えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

道途中で、立ち止まって考えてみた

所謂、お気持ち文なのかもしれないので「まじでポエム無理なんだよな」って方は気を付けてくれよな!!!!!

気持ち的に全ての文で「あくまで個人の感想です」をつけたいくらいの勢いです。自分の気持ちを見える形で残す。

 

これは
・お芝居を主食として過ごしている
・三代目のライブ×オンラインを楽しんだ
・直人さんきっかけで三代目はじめLDHにハマり
・おみさんの歌と世界観に何度もノックアウトされてきた
オタクの文章です。


仕事をしてるときによく考える。
正解の攻略法がないのがめちゃくちゃしんどい。資料くらいならギリギリあるかもしれないけど「全方向に使える上司との付き合い方」も「どんな顧客も百発百中で落とせる口説き文句」もどこにもない。
いや、あるのかもしれないけど、私は平凡な人間なのでそんなものは少しも見えてこないし、
毎回毎回あくせくと呻きながら仕事をしている。

 

 

全く無関係な話をし始めたようにも思われるかもしれない。


だけど私的には無関係じゃないのだ。最近、この息苦しさというか苦さをよく、好きなエンタメについて考えるときに味わうことが増えた。

 

いやもっと言えば、本当はずっとエンタメに限らずなんだってそうで、
例えばテスト範囲が決まってて出題元が完全に定められてるような、
そんなものどこにもないんだよなって気付いた時の途方もなさを思い出す。

 

 

 

ある程度確立されていた「こうすれば面白い」が根っこから崩れてきている。
(これはあくまでもある程度、なのでやっぱりそもそも全方向全顧客を口説き落とす、なんてものはなかったのかもしれない。だけど、確立されている、という安定感は少なくともあったと思うのだ)


LDHのライブ×オンラインが始まり、日々賑やかだった。
発表当時から悲喜交々、色んな話題が飛び交った。例えば購入方法の煩雑さ、とか久しぶりにオンラインとはいえライブが観れることが嬉しい、とか、見逃し配信ないのは無理がある、とか(これはまじで見逃し配信を決めてくれてありがとうって思う。やっぱり回線が死ぬことは往々にしてあるし、その時間観れなくても観たい人はたくさんいるので)リハという言葉やそれに伴う投稿に心躍らせたりとか。

 

なんかそういうの全部、すごく久しぶりで楽しかったんだよな。いや、悲喜交々、なので悲しいも混ざってるし実際いろいろと切ねえーとか、人は結局分かり合えねえーって大の字になったりしてたんですけど。
それでもそれも含めて「体験」というか、
この期間に制限されまくってた心の動きみたいなのがギッタンバッタンあって、それってめちゃくちゃ、元の生活、を思い出した。

 

自粛生活、まじで心を動かさずに過ごそうって思ったら全然余裕で出来ちゃう。
好きなものもない代わりに、悲しいことからも目を背けようとは出来ちゃうっていうか。

 


そして同時に、もちろん今までだって百点満点文句なしだけを叩き出してたわけじゃない彼らだとは思うけど、その今まで以上の「試行錯誤」を感じた。
今までのエンターテインメントの代替えを探すつもりは無いと思う。
生のエンタメに触れたことがある人は……それを、届ける側にしろ受け取る側にしろ……代替えなんてものが存在しないことを知っている。痛いくらいの実感を持って。
ただその上で彼らは「絶対負けねえ」のだ。負けたって認めなきゃそれはまだ勝つ途中、の人たちなのだ。

 

そしてたぶん、今、立ち止まったら何か大切なものがたくさん終わるんだろう。

 

それこそ、愛のためにで歌っていた「いつか準備ができてから始めようと思ってたけど」
「今きみが笑顔になれるならその準備は後回し」なのかもしれない。

 

 

正攻法も必勝法も(それは以前なら勝率100%じゃないにしろ、確固たる彼らが地盤を作り上げてきたわりと強いものだったはずだ)無い中で、それでも彼らが作りたいのってたぶん、人が自分たちの表現で笑えること、明日も頑張ろうと思える、楽しいと思えることなんじゃないか。
その方法が自分に刺さるかどうかは一旦さておくとして、それくらいは私は信じたい。
それくらい、っていうか、私にとって、それはめちゃくちゃ大切なことなんですが。

 

何をそんなことに1000字以上書けて話してるのかと言われそうだし、私も何言ってんだろうな、って思うんですけど。
別に全肯定botになるつもりもないんですが、
でもなんというか、三代目のライブ×オンラインが楽しかったな、ということをちゃんと自分のために残しておきたくなった。

 

私はいわゆるキャス配信的な「喋ってるその人」をめちゃくちゃ積極的に楽しむタイプではない。
元々が全部知りたい!となれるほどのキャパシティがないのもあって、その辺はわりとノータッチできている。
だからMC多め、は「おーまじかあ」と正直思っていて、一方でそれを求められてる彼ら、でもあるよなあ、と思っていた。
なのでほんの少しどうなるかなあ楽しめるかなあと思わずこっそり口にもしていた。

ので、正直なところを言えば、思った以上に自分がMC多めのライブでも楽しんだな!と驚いた。

 

 

終わった直後、こう呟いてた。

「わからん、もう何もわからん、いいライブかどうかとかじゃなくて「私には必要なライブ」で「大好きなライブ」で「七人に会いたかった」ということしか分からん」

 

 

で、なんでか考えていたんですよ。もっとパフォーマンスが観たかった、曲がもっと観たかった、と思いながらだというのに、とんでもなく幸せなのはなんでなんだろうって。

 


何度もツイートもしたけど、七人がずっと待っていたその時だからなんだろうな、と思う。
おみさんのインスタストーリーの「歌を唄いたい」という言葉や、GU×SEVENの時の直人さんの「久しぶりに自分が作ったものが届けられた気がする」というのが、
この期間心に刺さっていて、そういう意味で映像で、いつものライブとは違うものであっても「自分たちの表現」を「ファンに届けられる時間」が心底幸せなんだろうな、と思った。

 

それがずっと、約2時間私の頭を締めていたほぼ全てで、なんか、そのよかった、が残ってるせいでMCについてとかあんまり覚えてないのかもしれない(それもそれでどうなんだ)

 

 

もちろんやっぱりもっと歌ってるところ観てえ!とか、
パフォーマータイム!パフォーマータイムはどこにいったんだよ!!!!とか
それはもう、思うんですよ。直人さんの煽りめちゃくちゃめちゃくちゃ観たかった。観たけど。

 

でもきっとそれはこれからどんどんブラッシュアップされていく中の、楽しみの一つだな、と思ってわくわくすることにする。

いやーまじで、そういう意味でこれ観たい、はめっちゃ増えた。


ゴリゴリ映像交えたライブも観たいし、
グループの垣根超えたのも観たいし
パフォーマータイム盛り沢山なショーケースみたいなのも観たいし
というかEXILEさん観たいし
AOSが観たいし
あと、きっと私のこの観たいと同じように交流してほしい、とかわいわいしてるところが見たいってファンもいるだろうし

 

 

それも全部、きっと「勝つ」の形で、
それはきっと生きてる限り更新されていくんだろうな。

 


ある意味でそう考えると、今まで以上に「今この瞬間」を共有してるのかもしれない。何ができるか何がしたいか、受け取ってどう思ったのか、次どんな景色が見えてるのか。

 


私たちはそれを、やりとりしながら一緒に探していくのかもしれない。それは、本当に途方もないし、ちょっとビビってもしまうのだけど、せっかくなら「勝つ途中か!」とわくわくしたい。ぜってえ負けねえの格好良さをいやというほど、これまで知ってきたので。なんなら実戦で試す時じゃないか!くらいのわくわく感と一緒にいたい。

なんか、まじでそう思うと、すげえ生きてんな。私は、彼らと同じ時間を生きてるんだな。

待ちわびていた旅の続きへ、あるいはずっと続いていた旅について

新しいエンターテイメントの形LIVE×ONLINE、果たしてどうなるだろうとその発表を聞いてからそわそわしていた。
今、この状況下ではなかなか生のエンターテインメントというのは難しい。もちろん、徐々に戻ってはきている。LDHも、まだ時期は未定ながらソーシャルディスタンスライブの計画を発表している。
だからこそ、LIVE×ONLINEという新しい形はなるほどな、と思った。

 


が、それはある意味で思い違いだったんじゃないか、と気付かされる。
代替えなんかではない。もちろん、直接同じ空間を共有してのライブは恋しい。私たちも、彼らも。
だけど、このLIVE×ONLINEは単なる「できないから代わりに」やってるわけではない。そんなのはあくまで一つの側面でしかない。
そう、EXILE THE SECONDさんのLIVE×ONLINEを「浴びながら」思った。
どうしようもなく、生だった。映像技術をはじめ、彼らが持ちうる全てを駆使してのエンターテインメントは私たちが待ちわびてきたものだった。

 


冒頭、それぞれの「ルート」を紹介しながら最高に格好良いサウンドと共に登場するメンバー。もうこの時点でテンションがブチ上がってしまう。
と同時に彼らの多彩さというか、個性の豊かさ、持ち札の多さに痺れる。
思えば、ROUTE6.6に行く予習として見せてもらったWWWでそんなところに興味を持ったんだっけな、とニヤニヤした。
歌もパフォーマンスも最高に格好良い上に、幅が広い、分厚い。そしてそのメンバーが揃ってびしっと色っぽく大人なサウンドとパフォーマンスをぶちかましてくれるのだ。

 

瞬間エターナルは発表当時からめちゃくちゃにかっけーな!と思っていたわけだけど「ライブパフォーマンス」として彼らがかましてくるとまた一味も二味も味わいが増していく。
「待ちわびていた旅の続きへ」という一言に、ああそうだよ、とフラッグを持つ手に力が篭った。ずっとずっと、セカンドさんたちのライブが、旅が恋しかった。

 

 

セカンドさんの楽曲たちの踊る明るくて格好良さが好きだ。
お洒落で大人っぽくて同時にたくさんの「楽しい」を歌ってくれる。めちゃくちゃに熱いというよりかはスマートで、だけど冷めてるわけではなくてその根っこに裏打ちされた情熱があって、
人生のうまくいかない瞬間もまあそうだよね、って言いながら、蹴飛ばして楽しんでいく、そこからどんどんハッピーへと進んでいくようで、聴いてるだけで元気が出てくる。

そんなことをお馴染みのサウンドに身体を揺らしながら思う。最高に楽しい。それは、やっぱり「ライブ」なのだ。

 


今回、掲げられているテーマの一つには「幻想」があるのだろう。
タイムラインを軒並み絶叫へと突き落としたTop Downはもちろん、途中導入でもたびたび「幻想」というキーワードが飛び出し、パフォーマンスにも人外を思わせる演出が組み込まれていた。
(本当にパフォーマンスもビジュアルも最強すぎて「人外」がめちゃくちゃに似合うの本当にすごいよ…LDH、本当にびっくりするくらい人外の造形が最高すぎる…なぜなの……)
例に漏れず、私も最高にそんな人外演出に悲鳴を(近所迷惑にならない程度に)上げ続けた。


それから二回目を観て、「幻想に浸ろう」というメッセージに呻いてしまった。
もちろん、格好良いからこそというコンセプトだと思う。何より、今回のLIVE×ONLINEの全体構成はもともとのツアーをベースにしているらしいので、それはそもそも計画されていたものなんだろう、感傷的な見方だな、とは思う。
思うのだけど、やっぱり、このタイミングで観る中で「幻想に浸ろう」という言葉を考えてしまう。

 

最近読んでいた「金魚屋古書店」という漫画の中で見た漫画を読む理由の一つが私の頭に残ってるからというのも、あるのだろうけど。

 

幻想は何のためにあるんだろう。
花鳥風月の夢のように美しいその映像を見ながら思う。
ままならない、自分たちの好きなものが近くにない、どうなるか分からない先の見えない現状。そこからの「逃避」だなんて言葉で片付けるのはあまりに雑じゃないだろうか。

美しい幻想に、力強く艶やかなその世界に浸るその時間は単なる逃避なんかじゃない。そうして弾んだ心は確かに、現実に続いてる。

 

Celebrationとstoryの演出が中でも好きなんだけど、あの2曲、見れば見るほどに「見方を変えると世界が変わる」という話な気がする。

 


Celebrationの別れ、から2人の時間をなぞって、もう一度別れ、に戻るの、本当に凄まじいな、と思う。
し、この演出はある意味で、オンラインで映像で見せるからこそ効果的なんだと思うんだ。
どの角度、どのタイミングで、どう見せるかで全然意味合い変わるじゃないですか、こんな繊細なストーリーごりごりにパフォーマンスと歌声で見せてくれるの本当に凄まじい…。

そして、そこからの最初のカットに戻った時に、確かに観客の私たちの見えるものは変わってるんですよ…なんなら、ジャケット脱いだ時点で頼むからその手に触れないでくれ、いや、触れても良いから抱き寄せてくれ、みたいな苦しさに襲われるっていう…いやもうこれはえげつないですよ……。

 

 

そんな「見る側」の変化を堪能した後に叩き込まれるStoryですよ…。
もう、この、全体構成を考えた人、すごい。容赦ない。

 


パフォーマンス(映像含め)の流れもすごいんですけど、やっぱりこれは間の黒木さんと女性ダンサーさんのパフォーマンスが物語をどんどん分厚くしてくるじゃないですか…。
朗読や振り付けのお芝居感もさることながら激しく踊る中で彼の中の激情が視覚化されて、もう釘付けになってしまう。
し、それが照明と映像演出で視覚的な色まで巻き込んでいくからもう、あの一曲だけでこちらは映画を一本観たような気持ちになってしまう。
ふたりの時間にフォーカスを当てたCelebrationのあとに彼の心情(そして彼女の心情も)にフォーカスをあてたパフォーマンスがやってくるStoryなのも、とても面白い。
それは、ある意味で、ラストのどう捉えるか、どう考えるかでまるっきり世界が「ひっくり返る」というこのパフォーマンスにぴったりだ。

 


そして、その世界が、鮮やかに変わっていく光景を見ながら思う。見え方で、こんなにも世界が変わるというのは、とんでもなく優しくて力強いメッセージじゃないだろうか。
そう思うのは「諦めない」と繰り返し語られるメッセージも相まってなのかもしれない。
それから、「待ちわびまできた旅の続き」と書いたけど、彼らはずっと旅をし続けてるんだな、とも。
それはやっぱり格好良くて楽しそうで、大好きだと思う。

 

映像や、細やかな演出、視覚が指定されるからこそ見せられる表現。
それは、どれも最高に格好良くてワクワクした。

 


直接会えないということももみくちゃになりながらライブを楽しめないということも飛び越えて、楽しいを全力で届けてくれた。
それはある意味で、セカンドさんの楽曲たちを思い出すような時間だった。うまくいかないことに肩を竦めて蹴飛ばして、それからどんどん楽しいへと裏返していくのだ、きっとこの人たちは。

LIVE×ONLINEはこれからもっともっと色んな表現を、見せてくれるんだろう。彼らもそんな可能性にワクワクしているような、そんな気がする。

 


旅はずっと続いてる。だとしたら、どんどん変化していく彼らが楽しみで仕方ない。だってこの期間の変化はあまりに最高だったのだ。
また、旅の先で格好良い彼らに会うのが楽しみだな。

推しを追いかけていたら時をかけていた話

なんだかバカなタイトルをつけてしまったが、本心だ。心の底から、私は2020年からタイムスリップして辿り着いて2007年、それから旅をしていたような気がする。

 

 

EXILE TAKAHIROさんを好きになりしばらくが経つ。ようやく少し、ああ好きだな、と実感を伴うように想うようになった、と思っていた。
まさか、そんな中もう1段階落ちることになるなんて少しも予想してなかった。だって好きだし。何より、好きだ、と自覚した瞬間の感覚がなんだか私の中ではレアだったので。深まることはあっても「落ちる」ことは…もう十分落ちたし…ないと思っていた。

 

それがもう、真っ逆さまにもう一度落ちていくんだから何があるかわからないし、どれだけの魅力がこのTAKAHIROさんという人には詰まってるんだ、と何度目か分からない驚きを噛み締めている。

 

 

私は30代以降の敬浩さんのお顔が好きだ。
もちろん、顔以上にその生き様に興味を持ち惚れてここまできたんだけどその好きだと思う生き方がより反映されてきた30代以降の顔が本当にほんとに大好きで。
もっと早く好きになれたらと思うことはあるけど(MOJOとかMOJOとかMOJOとか)きっと、20代の敬浩さんと出会っていたら今日のこの感じはないんだろうとも思っていたし、それは今も思っている。


だけど先日放送されたEXILE特集の金スマを観て、20代の敬浩さんに興味を持った。それは一つにはお顔立ちが可愛すぎてビックリした(見たことあるはずなのに初見のような心地でビックリしてしまった)のと、真っ直ぐな眼差しにとてつもなく惹かれたからだ。

 

 

ざっくりとは、彼が歩んできたこのデビュー以降の数年について、またそこでの彼自身の気持ちや葛藤、ファンや世間のリアクションを知っていたつもりだった。
だけど、せっかくだから観てみたい、とフォロワーさんにアドバイスをもらいながら、彼のデビューからの軌跡をライブを中心に歩むことにした。
そしたら、気持ちがまるで2007年に飛んでいたのだ。知ってるのに。2020年の彼の活躍や笑顔を。だけどまるで、私はその時「出逢い直した」ような気持ちになった。

 


4ヶ月という期間を考える。その中で吸収してどんどん変化していった敬浩さんという一人の人に想いを馳せる。
大好きで、たまらなく焦がれたグループのフロントマンになる。
それはどれだけ幸せで恐ろしいことなんだろう。
EXILE Mobileのchで、初日、そういう星のもとで生まれたんだよ、と励まされる動画を教えてもらって見て、その時もずっと考え込んでて。
敬浩さんはきっと、自分である程度答えを出す人で、そのために周りからどんどん吸収できる人なんだろうなあ、と思う。
そんなLOVEの特典ディスクでの劇的な変化を観て、それから2008のEXILE PERFECT LIVEを見た。観て、一瞬ディスクを間違えたかと思った。


見慣れた敬浩さんがそこにいた。


もちろん、厳密に言えば当たり前だけど違う。違うけど、ステージ上でのファンサや表情、目線の振り方がEVOLITIONとは全然違っていた。


決して2007もぎこちなかったわけではない。初々しさはあったけど、その上で(最もファンの贔屓目は大いに入ってるかもしれないけど)アリーナに立つアーティスト、だった。
その瞬間の最大の力をもって、彼は歌を届けていた。


それでも、やっぱり見慣れたステージの上での敬浩さんと少しの違いはあった。
それが、2008年、しょっぱな「見慣れた」敬浩さんの表情をみた瞬間、もう、びっくりした。
だって、そんなに時間が経ってないのだ。
もちろん、EVOLITIONの期間の数ヶ月の成長のめざましさを思うと当たり前といえば当たり前なんだけど、いやにしたって、と思う。
こっから当然ステージ上での振る舞いや歌唱力、表現力は2020年に向け、どんどんレベルアップしていく。それを知っていても尚、「ああ敬浩さんだ」と思った。
それは、単なるスキルの話じゃなくて、心持ちの話なのかもしれない。

 

ちょうどこのタイミングで勧められた「EXILE ROAD TO CHAPTER2」を読みながらそんな気持ちはより強くなる。


「憧れてるだけではダメだなって思うようになって」そう、インタビューの中で憧れのグループのヴォーカルになった彼は語る。そして、だからこそ見えるようになったメンバーの物語や本気度についても。

 

まず、2007については私は2017-2018の道の駅を買って観た時点で購入していた。
最後の方で少しだけ流れた2007年のライブ映像が気になって。結局、ちゃんと観るまでこんなに時間がかかってしまったけど。
そして、ずっと観たかった道を観た。なんならLOVEの特典ディスクを観ることでより高い解像度で観た。
あの時、溢れていく涙が本当に綺麗で、この4ヶ月張り詰めるみたいに過ごしてたんだろうか、と思った。張り詰める、なんて少し失礼だ。きっとその時間だって敬浩さんにとっては楽しくて大切な時間だったはずなので。
でもきっと、あつしさんも言った通り物凄いプレッシャーだってあっただろう。そしてきっとこの人はそれすら、もっと成長する大きくなるための糧だと、なんなら喜びすらして、乗り越えてこの場所にいるんだろうな。
真っ直ぐなDream Catcherの歌詞を聴いていても思うのだ。

 

 

話を2008年に戻そう。
最初の方の曲で「敬浩さんだ!」と思ってから、そういう意味では「いつものEXILEのライブ」を観る心持ちで、2008のライブ映像を観続けていた。
実際、最初に感じた通りあつしさんの隣に立っている姿が本当にしっくりくるようになっていて、ああそうか、とじんわり感慨に耽っていた。ただ憧れで終わらないために、真似で終わらないために、隣に立つ努力を彼は言葉通りしたんだな。それは確かに、形として表れていたし、その姿は本当に格好良くて美しかった。

 

 

ただ、そんな気持ちは「24karats」を聴いて変化する。元々、大好きな曲でライブに行くときはかなり楽しみにしている曲だ。
2008年の24karatsもめちゃくちゃ格好良くて、楽しみながら聴いていた。そして楽しそうに歌う敬浩さんにああ好きだな、と思いながらその体型に目を奪われた。
薄いのだ、薄いっていうか、めちゃくちゃ華奢なのだ。
いや分かってる、たぶん華奢という言葉は正確ではない。きっと華奢ではない。
何より当時だって当たり前に鍛えていて、しっかり筋肉がついてるのが分かる。
だけど、私は2020年のこの十数年ステージに立ち、歌い続けた敬浩さんを知ってるのだ。そしてその時間がどんなふうに彼の血肉になったかを。

 

 

なんというか、そのとき、どれくらいの心持ちと覚悟でそこに立ってるんだろうか、と改めて考えてしまった。
だって、顔付きも振る舞いも今の敬浩さんそっくりなんだ。でも当たり前だけどその人はまだその十数年を生きていない人で、そんなのってもう、すごいことだよ。
ずっと、この人はこうだったんだ、と今更、何度目か分からない気持ちを考えていた。ずっとずっと、真っ直ぐに信じて、幸せにしたくてそうして自分も幸せになりたくて、ステージに立ってきたんだな。
きっと、敬浩さんは迷わなくなったんじゃなくて迷うことをやめたんだ、と思う。大好きなEXILEという場所で強くしっかりと立つために。

 

JSBを観て思う。
最近ずっと考えてた。
私の好きな劇団の人たちがよく口にする「最新作が一番」という言葉が私は大好きだ。
常に最高を更新してくれる人たちが大好きなのだ。そして、それはEXILEをはじめとするLDHの人々も例外ではないんだ、とLOVEの特典ディスクを見て思った。

 

生きている人間を応援するということは、正解じゃない瞬間もあるということだと思う。

 

幸い、私は「いやもう好きだって思えねえ」ってほどまでがっかりしたことは今のところない。
だけど、例えば人によっては「微妙」だったろうな、とか、ファンの人が悲しむ姿はまあ、観たことがあって。
ただ、それを肯定するつもりも擁護するつもりもないけど、生きてるもんなあと思いはするのだ。


明日から間違えずに生きていけ、と言われると怖くて仕方ないように。生きていれば当たり前に人は間違える。間違えるんだよな、そりゃ。
間違えないことを求められるけど。
そう思うと、より思う。間違えたときの方が正しくあろうとする方が……それは通念上の話というより本人たちの中での話で……実はとんでもなく難しい。

誤解されたくないのは間違えることを肯定してるつもりはなくて、そうじゃなくて、きっと彼らは正しくあろうとしてるんじゃないか、と思うのだ。


正しいことと正しくあろうとすることは少し違う。


あろうとする、が私はすごく大きくて好きだ、と思う。自分の選択を正しかった、と思うために歩き続ける彼らの物語にきっと、惹かれたんだ。


今を最高にする方法はたぶん「間違えない」ことではない。
いつまで生きられるか分からないということ、だからこの瞬間精一杯生きるしかないこと。
自分の人生を、望む形で生きようとしてる姿がたまらなく好きだ。望む形で、というのは理想に対して、諦めたりすることなく突き進むということだ。出来ない、じゃなくてそうなりたい、を心の底から信じて実行しようとする、敬浩さんが大好きだ。

 

 

30代の敬浩さんから始まった好きだという気持ちは2007年へと時間を巻き戻す中で、どんどんと深まっていった。
それはもちろん、2007年をはじめとする時間の彼が魅力的だったというのが大きい。
だけど何より、そこにある彼の姿や在り様が、今好きな敬浩さんと地続きになってるんだ、と思えたことがなにより大きい。
もちろんそれを知ってはいたんだけど、実体験として知ることができた。それが何より嬉しい。
そのきっかけが、敬浩さんを好きだと思う人たちからもらったことだというのも、彼の過ごしてきた時間が続いてるんだなと思ってとんでもなく嬉しいと思う。

 

 

ちょうど今日、Twitterでいつから好きか、何がきっかけで好きか、という話をして聞いたから尚のこと思う。
きっとこれからもずっとびっくりしながらもっともっと好きになっていくんだろうな。そうであったらいいな。きっとそうだと、願ってる。何故なら、好きだと思う敬浩さんは常に幸せにして、幸せになりたいと願ってくれる人なので。
そんなことを心の底から信じられることを、心から嬉しく思うのだ。

かげつみのツミ

お芝居って、出逢うタイミングが決まってるのかもしれない。
時々そういうことを本気で考える。

基本的にお芝居は、生で観るに限るに決まっているし、そう思うと「出逢える期間」がある程度定まっている。
のだけど、今、テクノロジー的なものを駆使して、家の中で上演をお招きすることができる。
そうなると、尚更、お芝居は出逢うタイミングが決まってる、と思う。

かげつみのツミを観ながらそんなことを考えていた。
ついでに言えば、私は今回、サテライト上演で「出逢えない」覚悟をした。どうにも気持ちも体調も整わなくて、何度かYouTubeでページまでアクセスしたものの、じゃあ、と上演を招き入れる体力がなかったのだ。
だから、ある意味で「ああこれは出逢うタイミングじゃないんだな」とも思っていたんだけど、どうにも落ち着かなくて、「せめて1コースだけ見よう」と思った。きっと、上演期間に足を運べたとして、遠征を伴う私はよくて1コース、見ただけだったかもしれない。それを思えば、1コースだけでも観れたら御の字じゃないか。

そう思いながら見出して、結局、サテライト上演最終日に、駆け込みで本編のみにはなるけども、全部観終わった。観終わって思う。
たぶん、かげつみのツミに、今出逢うべくして出逢ったんだろうな。


あらすじ(公式サイトより)

玉どめを、外した。リッパーはいらないわ。
今夜この瞬間から私はなるべく喋るし、笑うし、
たまに泣くかもしれないし、動いたりもすると思う。

ただの布と中身だけだった私を縫い合わせて私を人形という
上等な存在にしていたこの糸は、
きっと、そんなこんなでちょっとずつちょっとずつほどけていく。

私、再びなんでもないものになるの。
ただし、私は楽しみにしています。
だって、どうしても知りたいのです。
私の中に詰まっているものが、一体なんであるのかについて。


人形たちは、捨てられて地下にいる。
捨てられた、ということは誰かを失くしたということだしなんなら捨てた本人もまた失くしたということだろう。

価値についてずっと観ながら考えていた。
チョキの台詞に、ちくんと胸が痛んだ。お金をただただ貯めていたチョキの持ち主のことを思う。なけなしの夢を貯めて、その人は何をしたかったんだろうと思う。

私もどんどんお金を使うタイプではない。もちろん、趣味や好きなものがたくさんあるから、貯め込みもしないけど。
ただ、やっぱりどっか、思ってしまう。いつか、私もチョキの持ち主のように、夢だけ貯め込んで終わってしまう日もあるかもしれない。

なんだかそんな瞬間がたくさんあったのだ。
価値、について。
宝石なら、自分の身のうちに詰まってるものが宝石なら愛せるというチョキを、ジェシーを観ながら。

例えば役割を果たしきれなかった人形たちとか、そういうひとびとを見て。
なんか、価値を決めるものってなんだろうとか、愛情がいつか尽きるとしたら、どうしたらそのことを回避できるんだろうとか。

愛情が終わってしまった、もしくは始まりもしなかった、在ったけど「自分のものじゃなかった」人たちのことを考える。

その、自分の価値が分かれば、価値があれば「生まれてきた、生きていく意味」が分かるという彼らの話を半ば呆然と見ていた。


失くしてしまったものの大きさとかを考える時、もしくはお別れしてしまったもののことを考える時、私はわりと憂鬱を極めてしまうタイプだ。
失くすくらいなら、と過ってしまうし、
そもそもそれは私の過失な可能性だってある。
実際、今回観ながら、一度は人生でお別れしかけたぬいぐるみを抱えながら観ていた。ごめんね、って謝ってしまった。
いつかは一緒にままごとをし、探検をしたこの子を置いて、私は他のことにどれくらい夢中になっただろう。
なんなら、今だって別に常に一緒なわけではないし、他のぬいぐるみとだって遊ぶ。
そういうことを思えば思うほどに、大切なものを手放した時、あるいは手放されたとき、具合よくきちんと一緒に終われてしまえば、いっそどんなに心穏やかに過ごせるだろう。


そう思っていた私にとって、ラスト、シャグベールの台詞は、心のど真ん中に突き刺さる。
誰かの代わりなんかはいないのだ。そんな相手がいたとして、その相手とうまくいってしまう自分なんて、嫌なんだ。
嫌なんだ、本当に。
失くされることよりも、失くして当たり前に生きていけてしまう自分の方が何倍も許せそうにもなくて、そんな簡単に、過ぎ去ってしまって欲しくはないのに、事実、過ぎ去らせて私たちは毎日生きている。

それでも、なんとか生きていくしかない、というのは、悲しくてやってられなくて、でも笑って生きていってもいいのかもしれない。

もとより、炎に自分をくべてしまうなんてこと、早々にない。あるとして、テルテルのようにそれがせめて誰かの笑顔に繋がればいいと思うと、ますますその機会はあんまり無さそうだ。


そんなことを、ハシコロゲとみんなの会話を聴きながら思った。そうして失くしてしまった、失くされてしまったどこかにいる大切な人のことを想うのだって悪くない気がする。なにも、世界は自分の目の前にだけ存在するんじゃないんだから。
今はひとまず、ただただかげつみのツミで出逢った愛おしい人たちが今夜、優しい夢を見ることを願いながら眠ろうと思う。

24日の17時から約2時間、いただけませんか

明日、17時に。そうツイートを見かけてからワクワクと楽しみにしている。

R老人の終末の御予定は、好きな作品の一つだ。それがYouTubeライブ配信されるらしい。

https://youtu.be/W0dhBqQfCCg


元々、上演当時も公演情報にドキドキと心が躍った。R老人の終末の御予定は更に前、上演された「ふたりは永遠に」の物語がベースにある。
私はこのお芝居が大好きだ。
短い話だから、良ければまずこのお芝居だけでも観てほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=xL59Dd6heFI

 

好きな人が、自分の死を悲しまないように自分のロボットを作った天才発明家のお話である。私はこの短い話の中に詰まった優しい気持ちが大好きで大好きで堪らないのだ。
そして、それが長いお話となって上演されると聞いた時、とんでもなく嬉しくてその上好きな役者さんが出演されると聞き小躍りし、あらすじを読んで二度見した。

 


一部、公演サイトより抜粋する。
「その昔、東京と呼ばれていた都市では、ヨドバシファミリーとビックファミリーの二大マフィアの争いが年々激化の一途を辿っていた。
数千年以上前から続くこの抗争は、どうして始まり、なぜ自分たちが争っているのか、最早どのロボットにもわからない。」

 


いや、なんでよ。
いやいや、なんでよ。

 

どこに行ったんだ、ふたりは永遠に。ロボット要素だけじゃないか、何がどうなったらそうなるんだ?
混乱しながらあらすじを読み直すけどなるほど分からんということしか分からない。

だけど、私はこのよく分からないぶっ飛んだあらすじが大好きなんだよな。

 

そしてこのあらすじたちは後からじわじわと聞いてくるのだ。

かつ、嘘偽りない。このあらすじたちのとおり、舞台上ではヨドバシファミリーとビッグファミリーが抗争を繰り広げる。よく分からないと思うが、家電らしい戦い方で、血で血を洗うような?電気で電気を洗うような?抗争を繰り広げるのだ。

 


ただ、それも決して無駄な「悪ふざけ」なんかじゃもちろんない。
それらは、「ふたりは永遠に」の物語に密接に繋がってくる。

どんな話かといえば、とどのつまり「ハートのない愛情の物語」なのだ。

 


私のとても好きな人が以前心はどこにあるのか、という話をしていた。たとえば、切った髪はその人と言えるのか、言えないとして記憶を失ったらどうか。何があれば、その人はその人足り得るのか。
私はその問答が大好きで、よく思い出す。
そして、その解答の一つでこの「R老人の終末の御予定」を思うのだ。
もちろん、問いに対する答えはひとつじゃないんだけど。

 

 

お話を通して答えを知ったから、なんてことでもない。
こればかりは、観てもらわないと伝わらない。
観たらきっと伝わると願ってる。

不思議な話なんだけど「そういう台詞があるから」「そういう展開だから」そう思うというわけではない。
それもひとつの要素ではあるけど、なによりも私はこのお芝居を「体験して」心が動いて、どこに心や魂があるのかを知ったような気がするのだ。

 


と、ここまで長々と話しておきながら実は私はこのお芝居のDVDを持っていない。
大好きだとは胸を張って言えるが同時に私にとっておいそれと観れるお芝居ではなくて、だからDVDを手元に置いておけなかったのだ(でもそろそろ、手元に持っていたいな、とも思ってる。こうして無料公開されるからこそ、尚更)
今回公開が決まった、と聞いた時も友人のむせおに速攻でLINEした。むせおに観てもらいたかったというのがいちばんの理由だけど一緒に……このご時世だから当然「オンライン観賞会」という形でだけど……観てて欲しかった。
自分の心臓がどんなふうに跳ねるのか、どきどきもしてるからだ。


映像で観ようが、2回目だろうが、きっと新鮮にその時唯一の観劇体験をするだろうな、ということは確信を持って思ってる。

ああでも、本当に楽しみだな。大好きな彼らにまた会えるんだな。


このブログを、読んでくれる人がいるとして。もしも、明日17時から、お時間があれば一緒に観てほしい。それからどんな景色が見えたか教えて欲しい。

 

とびきり、抉られる話ではある。
観劇後、呆然ともした。だけど、「逆説的に」とんでもなく、愛おしくて優しい話なんだ。
だからあなたに、観てほしい。いま。

 

 

 

ところで、公演サイトを観たら吹原さんのコメントに微笑んでしまった。
「一生モノの宝物をプレゼントしてみせます!」
本当にその通りで、観劇してから2年間、何回あのお芝居を思い出しただろう。そしてこれから、何回思い出すんだろう。


良ければ、この宝物をあなたと共有できますように。
またこうして時間を経て、体験できるの、最高だな!

好きな作り手の方の話をする

なにを今更と言われるかもしれないが、好きな人の話をする。
このブログで、さんざっぱら、してきたけれども、最近妙にビビってしまうことがあって、それはとどのつまり、好きだ、と言いすぎることは怖いことじゃないだろうか、ということで。
これはもはや、このブログのサビのようにも思われるかもしれないけど、私はいつも、新鮮な気持ちをもって、ビビったり安心したり、開き直ったりしている。
LDHにハマって「届かないから安心する」ことを知って、少しそのビビリは加速した。
変な話、きっと、LDHの推しはこの文を読むことはないからと、フルスロットルで文を書いた。

 

誤解されたくないのは、読まれることの多い小劇場についての文でも、手加減というかなあなあで書いたことはない。そんなことをするくらいなら、私は文を書かないと決めてる。誓って。
だけど、例えば作品の感想として矛先……という言い方もアレだけど……を分散したり、ファンレターとして一個人に宛てる時はなるべくマイルドになるよう心掛けたりと、なんか、そういうことをしていて。
だって、私の好きだ、ってエネルギーがもし万が一にも、迷惑になったら申し訳なくて消えてしまいたくなるだろうし。


そんなことを常日頃、考えていて、考えてる中で、つい、弱音が口を、というか指をついて呟いたことがあった。つい最近のことだ。

 


作品ではなく、好きな役者さんただ一人について文を書いても、迷惑じゃないだろうか。

 

 

これから書く分は、その時もらったいいねに背中を押されて書く。
もらったいいね、を私はずっと「書いていいよ」と受け取ってて、
おおう、じゃあ本当に書いちゃうからな、本気だぞ、書いちゃうぞ、とそわそわ考えていて、ようやく、それを、形にする。


書いちゃいますからね、分からないけど、迷惑かもしれないけど、もう、好きだって気持ちのまま、書いてしまいますからね。

 

 


彼の好きなところはたくさんある。ありすぎるほどにあるのだけど、一旦、今まで、もしかしたらあまり文にしてこなかったことから初めに書こうと思う。
私は、吹原さんの演技としてのお芝居がたまらなく好きだ。


吹原さんのお芝居、と思い出して真っ先に浮かぶのは御家族解体である。
正確には彼は「ポップンマッシュルームチキン野郎」の作品の多くに出演しているから、
思い出す作品は多くある。
あるのだけど、私は、御家族解体がたまらなく好きで、好きな理由が吹原さん演じる「お父さん」なのだ。

御家族解体には、大きな山場はない。ただただゆっくりとろくでもない家族が解体へと向かう物語だ。


私は、初めて観た当時のブログで「言葉だけ聞いてるとオチに納得いかない」と書いている。
今は、そこまで強くは思わないけれど、でも当時そう書いた自分の気持ちも分かるのだ。
いや許すの?!と言いたくなる瞬間はある。あるんだけど、許すよなあ、とも思う。
今、この年齢だからというのもあるけど、あの当時から。

「ただ、抱きしめるところを観て、何もかもを理屈では片付けられないかあとも思う。」
と書いていた。

吹原さんの演技って不思議で、こんな瞬間がめちゃくちゃあるんですよ。
なんか、納得してしまう。受け入れてしまう。
委ねてしまう。
あれはなんなんだろう。考えてるけど、わかんねえんだよなあ。

 


吹原さんは舞台上で時々驚くほど穏やかで大きな目をする。大きな目、というか、まるでゾウさんみたいな、そういう目だ。我ながら意味の分からない表現だけど、思うがままに表現するとそうなる。
穏やかで優しく、賢い生き物がじっとこちらを見るような。

 


こないだ、「オハヨウ夢見モグラ」を観たんですよ。
それでも、吹原さんはお父さんを演じてるんですよね。
吹原さんは劇中(これはオハヨウ夢見モグラに限らず)それはもう気持ちいいボケとツッコミを繰り出すことがあって、
私はあれがまた大好きなんだ。日常の延長線みたいなそういう、ストン、と落ちるような。
ただそのくせ、急にめちゃくちゃ穏やかな台詞をぽんと渡してくるんですよ。
あれにどうにも弱くて。

その瞬間渡された台詞が優しい彼の声で手元にきらきらひかる宝物のように残っている。

 


御家族解体で、お父さんが家族に向ける眼差しが好きだ。納得のいかないような不条理が立て続けに起こるお芝居だけど、ろくでもないお父さんだけど彼の「家族が好きだ」という気持ちは少しも、嘘偽りもなく、本物だ。
優しく、少し寂しく、そんな彼の母さんに向ける台詞が好きでラスト抱き締める仕草が好きで。
あの瞬間が、私はとんでもなく好きでだから「おっとこれは最強じゃないか」と思った。
こんな、御守りみたいな一緒にいて幸せだと思えるお芝居があるなら、私はずいぶんと心強い。どうしようもないことも、やるせ無いことも多いし、許せないと暴れまわりたくなることもたくさんだけど、それでも、このお芝居に私は出逢ったから、大丈夫だぞ。

 

ほんと、信じられないと思うけど、そんなことを半ば本気で思っちゃうんですよ。

 

そうして、やっぱり考えていると彼の書く物語が好きなんだな、というところに落ち着く。
初めて、下北沢で公開コメンタリー観たあの日から。いや、あの時もだけど、その後「いやいやでも、好きな役者さんのコメント付きだったからいまいち判断つかねえぞ」と混乱しつつ、見に行って、結局ふらふらになりながら劇場を出た、あの新宿で過ごした日から。

 

 

たくさんたくさん、吹原さんの描く物語を観た。

 


好きなものの話を書くかビビったことの一つは「毎回お前それかよ」となるのも怖かったからだ。ただ、今回、書きたいと考えるといつもと同じところに行き着く。
トリッキーさも先の読めない展開も、大好きだ。

 

生きていることを大手を振って最高!と言われると、いやそうかな、と思ってしまうことがある。かと言って、生きてることなんて下らないと言い切られると寂しくなる。
そんな面倒な私にとって、観ていてとても安心するのが吹原さんの描く物語だ。

 

生き続けることの怖さをあんなに描く人を、私はそう知らない。焼きつくみたいな、哀しさと怖いくらいの怖さは、だというのに回り回って、とんでもなく優しく抱き締めてくる。


「抉り取って抱き締めます」


いつかのキャッチフレーズが、本当に痺れるくらい大好きだ。というか、本当、ポップンさんのキャッチフレーズってどれも絶妙で、繰り返し思い出しちゃうんだよな。

 

 

R老人の終末の御予定を思い出す。
人のどうしようもなさを描き、生き続けてしまうロボットの絶望を描いたなかで、「魂があるから美しい」ということを私はあの物語を思い出すたびに考える。魂とは知性に宿る、という言葉は、やっぱり宝物のように私の頭の隅にずっとあって、何かを放り出したくなる時、決まって思い出す。
あの作中、「森山」という青年が出てくる。R老人という物語は優しい話だと、彼のことを思い出すたびに、考える。

当時、観終わったあと書いたブログでこんなことを書いた。

 

「例えば何日も何ヶ月も経って、あああの人が言いたかったことはこういうことだったのか、と思い至ったり、唐突に昔のことを思い出してその時間の愛おしさに喉が詰まるような気持ちになることがある。」

 

今、まさしくこんな気持ちだ。観たのは2018年の4月で、もう2年が過ぎてる。
2年が過ぎてもなお、思いがけないような気持ちに辿り着く。まだ、物語が続いているみたいに。


ポップンマッシュルームチキン野郎さんのお芝居が好きだ、という話を私は少しまえ、ブログに書いた。YouTubeで公開されたのが嬉しくて、好きなものの話がしたくて書いた。今は、好きな人の話がしたくて書いている。

 

 

今回、「好きな作り手について」と書いたのは役者としても演出家としても、脚本家としても大好きで、なんと書けばいいか分からなかったからだ。本当は、作り手、という言葉もちょっとしっくりきていない。
だけど私の中の少ない語彙の中では一番それっぽかった。いつか、もっとちゃんと、しっくりくる言葉は見つかるだろうか。
見つかる気もする。これからも、何度も何度も、彼の物語を観る中で。思い出すなかで。


こないだ、「オハヨウ夢見モグラ」を観てびっくりした。もう何度も、観てるんだけど。まるで、初めて観たみたいな気持ちで。
吹原さんが演じるお父さんはミツオに言う。

 


「お前以上に豊かな人生を送ってる人間はいない。父さんは心からそう思うよ」

 


幾千もの物語とともに長い時間を過ごす、ミツオへのその言葉を何度も何度も、思い出してる。ああ、本当にそうだな。本当に、私も、そう思います。

推しのファンクラブの更新をした

推しの……正確には推しが所属する事務所のファンクラブの更新をした。

新年度に合わせてファンクラブに入ったんだな、と更新手続きをする度なんだかおかしい。

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別に生まれて初めてファンクラブに入ったわけではないし、この更新だって初めてのものではない。

だから感慨深いか、と聞かれると迷うところだけど、今日仕事中ふと唐突に、ファンクラブ更新したな?!とびっくりした。家には更新特典のサコッシュがあるぞ?!!

 

別に、後悔しているわけではない。

ただ、驚いただけだ。

 

去年、秋……だったか、晩夏だったか、記憶は少し朧げだけど、

ファンクラブを辞めてしまおう、と思ったことがある。

詳細は省く。正直あの時は、半ばパニックに近いくらいやだー!!!!と思っていたし、

パニックに近かった、とは思ってはいるけど、同時に今も、別にあの時の「嫌だ」は完全になくなったわけではない。

別に、この彼らに関してのみならず、たぶん私は好きな何に対しても大手を振って好きです、と全肯定できないタイプだ。いや、正確にいえば、できないとしても、それでも好きだ、と思う。

粗を探すつもりはない。つもりはないけど、ただただずっと好きでいれるか、全部を肯定できるか、という自分に自信がないだけだ。ただ自信がないだけじゃなくて、別にそうする必要性を見出さずに改善も特にせず過ごしてる。

でも同時に別に嫌いなところがあるから好きではない、なんて意見は余計なお世話だ、と思ってる。

全部が好きかどうか、ずっと好きかどうかは分からないけど、私はこの瞬間、心のおおよそをもって好きだ、と思うから好きだ、くらいの心待ちなんだ。なんに対しても、誰に対しても。

 

 

あの時、辞めるのをやめなかったのは至極シンプルな理由だった。

ファンクラブ限定イベントに行きたかった。

その程度で思い止まるなら結局大したことない衝動だった、と言われればもう半ば半笑いでせやね、としか言いようがないけど私はマジだった。

あの瞬間、自分の好きという気持ちと決別するつもりでいた。好きでいるという体力に自信をほとほと失っていたし、引き篭もりたいような心地すらした。ただ、退会、のボタンを押す直前、推しさんの笑顔が浮かんだ。

 

そのファンクラブイベントに、私はずっと行きたかった。

行きたかったし、同時に「行っていいのか」とも思っていた。

推しさんに興味を持ったきっかけの一つでもあって、そのイベント自体に思い入れがあった私にとって、2019年に開催される、という知らせを聞いた時からとてもドキドキしていた。

そのイベントに参加する、という権利を放り出せるか、と言われれば、無理だなあ、と思って、その日はすごすごと寝て、なるべくやめる!ということを考えないようにしていた。

 

結果、どれだけ私が幸せな気持ちになったかは散々このブログで書いてきたから、これ以上文字を消費する必要もないと思う。

 

 

なんて話を、なんで急にわざわざブログを更新してまだ書いているかというと、

今日日中、更新したんだなあ、と思って、それからああ、あの時やめなくて良かったなあと心底思ったからだ。

 

今回、色んな映像の配信や「ライブ」を取り戻すための取り組み、「おうち時間」を充実させるための色んな工夫を、彼らはしていて、

そういうのを見ながら、彼らの掲げてる「ラブ・ドリーム・ハピネス」ってのは、洒落でやってるわけではなくて、本気なんだなあと思っていた。

本気で、彼らはエンタメで人を幸せにできると思ってるんだな。

そのために、ずっと続けてきたし、これからも続けていくんだな。

 

 

今回、私はああこの人たちのことが好きだなあ、としみじみ何回もこの数ヶ月思ったんですよ。

その「この人たち」は、特定の推しさんたちも指してるし、同時にたぶん、事務所さんも好きだなあ、って意味で思ってて。もちろん、たまに「いやそれは私はnot for meです」とか「それはハピネスなのか?」とか過るだろうけど。

 

それでも、本気で誰かを幸せにしたい、と思ってるのは間違いないと思うんだよな。

 

だとしたら、もうしばらく、彼らのいく先を近くで……とどのつまり、ファンという立ち位置で見てたいなあと思うのだ。

その時間が、なるべく長く続くといいなあ。これからも、こうして更新特典を手にしながら「おおまた更新したな」と一人笑いたいや、と思う。

 

以上、推しさんたちの日々の更新を嬉しいなあ嬉しいなあと思っているおたくの独り言でした。