えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ファントム・ビー

ファントム・ビーを観てきた。
しかもマチソワ。最高の贅沢をしてきたし、夢みたいな1日だった。

あらすじはこちら。
「ファントム・ビー」

その町には、太陽が無かった。
その町には、蜂が蜜を集めるように人の生き血を集める者がいた。
ただ、一人の女王の下に…!
時間と種族を超えた絆──
静謐を湛えるひとと人為らざる者の御伽話。

山に囲まれて1年の半分は陽が当たらなくなる北欧にある町。
ここでは山頂に巨大な鏡を設置し、太陽光を反射させて
町を照らそうと試みるプロジェクトが進められていた。
実在するこの町をモデルに、
蜂の生態とヴァンパイア伝説から着想を得た
エクスクエストの最新作──boom boom boomと蜂が飛ぶ。

蜂と吸血鬼と人間存在の深淵に迫る
ダーク・ロマン・ファンタジー。


蜂型のエイリアンの話であり、吸血鬼の親子の話であり、狼人間の話であり、
人造人間の話で、ヴァンパイアハンターの話で、天使と悪魔の話で、マッドサイエンティストの話だ。
相変わらず、クエストさんの要素盛りだくさんっぷり!
そんな色んな要素を持つ彼らが共通して言えるのは、誰もがみな、爪弾きにされた「要らないものたち」だということだ。
ユウヒとアサヒ。アサヒは優秀なユウヒと比べられ、あの子はグズだから、と言われる。
ハーフの吸血鬼ダンパーは、人間からも吸血鬼からもお前は半端もんだと言われ。
それぞれがどこかから誰かから捨てられ要らない、と言われた者たち。

捨てられたことない人なんて、いないのかもな、なんてことを思った。
捨てられる、というとなんだか大仰だけど。
なんとなく、ここにいちゃいけないようなそんな気持ちを大なり小なり味わったことが誰しもあるのではないだろうか。

二回見た中で、一番最初に涙が出たのがアサヒの表情だった。
どちらかといえば、前半、物語全体を明るく照らしてくれていたアサヒ。
ころころ変わる表情で魅せてくれていたアサヒの顔がゆっくりと歪む。
なんだかそれが妙に胸に沁みた。
あれだけ明るい彼女も、心の底あの暗闇というか、苦しさがあって。
それはまさしく、ユウヒの台詞の朝日を迎えた時のまま夕日を迎えられたらいいのに、なんだ。


ファントム・ビーはどちらかといえば超高速でストーリーが進んだ印象だった。大きな物語をダイジェストで要所要所でぶつけられたというか。
だから分からない、と思った。例えば、なんでそこまでその人がその人に執着するんだ?とかあれ?そこってそんなに仲よかったの?とか。
瞬間的本当がたくさん繋がって、一本になってるというか。感覚の話。
すごく、感想書くのが難しいな!誰に感情移入した、とかではなく、瞬間的な好きを並べることになりそうな感じ。

ただ。
クエストさんの作品が好きな理由でもあるんだけど。
叫んだり、殺陣だったりダンスだったり。日常ではないような限界突破が触れられる距離で爆発的に魅せられること。
それがたまらなく心地いいんだよなあ。
生きた人間が目の前でもがいて全力で、感情的で。必死に、目の前の相手のことを思ったり思われたり。
だからよく分からず泣いてたのか。

もうひとつ、嬉しかったのが、ダンパーとシロイ、ギンロウのシーン。
それは思春期のそれだ、って言うシーン。好きなシーンなのに台詞がうろ覚えの悔しさ。
ダンパーの苦しみ。二重人格、人格の解離、どっちつかず。
それをシロイが一蹴するシーン。
あれは、シロイ(ギンロウ)が言うからいいなあ、と思う。きっとダンパーのすぐそばに居続けたシロイ(ギンロウ)が言い放ってくれる。
特別じゃない、異常じゃない。当たり前でいいし、受け入れる。
し、その後、そんなダンパーと一緒だった時間はずっと楽しかった。そう言う、シロイ(ギンロウ)がもうほんとに好きで。

よく分かってないけど、ただ、優しい話だと思った。
ちょうど、corichの演劇祭参加表明の中の言葉を思い出した。
「世の中をよく見て、演劇で意見をいい、
世の中が暗くても生きるエネルギーを観た人に与えられるそんな演劇を創りたいです」

クエストさんの作品にあるのは、一貫してそこなんだろうな、と思った。
だから、あんなに激しいダンスがあって殺陣があって、役者さんが叫ぶ。
分からなくても、そのエネルギーはたぶん、観たら受け取れる。そう思う。
そしてそのエネルギーは全力で、人間を肯定してくれる。どうしようもないところも沢山あって、間違える人間を、それでも肯定してる。

いつかまた、ファントム・ビーを見直せば別の景色が見えるかもしれない。それが楽しみだ。
そしてそれは今見えてるのとは違うかもしれないけど、きっと、優しいものであるはずなのだ。