えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

ビョードロ〜月色の森に抱きよせて〜

観劇三昧さんで、おぼんろさんの配信作品が増えた!
ので、喜び勇んで観て参りました。
やっぱり、出掛けてる時に手のひらサイズでお芝居観れるの有難い・・・。

ビョードロ
~月色の森に抱きよせて〜

僕を感じて。
僕に触って。
僕に笑って。


だけど絶対、僕には近寄らないで。

愛に憧れながら、
絶対にそれを手に入れてしまいたくない。

どうしたらいいのかわからない。

誰かに触れて欲しい、感じて欲しい。

愛されたい。

でも、近寄ってほしくない。


白くガラスのような木が生える鬱蒼とした森の奥底。
そこに住まうビョードロという名の民。
彼らの使命とは。

 

おぼんろが全身全霊をかけて紡ぐ、
美しくも切ない物語。

 

パダラマ・ジュグラマ、ルドベルの両翼、ヴルルの島と観て、今回で四作品目。
相変わらず、心地よく物語に入っていける前説から、物語は始まってる。
ツイートもしたけど、想像力の話を聞くお客さんの顔のなんと幸せそうなことか!
でもほんと、想像力は、人間の持ちうる一番幸せで最強の力だと思う。


その能力から忌み嫌われているビョードロのタクモ、その中でもハーフ、と異端扱いされたユスカ、そんな彼らと仲良くするリペンに、その父親ジュペン、そして、タクモとユスカが生み出した物語の中心、ジョウキゲン。
中心、と言ってしまったけど、これも末原さんの前説にある「あなたにとっての前が前」と同じことかもしれない。
私にとっての、ビョードロ、の中心は、ジョウキゲン。


ビョードロがその血を使い生み出すことができるクグルという生物兵器
それを利用しようとする、ビョードロを忌み嫌う民族であるジュペン。
タクモと、ユスカ、それにリペンはそんな中にぐるぐると巻き込まれていく。


美しい舞台美術と、素朴でどこまでも深く沈むような語り部さんたちのお芝居がともかく堪らない。

タクモ、ユスカ、リペンは仲の良い子どもたちだ。子どもだから、子ども、と言っても青年なのだけど、民族の違いなんて関係なく遊び、笑う。時に無邪気に、その違いを口にしながらも笑い合う三人は、ともかく観てて微笑んでしまうくらい可愛らしい。
おぼんろさんのお芝居は、どの作品も表情が印象的だ。
彫刻のようで、一枚の美しい絵のようで。でも、人間の表情だからこそ美しいんだと見るたびに思う。
その顔が翳っていくからこそ、余計に物語がころころと悲劇に落ちていくのが悲しい。

そして、そんな中で際立つのがジュペンだ。
じゅんぺいさん、今まで見た役の印象もあるんだけど、末原さんや倫平さんが子どもの無邪気さを演じた時のきらきらが魅力だとしたら、じゅんぺいさんはその歳を重ねて背負ってしまった曲がってしまった凝り固まってしまった哀愁を演じたらもうとびきりだと思う!ほんとに!
金と名誉の欲に溺れ、子どもと自分に執着し、ユスカの真っ白な思いを平気で踏み躙ってしまうその傲慢さ。
カサカサとした感触を、そのお芝居を観てたら触れた気持ちになる。
そして、なんならほんの少し、その気持ちに寄り添ってしまって悲しくなる。
タクモたちが、あんまり真っ直ぐで眩しいからなとなこと。
ファンタジーの世界だからこそ、余計に、あのカサカサが悲しい。そして、憎みきれない。
末原さんの描く世界は、まるで夢のようで、優しくて、なのに時々ゾッとするほど冷たい側面がある。
それを特に背負っているジュペンが、大切なものを傷付ける罪を重ねるシーンの、あの苦しさったらない。


夢のような、といえば。
登場人物が見てる夢のシーンの優しくて切ないあの空気感がとても好きだ。
今回のタクモの脳内パラダイス然り、ヴルルの島のアゲタガリの夢然り。
物語によくある、とびきりの、「物語の中の物語」のことをふと思った。
登場人物たちが触れる、劇中劇というか、
彼らの運命や心に大きな影響を及ぼす、絵とか、作品とか、音楽とか、物語とか。
そういうキーワードって、あると思うんだけど(文章で説明すると難しいぞ!伝わって!物語、がゲシュタルト崩壊する!)
その、とびきり、は得てして、想像して補うことが多い。
それをきっかけにこんな風に変わったから救われたから、きっとそれはこんなだろう、と形作らないまま、想像する、そんな宝物みたいなとびきり、が良く物語には出てくると思う。
タクモの、脳内パラダイスは、まさしくそんなとびきり、なんじゃないだろうか。
あのきらきらした笑顔も、みんながいて、みんなで楽しそうなのも。
あーこれはとびきりだ、と思って涙が滲んだ。おぼんろさんの、語り部さんたちの笑顔は本当にズルイ。あんなに真っ直ぐ楽しそうに笑われたら泣いてしまう。笑顔みて、涙腺緩むってのもなんか、しみじみしてしまうけど。


そんで、ジョウキゲンです。
もう、本当にジョウキゲンが大好きで仕方ないんだけど。
生まれた瞬間に、悲しい役目を背負ってるジョウキゲン。触れるだけで、生き物を殺してしまう神様に呪われた悪魔。
なんだけど、生まれた瞬間、それはもう嬉しそうにくるくるとみんなの顔を見回すそのすがたがほんとに可愛くて愛おしくて。
背負った役目とは裏腹に、無邪気で、優しい子なのが本当に辛い。
めぐみさんの、浮世離れした雰囲気も相まって、純粋でまるで天使のように見えた。
そのバランスが、実験や仕事を繰り返していくうち、壊れていくのが悲しい。
彼女(彼?)は変わらない。変わらないまま無邪気に、でもタネ、にしてしまう。花としていつか咲くと信じて、殺してしまう。
タクモとのやりとりのシーンはどこもとても好きなんだけど、頼りないタクモが、大切なユスカと生み出したジョウキゲンと話す姿はまるで親のようで、願い事を話すところは涙が滲んだ。


おぼんろさんの物語には、幸せになりたい・幸せにしたいと願う人たちが出てくる。その姿は真っ直ぐで、真っ直ぐなはずなのに気付けばそれそれが背負ったり背負わせたものがその姿を捻じ曲げていってしまう。
笑う彼らは、まるで子どもみたいで、だからこそ、傷付いた姿は観客の心にも深く深く、刺さる。
途中、どうすればここから全員が幸せになれるか考えながら観ていた。
祈るような気持ちだった。祈るようだったのは、たぶん、それが途方も無い夢だと知っていたからだと思う。

最後の泣いてるようなジョウキゲンの声を、必死にジョウキゲンに近付こうとしたタクモの心を、忘れなければ或いは、それが途方も無い夢から、手を伸ばし続ければ触れられる夢に変わるだろうか。
可愛らしいアニメーションをぼんやりと眺めながら、そんなことを思っていた。

悪ノ娘

悪ノ娘を、見に行った。

大好きなトクナガさんの作演出、それに淳さんや大野さん、竹石さんの出演とあっては、
わりと発表されてすぐ、チケット予約!とスケジュール帳に書き込んだ。
(特に、竹石さんがトクさん演出の舞台に立つことに最高にワクワクした。しあわせ)
そんなわけで、もうほぼ、反射神経で観に行くことを決めた(予約は安定の仕事の関係でギリギリだったけど)舞台。

ボーカロイドの通称悪ノシリーズの中の、悪ノ娘三部作を以前、X-QUESTさんで舞台化、さらに今回はミュージカル化した今作品。
ボーカロイドが流行りに流行った頃、ちょうど学生だったので、カラオケで流れれば口ずさめる程度に身近な曲たち。

そして、主演は元モーニング娘。田中れいなさん。
アフタートークの軽快な福岡弁に天真爛漫な口調、歌声、リリアンヌとして納得の風格と可愛らしさ。
まさしく、アイドルすげえ!と言いたくなるような素敵な女性。

なんてこともあり、今回は観に行くまでに思わぬところで悪ノ娘の話を見かけることになる。
ボーカロイドファンの友人や、アイドルファンの友人。
思いがけない相手のリツイートで、悪ノ娘の舞台についてのツイートを見たり。
となると、もう、謎のドキドキ。
いつも以上に色んな方が客席にいるんだな、どんな雰囲気なんだろう、と観劇直前までソワソワしまくる。
悪ノシリーズは、本当に人気があって、それこそ独自の世界観が確立されてる。
それにトクさんの台本が出逢ったらどうなるんだろう。生身の人間が演じると、どんな風になるんだろう。
と、もう、ソワソワがすごかった。
(もちろん、クエストさんで一度上演されてるんだし、普通にワクワクしてたらいいんだけど、なまじ、知ってる原作があると、なんか、なんか、ね!)

もうそれ杞憂だったなあ、と。

平日の昼間でも、たくさんの客席とか。
見終わったあと、終演後のロビーとか。
たぶん、客席に座った経緯はそれぞれバラバラの人たちがみんなそれぞれ楽しそうで、もう、ほんと、幸せでした。

お芝居としては、ともかく田中れいなさんの存在感!
すごい。
そして、プロローグのぶわー!!!って始まる感じが好きです。振付も素敵だし、アンサンブルキャストさん含めて作り出される始まるぞ!の、空気に冒頭からかなりワクワクする。
ともかく、どのキャストさんも楽しそうで、それがひたすらに楽しかった!
ときどき、声量とかで差が見えて聞き取り辛い台詞があったのは残念。。マイクがあったから尚更なのかなあ。

正直、ストーリーとしてはまだ半分くらいしか読み取れてない気がする。カタカナに弱いってのもあったけど。
悪ノ娘悪ノ召使い→リグレットメッセージ、への大筋の流れはすごく掴みやすかった。
壊れていく国と、民衆の怒りは赤の兵たちがすごく伝えてくれてて。

カエラの天真爛漫さは、リリアンヌとアレンの境遇を更に悲しく浮かび上がらせていたと思う。
カエラが可愛ければ可愛いほど、カイルやアレンが好きになればなるほど、リリアンヌの孤独さが浮かび上がる。
印象的だったのは、リリアンヌの独白。誰もが腫れ物に触るように、顔色を伺って、の台詞。

じゃあレオンハルト殺しちゃだめじゃーん!唯一、あなたにダメなことはダメって言ってた人じゃないのー?!!と悲しくなったり、でも、たぶん、レオンハルトの中にはこいつはダメだって前提での忠告だったから、受け取られなかったのかなあ。うーーーーん。

キールの冒頭の、曰く付きの宝の台詞を考えると、
リリアンヌたちについた悪魔、のことがもっと分かる気がして、もしDVDを見る機会があったら見返したい。

クラリスリリアンヌはある意味すごく似てたのかな。クラリスの一人台詞(世界に土下座させたいってやつ)すごく好きだったんだけど。
14歳で孤独に耐え続けていたリリアンヌと、自分ではどうにもならないことで差別され続けたクラリスと。
たぶん、ふたりとも怒りを持ちながら生きてたように思う。
そんな中、クラリスにはミカエラがいたから、本当には世界に復讐せずに済んで、
リリアンヌには、いなかったから、ああして、悪、になるしかなかったというか。

白ノ娘の曲の存在を見た後に知ったのもあって、まだちょっとこの辺りは自分では噛み砕けてない感じがする。
二時間に収めるにはかなり要素が多い物語なんだなあ、と改めて。ラストの本当に得したのは誰?の曲とか、ゾワっとしたし、待って待ってどういうこと?!!!ってなった。
二度三度見たらもう少し読み込めたかなあ。
ある意味では、消化不良感ではある。

お祭りだー!ってワクワク楽しんでたら終わってた!みたいな。もっかい歌詞読んだ上で見たい。でも、こうしてもっと、読み込みたい、と思ってるのは、好きだったからだなあ、と思う。

そんな中、
アレンとリリアンヌはある意味で、ひとりの人間だったのかな、と。
それぞれがそれぞれの悪の部分を担ってたというか。ひとりの人間っていうと、ちょっと乱暴だな。
曲の時からんん?ってなってたのが、なんでいくら双子の姉とはいえ、王女とはいえ、ただ言われるままにアレンは従ってたんだろう、ってので。この辺り、もしかしたら原作には解明があるのかもしんないけど。
なんとなく、全部リリアンヌのせいにしてるんじゃない?と感じていた。
それは、舞台で見ても途中あって、その中で、ラスト、交代するシーン。
アレンの、身代わりになって死ぬことでリリアンヌは自分のことを忘れられなくなるっていう台詞に、なんとなく、腑に落ちた気がした。
リリアンヌは、行動として自分の悪をアレンに押し付けていたけど、
アレンは気持ちとしての悪をリリアンヌに押し付けていたのかもしれない。
リリアンヌのせいだ、って思うことで自分の汚い感情に蓋をしてたのかな。

そう思うと、ラスト、悪ノ娘、として立ったリリアンヌの姿が格好良くて、愛おしかった。
改心とか、しちゃうのかな、とか。
そんなことを思ってたけど、違った。
言い訳もせず、自分を悪だと言い放って、それでもアレンが繋いだ命を生きるリリアンヌの格好良さったら!

悪魔のくだりとか、あと、ミカエラの最後の方の台詞とか、
ちゃんと分かってないところも多々あるとは思うんだけど、
私としては、最後のあのリリアンヌの格好良さが嬉しくて、アレンとリリアンヌの関係が愛おしくて、すごくスッキリした終わりでした。
でもやっぱりもっと見落としてるとこ知りたいから、うん、やっぱりDVDは買わねばだな!

→オハヨウ夢見モグラ

長くなってしまったので死ねない男は棺桶で二度寝する、と感想を分けて投稿した。したけど、個人的には私はこの二本を一つ、として捉えてる。
というか、そう考えると更に楽しいと思う。興味深い。
それは、短編の中で、あるいはそれらを纏めるモグラの見た夢の中のキーワードたちが、死ねない男は棺桶で二度寝する、を思い出す時、共鳴するような気がするからだ。これは、死ねない男は棺桶で二度寝する、の感想の中でも少し書いた。分かりやすく言えば、共通のテーマのことだ。
だけど、もっと好き勝手に深読みするなら、たとえば一郎が人魚の肉を食べるシーンの真意を言葉では説明しなかったような、そういう語られず示された言葉に触れる手掛かりになる気がするのだ。
その作用は双方にある。


ともあれ、まずは、オハヨウ夢見モグラの感想。

短編集、全体のあらすじはこちら。
「オハヨウ夢見モグラ」
ミケランジェロは言った。『私は作品を彫るのではない。石の中に埋まっている彫刻を取り出すのだ』~
幼少期の事故が原因で、365日のうち、たった1日しか起きることが出来なくなった男がいた。
事故から15年が経った今でも、彼にとってはたった2週間しか経っていないのと同じ。その精神状態は依然として少年のままだった。
そんなある日、彼は「夢の中で思いついた」という物語を次々と語り出す。だがその内容は、およそ少年の頭脳で考えたとは思えない程に複雑怪奇で、時に奇妙奇天烈で、そして時に学術的な命題を抱えていた・・・。
「・・・彼の中には物語が埋まっている。ミケランジェロの前の石と同じだ」
365分の1に濃縮された人生を送ることになった男が語る、様々なジャンルのストーリーを綴る珠玉の短篇集。


きみはぼくのやさしいともだち
このお芝居の野口さんにただただ痺れた。そしてそれに呼応する加藤さんという、もう、極上感がある一本。
ようやくぼくたちは、ともだちになれたらしい、というシーンのゾッとするような哀しみと美しさと。
今回の二本立ては、時折この、ゾッとする哀しみと美しさに巡り合う。

このお話の中で、私は「友人とは、価値観を共有するひと」ということが印象に残った。

無音はお前の耳にも届いている
ひたすらに怖かったこのお芝居。もうずっと顔引きつってた。
ほたてひもさんの、あの、背中で話を聞いてる時の表情。本気で夢に見ると思った。
マスターも含めて、分かりにくい狂気を感じる。いや、ストレートな狂気でもあるんだけど。
後半の展開にもゾッとしたけど、興味深かったのはマスターと話す音の仮定の話だ。存在は、それを受信する人がいて初めて存在たり得る。

きみはぼくのやさしいともだち、でのキーワードもそうなんだけど、
どうしても死ねない男は棺桶で二度寝する、の六郎のことを考えてしまうわけで。
(劇中でも、彼がいかに魅力的な人物だったか、大島や総理が口にしてたけど、ほんとそう!人たらしというか、つい彼のことを考えてしまうくらい魅力的なひとだ!)
記憶から消えてしまう彼は価値観の共有ができなくなる。というよりも、彼、という存在の共有ができない。
認識する人がいなければ、存在がない、ということは、六郎はそのまま、存在しない、になってしまうのか。
死ねない男は棺桶で二度寝する→オハヨウ夢見モグラの順で観劇すると、その辺りがぞわぞわして、この無音や、ともだち、の話の恐ろしさが増すような気がする。


いつでもいつもホンキで生きてるこいつたちがいる
もうキレッキレだ。
ゾッとした後にこの話はずるい。
キレッキレだ。
黄色いあいつずるいし、設定が色々とずるい。設定だけで笑う。
コンプライアンスシーンの意味のわからないスピード感の心地よさったら!
笑えばいいのか、泣けばいいのか分からない黄色いあいつとのお別れのシーンも大好きでした。
ポケ○ン世代にはたまらない。

ただ、ラスト、気持ち悪いと言われながら幸せな夢の中で死ぬ彼を眠り続けるみつおが見てることに、なんとも言えない気持ちになるんだけど。これは、深読みだろうか。

黒豆
楽しかったー!黒豆はもう、ほんと、ずっと観たかった作品なので、最高だった。
テンポの良さと、こてこてなお芝居!
最高と言わずしてなんと言うのか。
オカマバーでのやり取りとか、もう、ほんと、もうブラッキーちゃんかわいい。
そして、赤カブトさんを全力で堪能できるすごく私得な作品でした。
散々笑ったんだけど、ラストのふたりのキスに優しくて幸せな気持ちになった。
なんだろう、あの不思議な気持ち。
唯一穏やかに見れた作品だった笑
好きです、黒豆。人気な理由がよく分かった。あれは楽しい。

じかんをまきもどす
無音に続いて個人的にめちゃくちゃ怖かった作品。
何が起きたの?ってぞわぞわしてた。
巻き戻した時間はなんだったんだろう。
フォロワーさんも言ってたけど、もう一度ボタンを押せば、って押せるはずないんだよね。
あの時間はどこまで戻り続けるんだろう。
そもそも、戻り続けた場合行き着く先はどこなのか。
その後のモグラの見た夢(みつおパート)で、一気にみつおが老けこんでいた(もちろん、それまでにもその兆候はあったんだけど)ひとりぼっちになっていたことを思うと、時間は巻き戻ったのか、一気に進んだのか、みたいな気持ちにもなる。
この一本に関しては感想を書けば書くほどつかみどころがなくなる気がするなあ。


そして、モグラの見た夢、である。
穏やかで優しくて悲しい、みつおとその家族の話。
彼が起きるたった1日を待つ家族や友人の、それ以外の364日を思う。
幼馴染は結婚し、妹も家をでる。
周りの友人たちは、普通に就職して自立する。
あの、お母さんと主婦2人の会話が苦しくて。
たぶん、あれがあの家族の抱える現実なんだろうなあ。
それでも、笑顔で明るくみつおが起きる1日を待つ。
あの笑顔に全く嘘がなくて、それが、尚更心に沁みた。

「お前は豊かな人生を送ってるよ」
パンフがいま手元にないので、ニュアンスになってしまうのが悔しいけど、あの台詞が本当に好きだった。吹原さんの書くあのシンプルで真っ直ぐな台詞の魅力爆発の台詞だった。
嘘でも慰めでもなく、本当にみつおの人生を肯定したお父さん。

死ねない男は棺桶で二度寝する、を見た時、死ぬことは希望なんじゃないか、と思った。
六郎も、モグラのみつおも。
当たり前の平凡な人生とは到底言えない人生を送った。モグラが見た夢の中の人物たちの中にも、そんな人たちがいる。
ずっと幸せというのも、ずっと大切な人と一緒にいることはできない。
みつおを見守りながら現実の中で生きてた高橋さん演じるお母さんの悲しそうな顔も忘れられない。
だけど、豊かな人生、っていう言葉は、優しかった。

ラストシーン、みつおは物語の中でお母さんに約束していたバースディカードを送り、また物語を語り出す。
その場には、六郎がいて、独りぼっちのブルースレッドフィールドのナップサックさんがいる。
うまく言葉にできないけど、あのワンシーンを見た時、死ぬことは希望なんじゃないか、という救いようもない気持ちが軽くなった気がした。
ノンちゃんと別れたくない、と泣いた六郎はまた孤独にいつか戻るだろうし、
みつおがみつおとして過ごした時間はあまりに少なくて、そして置いていかれてしまったけど、
たくさんの物語と出逢ってともにあったみつおの人生は豊かだ。
それに、生きることはなんとなく幸せなんじゃないか、と最後笑うみつおと六郎を見て思ったのだ。
それは、うまく理屈では説明できない気持ちだけど、確かに残った観後感だ。
なんとか、説明できないかと、考え続けてみたけどうまくいかなかった!
ただ、言葉として出てこなくてもそんな風に考え続けた時間がひたすらに楽しかったので、改めてオハヨウ夢見モグラが、そして死ねない男は棺桶で二度寝する、が好きだった、と思うのである。

死ねない男は棺桶で二度寝する→

死ぬことは希望なんじゃないか。
素直に言えば、最初に思った感想はそんなことだった。

PMC野郎さんの魂の二本立て。
死なない男は棺桶で二度寝する、から、オハヨウ夢見モグラと二本立て続けで観劇。
これ、たぶん、順番によって受ける印象変わるよね。

それぞれのあらすじはこちら
「死なない男は棺桶で二度寝する」
悠久の時を、ただ一人孤独に生きていく不死身の男。聖徳太子とイントロクイズに興じ、織田信長に王様ゲームを教えた彼の孤独を、誰も知る事は無い。何故なら、彼の正体を知ってしまった者は、誰一人として彼の事を覚えていられないからだ・・・。
一方、現代。恋人の六郎と別れようかと悩む記者の信子は、取材先の精神病院で、不死身の男の存在を聞く。
やがてそれは六郎や自身の家族、果ては時の総理大臣まで巻き込んで、遥かなる人類の歴史に、小さなうねりをもたらしていく。
自分自身の境遇を呪い、その悩みを誰とも共有できない孤独な男。
終わりなきパレードの果てに死なない男が行き着く先は、限りなく孤独な生か、限りある幸福な死か?


記憶、人間という種の集合体、死。
いくつかの共通したテーマと、設定で別々の物語でありながら、
二本観れば点と点が繋がる。
とりあえず、まずはひとつひとつ感想を書いて行きたい。

「死ねない男は棺桶で二度寝する」
前半の怒涛の不謹慎な笑いと、そして、後半明かされる事実。吹原さんワールドを堪能!みたいな気持ち。
死ねない、という言葉通り、六郎にとってはそれはマイナスだ。
パンフを開いたページのどこかを見つめる六郎の目が寂しい。死ねないことを知られればその相手の記憶から、彼は消えてしまう。だから、一緒に過ごす時間は束の間だ。ただでさえ、ひとり生き続けなければいけないのに。
吹原さん脚本の好きなところは物語の本筋以外のキャラクターたちがともかくぶっ飛んでて愛おしいことだ。あまりに愛おしくてどこか本筋か分からなくなるくらい。総理に愛人、秘書に息子、横綱。さらに、ノンちゃんのお姉ちゃん。
これでもか!というくらいキャラクターが濃い。
ノンちゃんとお姉ちゃん、とその手のやり取りには思い切り笑ったり和んだりしたし、総理をはじめとする友人たちとのシーンはもう、本当に最高だった。切れ味ありすぎだ。そして案外あっさり人が死ぬ。主人公は死ねないというのに!

死ぬ、といえば、今回PMC野郎さんの作品で初めて刀を使っての殺陣を見た。
ゲキオシ!さんのインタビュー記事にもあったけど、その泥臭さ、血生臭は凄まじかった。
吹原さんの描くキャラクターが愛おしいのは、同時に描かれる作中にとんでもない痛みや憎悪があるせいかもしれない。
それが今回は殺陣というある意味分かりやすい痛みとして描かれていたけど、それは今まで観てきた作中でも、感じてた痛さだったように思う。

一郎が、人魚の肉を食べるシーン。
あのグロテスクさ。
彼はそうまでしてでも、妹や村を傷付けた男たちを斬りたかったのか。
あのシーン、明確な言葉で一郎の気持ちが語られないことに、グッとくる。
ただただグロテスクな呻き声と照明とか、描き出す。
それらが、その後一郎が背負う地獄を思わせるようだ、と思う。

六郎が不老不死であることを、知った人間は忘れてしまうということの苦さは、下下さんの熱演が伝えてくれた。
忘れられること。忘れてしまうこと。
その苦しさに優劣はつけられないけど、下下さんの、そうだ、あいつにあったらあなたが彼を殺してあげてください!の台詞の熱量が忘れられない。
身体中に傷で名前を掘るほど、 彼は彼女は、六郎のことを想っていた。
そのことに、愛情と、そして彼の記憶を失うことの哀しみを想う。
そう考えると、総理と六郎のシーンの穏やかさはまた違った感慨がある。
総理、すごいな、と思う。
あのお別れのシーンも、本当に美しい。

統合失調で生み出した妹と友人との会話は胸を締め付けられた。
本当に存在してるように思わせてよ、という六郎の言葉に困ったように笑う妹と友人は、ある意味では、彼がまだ狂いきれないというか、まともであり続けてしまう、つまり、自分はひとり生き続けなきゃいけない事実を真っ直ぐに見つめ続けているということではないだろうか。

ひたすらに苦しい、死ねない男は棺桶で二度寝する、は、ラストシーンで優しく美しい光に包まれる。
死んでしまう、という希望を彼は選べない。生き続けなきゃいけない。それは、重く孤独な生だ。
だけどきっと。
傷付いてでも彼を覚えていようとしたノンちゃんや、愉快な友人たちの存在が、そんな生の中、ぽきりと折れてしまわないように支えてくれるんじゃないか。
だからこそ、彼は歩き続けなきゃいけないが、決してそれは、哀しいだけのことではないと思う。


ちょっとあまりに長くなったので、いったんここで止める。
オハヨウ夢見モグラの感想と、全体の感想はまた次回。
魂の二本立て、さすがすぎる!

ソウサイノチチル

誰もが一度は関わることになる「葬儀」
そして人ひとりが亡くなったからこそそこには浮き彫りになる色んなものがあるんだな、と思ったソウサイノチチル。

あらすじ
「俺は死んだ。お前が死んだら、どうする? さあ、おかしな葬祭をはじめろ。」
駄目人間を絵に描いたような父が死んだ。舞台は葬儀場。
招かれざる弔問客。見習いの僧侶。
果たして、無事に葬儀は終わるのか?
父が遺したもの、伝えたかったこと。

 

ようやく観ることができたえのもとぐりむさんの作品。
葬儀、というテーマとは裏腹に前半はともかく笑いが散りばめられていた。
いやむしろ、葬儀、という本当は笑うに笑えない状態だからこそ、それがズレた時あんなに笑えたのかも。コントのようなテンポでお芝居は進み、気が付けばそこにあるエグミや人が亡くなる、ということの重みに行き当たる。
死んだはずのダメ親父。死んで良かった、とまで家族に言われる彼が生き返るところから物語は始まる。
なんとか保険金で彼が遺した借金を返したい妻はそのまま死んでくれ、と懇願する。
このあたりのやりとりが松田さん・憲俊さん共にコミカルで楽しい。内容酷いこと言ってるのに笑
更には葬儀に参列したくない奥さんの弟や、招かれざる客である旦那さんの不倫相手や元カノ、更にはその娘まで現れる。もうこれだけでかなり賑やかで、普通の葬式になるはずがなく、まさしく「おかしな葬祭」だ。
その上、葬儀を執り行う葬儀屋の面々もかなり個性的。ドラマチックにしか司会をしない立石さん(黒組の前田さんの流れるような司会からの切り替えにも、白組の國立さんのバラエティ豊かなまさしくオンステージな司会にもそれぞれ沢山笑った)や、確信犯なのかただのそそっかしい人なのか微妙な田中さん。派遣のバイトで、いまいち葬儀が分かってない山口(山口さんの白黒のそれぞれのネタもズルいし、どちらも確実に笑わせてくる宮下さんすごい)
ギックリ腰になった僧侶の代わりにやってきたSHOGOさん演じる高橋や、同じく2代目植木屋として頑張る桜木夫婦と、武宮のやり取りも軽快で楽しい。
というか、彼らがかなりこの話が葬儀の話だ、ということを忘れさせるくらい貪欲に笑わせてくる。

全体的にともかく賑やかな舞台なのだ。お葬式の話なのに。

途中、何度かお葬式とは生前のその人を表すという台詞が出てくる。届いた弔電がその人価値、お葬式の雰囲気が、その人の生き方。
そう考えると、この宗一郎さんはどんな気持ちでこの葬儀を見たんだろう、と思う。
通夜を終え、告別式が始まり、死んで良かった!と言われ、
かと思えば、この人は天才だったという人も現れ。
万人に愛される人もそういないけど、こんなにも強烈に憎まれ愛される菊池宗一郎という人の人生は、一言で表すことができない気がする。ダメ親父、ではある。息子は、そんな親父が好きだった、というがその奥さんや娘が死んで良かったね、と笑いながら話すくらいだ。それまでどれくらい泣かしてきたのか。
そう考えると、ダメ親父なんて表現じゃあまりに軽い気もするのだ。
さらに、義理の弟である恵蔵夫婦のかけられた迷惑は、家族なんだから、じゃチャラにできない気がするし(というか、そもそも義理の、だし)子どもが出来なかった、の下りは前半のシーンだったが、息が詰まった。
でも、そんな人を愛した父親がいて、想い人がいて。宗一郎を慕うバンドマンは彼が遺した音楽がいかに何かを遺したか、ということだと思う。
そういう人たちからすれば、妻や娘、恵蔵の言った言葉は、どれだけ無神経で酷い言葉だろう。
死んで良かったのかもしれない、と父が息子に対して言う苦さはどれだけだろう。怒るアユや、水樹さんの表情に苦しくなる。本当に本当に、傷付いた顔をしてて、そしてお別れを言う時の顔は美しくて、それが尚更、宗一郎への想いを思わせた。

ただ!ね!
同時に奥さんや恵ちゃん、恵蔵さんがどれだけ生前の宗一郎によって傷付けられたか、とも思うんですよ。
愛情があればそれくらい、とか、もうそういう度合いを超えてると思うし、宗一郎さんがしてきたことは。
それに、奥さんに関して言えば、それくらい手に入れたかった相手を、結婚が決まって弟がいくら言っても聞き入れないくらい結婚したかった相手を「死んで良かった」と言いたくなるくらい傷付いてきたことだって、辛かったんじゃないか。愛し続けられなかった彼女より、そうなってしまったことの方が苦しいと、私は思ってしまった。

でも、それもこれも、たぶん、誰も間違ってないんだと思う。
宗一郎さんを喪って悲しいと思う気持ちも、故人だからと飲み込むことが出来ないくらい憎いと思う気持ちも。
そして、そういうものが剥き出しになってしまう「葬祭」というものについて考える。
人生は一度しか選べないし、傷付けた事実は許されることはあっても変わることはない。償う、ということはできるけど、償いたいと思った時に間に合うとも限らない。
そんなことを考えて、後半はただただ苦しかった。生きることってあまりにしんどい、と思ってしまった。前半あんなに笑ってたのに!


ずるいなあ、と思うことがふたつあって。
一つは、ラストシーン。火葬が終わってから葬儀場の桜の舞い散る舞台があまりに綺麗だったこと。それを見つめる彼らの顔が優しかったこと。
もう一つは、多恵さんの宗一郎さんへの想いだ。
生き返ってたの、というあどけない表情や、夜二人話しながら背中をかいてあげたり、足の紐を直してあげる姿が。
あまりに、優しかったことだ。
なんだ、好きだったんじゃないか、というと軽すぎると思う。
死んで良かった、という言葉にも嘘はないだろう。
ただ、好き嫌いだけで、割り切れるほど、人と人は単純じゃないんだ。そんな、ありきたりだけど、忘れがちなことをふと思った。だからこそ苦しいし、でも、愛おしいんだと思う。
万人に好かれることはないだろう。でも、ただ憎まれるだけの生き方というのも、難しいのかもしれない。
だから、あの、どうしたら良かったの、に無性に泣けたのだ。それは多分、見てる人も分からないから。


その上で、思い出すのは綺麗な桜だ。
どんな日でも吹く気持ち良い風だ。
そう思うと、そうさ、命散るとはすごく希望に満ちた優しい言葉に思えてくる。

光のお父さん 第1話

実話を基にした、とかファイナルファンタジーの、とか、そして大好きな吹原さんの脚本、とか楽しみが沢山あって見た光のお父さん

もーーーーー、さいっこうにいいドラマ!

もともと、あんまり長いものを見るのが実は得意じゃないので、深夜ドラマが大好き。だいたい30分だし。でも、内容は濃かったりするし。
そんなわけで、毎週の楽しみができました。
地域によって放映日が違うので感想書くのどうしようかな、と迷ってたんですが、
そういえばブログがあるじゃないか!と気付いたので、ブログで感想を。
2話放送前に、改めて振り返って1話目感想を書いてみます。


主人公と比較的年齢が近いせいか物凄く共感しながら、見た第1話。
何があった、というわけではないけどなんとなく距離が遠くなった父親の突然の退職。オンラインゲームを通しての親孝行。
私自身は親とはわりと仲良くはあるけど、でも、こう、なんとなく小さな頃の距離感とは変わったな、と思う。
仲が悪いわけでも嫌いなわけでもなく、ただ関わり方が分からなくなった、みたいなあの距離感は誰しも覚えがあるんじゃないだろうか。

勿論、ただただしんみりさせるドラマでもない。
ゲームキャラにつける名前で、井上、と言うお父さんのちょっとトボけたシーンは微笑ましくも笑ってしまう。そんな程よい笑いが散りばめられてるのも魅力だと思う。

そしてまた、台詞のひとつひとつが沁みる。
親子の会話も、上司との会話も、オンラインゲーム仲間との会話も。
(そういえばTwitterで見かけた感想で、オンラインゲーム仲間とまた明日、と声をかけるシーンへの共感を見かけた。ほんと、あの台詞、すごく、素敵)
ドラマの表現的にも、実際のゲーム映像が流れたり、と楽しい。すごくゲーム音痴なので、最近じゃめっきりゲームをしなくなった私も思わずプレイしたくなる。

その中でも一際、このドラマが好きだ!と思った瞬間は、終盤、父が主人公に「あのゲームなかなか楽しい」というシーンだ。
もう、心臓がギュッとくるくらい、キた。
そもそもこの親子の溝は、主人公曰く、ふたりで楽しくプレイしていたゲームを、「ゲームばかりやるんじゃない」と父に言われたことに発端がある。
そこから何年も経ち、父のことが知りたい、と思って動き始めた主人公に彼が愛してやまない世界を、楽しい、というお父さん。
もう、この、構図が愛おしいし、その後入る明るいナレーションがいい。

優しくて沁みるこのドラマのこれからがほんとに楽しみだ!
ひとまず、今夜もしも寝落ちてしまった時のために録画予約!

今 だけが戻らない

観れた!観れたよー!!
台本を既に見て、展開は知っていたけどやっぱり舞台は舞台として観た方が更に楽しいなあ、と思った。しあわせ!


あらすじ
取り戻したのは、二度と戻らない筈の「過去」だった。

そこで見たのは、やたらと遠い「今」だった。


タイムトラベルを「行って帰ってきた男」が語る 過去の未解決事件の真相
未解決事件の捜査を専門に扱う【警視庁特命捜査対策室】で捜査を続ける刑事たちに男が語ったのはまさかの「自供」!?
「過去」を取り戻せたはずの男が語る「今」とは?
「置かれ続けた【一輪の菊】」が全てを物語る ボクラ団義が送る!タイムトラベラー自供型サスペンス舞台劇!?

 

これは、男の執念の話だと思う。
この男、は渡部浩一であり、倉下保であり、瀬戸沼陽であり、岡本仁で、司冬雪で、そして、真壁啓のことだ。

話の雰囲気的にはボクラ団義さんの「鏡に映らない女 記憶に残らない男」に近い気がする。
他人には理解できない執念で、人々を不幸にする人間と、それに翻弄される人々。

久保田さんの描く「狂った」ひとの憎めなさはなんなんだろう。
やってることは狂気に満ち溢れていて、そこに理解できる要素はないはずなのに。

(この辺り、久保田さんのパンフ挨拶とかを見ながら読むと心が苦しくなる)

5年前、10年前、20年前とそれぞれ事件が起こり、それを捜査する警察がいて、その警察に技術を提供する科学捜査研究所がある。
今戻は出演者数的にもわりと、構造が複雑だ。
久保田さんの作品の中でシリアスな設定との比較としてのほのぼのパート(コメディパート)を担ってるのは、科学捜査研究所のふたりだ。ふたりじゃれてる姿はすごく可愛い。が、実際に今回ふたりが背負ってるのは、この作品の中心である「戻せない後悔」であり、また皇・志熊の同一人物が描くのは、執念によった行き過ぎた行動だ。
そう考えると、特命捜査対策室の伊丹さんはこの作品ないで一番自由かつ、明るい役だった。もうほんと癒し。特命捜査対策室の3人のトリオもすてき。もっとも、瀬戸沼にしろ、久遠にしろ重たいものを背負っているので・・・癒されれば癒されるほど後半辛いんだけど。
捜査一課組に関しては、司さんは例外(ポジション的にも、捜査側の人というより被害者の遺族の意味合いが強いし)として、比較的冷静に、だからこそ的確に事件を追っていく。ある意味、複雑に絡む話だからこその必要なポジションだったのかも。

で、起こった3つの事件と、その犯人だ。


真壁啓が、犯罪を起こさないこと、を諦めた20年前の事件。
怜美の言葉を聞いた辻堂(真壁)の表情が悲しい。本当に、友人としての親愛の情を理解できていない表情で、かつ、裏切られたとむしろ傷付いていたように見えた。
これは10年前、5年前の事件にも共通して言えることだけど。
被害者たちは全て普通のひとだ。
事件など、起こる必要もなく殺される理由もない。所謂、殺されそうオーラ(鏡に映らない女 記憶に残らない男より)なんてものはない。
普通に生きて、笑い、近くにいる人を大切に思ってる。し、当たり前に幸せになりたいしたい、と思っている。からこそ、起こるすれ違いや諍いも描かれてはいるんだけど。

それらをたぶん、真壁啓は理解できない。
それはスライドやラストに語られた彼の半生の影響だろうし、誰も彼に与えたりしなかったからなんだろうな。なんてことを、辻堂の台詞や行動に思う。
(誤解のないように言いたいのは複雑な出生とか、両親の関係とかましてや施設育ちだ、ということは関係ないというか、あくまで要素でしかなかったと思う。現象でしかないというか。それを受けて、どう変わったかどう与えたのか、みたいなことで)(うまくまとまらないけど)

決して真壁啓は許されないし、ほんとに独善的かつ彼の価値観でしか物を見ていない。
なんだけど、じゃあただ彼が悪なのか、と思う。悪なんだけど。
ただそれは、物語の中の空想の悪役ではなく、彼自身がたくさん傷付き、限界を超えたからこその今の姿なんじゃないか、とも、思う。まあだからと言って、何をしてもいいというわけじゃないけど。辻堂、の頃に怜美を「こいつも生かしちゃいけないのか」って言ったのがなんか印象的だった。生かさない、と自分で判断したというより、もっと主観とかを除いて客観的に判断した、みたいな言い方のように感じた。いやまあ、主観だし、悪なんだけど。
ある意味、この辺りは結論がでることはないんじゃないだろうか。

 

そして、この作品のラストシーン。
なんたらマシーンの、正しい使い方。過去の友人たちと会えるということ。
結局、今、しか戻らない。今を後悔しない、と最後に渡部は言うけど、後悔しないように過ごすことができるのは「今」だけなのかもしれない。
ただ、それを演劇サークルの彼らは失ってしまった。もうあのなんたらマシーンで再現された今、がくることはない。


正直、私はこのお話をどちらかといえばバッドエンドと捉えてしまったというか後味はあんまり良くないなあ、と(それは舞台として観たらだいぶ払拭されたけど)思った。思ったけど、気が付けば何度もDVDを再生してるのは、出てくる登場人物たちが、真壁も含めて必死に生きてたからだろうか。