまうくらい、興奮していた。
2017年最初の作品が、Re:callで良かった、と心底思った。しんしんと降り積もったお芝居に頭がぐるぐるしていた。

好きな理由は挙げるとキリがないけどあえて絞って挙げるとすれば、
・笑いと苦しさと哀しさのバランス
・舞台に立ってるひとがみんな生きて見えたこと
だと思う。


前半は笑いがふんだんに散りばめられ、バタバタと小さな違和感を残しながらも進んでいく。
桜と祐一の会話はもちろん、サークルメンバーや大人組の飲み会など、笑いどころも多い。大学生たちの淡い(多少暴走気味の)恋模様も、観てて楽しい。
後半で明かされる真実が苦しいだけに、その前半に物凄く救われた。

終演後、全てを知って思い出すと心がじくじくするオープニング。
雪がいいものみたいにはしゃぐ祐一。
あのシーン、本当にかけがえのないシーンだったんだ、と思う。そして物語に引き込まれる独白があがって、やがて、緊迫のシーンが始まる。
緊張して、そのあと、お母さんとのやり取りや森宮さん、桜、とのやり取りに肩の力が抜けて。
さっきも書いたけど、ほんと、この絶妙さ!どっちかだけじゃ絶対にしんどいもん、この時間。
久保田さんは緊迫したシーンでも笑いを取り入れるけど、そういうところなのかも。魅力。

どたばたと楽しく進む中、落ちる影。確実に起きた1992年の何か。
それを暗示させるのが津川さんたち、そして幸太郎さんだ。
どれだけ博多弁コンビが和ませても、恋する組にきゅんきゅんしても、
はっとした瞬間、空気が歪む。
誤魔化しきれない深い津川さんの哀しさや、幸太郎さんの歪み。
その空気に何度ゾッとしたか。
特に、幸太郎さんの違和感は凄かった。
基本的には陽気な人なのに、時々怒鳴ったり歪んだ笑顔を浮かべたり。アンバランス。

やがて、1992年の事故に物語は進んでいく。

陽子さん、幸太郎さんの会話が印象的だった。
どうしようもない人間でもうこれしか方法はない、と言う幸太郎さんに、陽子さんは言う。
死んでも、綺麗になんてならないよ。
この、言葉の重さ。
陽子さん自身、あの亡き夫との思い出から逃げて、東京にいき新しい家族を作った。死んでしまって、亡くしてしまったからリセットしたんじゃなくて、むしろより深く残ってしまったからこそ。
幸太郎さんの、罪が死んだところでなかったことにはならないのと同じように。
本当に悲しくて息苦しい台詞なんだけど、同時に優しい、と思うのは水さんと一緒にいる陽子さんの表情を思い出すからだ。
水さんは気にする。ここに来たかったのは、本当は俺とじゃないんじゃないか、って。その水さんに陽子さんはいっぱい色んなところにいって色んなことをしようと言う。
死んでも綺麗になんてならないけど、残ってしまうけど。
その続きは描ける。
なかったことではなく、続き。それを踏まえての、新しい出来事。
そうして生きてきた彼女だからこそ、あの台詞は刺さった。

根本的な、解決にはならない。
結局陽子さんは死んでしまうし、幸太郎さんは生き残る。
罪をいくら償っても、津川さんは帰ってこない。奥さんや妹が望む形での幸せはもう、たぶん、どこにもない。

 

「奇跡を体験したことがあるか」

祐一の台詞の中でも特に好きな台詞だ。
奇跡。
根本的解決も、本当に彼らが欲しかった幸せも手に入らないかもしれないけど、
それをだから無意味だ、というには、あまりに寂しい。そう、ラストシーンを思い出して思う。

 

Re:call、はやり直すという意味があるらしい。
なんだかその意味をしみじみと終演後、噛み締めていた。なんだか役者さんたちがみんな、その役として舞台上で生きてたような気がしたからだ。
よく言う、表現ではあるんだけど。その役として生きる。でも、今回は特にそれを肌として感じた気がする。
例えば、子どものため自分にとって1番愛おしい人や自分を投げ捨てでも動いた水さんや、祐一。

「理屈だったんですか」
「あなたは」
「息子を助けようと走った時、あなたの頭の中は」

事故直後の大人祐一と水さんの会話の中でも特に印象的だったやりとりだ。
家族ものを、観るたび思うんだけど。
理屈で家族を説明できるならもっと傷付く人は減るし、逆に息苦しくなる人もいると思う。
ここで祐一を助けずに陽子さんを助けたら陽子さんは悲しむ、とか
千枝里を助けたら自分が死ぬかもしれない、とか
そんなの、たぶん、理屈として存在しないというか。
起承転結で綺麗に家族の関係を説明できたりはしないんだろうなあ、とおもう。
でも、お芝居って、前提として、作られたお話なことが多いわけじゃないですか。
でも、その理屈じゃないこと、を表現する。それが伝わる。
のが、たまんないなあ。と見て思って。
役者さんからしてみれば、とても失礼な感想なのかもしれないんだけど。
でも、水さんや陽子さんや祐一の子どもを見る目が、千枝里や子ども祐一の親を見る目が、本当に家族を見る目に思えて、だから台詞ひとつひとつがあんなに沁みたんだなあと改めて思ったりして。
当たり前、と言われてしまうかもしれないけど、当たり前、は当たり前じゃないから。
お芝居を作る上で作った筋が見えなくて、そこにはRe:callのそれぞれのひとがただただ真摯に立ってた。それがともかく、心地よかった。

役者さんが、もし色んな人生を何度も生きてるとして。
そもそも同じ役を稽古、本番含め何度も生きてるということになるわけで。
でも、観てる私はその瞬間の一度きりがその役の人生だ。それきり、だから台詞ではなくて、空気が焼き付いて、いつまでもあの雪山のことを考えてるんだとおもう。
誰かを好きだということ、それが時々コメディになるほど暴走すること、家族のこと、誰かたいせつな人のこと。
それらが何度も繰り返したマンネリじゃなくて、その瞬間だった。


なんて、もはやこれは感想から少し離れてる気もするんだけど(笑)
ただ、Re:call、とはそういうことだったんじゃないか。
時巡りは基本的に、根本的な解決にはならない。後悔の場に行ったり果たせなかった場に立ち会うことはできても干渉できない。
だけど、登場人物も観客も、あの時巡りには意味があったと思う。
それは、その瞬間、そこにいて、感じて考えたことで変わったこと残ったものがあることを知ってるからじゃないだろうか。

 

ところで、話は少し変わるけど。

今回の公演を幸せだと思ったもうひとつの要因が関係者、観客どちらからも熱い愛情を感じたことだった。自分の好きなものが大切に愛されてるのは、うれしいし幸せなことだ。
twitterやそもそもの終演後の空気感。ほんとに、思い出すだけで頰が緩む。
そして、それはたぶん、感傷的な思い入れだけじゃなくてそれを成立させるだけの技量や準備やなんだかそういうものが土台にあって初めて出来上がるものなのかもなあ、とパンフレットなどを見返すたびに思う。
見知った役者さん、スタッフさんも多く出てて、
そうした人たちの好きな作品はたくさんあるけど、Re:callはとりわけ、特別ないつもとは違う、を感じた気がする。こんな素敵なお芝居に出逢わせてくれて、ありがとうございます。と思う。
もちろん、それは優劣の話じゃなくて、もっと、絶妙な何かの違いだ。
そして、それは空気感や肌触りといううまく言葉にはできないけど、確かなものとして私の中に残ってる。そのことが、うれしい。

そしてその、いつもと違う特別、はこれからも更新され続けるんだと思う。
あんなにすごい舞台を作る人たちはこれからも瞬間瞬間を、生きていくのだから。それが、本当に楽しみだ。

 

Re:callの感想をネタバレなしで書くことにした

Re:call、初日を観てきました。
まだ今日、土日と舞台が続きますのでネタバレ感想はまた千秋楽後にとっておこうと思うのですが、
観終わってから仕事をしてても家族と話しててもあの雪山がちらつくので、
ネタバレを一切なしで感想を書いてみようと思います。
ちなみに、今日27日であればまだお席があるとのこと!明日明後日の当日券はどうだったかな!公式さんアナウンスをぜひご確認ください。

で、色々書いてたんだけど、
感想書いたらどうしたってネタバレに関わってきて、
それを避けるとなんか余所余所しい文になって書きたいことからズレるので
もう本当に、ザックリ書きます。

今回、終演後、こんなことを呟いてました。

https://twitter.com/tsuku_snt/status/824254721485508608


もうほんとに、終盤、話の展開に心がざぶざぶなりながら、
強く思ったのはだからお芝居が好きだ、ということでした。
それをあんなに強く思ったからこそなおのこと、まだ私は雪山から帰ってきてない気がします。
それを成立させてくれたのが、役者陣や脚本や、スタッフワークなんだと思う。
お芝居を観る理由って色んなものがあると思うし、あるからこそいいと思うんだけど。
例えば日常生活、誰かを思って必死に話すことがどれだけあるだろう。
家族に、やりきれない気持ちとか、伝えるにはなんだかオーバーな想いとか
告白だってそんな、日常茶飯事ってわけがない。
それが舞台にはぎゅっと詰まってる気がする。
でも、それが特別なことなんじゃなくて、
地続きで、あそこにいる人は同じ人間なんだなあってのが、たまらなく幸せだと思うんです。

非日常の話ではなく(ジャンルやあらすじじゃなくて)
そこにいるのは、普通の人で、普通の人がああして感情を出して誰かを思う姿がもう、本当に胸を締め付けてくる。
それを、成立させてる役者さんたちの技量って、もう、どれほどのものなんだろうってドキドキする。

そんなドキドキさせてくれる役者さんがたくさんいる、というか、もう全員がそうっていう、この!幸せ感!

ものすごく、技術のある役者陣、そしてそれ以上にものすごく熱量のある座組でした。

もうつまり、ほんと、Re:callはいいぞっていう
そして、お芝居ってすごいな、好きだなあっていう、お話なのでした。